#71 Artificial Candy(人造の幸福)

 何やら多少なりとも恥ずかしい結論に至ってしまった僕は、流れと羞恥のままに両手で顔を隠してソファにごろんと倒れ込む。


 ふと向かいの座席に何気無く目線をやれば、対面に腰掛ける女性がスキニージーンズを艶かしく組み替える瞬間に運良く遭遇。

 しかしそれは不意故になんともバツが悪くて、何の覚悟も持た無い僕的には如何せん目に毒で。すぐに身体を起こした。実に無様に。電極を付けたカエルみたいにガバっと勢い良く。


 僅かに年下ながらも遥かに経験豊富な女子大生から嘲笑の辱めを受けることを覚悟しながら量の少なくなったコーヒーを舐める。


「いいんじゃないんです? まあ『今時流行りの価値観』とは言いませんけど、しっかりした信念や感情に基づいているのなら立派ですし、普通に素敵だと思いますよ?」


 僕が固めた覚悟を余所に、彼女の口から放たれたのは侮蔑の意味を含まない言葉。マジか? これがモテを極めた者の余裕であり、懐の深さだとでも言うのか?


 しかし、言葉を額面通りに受け取ることの出来ない人間不信の対応者として一応の念押しをしておく。


「わ、笑わないの?」


 情けない僕の追い縋りを彼女は「別に笑うことでも無いでしょう?」と薄い笑みと共に優しく静かに受け止めた。


 その聖女の様に高潔で慈悲深い態度に哀れな僕は懐柔されてしまう心地が洗脳の様に脳内を満たす。


「そりゃあ二十数年生きてきて、友達もおらず女性と関係を持ったことが無いというのでしたらまた変わってきますけど…友人が普通にいて、女性に誘われるけど――肉欲に流されることなく信念によって断り続けている。別に結構じゃないですか。熱心な信徒だってなかなか欲には抗えませんよ?」

「そう言って貰えると、過去から連なる僕はかなり救われる…」


 なんと尊きお言葉だろうか。

 聖なる宣託に似た新山彩乃の発言を体内に取り込もうとカップに残った嗜好品を喉に入れる。


「何を隠そう…実の姉もいい歳して男を知りませんしね。でもお似合いの二人じゃないですか」


 本日二度目のスクランブル。またも噴き出しそうになる嗜好品を精神的隔壁で阻んだ結果、無様にも大きく咳込んだ。

 荒い息を吐き出して空気をその分摂取する。その循環が段々と深く長くなっていき、やがて呼吸のリズムが最適化される。


 僕の呼吸の整調を待っていたのか、彩乃さんは姉の個人情報について追記の補足事項を僕に伝えた。


「尤も、姉の場合は友達は皆無ですけどね。見た目は優れているので異性に誘われることもあるでしょうが、女子校育ちのせいか異性に免疫が無く、断っているようで…」


 さらっと自分褒めが含まれていたのが気に掛からなくも無いが、それ以上に一つ引っ掛かった事があった。


「そう言えばさ、お姉さんはずっと女子校だって聞いてるけど、彩乃アヤノさんは? 同じ学校に通っていたの?」


 関係無い上に今更感が否めないが、単純に疑問に思ったのだ。

 それに対する返答はあっけらかんと。


「いえ私はずっと一般の共学を選んできましたよ? 女だけの学校生活――同性オンリーの青春時代なんかまっぴらごめんですからね」


 率直かつ実に彼女らしい意見だ。

 言葉の中の『女だけ』の辺りに凄まじい圧を感じたが、どれだけの意味を込めたのか…考えるだけでゾッとしない。


 そして彼女は出身である小中高とそれぞれの名前を口にしたが、それらは全て僕にとっては聞き覚えのある学校名であり、小中学校の名前から実家のエリアは僕達の隣の校区であると分かった。…まあだからどうしたという話ではあるけど。


「では、名残惜しいんですが。これからアルバイトに行かなければならないので、失礼させて貰おうと思うのですけれども…」


 その前にアラタさんにアドバイスを一つ。


 やけに真剣な表情の彼女の姿はこれから語る話の内容の重要さを表しているようだった。


「ハッキリ言って姉は相当に面倒くさいですし、非常に厄介な女です。美少女ゲームの攻略対象であれば攻略wikiの手引無しには到底口説き落とせない難易度です。しかし、その癖男と二人で食事したくらいで舞い上がる初心ウブでチョロい喪女です」


 色々と情報量が多い内容に振り落とされないよう必死に着いていく…なんかちょくちょく入る"毒"はスルーでいいのだろう。


「けれど、あなたのちょっとした気の緩みや些細な選択ミスで姉との距離は星間よりも遠ざかるでしょう。別に細心の注意を払って行動して、蝶や花のように繊細に扱えとは言いませんが、心に留めておいてください」

「了解。出来得る限り、最大限留意しよう」


 具体性も何もない割に力強い言葉は落第を回避したのか、「信じていますよ」と爽やかに微笑んで彼女はトレーを抱えて離席した。

 取り残されたバンドマンはパンドラの箱にへばりついたカフェイン水を綺麗に飲み干してから、脱力するまま頬杖を着いた。


 僕は先程まで好きな人の妹が収まっていた空席を見つめて独りごちる。


「それにしても、皆がみんな――僕を置いて先に去ってしまうな…」


 ジュブナイルものにおける不死者の様な台詞。

 吐いた言の葉の格好良さばかりが先に立ち、本当見送りに徹し過ぎだろうよという個人的な感想が遅れて届く。

 たまには誰かに見送られたい…誰かを残して果て無き目処の無い旅に出たい。

 そうだ、羊と共に世界を巡るのも良いかも知れない。葡萄酒と本を手にその日暮らしで生きていくんだ…。


「お姉さんは決して君を置いていかないぜ?」

「うえ?」


 誰に向けた訳でも無い恥ずかしい独り言に対してまさかのレスポンス。誰だよ知り合いか?


 慌てて顔を上げた先には情熱的な台詞を吐くに値する女性――ワンマンライヴの打ち上げの席で知り合った美人DJ――佐奈サナさんが立っていた。


 それが示す展開は―――。

 どうやら僕はまだ帰宅出来そうに無いという未来予想図。

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