48:縁を結び、心を開いて

 館長からフォルトニアに行く話を聞いた次の日には、もう出発するための準備が始まった。そして一週間以内に、今まで暮らしていた国から出る。何年も共にした思い出深い場所であったはずなのに、出る時は何も感じなかった。ここに自分は住んでいたのだ。それだけしか思わなかった。


 館長は館長室に部屋があるらしく、そこで寝泊りする事になった。ギルファイも館長の助手&司書として図書館で働く事になり、王立図書館付近にある寄宿舎で暮らす予定だった。だが館長が何を思ったのか、図書館内に住むように、と言い出した。


「図書館って、寝る時とかどうするんだ」

「その点は心配ない。館長だけに許される秘密の部屋というものがあってね。複数あるようだが、そのうちの一つの部屋を使いなさい」


 あまりにあっさり言われたので、とりあえず頷く。


「ああ、それと」


 見れば館長は真面目な顔をしていた。


「私は王立図書館の館長になる。今日から私の事は名前ではなく、『館長』と呼びなさい」

「……なんで」


 思わず聞き返してしまう。

 いつもなら黙って頷くのに。


 すると館長はふっと笑った。


「頼むよ」


 自分の意見を通す威厳ある態度。

 これには何も言い返せなかった。







『〇月×日 フォルトニアでの仕事が始まった。俺がやるのはほとんど裏方。利用者の本を探したり、整理をしたり、掃除をしたり。雑用に近い。表に出る事は滅多にない。その方が楽と言えば楽だ』




『〇月×日 ここに来て半年は経った。それでも俺の仕事は変わらない。相変わらず裏方。人と関わる事が滅多にない。他の司書も、俺にはあまり好意的ではないらしい。こちらに声をかける様子もない。俺も別にかけない』




『〇月×日 今日はここの責任者でもあるイザベラ・ジャスミンを紹介された。館長と同期の司書らしい。会うのは初めてだ。少しお節介なところがあるけど、気さくで話しやすい人だった。久しぶりに館長以外の人と話したかもしれない』




『〇月×日 今日は珍しく館長と外出をした。しかもなぜか別の国。食堂の亭主とその奥さんは優しい人だった。料理も美味しかった。その後は古本屋に行った。珍しい本が多くて、魔力について詳しく書かれている専門書もあった。思わず手に取るとけっこう高い値段。俺は諦めようとしたけど、館長が買ってくれた。本に対しては太っ腹だ』



 

 ギルファイの日記から色んな人の名前が出てくる。


 おそらく館長がギルファイの事を思って、知り合いを紹介していったのだろう。日記に出てくる人の中には、以前シィーラがギルファイに紹介してもらった人達もいる。人との縁は、人を通して生まれる事もあると、改めて感じた。


 そこから数年の間、ギルファイは毎日欠かさず日記を書いていた。だんだんシィーラも知らない人達の名前が出てきたりする。だがある日、ぱったりと日記を書くのを止めてしまった。ページをめくっても、真っ白だ。そしてその中に、意味深な書き方をしているページがあった。


『人と深く関わる必要はない。それでいい。気が楽だ』


「…………」


 この空白の期間、ギルファイは何があったのだろう。


 それ以外は別に何も書かれていない。だがなんとなく、この後から人との関わりを避けるようになったんじゃないかと感じる。なぜなら日記に記していないからだ。館長と言い争った時でさえ、自分の感情を日記に残していた。そのようにして細かく、人との関わりを書いていた。


 それなのに、どうして止めてしまったのだろう。

 過去を知らない自分からすれば、それ以上の事を知る術もない。


 だがまたページをめくると、日記が復活していた。

 その内容に、シィーラは目を見開く。


『新しい司書が来た。久しぶりの守護者ガーディアンになるであろう新人が』


 驚いた。まさか自分の事を書かれるなんて。


『だいぶ欠点が多い。しかも頑固で扱いづらい。少し苦手なタイプかもしれない』


 思わずう、と唸ってしまう。

 遠慮ない書かれ方だ。


『契約について話した。悪い事をただ悪いと言っただけだった。だが言い過ぎた』


 これはあの時の事だ。


 わざわざ日記に残すなんて、ギルファイも少しは気にしてくれていたのだろうか。確かにアレナリアからフォローをもらった後、すぐに謝ってくれた。


 その後は日記が続いていない。


 創立記念日もあったし、それどころではなかったのだろう。色々と仕事も溜まり、自分も必死になって動いていた時だ。だがこうして自分の事を書いてくれているのは、嬉しいと思った。自分の存在が、少しでもギルファイにとって良い方向に向かっているのなら、の話だが。


