#33 too late? not late...(未だ間に合う)

 不意に舞い降りた歓喜から一転――心身ともに頭をぶつけて若干の平静と心許ない冷静を取り戻した僕は車を出てコンビニに入店。


 無機質で微妙に不衛生な感じもするプラ製のカゴの中に三十本弱のエナジードリンクや栄養ドリンク剤を詰め込んだ。

 本来の目的地に向かう上での陣中見舞いってやつだ。後は駐車場の使用料の気持ちも細やかながら入ってる。


 無意味に混乱しつつも会計を済ませて両手一杯の飲み物を抱えて孤独の車内に舞戻った。

 一片の残滓すらも残っていない空っぽの──今この瞬間は誰もいない助手席に荷物を投げ込んで思う。


 先程まで『そこ』に座っていったのは味気無い大量生産のドリンクなどでは無く、血の通った魅力的な一人の女性だったことを。


 現状の僕を包むのは何という――喩えようも無く言い様が無い虚無感と遣る瀬無い喪失感。

 もしかすれば、もう彼女無しで僕という人間は生きられないのかもしれない。


 僕はこれから呼吸が出来ずに、やがて呆気無く窒息するんだ…現状の精神状態ならばそんな幼く気持ち悪い錯覚すら大言壮語と切って捨てられない。


 掴み所も無く、形の無い雑念を振り払って電話をかける。

 その応答と同時に耳に飛び込んできたのは怒号のような野太い声。


『おいアラタ! もう始めんぞ! つーか何処にいんだ、テメエオラァッ!』


 待ち受ける怒号。

 本来の目的地ライヴハウス『アテナ』の店長の恫喝めいた口調に適当に合わせる。


「ごめん。やっさん。道混んでてさ…でも後十分かかんない位で着くと思うよ」

『来ねぇなら適当に片付けちまうぞ。早く来やがれ馬鹿野郎』

「了解! ダッシュで向かいます」


 スマホをポケットに戻し、再びイグニッション。今一度アテナへ足を向ける。

 現在地との位置関係的には多分五分とかからないくらいだろうか? 恐らくはヤっさんに告げた時間よりは早く着くだろう。我ながらなんて小悪党的な偽装工作だろうか。涙が出るぜ。


 数時間ぶりに一人なった僕の頭を占めるのはこれからの退屈な作業では無く、先程まで隣にいた女性のことばかり。


 透き通る肌に惑わせる薄幸の匂いから始まり、シルクの波を思わせる長い黒髪を。少し上向きな瑞々しい唇を。絹のカーテンの引かれた孤独な目元を。大きな起伏の付いた胸部と臀部を。ロングスカートに隠された脚部のシルエットを。時折見せる柔らかい笑みを。重なり合った細い指先を。その柔和な感触を。好きな食べ物について語る時の幼い横顔を。またねと告げた際に細めた蒼い月を。


