#80 YOUR ORDER(君の祈り)

 なんか凄いモコモコしたファンシーな気配や空気がほのかに漂うスリッパを履き、彼女の後について私生活の一部たる住居に介入する。


 おっかなびっくりの慣れぬ足取りで通された先は暖房の入った快適な部屋。目視では十畳前後のリビングルーム。

 外観的なレイアウトとドアの感じからして奥に寝室が有るのだろう、所謂1LDKと呼ばれる間取りだと思う。


 味気無さすら感じるシンプルな家具によって白と青色で彩られた室内は寒々しい程にこざっぱりしていて、必要最低限の調度品と幾つかのインテリア小物がまばらにあるだけ。


 その無機質とさえ思える風景は彼女の隠した内面を映しているのかも知れない――まあ女性の部屋とか初めて入る為。

 それ故――同年代の他者との比較は出来ないので実際の所は、正直よく分かりませんがね。


「恥ずかしいから、あんまり見ないで…」

「ご、ごめん」


 一通り室内を目で追っていると、キッチンにいる彼女から普通に注意が飛んできた。

 温和な彼女から警告を促されるほど、そんなにも表立ってキョロキョロしていたんだろうか? してたんだろうなぁ…。


 警戒度マックス状態の草食動物の真似を禁止され、身の置き場所と身の振り方に困った僕は肌触りの良いカーペットの上に腰を下ろす。その過程で二人がけのチェック柄ソファが目に入るが、我が物顔であそこに座る訳にも行くまいよ。何様だよって感じだよ。


 綺麗に整えられた室内を見て一つ仮説。

 あの三時間はこの為にあったのかも知れない。


 姉への説明にしては長過ぎる時間設定は泣き崩れた顔を隠す為の化粧や、この場所に存在したはずの生活感を消す為に設けた。女子らしい気遣いの様に思えるし、ありそうな話だ。


 もし仮に、調停役たる彩乃アヤノさんの立場に我が相棒が立っていたとすれば、平気でそれ位する。いとも容易く軽くやってのける。モテる奴の気遣いは半端ないことを僕は知っているから。


「そ、その…良かったら……」


 モテ人間との差が分かる程度には成長した非モテ人間の元に慎み深い声と共に届けられた湯気を放つマグカップ。水兵の衣装みたいな配色のカップの中で揺れるのは黒色の海。マジかよ、今日珈琲ばっかりだな。


 局所的な体調に若干の心配を覚えたが、火急的に口を付ける。

 冬の夜を歩いたことで身体は熱を求めていたし、何よりも精神の奥底が彼女の淹れてくれた珈琲を求めたのだ。


「美味しい…」


 ほっと息を吐き出して率直な感想を述べる。

 ただのインスタントコーヒーがもはや別物、熟練のバリスタの風格を感じるアムリタの様な深みを持った崇高な味に早変わりだ。


「安心した…」


 定形めいた言葉を交わした彼女はソファの左側に座った。

 いやだから、その空いたスペースは何? 僕が無駄に意識し過ぎなだけなの? 若い婦女子にとってはそういうのが普通なの? それなら別に良いんだけど…。


 その後の二人を包むのは穏やかな沈黙。几帳面な時計の刻む針の音、そして時折飲み物を啜る音が聞こえるのみの優しい時間。

 決して居心地悪いものでは無く、永遠に浸っていたいと思う――それこそ甘露の様な空気。


 しかし、いつまでも管を巻いてトリップしてチルしている訳にも行かない。目的があるからこそ今この場所にいることを忘れるな!


