#86 Burden of Her Past(重たい昔話)

 トッピングモリモリの謎飲料にはもう懲りたのか、冒険を諦めた新山彩乃は昨日とは異なりありふれたカフェラテを一口含んでから、隠遁された真実とやらの提示を始める。


 細い指を一本立てる

 それが話の開幕。


「まずは一つ目。昨日も触りだけお話した――姉の抱える『男性恐怖症』。そして二つ目の秘匿は『出逢いと年月』です」

「う~ん、さっぱりわからん」


 謎めいた物言いに対して素直な気持ちを率直かつ端的に述べたのだが、「取り敢えず聞いてください」と窘めれれて、普通に遮られた。言葉の通り、黙って聞けという事らしい。なにこれ怖い…昨今トレンドたる女尊男卑が行き過ぎてない?


 色々思うところはあったけど、素直に従うこととしよう。全てに苛立つ反抗期は既に通り過ぎて久しい。


「では『男性恐怖症』について――その実、姉の場合は本当に結構深刻で――身体的にも精神的にも重篤です。ぶっちゃけ、基本的に男というものを信用していません。それはアラタさん、貴方についても同じです」


 さっきまで、信頼の証がどうこう言っていたのになぁ…。

 結局僕は彼女に信頼されてるの? されてないの? 女心と秋の空とは良く言うけれど、恋の気象予報士は何処にいるのだろう…。

 恥ずかしがり屋な該当者を見たことすら無いけれど、きっとこの世の何処かにはいるんだろうな。多分呑気に映える飲み物とか撮ってるんだろうね。クソが。

 

 軽口の裏で普通に疑問に思ったが、口を挟むとまた怒られそうなので口をつぐんで地蔵の様に続きを待つ。


「思い出して欲しいのは姉と食事に行った帰り、貴方はタクシーを止めようとしたそうですね? そしてそれを姉は制止して、自ら捕まえたと聞きました…どうしてだと思います?」


 目で意見を求められた。

 どうやら喋って良いらしいが、以前彼女に述べた以外に意見を持たない。差し出がましい真似だからじゃないのか?


 目線を僕から切り、冷たい声で回答をオープン…、


「運転手が、困るからですよ」

「え、は? あ、なっ…?」


 思い返してみれば、彼女が自ら捕まえたタクシーの運転手は女性だった。

 何やら会話をしていたのを記憶している…だから、選んだのか? わざわざ、同性を? 選択肢の減る深夜に、貴重な時間を消費して同性を指名したのか!


 そして僕に露見しない様に隠したっ?

 何故? なんで? わからない。意図も意味も。含んだ心情も。


 一体何のために…?


「狭い車内に数分というだけなのに、んですよ。貴方ともドライブしたそうですが、それとは訳の違う…桁違いの苦痛なのです」

「でも、どうして。何でそんなことに…そんなの、マジで重症じゃないか……」


 本当によっぽどだよ。

 そんな性質でむしろ良く僕を部屋に上げたなと感心を超えた恐怖すら覚える。それが彩乃さんの言う『信頼の証』なのか? 見ず知らずの運転手よりは信頼されていて、信用されているってことなのか?


「理由を詳細には言いませんのでそこは想像で補完して貰えれば。しかし、基本的な要素は二つ。一つは『二次性徴』と…」


 ここで初めて新山彩乃は言い淀んだ。

 そんなにも言い難い事なのだろうか?


 ならば無理に言わなくていい。

 そう忠告したのだが、彼女は敢行した。残る要素を口にした。


「これは家族の恥部なので本当に口外して欲しくないのですが、私達の父による不倫――それに伴い思春期の娘は男性への信頼が失墜しました」

「それは…まあ…うん」


 他所様の御家族の事情だ。軽々に口は挟めない。

 だが、彼女ニンゲンはそうなるのか?

 ありふれたことだとは言わないが、そんな些細な大事件で彼女は『あそこまで』変わるのか?


 家庭を持たない僕には分からない。父の気持ちも娘の気持ちも。

 だから家族の問題には手を触れずに、一つ目の要素についてと全体図について質問をする。


「二次性徴ってことは…その…さ」


 男性恐怖症へ纏わるのだ――阿呆な僕だって当然、身長体重についてでは無いだろうと予測は立つ。だが予測可能であるが故に口籠る。童貞には刺激が強い話題だから。


「お察しの通り。そして知っての通り。姉の超絶グラマラスでセクシャルなエロエロセクシーボディと密接に関わりがあります」

「だから言葉を選べ!」


 彼女は事も無げに…と言うか些か下品な声音でそう告げた。勿論言葉を吟味した上でのワード選択なのだろうとは思う。それ位の知性を有しているのは疑いようが無い。なんでそんなチョイスなんだよ……。


「中学に入った姉はみるみるスケべな身体に変貌していきました。胸とおしりはいやらしく膨らみ、何とも言えない色気を醸す雰囲気を全身に纏う様になりました」


 訂正しても無駄だと流石に理解してきたので黙って彼女の評する姉の二次性徴に耳を傾ける。


 そこから先はお決まりです。

 大きく手を広げた彼女は醜く嘲笑わらう。


「世の男共から下半身と直結した視線を向けられる様になりました。向けられるだけならまだマシで、痴漢被害にも相当あったと聞いています」

「一人残らず目を潰して股間を切り落とそう」


 貴方のワードチョイスも大概ですよ?

 またも新山彩乃はけらけら笑う。それは先程とは明確に種類を異にしているように思った。


 そしてすぐに明るい顔に影を刺してこのテーマを締めにかかる。どの程度彼女は作為的にそうしているのか…考え無い方が無難なのだろう。


「それと同時期に父の事があり、幼き姉は思う様になります。『男など獣だ。信用するに価しない』と。些か偏った思考ではありますが、昨日も申し上げた通り。また、貴方も体感した通り―――姉は少々思い込みが激しいタチなので仕方のないことなのかもしれません」


 この件はこれにて終了。

 言外にそう述べて、彼女はまた飲み物で口内を満たした。


 僕の胸の霧はまだ晴れずに、むしろ雲が増していて行くばかりだ。


 彼女の男性恐怖症であるのは分かった。

 その成り立ちも理解した。


 だけど、その過去と僕の知る彼女の表情がイマイチ一致しない。著しく食い違う。

 その辺りを含めて第二項で明らかになるのだろうか?


 期待とも違う微妙な感情を抱いて僕も飲み物を啜る。酒にけた喉に酸味と甘みが染み渡り、失恋の痛みを僅かに癒した。

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