#72 Venus Syndrome(女神怖い)

「久しぶりアラタくん。ねぇ…私のこと、覚えてる?」


 薄黒く焼いた魅力的な肌と眩い金髪のコントラストがなんとも――どうにも色っぽい女性。

 童貞バンドマンにおいては先輩バンドマンの知り合い。

 もっと大局的にはシーンを牽引する男の知人。知人の知り合い。先輩の友達。うーむ、何とも薄い関係である。


 マクロ的な個人的見解においては二度目の邂逅となる――見た目麗しく派手めな装いの年上は女性は試すみたいな上目遣い。

 実色以上に艶っぽく輝く桃色の唇を尖らせて甘えた声で僕にそう尋ねた。多分総天然色の囁き。


「も、勿論です。佐奈サナさん。えっと…あなたの苗字は、確かお聞きしてませんよね?」


 少々どもりながらも――それなりに常識的で、大きくはハズさない言葉で返答。

 同時に明るい時間と場所で初めて見る彼女を視姦…失礼、心機一転改めて観察する。


 シンプルな上着を脇に抱えた彼女はネイビーのタイトな肩出しワンピーススカートにロングブーツ。その隙間たる絶対領域を彩る柄物のタイツストッキング。


 有り体に総括すれば、なかなかに性的で刺激的な服装であると言える。

 艶と光沢のある細い肩から伸びる赤い紐とか最早鑑賞用の美術作品かと錯覚した上で、色んな事案と解釈を誤解しそうになるもんな。


 初対面の時とは異なって不躾な特に指摘される事無く、年上女性は何でも無い様に言葉を続けた。いまなお詳細な年齢差は知らない。


「昼間会うのは初めてだね…って当たり前か。ねぇ、となり座っていい? 時間があるなら少しお喋りしようよ」


 そう告げながらも既に彼女は着席のモーションに入っている。

 どうやら僕の意向は関係無いらしい。


 ここに来て今更ながら『いや今日親があれで、塾がその…』とは断われない。

 マジかよ…僕、ぶっちゃけこの人苦手なんだよなぁ。僕の周りにはいない人種タイプだし、なるべく関わらない様に避けてきた人間タイプだよ。


 それでも何とか逃げ口上は無いものかと頭を捻って打開策を探る僕の頭脳労働は開始する前に敢え無く潰された。


「って、あれ…暖かい…? それに、この…匂い……。一人なのにボックス席だし特に大荷物という訳でも無い…。ねぇアラタくん、誰か女の子と一緒にいた? それもついさっきまで」


 何だよこの人怖えよ。探偵かよっ! なんなら猟犬か?


 察するに、シートに残った熱と座席周辺に漂う女子大生の香水の匂いから判断したんだろうが、普通そんな些細な痕跡に気が付くか? DJより刑事とか興信所とかの方が向いているんじゃないのか?


 この一連の流れにより僕は悟る。猟犬の様な嗅覚と名探偵の様な洞察力を持った彼女には嘘を付くだけ無駄だろうと。


 なので重大な情報だけを隠しながら釈明をする…って別に僕にやましい瑕疵は無いけどな!


「よく気付かれましたね。その通りです。知り合いの娘と偶然出くわしたもんでちょっと雑談を…それで佐奈さんと入れ違いの様な形で帰って行きましたよ。何ならすれ違ったんじゃないかな?」

「それってパーマのかかった茶髪のコ? 白いフワフワのコート着てて、結構可愛い感じの……」


 その件について僕は嘘は言ってない。けれど正確に真実は述べていないし、詳細にも語っていない。それどころか彼女の容姿については欠片も一切触れていない。


 にも関わらず、彼女が見せるこの冴えはなんだ? 驚異的な記憶力と洞察力――マジで特殊能力持ちなんじゃない? 本当何でDJやってんだよ。その美貌と才覚、MI6とかでスパイでもやったらいいんじゃね?