 まずは謝罪しようとカップを目の前のローテーブルに置いた瞬間だ。僕が口を開く寸前に彼女が我先にと大きく頭を下げた。


宮元ミヤモトくん…本当にごめんなさい」


 揺れる二房の髪の毛に目を奪われ、数拍置いての反証。


「ま、待って新山ニイヤマさん! 謝らないで。頭を下げるのはこっちの方なんだから…」

「宮元くん…」


 言葉より先に駆け寄り、細い肩に手を当てて頭を上げて欲しいと懇願する。流れる前髪から覗いた縋る様な瞳が言外に、僕を強く責め立てている様に感じた。


 彼女から少し距離を置き、僕は改めて頭を下げる。空っぽの頭を下げることで何かが変わる訳でも無いが、これは最低限の誠意だ。


「君を傷付けてごめん。君の信頼に応えられなくてごめん」


 彩乃さんの忠告を活かせずにごめんと頭を下げて陳謝の言葉をみっともなく紡ぐ。

 すると今度は一転して彼女が僕に駆け寄り、頭を上げて欲しいと言った。ほら座ろうと言ってくれた。


 結果、二人でソファに腰掛ける事になった。彼女が左で僕が右。奇しくも日本式の車の中と同じ配置。

 それを受けた愚鈍な脳味噌が『僕の助手席は君専用だぜ?』というクソにも劣る最悪の口説き文句を思い付いたが、直ちに記憶から消すことにしようと思う。


 その行動に先んじた一歩目という訳でも無いが、話を進めようと思う。決して想い人との物理的距離が近過ぎることへの緊張を紛らわそうとしてのことではない。


「それで…その、彩乃さんからはどう聞いてる?」


 この台詞は既定路線。まずここを確認してから改めて謝罪と釈明に入る。


 タイミングを図る為か、一度ミルク入りの珈琲へ口を付けた新山さんは記憶を反芻する様に途切れ途切れに語り始めた。

 そして今気付いたのだが、彼女のカップ、僕が手にしているのと同じだ! ペアって奴だ…って、そもそも彼女の持ち物なんだから別に驚くことでも無いな。


「その…彩乃ちゃんとカフェでお喋りしたこと。その後、あの少し派手な女の人と入れ違いみたいに会ったこと。それで二人はただの知り合いで、私の勘違いだということ…」


 オーケー把握。大体のあらすじは伝達済みの様だ。

 後はその骨子へ客観的なディティールと説明と――あとはみっともない個人的な釈明を加えて行くこととしよう…。


 場に即した声を必死で作って、僕は始める。


「その女の人とは本当に何でもないんだ。先輩の知り合いで今日会ったのだって殆ど初対面みたいなものでさ。ただスキンシップの激しい感じで、それで僕も迂闊で――そのせいか、君を傷付けて……ごめん」


 不祥事について言い訳する浮気男みたいな様相であるが、気にしない。

 男が必死になる瞬間なんて人生でそう多くは無い。その原因は些細な自身の矜持の為か或いは女絡みだと相場は決まっている。


 ならば、ここで必死にならずにいつ必死になるんだってんだよ!


「ただ一つ理解して欲しいのは、ただ一つ知っておいて欲しいのは…」


―――僕が好きなのは君だけだということ。


 再び凍る空気。今度は最悪の雰囲気だ。

 しまった…流れに任せて告白してしまった。うわうわマジか嘘だろ。え…いや告白自体はいいんだ。どうせするつもりだったから。早まった。でも何故このタイミング? どうして口から飛び出した? ワぁイ?


 お相手たる新山さんの呆然とした顔を見ろよ。意味分かんないみたいな表情してるだろ? 僕だって意味わかんねぇよ。


 余りにも想定外の事態に混乱する僕とフリーズした彼女。永劫に感じる一瞬の終わりは呆気なく。


「…ごめんなさい」


 それは古来よりこの国で重用されて来た断りの言葉。それが意味するのは拒否、或いはノー。つまり不成立。


 失恋した僕は静かに黙って席を立つ。

 顔を両手で覆い崩れ落ちた彼女を置いて玄関に向かった。


 靴を履いて外界にふらふらと歩き出す。

 謝罪も釈明も告白すら中途半端にして歩き出す。


 僕は、歩き出す…。

 明滅する視界を抱えて、歪む地面に足を取られぬ様にゆっくりと。

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