47:とある少年の日記

 こちらを見つめる瞳は暗い。

 シィーラは一瞬反応ができなかった。


 すると後ろから足音が聞こえてくる。はっとして見れば、いつの間にか黒っぽい傘を持つ男性が立っていた。帽子を被り、眼鏡をかけている。そこまでは分かるが、傘の影か、それとも周りが雨で暗いせいか、顔がはっきりとは見えない。


 男性はしばらくそのままの状態だ。ただじっと、ギルファイだけを見ている。そしてシィーラに目もくれず、真っ直ぐ歩いてきた。シィーラは空気を読んで慌てて横に移動する。


 男性はギルファイに傘を差し出しながら、問いかけた。


「名前は?」


 穏やかで優しい声色だった。


「……ない」


 ギルファイはかすれた声でそう言った。

 すると男性は「そうか」と淡々と返事をして、いきなり指をパチンと鳴らした。


「!」


 するとギルファイの座っている場所が光り出す。


 驚いた様子でギルファイは男性を見ていたが、そのまま光に飲み込まれるようにして消えた。複数の光の粒だけが舞い上がり、それさえもすぐに消える。あまりに早い動きに、シィーラは唖然とした。そして思わず男性の顔を見る。


 すると、目が会った。


「あなたは……」


 思わず声を出したが、相手はすぐに目を逸らす。

 そしてゆっくりとどこかに向かって歩き始めた。 


 シィーラはその後ろ姿を見つめた。


 あれは館長だった。今よりも若い。


 そのまま後ろ姿だけを見ていると、いつの間にかシィーラの手から光が溢れていた。はっとして見れば、ジキルに渡された日記を持っている。そこから光が出ていたのだ。そのままどんどん光が増し、シィーラは眩しさに目を閉じた。







 次に目を開けると、場所が変わっていた。


 どこかの部屋のようだった。

 机の上には本がたくさん積まれてある。


「ん……」


 誰かの声が聞こえ、そちらに顔を動かす。

 するとベッドからギルファイが起き上がった。どうやら寝ていたようだ。


 さっきは雨の中暗かったのでよく見えていなかったが、どうやら怪我をしていたようだ。頭は包帯でぐるぐる巻きにされており、頬にも手当がされている。よく見れば、手にも多くの傷があった。


「ああ、起きたかい」


 ドアを開け入る音と共に、館長が現れる。

 手には二つのコップを持っていた。


 ギルファイの傍に寄り、コップを渡す。


「はちみつ入りレモネードだ。温まるから飲みなさい」


 そう言われ、ギルファイは恐る恐る受け取る。

 若干警戒している様子だったが、コップに口をつけると驚くような顔をした。


「おいしい」

「だろう?」


 館長は嬉しそうに微笑む。


 ギルファイは夢中で飲み切り、一息つく。

 すると館長は丸い小さい椅子を持って、ベッドの傍に座った。


「私の名は××××。よろしく」


 ちゃんと聞いていたはずなのに、なぜかシィーラは館長の名前が聞き取れなかった。


 以前シィーラには名乗らないのが性分だと言っていたが、この頃は普通に名乗っていたのだろうか。それにしても、随分若い。今よりも十~二十歳ほど若く見える。白髪の頭には金髪も入り混じっているし、明るい場所で顔がよく見えるからこそ分かった。ギルファイも十代くらいだろう。


 ギルファイは警戒心を露わにして、少し睨んだ。


「俺の魔力が目的か」

「いいや、違う。君を助けたいと思っている」


 館長は真摯にギルファイを見つめた。

 するとギルファイは眉を寄せる。


「どういう意味だ?」

「君を預かろう。魔力が制御できるまで」


 意図は伝えず、今後の話をいきなりしてきた。

 するとギルファイは意外だったのか、目を丸くする。


 だがすぐに顔を逸らした。 


「……俺は、皆を傷つける」

「そうはさせない。私が君を守ってあげよう」


 ギルファイは少し苦しそうな顔になる。

 迷っているような様子だった。


 すると館長は微笑む。


「焦る事はないさ。好きなだけここにいるといい。先の事は君が決めていい」

「…………」


 ギルファイは黙ったままだ。

 だが館長はのんびりと自分の事を話し始めた。


「私は司書をしていてね、各国を回っているんだ。この国にも仕事をするために来たんだが……君がいる間はこの国でのんびり過ごすとしよう。その間は君も……ああ、君って何度も呼ぶのは大変だな。名前をつけようか」

