46:記憶が物語ってくれる

 人影のようなものが、こちらに近づく。

 それは、美しい女性だった。


 煌めく長い銀髪に、菫色の瞳。

 とても優しい表情をしている。


「……あの、どこかで会った事ありますか?」


 シィーラは思わずそう聞いてしまった。

 というのも、どこかで見た事がある顔だったのだ。


 すると女性は嬉しそうに微笑んだ。


「もしかして、セノウの事かしら?」

「え。あ、」


 言われて気付く。

 セノウと外見がそっくりだ。


「じゃああなたは」


 すると女性は丁寧にお辞儀をした。


「初めまして。私はセシリア」


 目を丸くしてしまう。


 似ているはずだ。親子であるし、二人はよく似ていたらしいし。会った事があるような感覚に陥るのは、ある意味当たり前なのかもしれない。


 だがシィーラは、驚きつつもすぐに疑問を持った。

 確かセシリアはすでに亡くなっているはず。それなのにどうしてここにいるのだろう。


 するとこちらの表情を見て悟ったのか、相手は苦笑した。


「の、分身とでも言うべきかしらね」

「分身?」

「そう。私はセシリアであってセシリアじゃない。……記憶の中のセシリアよ」


 何度か瞬きをしてしまう。


 分かるようでよく分からない。

 すると相手は「最初から話すわね」と、説明してくれた。


「ある時、セシリアは館長に日記をもらったの。これで毎日の出来事を、記録しなさいって。きっと役に立つだろうからって」


 すると傍にいたアッシュが補足する。


「館長は『記憶』に関する魔法を得意としてる。同様にそういう本を作ったりもできるんだ。今回の場合、セシリアに魔法書として日記を渡したみたいだね」 

「ええそう。その日記をもらってから、セシリアは毎日のように記録していたの。起こった出来事、その時に感じた事、細かくびっしり書いていたわ。セシリアは結局亡くなったけど、本はもちろん残った。だから私もこうやって存在してるの」


 二人の話を聞きながら、シィーラは頭で整理する。

 そしておそるおそるこう聞いた。


「……あなたは、光になれなかったものシュワーツって事ですか?」


 すると小さく笑いながら頷かれる。


「司書にはどうやらそう呼ばれているみたいね」


 思わず息を吐いてしまう。


 まさかここで光になれなかったものシュワーツにお目にかかれるとは思わなかった。しかも人型だ。以前一人で裏の仕事をしていた時に出てきたのは、人の形だったが、ホラー小説の登場人物だった。だが今回は違う。言うなれば著者本人だ。日記なのだから、本人に違いはないのだろうけど。


 それにしても、こうやって自我を持って話す事が可能とは。しかも自身が光になれなかったものシュワーツである事も認識している。初めて出会っただけに、とても興味深かった。


「で、俺達を本の中に呼んだのはなぜ?」


 アッシュが単刀直入に聞く。

 感動に浸っているシィーラを見て判断したのだろう。賢明だ。


 セシリアは少しだけ寂しそうに、下を向いた。


「もちろん、助けを求めるため。私は光になれなかったものシュワーツとして存在しているけど、他の皆には姿が見えないみたいなの。何度も現れて声をかけたけど、誰も気付いてくれなかった。でも私は、自分の子供達がこれ以上いがみ合うのは見たくない……そのセシリアの思いを、どうにか伝えたくて」


 それで「助けて」と呼んだのか。


 確かに母であるセシリアからすれば、どうにもできない事に対して悔しく思っていたのかもしれない。身体も病弱で満足に動かない。そんな中、子供達を残して死んでしまった。その思いはきっとやるせない。