 自身の想像力が生み出す驚愕と妄想に打ち震える僕には、まるでお構いなく彼女は更に考察を深める。


「そっか…あの娘だったのか…でもアラタくんにはちょっと荷が重そうだし…あっ、君の友達?」

「いや、その――まあ、うん。友…達では、無いですね?」


 僕と新山彩乃との関係性について普通に悩んでしまった。言い淀んでしまった。

 いやでも友達じゃあ無いよな?


 僕にとって彼女の存在は、幼馴染の相棒の昔の恋人で現在僕が片思いしている女性の妹――適切な言葉が本気で思い付かないよ。

 全く、クソがと嘆きたくなる程にさ――狭い人間関係の割に、なんでこう人間関係が微妙に絶妙で複雑なんだ。


「何にしてもあの娘はヤバいね。多分私は嫌いだし、私のことも嫌いだわ」


 褐色金髪の女性はフラペチーノに口を付けた後に甘さを一切含まない発言をした。喋ったこと無い人間を良く嫌えるものだと感心に似た感想を抱く。


 別に詳細を問うた訳でも無いのに彼女は擦れ違った女子大生について個人的総評をつらつらと続けた。


「君の知り合いを悪く言うつもりは無いケド、あの娘多分器量の良さと容量の良さで人生系のオンナノコでしょ? 自身の武器を最大限活かして生きていくタイプだわ」


 それは別に貶していないのでは?

 口を挟まずに聞きに徹する。女子の話を聞くのが男の嗜みだ。多分。


「でもさ同性からするとやっぱりそれって妬ましいし羨ましいんだよね。『自分はこんなに苦労してんのに何であの娘だけって』気持ちになっちゃう…ってゴメンね。失敗だ。アラタくんの前では猫被ろうと思ってたのに…」

「いえ…気持ちは分かります――痛い程」


 彩乃さんと会話することで頭から抜け落ちていた昨日のギタリストの言葉が想起された――抗い様の無い『妬み』と抗い難い『羨み』。彼女も潤と同じ様に人生に嘆き、どうしようも無いと感じる瞬間があるのだろうか?


 それを尋ねるには僕と彼女の距離はまだ遠い。


 沈む気分から抜け出したくて僕は席を立った。「あれどこ行くの」という佐奈さんの問い掛けに緩やかに答える。

 

「ちょっと追加の飲み物買ってきますね」


 思えば初めて出会った日もこの手を使った気がする。対人関係における引き出しの少なさが尋常じゃないな、僕は。


「あっ…ならミラノサンドも一緒に買ってきて」


 無能さのぬるま湯に浸る僕をタダでは行かさぬ追加のオーダー。「いいですよ」と快諾し、席を離れたが物理的に掴まれ阻害された。これは明確なボディタッチだな。


「はい、これで宜しく」


 美人DJは――恐らくブランドものだろうと推察される――刺繍のあしらわれた濃いベージュの財布から取り出した千円札二枚を僕の手に握らせた。おいおい、いつからミラノサンドは値上がりしたんだ? インフレも甚だしいぜ。


 困惑する僕を見かねた彼女から真意の開示があった。


「勿論手間賃として、君の飲み物もそこから出していいし」


 とのこと。

 豪鬼で男らしい器量を感じる、実に器の大きな台詞だけど。

 それはそれとして、イケメン女子らしい器を元に奢られる謂れが無い僕は当然断りの言葉を伝える。


「いや自分の分位、フツーに自分の財布からだしますよ」


 渡された紙幣の内一枚を彼女に元に戻したが一度振った袖は引っ込められないと突き返される。挙句、


「いいからいいから。年上に…それも女性オンナに恥をかかせるもんじゃないよ」


 と問答無用で反論しづらい論理を持ち出されたので諦めて一階カウンターにお使いに行く。「いってらー」と背中越しに掛けられた声が思いの外大きくて、店内の視線を集めたのでなんか余計にヘコんだ。


 すげえ恥ずかしいんすわ。

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