#54 Hear Me(聞かせてよ)
作曲活動の中で過程的に一心不乱に自分と向き合い、自己と対話を続けた故の弊害か、凄く独善的な中学二年生の頭の中みたいな自説を垂れ流したことについて深くお詫び申し上げる所からスタート。
大変すまないとは思っているが、然しながら全く反省はしていないので今後も恐らく再三湧き出してくると思う。
かつて通り過ぎたはずの何処かに留まり続けて一向に進歩しないのが僕の数少ない長所である。ハアハア…あったよ…長所が!
くだらぬ冗談めいた物言いはさて置いて、現在僕は理想的な世界を抜け出して、暫し寒さと戯れ木枯らしに巻かれている。
太陽が早々に姿を隠したのにも関わらず未だ衰えを見せぬ人並みの中にポツポツと人工的な街灯が揺れている。
首元を温める厚手のストールに顔を沈めながら寒さに耐えて、古さの際立つ豪奢な欄干に彩られた古い橋を渡った。観光客は歴史を感じ、地元民は劣化を意識する傷を左手でそっと撫で、歩を進める。
社会人的な時間管理の能力に欠ける僕だが―――いや、欠けているからこそかも知れ無いが、彼女との待ち合わせまでまではまだ少し間がある。
「うーむ、コーヒーでも飲むか…」
そうしてシアトル系コーヒーショップの窓際に身を寄せたのは時間潰しの為だけでは無いし、身を切る様な寒気から逃避する目的だけでは無いのだろうという利己的な自己偏愛。
イヤホン越しに脳内を流れるグリロジのオールタイムベスト。
後一歩踏み出せない僕の背中を何度も押して、数え切れない位勇気付けてくれた名盤を持ってしても解消出来ない沈殿物が心の柔らかい所を刺激する。
僕は彼女に無策で近付くのが怖いのか?
それとも僕の有する儚き幻想が敢え無く崩落するのが怖いのか?
分からない。
そうであるような気もするし、ただの思い過ごしである気もする。
しかし、過去から現在に至るまで――そういった確証の無いインスピレーションに従って行動して来た。
なので今更それを疑う理由は無いし、必要も無い。かねてより、閃きと直感だけが友達だ。馴染み有るアンパン野郎よりずっと心許ない信頼度である。
「けどなぁ…」
黒い水面に波紋を作るミルクが何かを警告している様な気がしてならないのも確実にインスピレーションの一つで有る訳で…。
まあなるようにしかならないのがこの世の常であり、その激流の中で流木に出来るのはどう流されるかを考えることのみである。
ならば、せいぜい楽しく踊れる程度にはハピネスな結末にしなければと、木目を見つめ俯く顔をゆっくりと上げながらコーヒーを飲み干す。
その一連の動作で動いたのは顔だけでは無く、当然それに付随する目や鼻も動いた訳で、ということは必然的に視界もそれに連動することになって―――、
…何だか酷く回りくどい口上になってしまったが、つまり端的に言えば顔を上げた際に目に入ったものがあったということ。外界と店舗とを遮断する透明なガラスの向こうに彼女の姿を見つけたのだ。
相も変わらず――まるでそういう戒律を持った思想に殉じるかのように――魅力的に膨らんだ肢体をきっちりと布地で隠した
不意に立ち上がった僕に絡み付く訝しげな嫌悪の目。申し訳無い。
それにしても約束の時間まではまだ若干の猶予があるというのに、彼女は几帳面な性格なのだろうか? 不意にまた一つ彼女を知る。
幸か不幸か彼女は僕に気付いていないようであるし、追いかけてこのままストーキングに移行しようか?
物騒な思考を振り払う。出来るはずがないし、失敗時のリスクが厄介だ。
もし途中で彼女が後方の僕に気付いたらどうなる? どうして声をかけなかったって事態になるよな。そんな当然を華麗に捌ける
つまりゲームイズオーバー。グッバイベイビー必至と……僕だけの問題であればこのまま見て見ぬふりを決め込んだ後待ち合わせ時刻に合わせてしゃあしゃあと登場すれば良い。
だけど、彼女の
一昨日、彼女は一層伏し目な表情で僕の投げた質問に答えた。
俯いて『こういうことは良くある』と……。
別に見栄を張る様な場面では無い――何なら逆張りの場面であった――ので事実と大きく乖離した言葉では無いはずだ。思春期女子にありがちな盛りまくりで原型が行方不明なモテアピールでは無いはずだ。
とすれば休日の夕方に独りで出歩くなんて、もってのほかな行為では無いのか?
僕が身勝手に呼び出し、無責任に見送ったせいで今正に彼女はその危険に晒されているのでは無いのか?
僕はすぐさま彼女を追いかけなければいけない責任があるのでは?
自分本位な思考が落ち着いて、そこに至ってからは早かった。パルスが弾けて肉体を稼働させる。まるで機械の様に忠実に命令に従う。
その弊害か或いは代償か…飲み干したカップを席に置き去りにした迷惑行為に気が付いたのは暫く後だ。お店の方に心よりの謝罪を。
どうしようもない申し訳無さを乗り越えて彼女を追いかける。差はどれくらいだ? 彼女を見送ってから何分経った?
