#63 Drifting In A Day Dream(白昼夢に沈む)

「どういう意味だよ? なあ、おい…、ジュンっっ!?」


 怒号に似た詰問の隣に座る潤は、酷く虚ろな表情を作っている。

 その様は浮世離れなんて大層なものでは無く、浮世の地続きと呼べるような痛ましさを湛えていて――何だかとても痛ましい。


 どうして?


 両手をしっかりと組み、固く瞳を閉じて空を見上げるその姿はまるで祈りの様に見えて、再び声を掛けることを拒絶している様に見えて。


 クソが…!


 何でどいつもこいつも、ATフィールド全開で接触拒否が前提の守護スタイルなんだよと内心で毒づきながらも――を、そのまま放っておく度胸も持ち合わせていない僕は彼の応答を静かに待つ。


 僕は社会人的にはマストの腕時計を装備していないので正確なものではないが、体感で過ごしたのは数分といった所だろうか?


 目蓋を開いて両の手を自由にした彼は僕に向けて自虐的な笑みを浮かべた。


「そうだね…アラタには話しておいてもいいかもね」


 スクエア型のメガネを再度微調整した潤は「君は軽口を叩きがちだけど軽薄では無いから」と褒めてんだか貶してんだか微妙なラインの台詞で言葉を繋ぎ、真相を詳らかに語る。絶対褒められては無いな。うん。


「これは哀れな一人の男の話…」


 そんな哀しい語り口で彼は――恐らく鳴海潤自身が体験した――個人的な過去を紐解いた。


 話の展開や内容的には置いてけぼりな感じで、何がなんだかサッパリ理解不能だが、自身について極端に離さない彼の貴重な機会だ。余計な口を挟まずにしっかりと傾聴しよう…。


は中学二年生の頃、不登校だった。その挙句、一年留年してる」

「嘘だろ? え? マジで?」


 いきなりの衝撃的事実故に直前に誓ったことを速攻反故ほごにした僕。やっぱり軽薄なんじゃないか?

 いや、僕の人間性についてはいい。今は些事だ。問題は潤の話。状況や雰囲気から察するに…これは彼自身の回想なんだよな?


 …ってことは不登校で一年留年したのは――?


「ということは…潤は…その、僕達の一個上…なのか? なのです?」


 初めて出会った時、彼は同学年だと言っていた。

 それから特に年齢について尋ねたことは無いし、彼が自らに触れたことは無い。それ故に起こった無罪の錯誤。存在しない加害者。


 彼はそんな衝撃事実をぶっ放したにも関わらず淡々と答えた。


「そうなるね。次の誕生日で二十七歳になる」


 いやいや、どうして言ってくれなかったんだと問うと「聞かれなかったから」とのこと。

 錯誤や齟齬じゃなくて、完全に故意で恣意的な確信犯だわコイツ…いや、この人。この方は…。

 

 更に僕は追加で質問をする。大変聞きにくいが、それでも、どうしてと。

 僕の葛藤は虚しく、彼はまたもこともなげに答えた。


「別に。ドラマチックで陰惨なイジメが理由とかそういうのではないから心配しないで」

「さいですか。大層安心したよ…ならば、何故?」


 精神的にそうな理由では無さそうだと上辺だけで判断して、軽々に尋ねた僕が馬鹿だった。

 

 返ってきたのはより根深い、端的な言葉。


「ただ単に、有象無象の平々凡々が蔓延る学校社会にが見出だせなかったから」


 いやそれは…。


 息を呑む僕に語っていることを忘れる程にマイペース。彼の舌はかつて無い程に淀み無く。


「今にして思えば所謂…そう、厨二病って奴なのかな? 今よりも多少社交的な人間ではあったけど、周りの人間が欠片も理解出来なかった。何故怒り、何故笑うのか…一つも同調出来なかった」


 感情が欠如した語り口が一層恐怖を引き立てる。だってそんなのってさ……。


「それでも初めは――僕が劣等なのだと思った。次に周りが下等なのだと思おうとした。でも違った。僕は、そういうのとは気が付いた」


 それは、その思想は――その感情は『……』だよ。君には理解できないだろうけれど。

 そういう冷たい、突き放す様な物言いに対する僕の言葉は声にならずに溶けて行き、彼を止める障害にはなり得ない。


「だけど、に至ってからはもう駄目だった。他の人が笑う時に全然笑えないし、感動の涙を流すシーンでは空気も読めずに心が引いた。もう分かるだろ? あれよあれよの間に――人間嫌いの引き篭もり、社会不適合者の完成だ」


 彼の口調は極めて冷淡で、努めて感情的だ。そのまま聞き入る。


「ただ、勘違いして欲しくないのは僕はこれっぽっちも後悔していないということ。同情なんかひと掬いも求めていないということ」


 それは分かる。本当にそんな陳腐な答えを欲しているのならば、彼はきっと口を開かなかっただろう。ならば僕はその気持ちを尊重し、最大限遵守しよう。


「何故なら僕はその一年で大きく変わることになった。引き篭もりなんて行為はそれに辿り着く為の通過儀礼だったのだから」


 そう告げた彼は唐突に僕の古ぼけたアコースティックギターを指差して微笑んだ。


「確か、君の原点たる相棒ギターは実家の倉庫で見つけたのだっけ? 僕の場合は親父の部屋の押入れだ…」


 僕には潤の言わんとすることが障害無く理解出来る。それが彼にとっての転機であったことくらい猿未満の知性を有する僕だって察しが付く。


 首を傾け、大袈裟に左手を広げた彼は自嘲的に吐き捨てた。

 

「僕の場合は押入れで出会ったんだ。中二の夏に安物の入門用エレキギターと中古のオーバードライブに」


 悠一が隣にいた僕とは違い、たった一人で運命を変える物品に行き逢った鳴海少年は何を思い、その果てにどういう末路を迎えるのか…。


 ことの始点はじまりが独りでは無かった僕には、夢想染みた想像の余地すら無い。

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