『シィーラは、』


 その後は何か書こうとしたのか、点だけがある。

 なぜ名前だけなのだろうと思っていると、その答えは次のページにあった。


『怖い』


 そんな事が書かれていた。


「……怖いって、なにが? どうして?」


 もしかして自分が何か怖がらせるような事をしたのか。そんな事をした覚えがない。それとも無意識のうちに傷つけた時があったのか。必死で思い出しても、思い当たる事がない。


 すると日記が光り出す。


 今までよりも大きい光の中、身体全体も光に包み込まれる。そして、知った事や結局分からなかった事、それらは全て本人と向き合わないといけないのだと、この時直感的に感じた。







 はっとして目を開ければ、荒い呼吸が聞こえる。


 目の前には、青い瞳が見えた。

 ギルファイが、自分の上に覆い被さっているのだ。


 呼吸を繰り返しながら、自分を睨みつけている。

 額から汗が滴り落ち、シィーラの胸元を濡らした。


 なぜか首元には剣が突きつけられている。久しぶりに見た。剣を突き付けられて危険な状態でいるのは分かっているのに、なぜか恐怖はなかった。それよりも、ギルファイの顔の方が、痛々しく見えた。


「……見たのか」


 問いかけは日記の事だろう。


「はい」


 はっきりと答える。

 すると分かりやすく怯まれる。


 ギルファイはゆっくりと腕を降ろす。

 剣が床に落ちた音が響いた。


 シィーラは身体を起こしながら相手を見た。傷ついたような顔をしている状態をどうしたらいいのだろう。そう思っていると、ギルファイは咳き込み始める。


「ギルファイさんっ!」


 介抱するように背中をさすれば、腕を振り払われる。


「触るな」

「どうして、」

「俺は……っは、かはっ」


 心臓を掴むようにして、今度は倒れ込む。

 息もしにくいのか、何度も呼吸を繰り返していた。


(どうしたら、どうしたらいいの……!?)


 日記で過去の事を知れても、結局今できる事をしないと、助ける事はできない。何もできない自分が無力で嫌になる。どうにかできないのか、と考えていると、アッシュの声が頭の中から聞こえてきた。


『落ち着いて』

「アッシュ! どうしたら、」

『大丈夫。シィーラは治癒の魔法と相性がいい。ギルファイを少しの間、楽にする事はできるよ』

「どうすればいいの?」

『ギルファイの魔力を使って治癒すればいい』

「え!?」


 そんなのどうやって行えばいいのか。大体相手の魔力だってどう使えばいいんだ。魔法書の魔力を使うのは分かるが、魔術師である相手の魔力を使って魔法を生み出す方法なんて知らない。


『大丈夫。ギルファイが教えてるはずだよ』

「そんな、治癒なんて……あ」


 思い出した。


 一瞬迷ったが、すぐに首を振る。

 シィーラはギルファイに顔を近づけ、そして口を塞いだ。


「っ!」


 ギルファイは目を見開き、離れようとする。

 だがシィーラは腕を思い切り掴んで、どうにか離れないようにした。しばらくするとギルファイも諦めたのか、力を抜いてそのままの体勢でいてくれる。


 シィーラは目を閉じながら、唇を通して魔力が入るのを感じた。そしてその魔力を逆に自分の治癒の知識と組み合わせ、ギルファイの身体に入るようにする。イメージでやってみたのだが、案外上手くいったようで、相手の呼吸が安定してきた。それが分かり、シィーラはそっと離す。