 僕は出来る限りを全霊で思い出す。

 そして感情が溢れて零れそうになるのを堪えて再び思い出す。何度も記憶を探り、定着させようと努める。


 なんと女々しく情けない、救いようのない行為だろうか。

 とは言え、一度は自身の全てを彼女の前に投げ出しても構わないと考えた身の上だ。尊厳すら彼女の前に差し出せる。


 さて、運転中にも関わらず雑念に塗れて大変危ない限りではあるが、無事到着したのでお目こぼしをして頂きたい。


 顔馴染みの場所と言える『アテナ』の入り口に車を横付けし、遠くに沈む天体に目を細めて、建物に入る。約一日ぶりだね。


 両手に金属缶をジャラジャラ揺らしながら夢の跡ステージへ向かう僕を迎えたのは叱責の言葉。


「おせぇよアラタぁ!」

「ごめんなさい。思いの外渋滞してて。代わりと言っては何だけど、皆さんに飲んで貰えればと思って…」


 両手に下げたビニール袋を貢ぎ物の如き恭しき態度で手渡す。


「お、おおう。サンキューな…って多いだろコレぇ! どう考えてもこんな要らねぇだろ!」


 意味不明な程に計算を逸脱した夥しいエナジードリンクの山に、自慢のサングラスを少しだけ下げた店長はスタッフに指示を飛ばす。


「オオイ! 主役も登場したし、一旦休憩だ! 各々受け取れ!」


 休憩の合図を受けて三々五々のスタッフさん達がぞろぞろと集まる中、


「まだ始まっても無いッスよー」


 なんて声が挙がり、笑いが起きる。


 僕はスタッフやローディーにエナジードリンクを配り歩く。

 その際に一言二言言葉を交わしながらなのでそれなりに時間がかかる。


 結果、自分の分を飲む時間を確保出来ないままに作業に入ることになった。

 肉体的にはアレだが、精神的にはかつて無い充足を得ているコンディションなのできっと何とかなるだろう。


「よっしゃテメエら! そろそろ始めんぞ」


 口々に声を合わせ搬出作業に移る。この人数だ。多分二時間位で終わるだろう。頑張ろう僕。



*****



「うぃーす…って、あれ? もう終わっちゃった?」


 自前の機材を全てバンに詰め込んで、ステージ上をまっさらにした後、清掃なんかも全て完了した段になってその男は適当な挨拶と共に現れた。


 見計らったかのように登場した幼馴染に僕は声をかける。


「おせぇよバカ。何してたんだ…っていいや別に言わなくて」


 そんなに気になる話でも無いし、聞きたい話でも無い。幼馴染の男女のアレコレなんて知りたいはずがないよ。


「何だよソレ。でもミスったな〜せっかくお土産も持参したのに…」


 いやはやと笑う悠一の側に置かれた段ボール箱。それがひょっとして彼の言う土産なのだろうか?


「そそ正解。みんな肉体労働で疲れてるだろうからと思って――」


 ダンボール一杯に詰まったエナジードリンクの山――その内の一本をこちらに向けてくるが手で制し、気持ちを伝える。悠一はそうかいと溢して飛び出した一本を箱に戻す。


「にしても、流石に多過ぎだろ。僕も大概だけど、お前の量はイカれてるレベルだぜ?」

「まあアラタとの約束ブッチしちゃったし、遅刻もしたからな。その謝罪と誠意をこめた量だよ」


 え~。何てクレイジージャーニー。ベクトルが意味不明だ。

 規格外の行動原理に絶句の僕を見て、彼は言葉を繰り返す。


「つまり、これがまあ、俺の誠意のカタチってやつですよ」

「お前は誠意を果てしなく曲解して履き違えている!」


 大事なのは金額より在り方だろ。多分。

 しかし、今は幼馴染の人生観とか哲学的論理とかは僕にとっては些事に等しい。みんな違ってみんないいよ、うん。マジで。


「まあ、それはそれとして―――」


 僕はコンビニのビニール袋から白地のパッケージのエナジードリンク――シュガーフリーのものを取り出し――謎に少し薄いプルトップを引き上げて彼に言葉を投げ掛ける。


「少し相談があるんだ。出来ればメンバーにも聞いてもらいたいんだけど…今夜時間あるかな?」


 僕の言葉に少し驚きの表情を作った悠一は一拍置いて、煙草を取り出した。


「俺は別にいいけど。他二人の都合と場所次第かな〜」

「二人にはもう連絡済み。後は悠一待ちなんだよ。場所は…まあこれから一応電話してみるけど『カンナバーロ』なら多分大丈夫だろ」


 そう、最初にエナジードリンクを配り歩いた後にそういった工作活動に時間を割いていた。大事な話があると告げて、二人には了承を貰っていた。


「ははっ違いない。にしても相棒よ…」

「何?」


 紫煙を吐き出して値踏みする表情で僕に笑いかける。


「相談を受けるに当たって手付位はあんだろ?」

「ごうつくばりめ……ほらっ」


 愚にもつかない毒を吐いた僕は自分の買ってきた陣中見舞いからオレンジ色のロングボトルを取り出し、現物で支払う。


「マジかよ…」

「これが誠意のカタチなんだろ?」


 他ならない自分の言葉だ。受け取らざるを得ないだろう。

 彼はオーバーに肩をすくめてから素直に缶を受け取った。

 

「…だな」


 幼馴染の小さくため息を合図に僕達は誠意の缶を軽くぶつけ合った。

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