「でも俺達を呼んでも、その思いしか聞けない。正直、三人にしっかり届くと思えないけど」

「アッシュっ!」


 あまりにも失礼すぎる発言だ。

 思わずたしなめたが、セシリアが静止した。そしてこう告げる。


「その通り。あの子達の事は、結局あの子達でしか解決できないわ」

「だったら」

「でも、私だからこそできる事もある」


 セシリアは真剣な目をしていた。

 それは、成すべき事が分かっている人の目だった。


「二人にも協力してほしいの。いいかしら」


 この問いに、アッシュもシィーラも大きく頷いた。







「セノウも本気を出してきましたね」


 ロベルトは呑気にそんな事を言いだす。


 ガラス越しに戦い合う妹達を見ながら、二人の顔つきが最初と違う事を感じた。お互いに何か言い合う暇もなく、相手の隙を見ながら魔法を繰り出している。魔術師としてもレベルの高い戦いだ。血のつながった姉妹であるから、また面白い。喧嘩の延長戦のようなものだ。


 だがドッズはそれに返事をしなかった。


 返事をしたくないから、というのもあるだろうが、それだけじゃない。返事ができなかったのだ。セノウが受ける傷は、ドッズも同時に受ける。跪きながらもガラスに張り付いて、時に呻きながらもじっと前だけを見つめていた。それは片時も目を離さない、とでも言うように。


 ロベルトはやれやれ、と息を吐く。


「難儀な身体になったものですね」


 得なくていい傷を受ける事は、苦痛でしかないだろう。

 同情の意味も込めて言ったのだが、ドッズが鼻で笑ってきた。


「お前は、そう思うかもな」

「……はい?」


 方眉を動かす。


 するとドッズは顔を前にしたまま、こう言った。


「確かに難儀かもしれない。でも、生涯支えたいと思う相手と同じ傷を受けられるなんて、ある意味幸せな事だ。一緒に背負う事ができる。それこそ心の傷までは背負えないが、あいつの痛みを知れる。俺も同じ痛みを知って、余計あいつを守ってやりたいと思える。死ぬ時も一緒なんだ。何も怖くない」

「……分からないですね。それこそずっと一緒じゃないですか。たまには一人になりたい時もあるでしょう?」


 するとドッズは馬鹿にしたように笑う。


「秘密主義のお前らしい。人は一人じゃ生きてられない。一人は自由かもしれないが、その分寂しさも募る。感情の共有ができてこそ、喜びは倍になるし、悲しさは半分になる。……お前、滅多に人と交流してないだろ」


 ロベルトは少しだけ動揺した。

 それを見てドッズはやっぱりな、と思った。


 もちろん仕事としての交流関係はあるだろう。ロベルトは人づき合いが上手い。それは相手に合わせる事ができるからだ。相手がこちらに対して好意的に接するよう、自らも好意的に動く。相手を観察して分析し、いい人を演じる。おそらく幼少期から続けてきたのだろう。それが当たり前になっているのだ。そして同時に、一人で過ごす時間も人一倍多い。


「長男だから、それなりのプレッシャーもあったんだろ。信じられるのは自分だけ、って感じがした。周りにお前の事を聞いた時、ほとんどがしっかりしていていい子だと言っていた。でもそれは、演じてたのもあるんだろ。そう思われないと、舐められると思って」

「……待って下さい。あなたはほとんど私と関わった事はないはずです。憶測で物を言わないでいただきたいですね」


 だがドッズはあっけらかんとして答える。


「俺はお前より年上だし、子供の時から見てた。ただセノウだけ見てたわけじゃないぞ。それは館長も一緒だ。お前が観察していたように、俺達も観察していたんだ。お前に関する噂だってちゃんと把握してる。憶測だけじゃなくて、情報を元にお前の事を分析した結果だ。間違っているか?」


 セノウの周りの異様さは、出会った時から感じていた。だからこそ色々と調べ、情報も入手していた。もちろん、ほとんど館長の力があってこそだろうが。それでも、そのやり方はドッズも学んだ。同じようにできなくても、真似をする事はできる。憶測だけじゃなく、それを裏付ける証拠と呼べるものがあるからこそ、本人にも言う事ができるのだ。


