#69 Selfish Girl(自己中心的な彼女)

 哀れな笹舟の様に状況に流されて運ばれた先は四人がけの区切られた席。

 つまりは一人頭二倍の占有スペースを持つ形になった。申し訳無いが、人が少なくて良かったと小市民的な感想を的外れにも抱く。


「いや…マジで。彩乃アヤノさん、マジで何してんの? ってか、君…大学ガッコウは? えっ…普通に平日だよな…今日」


 大学を卒業して以来ここ数年、一般的な社会組織に属していない僕はどうにも――曜日感覚や社会のカレンダーが曖昧で――それ故にスマートフォンのカレンダーを凝視してから壁際に座った女学生に問い掛けた。


 彼女は何やら生クリームやらゼリービーンズだかがモリモリのメープルまみれの珈琲風味の謎の飲料をスプーンで弄くりながら適当に答える。


「ほら、私ってもう就活を終えた四年生なんですよ〜。単位はあらかた取り終えたので残り少ないモラトリアムを全力で楽しもうと街を徘徊している次第です」

「ああ…なるほど。それはとんだ失礼をば…」


 そう言えば大学ってそういうシステムだったもんな。単位さえ修得すれば、限られた範囲におけるまあまあの自由が手に入った気がする。

 彼女の内定先は…えっと失念したが、初めて会った時にそんな話をした様な気がする。


「へぇ…じゃあ雪がけて、春になったら社会人って訳か。どう? 振り返ってみて――総して、楽しい大学生活だった?」


 それは別に深い意味や熱い興味を持って尋ねたつもりは無い。

 もう本当に、軽い茶飲み話の話題位で訊いた設問に対して思いの外悩んだ新山彩乃は自身の四年間を振り返る。


「そうですね…楽しかったかどうかと問われれば、楽しい時間でした。片親たる父親に大金を払わせて手に入れた自分の時間ですし、持ちうる能力の限り楽しもうと努力した結果だと自負しています」

「おうマジか、すげぇな…」


 意味不明な飲み物と格闘している人物と同一であるとは信じられない程、しっかりした客観的で常識的な意見だ。

 こういう、イカれたメンタルの奴が将来大成するんだろうか? いや、それはそれでヤバイ気がするけど…。


「それで、アラタさんの方はどうですか?」

「え? 僕の方…? いや、大学生活に思い出はあんまり…」


 綺麗な食し方を諦めた彩乃さんはトッピング類を全てコールタールにドボドボと沈めながらそう言った。

 まさか姉妹それぞれに自身の灰色のキャンパスを語る破目に陥ろうとは思いもよらなかった。


 しかし、僕がそれを語り始めるより早く、カノジョから訂正が告げられた。


「違いますよ! 姉とはどうですかという意味です。食事に行ったんでしょう? 何か進展しましたか?」


 と、かなりお冠の様子…と言う程では無いが僕の学生時代に興味は無いらしい。別にいいが、腹の底から謎の悔しさが込み上げた。


 と言うかですね…、


「何で知ってるの? 例の如く僕の幼馴染か、それとも君の元カレか?」

「いえ、あなたとの会食を終えた姉から浮かれた電話があっただけで、あのチリチリ頭とは無関係です」


 ああそう。

 あの人、何でも妹に喋っちゃうタイプなんだな。友達少ないみたいなことを自分で言ってたもんな。

 そして妹は妹で、聞き及んだそれを直接相手に言っちゃうのってどうよ? この調子が続くのならば、もう誰も信じられなくなりそうだ。


 人間不信になる暇さえ無い、息も付かせぬ追撃の言葉。


「かなり雰囲気の良いお店だったとのことですが、ムードに任せて…獣のように接吻位はされたのですか?」

「接吻って…」


 しっかり現代風な貞操観念に基づいた上での古風な大和撫子的表現。

 平成生まれの僕には、いとおかしく…アリですね。正直少しときめいた。


 どうせ嘘をついても姉から全部伝わるだろうと破れかぶれ気味に応答。


「本当に中学生の初々しい初デート並と呼んでも言い位に清い会食だったよ。キスは愚か、その他の肉体的接触だって…あ」

「何ですか? その他の肉体的接触? 何だか響きが凄くセクシャルでアダルトですよ?」


 僕の迂闊な発言と物言いに全力で喰い付いた女学生はテーブルに手をついて勢い良く身を乗り出した。

 そんなに顔を近づけないで欲しい。ただでさえ整った造形なのに、意中の女性と――マジで、姉妹の顔立ちが似ているもんだから彼女に視えて尚更照れる。


 注文し直した薄味のコーヒーを手に「喋るから落ち着いて」と前置き。彼女が腰をかけるのを確認して再開。


「いや別に、思い返してみれば…本当にボディタッチと呼べる様な大したことじゃないんだけど…」

「なるほど。けれど、それの度合いは私が判断することです。さあさあ、レッツムーブ、ゴーアヘッド!」


 考えれば考える程、強気な態度で性的話題を欲しがる彼女が満足するとは思えない僅かな接触体験。


「帰り際、少し雪がチラついていたからタクシーを止めようとしたんだけど、その時に彼女が僕の袖を掴んだ。どうやら彼女にとっては余計なお世話で、差し出がましい真似だったみたいだね」


 うーん。本当に微妙だ。これがボディタッチであるならばズボンとスカートが当たるのもボディタッチ認定出来そうだ。


 しかしまあ、判断を下すのは彼女の役割らしいので大人しく裁定を待つことにしよう。


 だが、待てども待てどもその時は来無かった。

 そんなジャッジに困る様な複雑な案件でもないだろうと彼女の顔を注視してみればそこには別人がいた。別人の様に表情筋を失った彼女があったのだ。


 姉よりも少し黒色が強い瞳は虚ろさを称えて何やら思案している様に見えるし、キュートな唇は細かく駆動し呪いの言葉を呟いているようにも感じる。


「あ、彩乃…さん?」

「はいっ…私、でしょうか?」


 興味と恐怖を半々にブレンドした声色で尋ねたことで精神がインストールされたのか、素っ頓狂な反応が入ってきた。良かった、エクソシストを呼ばなきゃいけないのかと思ったから。


「それで裁定の方は如何ほどに?」


 安心し熱い液体に口を付ける。一瞬のブレイクだ。


 彼女はあざとさで虚飾された唸り声を数秒響かせた後に判決を言い渡した。


「うーん。アウト…ですかね」


 判断に困る良く分からない表現である。反対に、セーフだとどうなるんだろう?

 僕の抱いた疑問は相変わらず彼女には届かない。

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