#32 Sparkle with delight(歓喜のヒカリ)
数時間前に出会ったばかりの女性と二人きりの車内。
異性相手に上手に喋れやしない上に――なんか諸々未経験の哀れな男と、正体不明な闇を抱えた伏し目がちの女のセットだ。
ならば、さぞかし息が詰まって辛気臭いドライブになると予想するのが大方の大勢の予想でで、常識的な大多数では無いだろうか?
でも違うんだよなぁ。
往々にして現実は大概予想を裏切る。
そのベクトルが上向きか下向きかの違いはあれど、必ずと言って良い程に想像と食い違う。
つまり、当事者たる僕がなにを言いたいのかと言えば、大方の予想に反して、現状の車内はそれなりに悪くない状態であるということ。
貴方達が予想するよりはずっと華やかで、多少は前向きなものであるということだ。
二人で過ごした商業施設の時間のおかげか、または似非業界人(仮)の一件のせいか、或いはその後の肉体接触を端とするのか。
はたまたこれら以外に原因があるのかも知れないし、これらを順列組み合わせの結果の妙であることも十二分に有り得る。
何が原因かは火中の栗として、今一歩明確では無いが、根暗が二人集まったにしては意外と会話が盛り上がっていた。
好きな小説の話をして、最近見た映画の話をして、好みの食べ物の話をする。
それらが判明して、互いの趣味嗜好が完全合致してハイパー盛り上がって、飛び交う話に花が咲き乱れたと言えば虚言になるが――それでも僕にとっては結構心地の良い、普通に幸福で満たされた時間であった。
加えてそれなりに有意義なものであったと付け加えたい。
この数時間を共にした女性の年齢をここで初めて知ったし、彼女が現在どういった仕事をしているのかも知ることが出来た。
ちなみに年齢は僕と同い年で、女子大を卒業した後親戚の企業で経理をしているらしい。何か僕と違って真っ当な感じで少し、眩い。
しかし、楽しい時間は決して長くは続かない。
その事実は過去にアインシュタインによって解明され世界基準で共有されている現象であるが、極東の島国の地方都市に生を受けた僕がこの瞬間実感し対面して直面する現実でもある。
「もしこれが地球以外なら――色々と違ったのかな…?」
思わず口を突いて出たのはそんな意味不明な溜息。その声は小さく、新山さんには届かない。
ああ分かってる。それは詮無き妄言。
そもそも僕が火星人なら彼女に出逢うことすら叶わなかったのだからむしろ地球に生まれたことに感謝するべきなのだ。サンキューアース。
母なる大地に精一杯の感謝を捧げた所でタイムアップ。ゴールデンタイムの終焉。
「あ、そこ。左手に見えるコンビニの駐車場にお願いします」
GPSを根拠にしたカーナビよりも遥かに価値のある――生きていて血の通った指示が助手席に座る女性から控え目に飛んで来た。
「あい、了解」
教習所よりも丁寧にウィンカーを出し、平時よりも優しくゆっくりと左折。
それは彼女への気遣いか、みっともない足掻きなのか。僕には分からない。
そこまで広さの無い駐車場の端に車を入れる。
シートベルトを外す掠れた音が僕の心臓を疾らせる。
「じ、じゃあ、その宮元くん。本当にありがとう。なんと言って……」
口籠りながら謝礼を述べる彼女。もうこれで終わりか?
ここであっさり切れるのか? ふざけんな、冗談じゃない!
「新山さん!」
「は、はいっ!」
想定よりも大きな声になってしまった。彼女同様僕の心中で割りと驚いた。
「あぁ、ごめん。声大きかったね。それと繰り返しにはなるけれど、本当に御礼とかいいんだ。したくてやったことだし、それに…楽しかった」
「わ、私も本当に…こんなの初めてだし、その…、」
左の女性が頭を下げる。
ありがとう。そう言って貰えれば僕は救われる。
「で、御礼代わりと言っては何だし、このタイミングとか有り得ないって分かってるんだけど…」
――良かったら連絡先とか教えてくれないかな?
