#70 Lack Decision(意思の欠落)

 マイナス掛けるマイナスはプラスになるらしいと、長年過ごした義務教育の中でぼんやり何となく学んだので、苦い心中を好転させる為に苦い液体を喉に流し込んだ。

 結果として普通に苦かったし、精神に鎮座する噛み切れないしこりも依然として変わらず健在だ。全く人生ってやつはこう……。


 そんな日常に隠された自然な罠を対面に鎮座された新山ニイヤマ彩乃アヤノが見逃す筈が無く、極当たり前の様にとんでもない事を口走る。


「時にアラタさん…私の聞いた所では――その齢にして、女を知らないとのことですが…」


 飲み物を噴き出しそうになるのを堪えた結果、思いっ切りせた。

 口内がカフェインで冒される感覚。仕方が無い。目の前の女性にコーヒーを悪役の毒霧の如く浴びせる訳には行かないから…。


 備え付けの紙ナプキンで口元を拭ってから、必要以上に低い声で彼女に問いかける。


「まず一つ…本日二回目の情報源の確認。今度こそ情報源ソース悠一ユーイチか? 次に二つ目、その…言い方と言うか、表現をもう少し考えて――なんなら改めて欲しい」

「承知致しました。以後気をつけることとしましょう」


 妙に恭しい遜った言動が先程から続いているのが、若干の気がかりだ。

 慇懃無礼で鼻に付くとかいう段階レベルでは無いけれど、これまでの人間性や態度との移り変わりギャップを禁じ得ない。


 だがそんな有耶無耶で確証無き曖昧な感想を渋々飲み込んで、無遠慮な質問に嫌々答えよう。


「まあ…その、女を知らないの定義によるけれど、僕は男で女性の知り合いも少ないし、そういう意味に置いては――まあ知らないと言えない事も無いような…」

「あ、もう結構です。うん。完全に伝わりました」


 モテ系女子大生は大きな溜息と共にそんな台詞を口にした。

 やめろよ…何かすげぇ失望の眼で見つめるな。下手したら興奮してゾクゾクしちゃうだろ。今までにない特殊な性癖に目覚めちゃうだろっ!


 深い陳謝は無くて、その代わりに実に自然な感じで嘆息が帰ってくる。


「しかし、不思議ですしせませんね。貴方は仮にもメジャーデビューを控えたバンドマン――しかも中核である作詞作曲を一手に担うギターボーカルで、ルックスもそれなり。無名な学生時代ならいざ知らず――現状ならば普通、胡座あぐらどころか寝たきりでも阿呆なバンギャが脳死でクソほど寄って来るのでは?」


 僕の生きてきた人生における最大の不思議をそんな世間に氾濫する『当たり前』みたいな感じで敢え無く解釈されたら、流石に死ぬ程狼狽える。

 だって僕自身が不遜にも常々思っていて、マジで理由が分からないと頭を抱えてきた議題だからだ。


 こういう言い回しは余り好みじゃないし不遜で自意識過剰で採択するのも本意ではないが、僕達よりも明らかにセールスで劣り今後の見通しも不透明な後輩バンドのボーカルは交際相手を――まるでアクセサリーや消耗品の様に取っ替え引っ替えしている現状こそが容赦無き現実。


 ただ、それにも僕なりの解釈と理由と言い訳が少なからず存在してて。

 だってそれはなんつーか、僕にとって半端じゃなく承服し難いものであって受け入れ難い現実。


 だけど――、


「自慢話の類は嫌いだけど、お誘いが皆無…ではないんだ。ライヴやイベントの後。所謂出待ちなんかは数え切れない程に良くあるし――大概はサインや握手、写真なんかで満足するけど――それに混じってを望んで僕達を待つサブカル女子は一定数存在するんだ」