 するとロベルトはふっと笑う。

 そのまま顔を手で覆い隠しながら、ふっふっふ、と笑みを深くした。


 そして呆れたようにこんな事を言いだす。


「全く。あなたが私の兄だったら、きっといい兄弟になれたでしょうに」


 これにはドッズも含み笑いをする。


「心配しなくても、これからなってやるよ」


 するとロベルトは、微妙な顔になる。

 それはきっと、嬉しいけれどどう反応したらいいのか分からないという表情だった。







 シィーラとアッシュは走っていた。


 どこまでも続く迷路のような廊下を走りつつ、セシリアに教えてもらったこの迷路の脱出方法を試しながら、進んでいく。すると、他の部屋よりも豪勢な造りになっている扉を見つける。


 ドアノブが金色で、しかも獅子の紋章がある。

 ここだ、と思って、二人はゆっくりと入った。


 すると広い部屋の中、大きいベッドが置かれていた。

 そしてそこには、青白い顔をして寝ている人物がいる


 そっと近づきながらも、その人物は起きる様子がない。

 金髪にその顔立ちから、ローレンである事は間違いなかった。


「この人が……」

「本当に寝込んでるね。生きてるけど、生気が感じられない」


 確かに、息をしているが、眠ったままのようにも見える。

 シィーラはセシリアが話してくれた事を思い出した。


『セシリアが亡くなってから、ローレンは本を整理したのだけど、そこである魔法書を開けてしまったの』


 セリシアが本好きであったため、たくさんの本が部屋に置かれていたらしい。いつまでもそこに置いておくのもあれなので、図書館に寄贈するか処分するか、ローレンが見ながら判断していたようだ。


 本の中には珍しいものや、扱いに注意が必要な魔法書もあった。ローレンが開けた魔法書の一つに、それが含まれていたようだ。それは開いた相手の心の負の要素を生み出し、その生気や魔力を吸い取るという魔法書だった。なぜそんな魔法書があったのかは、よく分からないらしい。ステンマ家の地位や名誉に恨みを持つ魔術師からの嫌がらせかもしれない、とセシリアは言っていた。


『普通だったら、それを振り切れるくらいの魔力はあるわ。ローレンもそう。でも、それを開いたのはセシリアが亡くなった後だったから……』


 ローレンは悲しみできっと耐えられなかったのだろう。

 そのまま本に魂を吸い取られるかの如く、眠りについてしまった。


 ちなみにセシリアは光になれなかったものシュワーツであるからこそ、気付いたらしい。だが使用人や家族は原因が分からず、医師に助けを求めても、知り合いの魔術師に助けてを求めても、どうにもならなかった。まさか本が原因とはすぐに思わないだろう。


 家族はとりあえずそのまま放っていた。司書であるジェイソンが話を聞いていたなら、少しは違っていたかもしれない。だがロベルトがそうはしなかった。どういう意図があったかは分からないが、自身が当主の代理として動ける事に利点を感じたのだろう。


「魔法書も命までは取らない。でもこの状態でずっと放置っていうのも……ね」


 アッシュは少し顔を歪めていた。


 シィーラも同じ気持ちだ。だがそれでも、こうして命はある。そしてこの状態から救う事もできる。まずはその魔法書を探さないといけない。シィーラは思いを振り切るようにして、今自分にできる事を最優先する事にした。とりあえず手当たり次第探してみるが、本らしいものは見つからない。


「まさか、この部屋以外の場所にあるとか?」


 一通り探した後、そんな考えが頭をよぎった。

 するとアッシュが何か考える素振りを見せ、近づいてくる。


「シィーラ」

「うん?」

「シィーラの魔法使えばなんとかなるんじゃない?」

「え、それで本を探すっていうの?」


 確かに今の自分なら、ちょっとした事は魔法でどうにかできる。イザベラのおかげでその訓練もしてきたし、少しは自信になった。それでも、物探しを魔法で行うのは、少し難しい気がする。


