#85 Talking about angels(思い人について)

 指定された予定時間五分前、店の前に着いた。

 注文はせずに――レジカウンターを無視して通り過ぎて――二階にふらふらと上がると、失恋相手と血縁関係にある女子大生は昨日と同じ席で一心不乱にアラビアータを詰め込んでいた…察するに遅めの昼食らしい。


 女性の食事中に申し訳ないと思いつつも声をかけると、何故か手ブラであることを指摘された。


「ちょっとアラタさん。飲食店なんですから何かしらを頼まないと…ショバ代やチャージ料って大事ですよ?」


 だがしかし、彼女の第一声たるそれは至極常識的でまともな意見だった。

 繁華街に位置する店舗の座席に居座るには…最低限、お金を落とす客でなければならない。そんな資本主義における当たり前すら失念しているとは、僕はもう…本当に駄目かもしれない。


 昨日と同じ店員さんに昨日と同じオレンジジュースを注文し、それを片手に携えて昨日と同じ席に戻る。くるくると繰り返す。巻き戻しみたいに。


 ただ昨日が今日と違うのはまだ僕が失恋していなかったこと。

 僕はまだ、胸に希望を持っていたこと。


 短時間にパスタを完食した女子大生の前に腰を下ろした僕。彼女は開口一番失礼な発言をした。


「それよりアラタさん、いくらなんでもウツろ過ぎませんか? サブカル寄りのアーティストっぽいと言えば聞こえは良いですが、姉より存在感が希薄ですよ?」

「そうかな? 僕は元々こんなもんじゃなかった? きっと、結構前から多分…こうであったよ」


 いやいやと手と首を振った後に彩乃アヤノさんは「直にスグに、変わります」と文脈の繋がらぬ前置きして話を始めた。


「昨日の今日でお呼び立てしてしまってすみません。私の顔なんて見たくもないでしょうが、来て頂かない訳には行きませんでした」


 なんせ顔の造りが似た姉妹だからな。

 過ごした年齢と、かつて経てきた雰囲気に差異があるが…それはそれとして、一人の人間としての配慮と好意は素直に嬉しいよ。別に関係無いけど。


「貴方は昨晩…その、姉に気持ちを伝え、姉は応え無かった…しかし、それは事実であって真実では無いのです」

「どういうこと? 新山ニイヤマ家において、『ごめんなさい』は了承の言葉だとでも言うのか?」


 精一杯気を遣った迂遠な言い回しが僕の心を刺激して、噛み付く様な言葉になってしまった。彩乃さんに罪は無いのに、凄く良くしてくれているのに…。


 僕の小さな器の物言い、その一切をスルーして彼女は言葉を続けた。


「昨日の姉の言葉にはがあります。思惑…姉が隠した真実が二つあります。家族のこととは言え、他人の私が吹聴する訳にも行きませんが、姉には了承を得ました。これを聞いてどう動くか…強制しませんが、他言無用でお願いします。そこを含めて私達しまいが貴方に寄せた信頼であると捉えて頂ければと」

「わ、分かった…」


 その圧倒的な語り口に圧される形でなさけない同意。

 同時に頭は未知なる謎で支配される。『真実』? 『思惑』? 何やら不穏で物騒な単語だ。


 と言うか、人間なんだ。発言に小さな含み位は普通にあるだろうに…それはこの件に大きく関わることなのか?


 新山彩乃の蠱惑的な唇は、姉である新山彩夏の真相を紐解き始める。

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