#65 GALLOWS BELL(断頭台の声)

 生まれ落ちた地元の立地に付随する寒い気候に呼応する――冷たく乾いた空気を押し退ける様に――薄っすらと湯気を発するミルクティーに口を付けて精神的にも一息を着いたのか、彼はまた言葉を僕に届ける。


「それで、ギターの為に仕方無く、学校の檻プリズンに戻ることにした僕だけど、一つ致命的かつ根本的な問題があった」

「というと?」

「極めて基本的なだよ…」


 一年間楽器と戯れ続けた僕には――外界から隔絶された自分だけの理想世界ネバーランドに引き籠っていた僕は、同い年の人間が持ち得るはずとは同等の偏差値を失っていたんだと遠い目で呟いた。


 とは言え、横に座る男は普段の日常的に接する身の上で感じる分には――別段、学力的に劣っているとは思えないし、そんでもって人間的に馬鹿では無いと言い切れる。


 僕の知る限り、同じ学び舎キャンパスにおいても、つつが無く単位を取得していたはずだ。英語以外に取り柄のない僕とは違って、卒無く勉学をこなしていたはずだ。

 経験則によって導かれる事実と、僕の知らない彼の過去との大き過ぎる乖離に頭がおかしくなりそうだ。


 難問に頭を抱える僕に気を遣ったのか、速やかに彼から補足が補填される。


「一応自己弁護の為に述べておくと、それまでの僕は決して勉学が出来ない子供では無かった。どちらかと言えば出来る方だった。でも、そんな奴が偏差値を失ったんだ。当時はそれなりに――センセーショナルでショッキングだったよ」


 人並み以上の学力を失った一年。拙い想像を絶する。

 果たして彼の対価ベット報酬リターンは適切だったのだろうか?

 それは…自身の過去と照らし合わせて、もう本当に――どうしようもない気分になった。


 まあそれは過去の事で今更どうでもいいのだけどと前置きした潤は――彼曰く『本編』を口にして行く。


 同じくギター少年だった僕にとって辿らなかったIFとも呼べる人生を言葉にして行く。


「そういう理由で同じ学年をもう一度繰り返すことになった。異形な立場として過ごす人間関係は、快適と呼ぶには程遠いものだったけど――自業自得な対価であるし――で構わなかった。それよりも父親が破壊したことで弾くべきギターが存在しないことの方が余程深刻な問題だった」


 最早依存だよと過去の自分を切って捨てるジュンの姿は痛ましい程に純粋で、堪らなく痛ましくて美しい姿に見えた。

 変な意味では無く、性的な意味じゃなく―――その生き方を、有り様を、本当に綺麗であると思った。まるで研ぎ澄まされた日本刀や天を穿くロケットの様に雄々しい美しさを感じた。


「そうして三ヶ月を過ぎた頃だったかな? 父親が約束を果たした。パチモノのレスポールとマルチエフェクターを購入してきてくれたのは…」


 あれは今でも偶に触るんだと遠い目で語るギタリストの言葉が僕の琴線に微かに触れた。

 僕は目線を手元のアコースティックギターに向けて、その薄汚れた表面を短く撫でた。久し振りに手入れをしてやろう。


「待望の玩具を手にした僕は登校拒否時代に殆ど里帰りだ。対価として学校に行く義務以外は同じ事を繰り返した。そうこうしていたら中学時代が終わっていた。最低限の学力は保持していたので高校生にはなれた」


 僕の隣にはスーパーマンである悠一ユーイチがいた。

 彼の隣にはギターしか無かった。


 たったそれだけの差…そう無感情に割り切ってしまうのは余りにも暴論だ。だけど……。

 

「進学先でもまた繰り返す。毎日ギターを弾いてエフェクトをかけて編集する。だけど、一つだけ変わったことがある。変わらなかったけど思い付いて実行したことがある」


 作曲を試みたんだ。


「伊達に三年間ギターを弄り続けた訳じゃない。その時間の中でそれなりに面白い音やセンスあるフレーズを作成してきた自負があったし、技術的にも自信があった。少なくとも一曲作る位は可能だと過信していた。でもっ…」


 でもね、完成しなかった…。


「一つの作品と呼べない様な断片を強引にプレスした泥の塊。それが僕の限界だった。無から有を生み出す創造主クリエイターたり得なかった」


 彼の過去に息を呑む。胸に支えた異物を流そうとコーヒーを啜る。

 それに釣られてか彼も缶に口を付けた。


「協調性の無いフレーズの連続で曲としての体裁すら危ういメロディに載った何処かで聞いたような陳腐な言葉。笑える程に笑えなかったよ」


 歪な表情を見せた彼の手からスチール缶が零れ落ちる。土の地面に落ちた為、鈍く短い音を発したのみだ。


「そして僕は生きる理由を失った。思い付きで触れる以外は埃と誇りを被った僕の全て。代わりに勉学に打ち込んだよ。他にすることが無かったからね」


 その結果元不登校児童は県内の国公立に無事合格って訳だ。人間失格していた身の上の再起としては十分過ぎる程に上出来な結果だろ?


 思ってもいないことを零しながら彼は落ちた缶を拾い上げて屑籠に放り込んだ。


「目的も無くフラフラしたキャンパスライフは正常まともだと言う他無かった。恋人も出来て、心の空白はすっかり埋まったんだ。思春期を脱却して大人になったんだと誤魔化した…」


 それはきっと誰もが認める成長なのかも知れないが、誰もに当てまる正解では無い。

 今の彼のキリキリと痛む表情が何より雄弁にその真実を語っているから。


「一段とふわふわした躁鬱気味な頭を揺らして川辺を歩いていた時だ。センスの際立つメロディを奏でる――ギターの下手くそなシンガーソングライターに出会った」


 バックグラウンドに流れるのは未だに未熟な僕の奏でる幻想曲ファンタジア

 こうして元登校拒否と、ちゃらんぽらんのボーカルの人生は交差した。

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