「セシリアの本の中に行けたのも、それが関係してると思う。少なくとも俺の力じゃないよ」

「でも、どうやって……?」

「集中して、本の波動を探すの。魔法書は魔力があるんだから」


 アッシュの正論に、あっさり納得する。

 確かに波動を探せばなんとかなるかもしれない。


 シィーラは深呼吸をし、集中力を高めた。

 そして祈るように目を閉じる。


 瞼の裏は当然黒い。


 暗い中、それでも部屋の構図のようなものが頭に浮かび上がる。そしてここではない別の場所から、強い魔法書の波動を感じた。そしてはっきりと見えた。探している魔法書がどこにあるのか、シィーラは瞬時に理解する。目を開け、アッシュにそれを伝えようとした時、アッシュは厳しい顔になっていた。


「ギルファイが危ない」

「え!?」


 そういえばセシリアの出現によって忘れていたが、ギルファイと離れ離れになったままだった。アッシュが何かしら感じ取ったのか、走り出す。シィーラも不安を抱えながら、同じように走った。







 床に落ちてしまった指輪にヒビが入り、ギルファイは思わずその場に膝をついて倒れ込む。ジキルはそれを静かに見つめていた。そして苦しむようにうめき声を上げだしたギルファイを横目で見つつ、指輪を拾う。最初に手に取った時よりも脆くなっていた。親指と人差し指で少し力を入れれば、呆気なく崩れる。


「う、うう、ああ、あああああ」

「……指輪にしても、やっぱり持たなかったんですね。それほどまでにギルファイさんの魔力は強すぎる」

「う、ううあああああ、ああああっ!」


 うめき声から、まるで叫び声のように声を荒げていた。

 激しく身体も動かしながら、自分の心臓を掴むように胸元を掴む。その苦しそうな様子に、さすがのジキルも神妙な面持ちになる。そしてそっと傍に寄り、ギルファイの顔を見た。


 瞳には、薄っすらと涙が流れていた。


 きっと苦しいのだろう。辛いのだろう。彼を苦しめるのは何なのか、打開策はあるのか、ジキルはそれを考えた。だがすぐにその考えを断ち切る。それをするのは、自分じゃない。


 そして持っていた魔法書に、ギルファイの様子を書き留める。


 すると急にドアを開ける大きい音に気付く。

 そこには見知った顔の少女がいた。


「ギルファイさん!!」


 シィーラは慌てて駆け寄る。


 身体に触れるが、それでもその先どうしたらいいのか分からない。迷ったようにおろおろしながらも、どうにかできないかと声をかけた。だが傍にいたアッシュは、ジキルをじっと見る。


 ジキルも同じように見つめ返す。

 するとアッシュは悟ったのか、小さく溜息をついた。


 そしてそっと消える。

 シィーラのつけているチャームに形を戻したようだ。


 ジキルはシィーラに近寄る。

 一冊の本を差し出した。


「日記です。ギルファイさんが幼少期からつけていたものです」

「……なんで」

「なぜ彼がこの状態になったのか、あなたには知る必要があります。そして彼を助けて下さい」


 以前ジキルに言われた事を思い出す。

 助けるというのは、ギルファイの事だったのか?


 助けたい気持ちはもちろんあった。

 だがそれよりも、こんな状態で助けられるのか、という思いもあった。


「この日記を見る事で、助けられるんですか」

「おそらく。この日記は、魔法書でもあります。館長が彼に渡したものですから」


 つまり、セシリアに渡したのと同じような物だろう。

 じゃあこの日記にも、ギルファイの分身と呼べる存在がいるのだろうか。


 シィーラは無言で受け取る。

 色々と疑問に感じる事が多くあったが、今は頭に入らなかった。


 そのままゆっくりとページを開けば、眩しい光が出る。目がくらんで再度目を見開いた時には、シィーラは別の場所にいた。なぜか路地裏で、雨が降っている。それでも自分は、雨に濡れていない。ここはどこなのかと見渡せば、隅の方でフードを被った人物が膝を抱えて座っていた。


 そっと近寄って見れば、宝石のように綺麗な青い瞳とかち合う。


 幼少期の頃のギルファイが、そこにはいた。

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