#66 Alternative Dancer(代替の演者)
「そこから先は周知の事実で――それこそ君もご存知の通りだと思うけど…、君が絶対に知らない――僕だけの真実が僕の中にはある」
「な、なんだよ…それ? 一体、どういう意味だよ…?」
おぎゃあと俗世に産まれて以降、長い年月を経て獲得したはずの母国語―――その言葉を忘れたのかと思うほどの沈黙に身を浸していた
思わせぶりな表情で会話に溜めを作ったギタリストはハンドシグナルを用いて僕に要求。どうやらギターを寄越せとのことなので素直に手渡す。
まさか、ロンドンコーリングよろしく、叩き壊されたりはしないだろうし…。
僕の即物反射的な不安はどうやら杞憂にとなりそうで、彼は流暢に左手を動かして、爪を上下にストローク。この曲は――、
「これは、その…、まさかだけど、『Resonance』…?」
「そう…昨日聞いて、
それでも僕はゼロから作れない。
既にある原石を磨いて美しさを引き出すだけだ。出来るのはせいぜい研磨だけ。
才気溢れる「君とは違ってね」と、潤はニヒルな表情を歪な形の複雑な模様に貼り付けた。
おいおい待て待て、そんな簡単に流すなよ。
君は、そんな風に思っていたのか…ずっと。バンドに加わってからさ、いや加わる前から、ずっと――僕の事を―――ッ!!
たまに無から有を生み出したり、既存のフレーズをツギハギして自分だけの形にしていく僕。
僕の作った泥人形を綺麗に整形し、商品としてより良い形に整えてくれる潤。
真っ白なキャンバスから始めて好き放題に思うがままに、自由奔放に好き勝手やれる僕よりも、縛りがある編曲作業の方がどう考えても大変だと思っていたが心根の部分を失念していた。
彼がそんな風に感じていたなんて思いもよらなかった。考えすらしなかった。
一瞬たりとも過ぎったコトのない思考形態。
「ああ…勘違いしないで欲しい。僕は別に編曲やアレンジが嫌いだと言っているんじゃない。その作業にはやり甲斐を感じるし、性分にも合っている」
彼は弦を弄るのをやめて僕に楽器を返還した後、立ち上がって大きく伸びをした。唖然とした僕は取り残される。
「ただ…自分にとっての不可能を遥かに超えた所で可能にすることについて嫉妬やそれ以外の気持ちが全く無いと言えば嘘になる。それは僕の心の事実」
でも…と彼は言葉を区切り僕に背を向けてから続きを言の葉に載せた。
「嫉妬の感情以上に羨望や感謝の気持ちが強い。何も生み出せない僕だけど…君の独善的な創造に微細でも力を貸せるのであれば――あの日、
彼が背を向けた理由…それに思い当たった僕は自然に笑みが零れた。
未だ顔を見せない潤に僕は弱音をぶつける。
「いや、そんなの――マジで、責任重大だな…」
「そうだよ。
マジかよ、とんだノブレス・オブリージュもあったもんだ。
いちバンドマンとして、ただのシンガーソングライターはそこまで背負わなければならないのか…。
「ギターは今日まで僕を生かしてくれた。後は…そうだな、君がこれから君の音楽で何を為すのか一番近くで見させて貰うよ」
えっ……?
それは声にならなかった。考えてもみないことだったから。思い付きもしなかったことだから。
何を為す? 僕はなに…を? これから何を紐解いて、表現していくのか?
一見すれば、謎の沈黙を保った僕を不思議に思ってか、向き直った潤が疑問の声を上げた。
「アラタ…? しっかりしてよ。将来的なビジョンを含んだ話はともかく、夜にはスタジオ練なんだから」
「あ、ああ…分かってる。大丈夫。うん…責任の重さに改めてビビっただけ。無問題」
心配の声に脊髄反射的な適当応答で答えた。ああ、そうか。スタジオ行くのか今日…すっかり忘れていた。
準備をしなければと別れの挨拶を告げるミニマリストに詰問する為に立ち上がって、引き止める。
「待ってよ潤。最後に二つ程聞きたい」
「いいよ。サービスだ」
すっかりいつもの調子に戻った彼は煙草に火を灯しながら頷いた。
反対に僕は平時のメンタルコンディションを失っているのは何の因果だろう…。
「潤…お前は、現在のお前は――何を以て、何を思って音楽をやっているんだ? 一体…いまは何を思ってギターを弾いてるんだ?」
痩身の男は小さく「変な事を聞くね」と呟いて紫煙と共に答えを即座に吐き出した。
「シンプルに、呼吸する為だよ。僕はギターを弾いている間だけ生きている。それ以外に無い。それだけだ…次の質問は?」
それは余りに尖った生き方で、僕の原初に似通った原始的な動機で。
僕は今そんな気持ちでギターを奏でているのだろうか? 今は置いておけ!
「どうして、こんな話を僕に?」
君にとってそれは確かに過ぎ去った過去で、間違い無く存在した現実であるのかも知れないが、進んで話す様な笑い話では無いはずなのにどうして? 何故僕に? このタイミングで?
彼は上着から筒状の携帯灰皿を取り出して、まだ長い煙草を投げ入れた。革靴を鳴らして肩をすくめる。初めて見る仕草。
「さあね、本当の所は僕にも分からない。君には話してもいいと思ったのは確かだけど、それ以外に明確な答えを持たない」
気まぐれかもしれないし、誰かに話す事ですっきりしたかったのかも知れない。故郷を離れることへの不安だとも考えるし、かつてのデジャビュに遭遇してノスタルジックを刺激された可能性もゼロじゃない。
彼は「サービスは終わり」と言い残して足を進めたが、三メートル程離れた所で立ち止まる。
「あ…代わりじゃないけど、他言は避けてくれると嬉しい。アラタの言う通り――吹聴して回る様な武勇伝や滑稽譚じゃないからね」
今度こそ本当に幕引きだと言わんばかりに淀みなく彼は帰路に着いた。
何もかもから置き去りにされて取り残された僕は、もう暫くこの場所に留まることにした。
早々に沈みゆく夕陽が何かを言おうとしている様な気がしてならなかったから。
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