「名前?」

「ああ。何がいいかな」


 問いかけられたが、ギルファイは興味がなさそうだった。


「別に、なんでも。勝手に決めればいい」

「そうか」


 あっさりと館長は頷き、しばらく頭を悩ませる。

 目を閉じたり頭を動かしながら考え、ギルファイはその動きを不審そうに見ていた。そしてしばらくして、ひらめいたように満面の笑みを浮かべる。そしてこう言った。


「ギルファイ。君はギルファイ・バルトだ」

「……ギル、ファイ?」

「そう。この国では名前にもたくさんの意味があるようなんだ。ギルは『勝利』、ファイは『光』という意味がある。その名前は、きっと君を守ってくれる」

「じゃあ、バルトは? なんで名字まで」


 別に名前だけでいいだろう、という風に言った。


「バルトは『森』という意味がある。君が守られるように、という願いを込めた。森は身を隠してくれる。そして癒してくれる存在だ。両方あった方が生活する上でも役に立つからね」


 そう言って館長は微笑んだ。

 そして何度も口を動かして少年の名を呼ぶ。


「ギルファイか……。バルトもかっこいい名だな。うん、我ながらいい名前だ」

「別に、何度も言わなくても」


 少し気恥ずかしいのか、ギルファイは下を向いていた。

 だが館長は嬉しそうに何度も名前を呼んでいた。


 二人の様子を見ながら、シィーラは少しだけあったかい気持ちになる。ギルファイは幼い頃から色々あったようだが、館長とすぐに打ち解けた様子だった。それは館長自身の人柄があったかいからだろう。初対面であってもすぐに人の心を掴む事ができる。だからこそ、今やユジニア王立図書館の館長として、皆を見守ってくれているのかもしれない。


 すると、またもや日記から光が溢れ出る。


 また別の場所に移動するのかと思えば、何やらゆっくりと文字のようなものが本から飛び出してきた。しかも文字だけでなく、ギルファイと館長の姿も一緒に映し出される。




『〇月×日 今日から日記をつける事になった。××××が書けと言ったから。なんでか分からないけど、とりあえず今日から書いていく』




 見れば机の上で日記を書くギルファイと、その傍に立つ館長の姿がある。日記を懸命に書こうとしている様子を、優しく館長が見守っていた。背後にいきなり現れたからだろう、気付いたギルファイは怒ったように何か話している。それでも館長は、はははと笑っているだけだ。館長のこういう所は昔から変わらないのだなと、思わずシィーラも笑ってしまった。


 だがなぜか、日記に書かれている館長の名前は潰されていた。ギルファイが幼いからも関係しているのかと思ったが、他の文字はしっかり書けている。それなのに、どうして館長の名前だけ分からないように潰れているのだろう。


 その事に疑問を感じつつ、シィーラは読み進めた。




『〇月×日 今日は××××から魔法について基本的な事を教わった。どうやら××××は司書だけど魔術師らしい。魔法を使うには、それなりの知識も必要だとか。俺は知らないままに魔法を使ってきた。でも知識を増やす事でこの魔力を少しでも抑えられるなら、抑えたい。いつまでもこのまま苦しいのは嫌だ』




「……ギルファイさんも、魔術師だったんだ」


 シィーラは思わず呟いた。


 ずっと同じ守護者ガーディアンだと思っていた。

 セノウのように図書館内で魔法を使う事もなかったし。だがギルファイは言わなかっただけで、別に隠していたわけではなかったのかもしれない。……いや、逆にそれを理由に取って、隠していたのかもしれないけれど。


 それでも、魔力が他の人よりも多くて苦労していた事は知らなかった。そんな素振りも見せなかった。苦しんでいる姿も見た事がない。今更ながらに、自分はギルファイの事をあまり分かってないのかもしれない、と思ってしまう。でもだからこそ、この日記を通して知る事はできるのだと、気持ちを切り替えてまた読み進めた。




『〇月×日 ××××の部屋には本がたくさんある。読んでみると面白い。でも、小説とかは嫌いだ。読みたいとは思わない』


(え)