発した直後、失策に気付き渾身の言い訳。
「いやほんと下心とかそういうんじゃなくてね? もし良かったらこうやってまた一緒にいられたらなとかそういうので、てかこのタイミングだとアレだよね。断われないっつーの。そんなの最早恐喝だよね、そこまで理解して何故進んだ? マジごめんほんとごめん。いやもう最悪。ありえない。頼むから忘れてくれてい…」
もうね。ノープランにも程あるよね。御礼は良いよ→代わりに連絡先教えて? カスかっ!
そもそも『また』って
彼女のきょとんとした顔が全てだろゴミが。
善人ぶって、紳士の皮を被って迷彩した下半身野郎を絶対に許すな。理性なんて見せかけだけの糞男。上っ面のヒューマンビーイング。策と言葉を弄して偽る分、本能的な猿より質が悪い。蛆虫仮面。
死にたいしにたい死にたい死にたい死に体シニタイ死にたいしにたい死にたい死にたい死に体シニタイしにたい死にたい死にたい死に体死に体シニタイ死にたいしにたい死にたいしにたい死にたい。
両手で顔を覆い、自身に絶望した僕は座席に体を押し付けた。もう生きてられない。ここでバッドエンドだ。
どれ程の時間が経っただろうか?
刹那では無いし、永劫でも無い。悠久に似た瞬間を生きた僕には測れない。
僕の左手に触れる何か。
感触からして拳や鈍器、銃火器の類では無さそうだが……。
警戒のレベルを下げて、ゆっくりと顔から両手を剥がす。
指の隙間から徐々に見える風景には菩薩と見紛う程に優しく、そして何よりも彼女らしく薄く笑む新山彩夏が僕の顔に手を伸ばしていた。どういうことだ?
困惑の淵から脱せずにいる僕に染み渡る清いせせらぎに似た優しい声。
「良いよ。私で良ければ喜んで」
「うえ?」
「さっきは、その…急だったから驚いて」
釈迦も裸足で逃げ出す器を持った女性の手には赤色のカバーが装着されたスマートフォンが確認出来た。
「マジで?」
「ほんと」
その後にでもと続けた彼女。もしかして有料なんだろうか? 財布にいくら入っていたっけ? 契約金ブッパしかないのかな?
視界に垣間見える前髪の奥で少し目を泳がせながらの告白。
「私機械に疎いから、やって貰えれば……」
その予想外の言葉に暫し沈黙。自然に噴き出し笑う。
気恥ずかしさの為か、僕の左肩を軽く叩く新山さんからスマホを受け取り、少し助手席側に身体を寄せる。
「かしこまりました」
彼女に画面を見せながら操作すること数分。これで僕達は互いの電話番号とメールアドレス、それとメッセージアプリのIDを交換したことになる。
「それじゃあ、今度こそ私行くね」
ドアを開きながらそう告げる彼女。
僕はシンプルに答えた。
「うん。ごめんね。引き止めて」
少し高めの車体から軽く飛び降りる様な形で降車する彼女。はにかみながらの別れの言葉。
「今日は本当にありがとう。またね……」
君は僕の気持ちをきっと知らないんだろうけど、到底知りようもないのだけど。それは僕が一番欲しかった言葉なんだよ。
緩みそうになる頬を固めて、右手を軽く振り彼女に倣う。
「またね」
パタンを優しくドアを閉めて、背を向ける彼女。
そんな背中を見送りつつも僕は手元のスマートフォンを意識せざるを得ない。
この小さな端末の中に新山彩夏の個人情報が入っているのだという事実が僕の矮小な自尊心を満たすからだ。なんか謎の優越感が伴うのが分かる。凄まじい無敵感だわこれ。
そんな俗物的な考え事に割り込むバイブ。追ってポップアップ。何やらメッセージを受信したようだ。
差出人は見送ったばかりの彼女。
直筆では無い文字達が並ぶ画面。
『今日は本当にありがとう。また同じ時間を過ごせればと思います』
僕は数行にも満たない様な文字の羅列を流れで読んで。じっくり時間をかけて読んで。意味を紐解きながら読んだ。
反芻して反復して、やがて臨界。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおオオオオオオオオオオオううううううううううぅぅぅぅ!!!!!」
それでも単純な童貞男子は両手でガッツポーズを作り、強烈な咆哮を以って歓喜を表現した。生きる幸福を噛み締めながら絶叫した。
その際に軽く立ち上がったせいで、天井に頭をぶつけた。イタイ。
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