結果として殆ど離されてはいなかった。店舗を出て数分走った所で歩調に合わせて揺れる黒髪を見つける。
「新山さんっ!」
休日の街中であるというのに構わずに君の名を呼ぶ。即座に有象無象の目が注がれ、少し位は構うべきだったと軽い後悔。痛い失態。
僕の呼び掛けに答え、振り向いた厄介な性質を帯びた女性。スカートに同調する様にふんわり軌跡を描く長髪が悩ましい。
「え? みっ…宮、元く…ん……? どうして…?」
後方よりダッシュで迫る知り合いの男に告げる言葉としてはかなり優しい内容で声色だったと思う。
新山彩夏は意味不明な僕の行動に対してこてんと首を小さく傾げて呟いた。
熱を帯びた首元から長布を剥ぎ取りながら息を整える。閉塞感が消えて酸素を循環させる。よし、イケる!
足を止めずに彼女の隣に並ぶ。歩きながらの釈明だ。
「いや、早く着き過ぎちゃってさ…珈琲飲んでたら新山さんが歩いてくのが見えて。それで一昨日みたいなこと、結構あるって言ってたから…その心配で」
最早顔も思い出せない似非業界人を思い浮かべて息を吐く。と言うか着ていたシャツの柄も良く覚えて無いな…確かベンガル虎みたいな模様だった気がするけど…
関係の薄い思考で都合の悪い所を隠した僕は更に言い訳の様な弁明を重ねる。
「でも今の声掛けはゴメン。なんか無意味に悪目立ちさせちゃって…」
余りにも身勝手で君の都合を軽視した安直な行動であった。後、コーヒーショップの方もマジで申し訳無い。
「き、気にしないで…少し、驚いたけど…」
「本当ごめんね」
軽く手を振る彼女に再度謝罪。しかし、何度も謝罪の言葉をするのは恐らく下策だろう。彼女に余計な気遣いをさせてしまう気がする。
なので、ポンと一回拍手をして間を置いて、スムーズかつスマートに話題転換。
「それにしても待ち合わせってのは失敗だったかもね。新山さんの性質というか過去を考えると…迎えに行くべきだったよ」
「そんな…悪いよ。それに、最近は…結構あしらったり、逃げ出せる様になってきたから……」
なんだよさあ、あしらうって。
僕も冷たく蔑んだ目であしらわれてぇなぁ…いや、あしらわれたら駄目だな、許容して貰える様にならねば!
しかし、一昨日の感じを見る限り彼女が軽薄な軟派男達を上手に躱せるとは思えないが…疑念を飲み込み、少しずらす。
「普段は大丈夫なの? その…例えば一人で歩いてる時とかはさ…」
こうして並んで歩くだけで多少は彼女の気分が味わえるから。
通り過ぎる男性から注がる一瞬の視線。とても愉快では無いね。不愉快の煮凝りみたいな気分だ。
僕とは反対側に目線を下げた彼女は声のトーンを下げながら悲しい言葉を吐いた、
「仕事以外で…外出する時は、基本的に彩乃ちゃんと一緒に。友達とかはあんまり…いなくて……」
発言の内容と共に重くなる空気。
今にも降り出しそうな雲が彼女の肩に見える。
最悪だ。聞くんじゃなかった。話を引き出すのって難易度高過ぎでしょ?
おいおいどうなの埋没したモテ男諸君や…マジでガチで一体さどうやんだよ……。
自身の技術の稚拙さも相まってどんどん重くなる雰囲気。
こんな陰鬱としたムードで食事なんか出来るのかと不安が募るが、運命というのは僕に対して結構恣意的で意地悪だ。目的地に到着ですよ。
「続きは美味しい魚料理でも食べながらにしようよ」
やけくそながらに明るく吐いた。
それは打ちっぱなしの鉄筋コンクリートの外壁に彩られた一軒家の前。ネオン管で店の名前が書いてあるが、崩したフランス語なので読めない。確か『アドリアーノ』みたいな感じだった気がするけど、ちょっと不明だ。
いい感じに歴史に汚れた一枚板の立派なドアを引き、彼女に入店を促す。
予約の旨をウェイターのナイスミドルに伝えて案内された席は一番角の席。壁にかかった謎の現代アートが仄かにライトアップされていて微妙に気になる感じだ。
座り心地の良い素敵な椅子に腰掛けた。
眼前にはコートを脱いで上品な紺色のセーター。柔らかそうなニット素材でシルエットが曖昧になっているものの、それでも尚動きに合わせて微細に形を変える胸部に視線が引っ張られるが、本能を気合で阻止する。
さあ僕はここからの時間、彼女を楽しませる抱腹絶倒究極至極のハイパーモテモテトークが出来るのか……。
次回、『無念無想。ミヤモトアラタ大海に死す!?』
乞うご期待!
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