 短い内容だったが、少し面食らった。


 司書になる人は大抵本好きだ。もちろん専門書を好んで読む人もいるが、大抵は小説好きが多い。少なくともギルファイも好きな小説があるだろうと思っていた。利用者に本を薦めるのも上手い。読まないと利用者に紹介もできないはずだ。


 すると、二人の姿が日記の上から映し出され、ゆっくりと動き始めた。


「……小説が嫌い?」


 館長も意外そうに聞き返した。

 ギルファイはそっぽを向きながらも、小さく頷く。


「それはまた珍しいな。小説も立派な本だ。何が気に入らないんだい?」

「知識を得られる本や、確実な情報が書かれている本はいい。でも物語はただの空想であって、偽物だ」


 すると館長は目をぱちくりさせる。

 だがギルファイの意図に気付いたのか、しばらくしてから苦笑した。


「確かにそれらは本当に起こった出来事ではない。だから本物とは言えないかもしれない。……が、作者の頭の中で描かれた話だ。それさえも偽物と言ってしまうのかい?」


 ギルファイの考えは固かった。


「わざわざ偽の話を書いて本にする必要はない。そんなのはただの惑わしだ。だったらそんなものは必要ないだろ」

「なるほど」


 あまりにあっさりと館長は頷く。

 だがすぐにこう言い返した。


「ギルファイ、お前は小説を読んだ事がないんだな。私がいくつか渡した本も、読んでないんだろう」

「……読む読まないは、個人の自由だろ」


 どうやら図星らしい。


 知識とは別の部分を養ってほしいと思って本をいくつか渡しておいたはずだったのだが、どうやらどれも読んでいないようだ。でなければ、こんな返答になるはずがない。


「作者はただ空想だけで書いてるわけじゃないんだ。その本に『想い』を込めている」

「…………」


 ギルファイは固く口を結んでいた。


 まだ幼いギルファイにとっては、確かに理解しにくいかもしれない。だが、シィーラには分かった。ただ自己満足で書いているわけじゃない。伝えたい事があって書き、それを読んで学んでほしい、感じ取ってほしい、と考えて書く作者もいるという事だろう。


「ギルファイはさっき、惑わしになると言ったね。確かにそうかもしれない。書いた内容を見て、気分が沈んで、この世の中を嘆いて、命を投げ出す人もいるかもしれない。そして、本に書かれていた内容を知って、どうすれば相手を効率よく傷つけられるのか、学ぶ人もいるかもしれない」

「! そうだろ? だから俺は」

「その考えは本好きを馬鹿にしているよ」


 真面目な声色だった。

 見れば鋭い視線でこちらを見ている。


 ギルファイは一瞬で凍り付く。


「本が好きな者はどんな本でも読める。もちろん、好きなジャンルは異なるだろうが。読みながらその本に溺れるのはただの愚か者だ。小説はただの小説である事を本好きは知っている。知っている上で読んでいる。読んでいるのは楽しみたいからだ。そしてそこから学ぶ事もあるからだ。意図は人それぞれだが、本は一つの手段。言葉と一緒。薬にもなるし毒にもなる。大事なのは捉え方という事だ」

「…………」


 ギルファイは黙っていた。

 そして勢いよく部屋から飛び出す。


 館長は溜息をつき、ぽつりと呟いた。


「まだ早かったかな」


 シィーラはその様子を見ながら、色々と考えた。


 本は本であり、小説もただの小説だ。そこに現実と同じ「本物」はない。もちろん、本当の出来事を含めて小説として書く人もいたりするが。だがギルファイからすれば、「本物ではない」からこそ、それを認めたくなかった。そして、本からの影響を恐れたのだろう。考えや感情が変わる事もある。


 だが、それは逆にも取れる。本を読んで元気を得られたり、意識が変わったり。本のおかげで人生が変わった、という人だっている。本当に、それぞれの捉え方次第なのかなと思った。




 日記に目を戻すと、その日は日付がなかった。

 代わりに書き殴ったような文字がある。




『理屈で言えばそうかもしれない。でも俺の言葉をちゃんと聞いてほしかった。俺は自分が正しいと認めてほしかったわけじゃない。ただそういう考えもあるって思ってほしかった。捉え方次第っていうけど、××××の捉え方だっておかしい』