「なるほど、実存のスキャンダルは疎か、フィクションなんかにも良く取り上げられますし――嘘か真か、SNSを始めとしたネット関連から容易に想像がつきますね」


 悪意マシマシなトッピングを施して氾濫した謎飲料をくるくるとかき混ぜながら偏見に塗れつつも割と現実的な相槌を打った彩乃さん。

 その現状とは乖離して、僕は自身の哲学的な信念と向き合い…そしてかつて過ごして体験した過去とを照らし合わせながら言葉を続ける。


「けどさ…それって別に僕に性的な魅力を感じたから、男性的に好きになったからじゃないと思うんだ。体感で…感覚的には九割位はもっと下卑た理由――そう…抱かれる側の、ステータスと格付けの為だよ」


 そうだ。

 出待ちをして性交渉を望む彼女達は別に宮元ミヤモトアラタという一人の男子に恋して愛した結果、その身体を求める訳じゃない。

 当たり前だ…彼女達は眩いステージに立って無駄に流暢な英語で歌うアラタしか知らないのだから。こうして街をフラフラ徘徊して、グダグダ悩むウジ虫の様な僕を見ていないのだから。


 ならば、そんな彼女達がそれでも僕を求めるのは…、


「多分、他人とは違う実績ステータスが欲しいんだよ。人気バンドのボーカルと一夜を共にしたって事実が。それでもって、他の人より優位に立ちたいんだ。自分は『違うんだぞ』って、虚構の自尊心を空虚なマウントで満たしたいんだ…」


 別にファンを非難するつもりは無い。

 彼達や彼女達に限らず人間なんてそんなもんだ。そんな基本原理は他人に諭されるまでもなく理解している…そのつもりだ。

 常に誰かと比較しあって、無意味に傷付いて、恣意的に傷付けて。くだらぬ螺旋を誕生した瞬間から死ぬまで昇降し続ける。決して終わらない不毛極まりない螺旋の渦。


 個人的にはファックだし、糞にも劣るアクションだけど世間の大体はそれを良しとして是としている。

 具体的にはスケートなんかしたことない癖に、ストリートブランドのリュックを背負って、備えついたホルダーに夏フェスでゲットしたラバストやビニテを誇らしげにぶらさげてる。


 マジで個人的な趣向によれば浅いにも程があるし、少数派を気取るのは上っ面過ぎると思うけれど――現在においては、そういうサブスク的に消費するのが主流なのだと理解している。


 ただ、それは僕的には断然、「否」だからさ。


「それでも良いって言う人も当然いる。意図や思惑はどうあれ、女であることに代わりは無いんだって。知り合いには何人と寝たかを自慢気に語る奴もいる。でも僕には無理だ。信条に反するし、目的を異にする。そして何よりも――」

「何よりも?」


 黙って下世話な業界裏話的トークに耳を傾けていた女子大生はここで初めて口を挟んだ。

 と言うかそもそも大学生にこんな話をしていいのだろうかと僅かな道徳倫理が僕に疑問を呈したが、今更だと一蹴。独善的な結論に至る。


一人の人間だよ…決して、見知らぬ女性だれかを着飾る為のブランドバッグやアクセサリーじゃない」


 多数の目を集めるバンドのボーカルだって普通に生きている。

 閉鎖的な会場ハコを数百人を埋めようと数万人を埋めようと関係無い。


 僕は音楽を産み出す機械じゃないんだ。

 ステージの上ではそれなりに粋がって格好付けるけど、マイクを後にしてギターを下ろして。世間のトレンドとは逸脱した服装スタイルでライヴハウスを一歩出れば道を歩く人と何も変わらない。


 カップラーメンを好んで食するし、深夜の買い食いに妙な高揚感を覚える。

 駅で女性のハプニングに遭遇すれば興奮と罪悪感でドギマギする。

 コンビニで漫画雑誌を立ち読みして、なんか悪い気がしてガムを一個買って帰る。


 その位、掃いて捨てる程に僕は普通に生きているんだ。

 

 世間に埋没して氾濫する貴方と、一体何が違うと言うんだ?

 僕には理解も想像も出来無いその隔絶を――誰か教えてくれ。

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