 すると、ギルファイと目が合った。


 シィーラも見つめたが、すぐに唇に目がいってしまい、思わず逸らした。すると相手もきまり悪そうにこちらとは反対の方向に顔を逸らす。二人はしばらく黙ったままでいた。


「とりあえず、しばらくは大丈夫かな」


 無言のこの状態をどう思ったのか、アッシュが姿を現す。

 ギルファイを横目で見ながら、こう続けた。


「いい加減、ギルファイも契約すべきだと思うけど」


 ギルファイの身体がぴくっと動いた。


 言われてシィーラは納得する。契約は、魔力を相手に分け与える事ができる。魔力が膨大過ぎて身体が持たないなら、契約してしまえば大丈夫ではないか。シィーラもアッシュに賛同した。


「そうですよ、そうすればもう」

「『苦しまなくて済む』?」


 言おうとした事をギルファイに言われた。

 見ればまた苦しい表情をしている。


「ギルファ」

「お前には分からない。契約するという事は、相手の人生だって台無しにする。俺はそんな事したくない」

「そんな、契約が全てそうとは」

「苦しい思いをするのは俺だけでいい。周りを巻き込みたくない」

「……!」


 相手の言いたい事は分かる。確かに一人で解決できる問題じゃない。解決するには「誰か」がいる。それなりの代償がいる。でも、それでも、自分は。


「私だって苦しんでる姿を見たくないんです!」


 青い目が大きく見開かれる。


「ギルファイさんは、他の人に苦しい思いをさせたくない、って思ってるんですよね。それは私もです。私だって、ギルファイさんに苦しい思いをしてほしくない」

「シィーラ、」

「私じゃだめですか?」

「……え」

「私が、その契約の相手じゃ、だめですか」


 真っ直ぐな眼差しと言葉で伝える。

 するとギルファイは、焦ったように顔を横に動かす。


「だめだ」

「どうして」

「巻き込みたくない」

「巻き込むとかそういうんじゃないです! 私は、少しでも助けになるなら、助けたいんです」

「いやだ」

「ギルファイさん!」


 思わず手を掴む。絶対に離さないし諦めない。

 その思いが全面に出ていたからだろうか。ギルファイは絞り出すようにしてこう言う。


「怖いんだ」

「え?」


 日記にも怖いと書いていた。一体自分の何がそんな。


「シィーラの事を知る度に、俺が俺じゃなくなるような気がする。それが、怖い。そんな俺を見て、シィーラに……嫌われるのも、怖い」


 初めて本音を聞いた気がして、シィーラは言葉を失った。だが、言われた意味をもう一度考え出す。考えて、この場合何て言えばいいのか、正直分からなかった。


(それって……つまり)


 どう返せばいいのだろう。


 でもきっと、考えて言えばいいってものじゃない。

 まとまらない中、シィーラはとりあえず口を開いた。


「私も、そうです」

「……え」

「私だって、最初は、ギルファイさんを苦手に思ってたし、どう対応すればいいか分からなかったし、何を考えているのかも、分かりませんでした」

「…………」


 思い当たる節があるのか、相手は黙って聞いてくれた。


「でも、接していくうちに、分かる事も出てきて。仲間思いだったり、優しい面もあったり、ちょっとおかしいって思う時もありましたけど、それでも、最初より好感を持てました」

「…………」

「ギルファイさんに対する思い……というか、考え方も変わってきて。もっと……役に立ちたいなって。部下として、役立てる事は、なんでもしたいって思ってきて」

「それは、俺が上司でもあるから、」

「それだけじゃないです」


 苦笑して見せる。


「ギルファイさんは、言わないだけで、何か、抱え込んでる部分もあるんじゃないかなって。これは、私の勝手な考えなんですけど。でも、日記でも、どこか、苦悩してる部分が見えてきて。だから、支えたいなって。おこがましいかもしれないですけど、もっと……笑ってほしいんです!」


 自分でも何を言っているのか分からなくなったが、最後は声を大にして叫んだ。するとギルファイは目をぱちくりさせる。確かにああだこうだ言ったのに最後は笑ってほしいというのはどういう意味だ、と問いかけたくなるだろう。シィーラは頭を抱えながら、言葉を続けた。