 読みながら、シィーラは少しだけ胸がうずく。


 感情に任せて書いているのが分かるが、ギルファイの気持ちも分かる。ただ聞いてほしかったのだろう。自分はこう考えている、と。館長の返した方も決して悪かったわけではない。だが、幼いギルファイからすれば、なかなか受け入れがたかったのかもしれない。




 それから何か月か経ってから、日記が更新されていた。




『〇月×日 ××××は俺の事を何も聞いてこない。今思えば最初から。でも何もかも知っているような感じもする。だから俺はあえて言わないし聞かない』




 空白の間に何があったか分からないが、そんな風に書かれていた。だが日記から映し出される姿を見れば、お互いそれぞれの事をしていた。ギルファイは勉強を。館長はおそらく仕事を。お互いにいい距離感の中、一緒にいる。


 ギルファイがこの時十代だったという事は、二人はもうかれこれ十年以上の付き合いという事だろうか。ならば、家族のようにお互いいるのが当たり前のような生活になっていたのかもしれない。




「ギルファイ。フォルトニアに行こう」

「……は?」


 いきなり言い出した館長に、ギルファイは目玉焼きが乗ったパンを食べながら眉を寄せる。あれから成長したのか、ギルファイの身長も伸びている。半面、館長は少しだけ歳を取ったように見えた。おそらく何年か経った時の二人だろう。


「どうやら館長に就任したようでね」

「就任って……××××はずっとここに住んでただろ。それなのになんで別の国で館長になるんだよ」


 部屋の中しか分からなかったが、どうやら二人は最初、別の国にいたようだ。確かに外を見ても、建物らしい建物があまりない。自然が溢れており、もしかして森の中家を建てて暮らしていたのだろうかと思った。


 すると館長はゆっくりとスープを飲む。


「私は司書だ。色んな国を回ってきた。でも居所は図書館協会には伝えてあるからね。協会から通告されたんだ。そろそろ図書館で落ち着かないかと」

「……で、行くのか」

「ああ。それにフォルトニアなら、ギルファイも気に入るだろう」


 そう言いながら、今度はとある資料を机の上に置く。

 並んでいるお皿を避けながら、ギルファイは目を動かす。


 そこには、鮮やかな絵で描かれている立派な図書館があった。


「ここが王立図書館だ。フォルトニアは魔法の国。住人のほとんどが魔法を使える」


 するとギルファイはぴくっと身体を動かす。


「ギルファイが生まれた国では、魔法を使える者がほとんどいなかった。だから珍しがられたんだ。だが、それを恐れる事はない。皆がお前を受け入れてくれる」


 一度口を閉ざす。

 だが、再度開いてこう聞いた。


「俺の魔力は、制御できているのか」


 すると今度は館長が黙る。

 だが、目線だけはしっかり合わせた。


 そしてそっとどこからか、青色の指輪を取り出す。


「なんだ」

「綺麗だろう。お前の瞳の色に合わせて作ってもらった」

「だから、これなんだよ」

「魔力を抑える指輪だ」


 ギルファイは一瞬息が止まりそうになった。


「ここにずっといたのは、まず生活に慣れさせるため。知識も増えて徐々に制御はできるようになった。次は周りの環境に合わせる必要がある。そして環境に慣れたら次に人との関係を築く。人との関係が築けるようになったら、今度は守りたい人を見つけなさい」

「……なんだそれ」

「魔力を抑えるのに必要なサイクル……とでも言えばいいかな。とにかくそれを段階的に行うんだ。でないと、根本的には変わらない」


 真面目な言い方だった。

 この言い方をするのは珍しい。


 ギルファイは黙って、指輪を取る。

 確かに自分と同じ青に輝く色をしていた。


 指にはめようとすると、館長が鎖を出してくる。


「首元につけておきなさい。それなら周りに見られる事も少ない。それを持っていれば、しばらくは大丈夫のはずだ。気休め程度にしかならないかもしれないがね」

「……分かった」


 すぐさまつけると、なんだか身体が少し軽くなったような気がする。気がするだけで、実際のところはよく分からない。それでも館長は、その様子を見て満足げに頷いた。

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