「笑ってほしいというか、幸せになってほしいです。毎日、ちょっとした事でも幸せを感じられるような、そんな毎日を送ってほしい。そんな感じです」

「…………」

「さ、さっきギルファイさんは、私に嫌われるかもしれないって言ってましたけど、そんな事ありません。人間は、良い面も悪い面も持っています。でも、悪い面……というか、良くない面があっても、それを受けいれて支えるのが仲間というか、人間……じゃないでしょうか。私は、ギルファイさんの事をとても尊敬しているし、好きです」

「俺を、好き……?」


 なぜそこだけ復唱されるのだろう。

 恥ずかしいなと思いつつ、大きく頷く。言葉に嘘はない。


 するとギルファイは、ふっと小さく笑う。

 やっと穏やかな顔をしてくれた。


「……シィーラには、敵わないな」

「え?」

「ありがとう」


 そう言って、ギルファイは急に抱きしめてきた。


 いきなりで少し驚きつつも、ゆっくりと自分も抱きしめ返す。以前助けてくれた時以来だろうか。大きくてあったかくて、優しい。そして、やっと自分の思いがギルファイにも伝わったのだと思った。と同時に、自分の中でギルファイの存在が、とても大きいものになっていたと、気付かされた。


 ギルファイは耳元に口を寄せ、そっと呟く。


「俺と、契約してくれるか」

「はい」

「……これからもずっと、一緒にいてくれるか」


 これには思わず感極まる。

 だがシィーラは笑みを浮かべて答えた。


「はい」


 するとギルファイが抱きしめる力を強めた。


「じゃ、二人とも承諾したね」


 傍で見ていたアッシュは、満足げにそう言う。

 そしてすぐに手を動かし、呪文を唱え始めた。


「『選ばれし二つの魂、ここに繋がる。心を共に、命を共に、永遠を共にする二つの魂。契約の名を持ってここに繋がる事、魔法書の番人アッシュが命ずる』」


 二人の足元から魔法陣のようなものが出てくる。

 魔法陣が光り出し、赤い光が二人の身体を包み込むように舞う。


「『魂よ一つにイン・ワン・バイ・ザ・ソウル』」

 

 魔力が身体にみなぎるような感覚を得る。

 そっとギルファイを見れば、彼の身体から光のようなものが出ていた。それが自分の中に入ってくる。これが彼の魔力なのだろう。とても綺麗で、輝いている。


 しばらくするとすっと赤い光が消え、元の状態に戻る。

 足元にあった魔法陣も、いつの間にか消えていた。


「はい、終わり」

「これで……つながったの?」

「そう。見える人には見えるよ」

「ギルファイさんは、」

「ああ。魔力が溢れる様子がない」


 自分の身体に手を当てて確かめていた様子だったが、口元を緩ませてそう言った。成功したのだと分かり、シィーラは嬉しくなった。思わず手を取る。


「良かった」

「……ありがとう」


 二人はしばし見つめ合っていたが、アッシュが分かりやすく咳払いをする。はっとしてそちらを見れば、部屋にある机の上に、ある本とメモが置かれていた。


「これって、」


 シィーラはすぐにメモを見る。


『契約の様子まで、じっくり見させていただきました。色々と感慨深いですが、まずはこちらの問題を片づけてからですね。この本がローレン様をあのようにした原因です。とある方の命令で、私が預かっていました。ステンマ兄妹の事は、きっとご兄妹で決着をつけるでしょう。全てが終わってから、私の知っている事をお話します。では、またお会いしましょう。 ジキル・エドワード』


 過去に行って戻ってから、ジキルの姿を見ていない。

 隠れていたのだろうが、こちらからすればそれどころではなかった。いつの間に移動したのだろう。だが、これですぐにローレンの問題は解決できるはずだ。


 シィーラは二人に顔を動かす。

 すると両方とも頷いてくれた。


「行こう」


 ギルファイが手を差し出してくれる。


「はい」


 シィーラは手を取った。


 解決すべき事はまだあるが、それでも、こうして二人で一緒にいられる事を、嬉しく思う自分がいた。それはギルファイも同じなようで、走りながら、こちらを見て、微笑んでくれる。二人でいれば、何も怖くない。契約は心までは共有しないはずなのに、二人の心は、すでに一つになっていた。

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