45:強大な力は厄災を生む

 いつの間に目を閉じていただろう。


 はっとして開ければ、シィーラは焦った。

 なぜなら身体が浮いていたのだ。


 いや、これは浮いているのか、立っているのかさえ分からない。真っ暗闇の中、自分だけがそこにいた。床も壁もなく、ただ暗い中に自分の姿だけがある。なぜ自分がここにいるのか、それよりもまず自分はどこにいたのか、それさえも分からなくなるほど困惑する。


「シィーラ」


 急に声が聞こえた。


「誰?」


 慌てて辺りを見るが、姿はない。


「シィーラ、ここだよ。ここ」


 不意に視線を下にすると、自分の胸元が光っていた。そしてそこに何があるのか即座に気付き、手を動かして司書の証を取り出す。すると自分の司書の証である葉っぱではなく、その傍についていた本の形をしたチャームが光っていた。


 シィーラが触れると、急に光が強くなる。

 手で視界を遮ると、いつの間にか見覚えのある黒髪の少年がいた。


「アッシュ!?」


 どうしてここにアッシュがいるのだろう。

 だが呆れたような顔をされた。


「出発前に館長に持たされた事、忘れてたの?」


 持たされた、というのは、本のチャームの事だ。

 確かにここに来る前、館長にいきなり渡された。


 司書の証と共につけておけばいい、きっと役に立つはずだから。という言葉だけもらい、館長はそそくさとその場から立ち去ってしまった。ちなみに外で先に待っている間に渡されたのだ。なので他の司書のメンバーは、館長がいたという事は知らない。なんとなく言うのは気が引けたので、黙っていた。


「あれってアッシュの事だったの?」


 何の本なのかは知らされていなかった。

 だが確かに本の色は赤色で、館長の書庫にあったのと同じものだ。


「そう。いざという時も対処できるし、こういうの慣れてるから」 

「慣れてる?」

「それはこっちの話」


 人差し指を自分の口元に持っていく。

 その秘密めいた仕草に、触れてはいけないのだと悟る。


 シィーラは再度周りを見渡し、アッシュに聞いた。


「ねぇ、ここはどこなの? 本とか夢の中に近いけど……」


 以前ローズマリーの童話の本に入った時と似ている。感覚も同じようなものだ。ただ唯一違うとすれば、周りには何もないという事。以前は薄暗い中、無数にドアが並んでいた。だがここには、何もない。


 アッシュも同じように周りを見る。

 少し間を置いてから、こう言った。


「どっちとも言えるけど……ここでは記憶、と言った方が正しいかな」

「記憶?」

「うん」


 どういう意味だろう、と再度問いかけようとすると、急に奥から何やら光が飛んでくる。それは小さいものではなく、人の背丈はある大きいものだ。ゆっくりと揺らめきながら、こちらに近づく。


「あれって……」


 光の中に、人影のようなものが見えた。







 セノウは扉の前で固まっていた。


 あまりにその場に適してない事を言われ、一瞬頭が真っ白になったのだ。それでも、先の事も考えてくれているのだと知り、心躍る。もちろん、今はそれどころじゃないのだけど。


 もう一度息を吐き、ドアを開けた。


「あら。もう来たんだ」


 少し高めの声が、部屋中に響く。

 部屋の奥に、こちらを見つめる人物の姿があった。


「……セスター」


 声を絞り出すような言い方になる。


「なあに? そんな切ない呼び方しないでよ」


 けらけら笑いながら、歩いてくる。

 ちょうど真ん中まで来ると、足を止めた。そのおかげで、表情がはっきりと見える。


 肩を超すほど長い金髪に、大きな碧眼の瞳。

 自分と真逆で、父と似た容姿を持つ女性。


 歳はそんなに変わらないのに、似たような顔立ちをしているのに、それでもどこか他人行儀になってしまう。それは家族であり、兄妹であるのに、家族らしい事などした事がないからだろう。


 今までも散々彼女によってひどい目に遭わされた。でもそれは、自分のせいでもあると、心のどこかで思ってしまっていた。だから抵抗もしなかった。言われるままに受け止め、自分の傷を抉っていた。


 黙ったままでいると、相手はつまらなさそうな顔をする。


「なによ、昔と変わらないわね。せいぜい私を恨んで乗り込んできたと思ったのに」

「……恨んでるのはそっちでしょ」


 すると急に鼻で笑われる。


「当然でしょ。あの時あんたに言った事、今でも思ってるわ」


 セノウは息が詰まりそうになる。

 彼女に目の前で、涙を流しながら、怒りを露わにしながら、言われた。


『あんたがお母様の代わりに――――』


 その後に続く言葉は、思い出したくもない。


「私はあんたがいなくなった後も、ずっとあんたを恨んでた」


 セスターは腕を組みながらそう告げる。


「……私が、生きているから?」


 自分から問いかけた。

 苦しい問いになる事を分かっていながら。


「そうよ。あんたなんか、一生苦しみ続ければいいのに」

「っ!」


 また息が詰まりそうになる。


 直接殴られたわけじゃないのに、それほどの衝撃を受けた。どうして言葉というのは、こんなにも威力があるのだろう。身体が痛いわけじゃない。それでも、心が、悲鳴を上げる。


「でも、やっと決着がつく」


 すっと手を向けてくる。


「!」

「『傷がつくゼェクラッツド』」

「『盾を出せプット・アウト・ザ・シールド』」


 セノウはどうにか魔法で防御した。


 が、自分の右腕に何か違和感を感じた。そしてその違和感はすぐに痛みになり、何かが刺さったような感覚になる。見ればいつの間に傷になったのか、血が溢れ出てきていた。


 何かに当たったわけじゃなかった。魔法は触れる事で攻撃を受ける。なぜだ、と思いながら、今まで読んだ魔法書の知識が頭を駆け巡った。そして一つの結論に至る。


「……闇の呪文」

「へぇ、少しは勉強してるのね」


 相手を馬鹿にしたような言い方だった。


 魔法は、いくつか種類が分かれる。そして、魔術師も、得意な魔法はそれぞれ異なる。複数使えるのが普通だが、それでも自分の得意な「属性」の魔法を覚える方が容易い。


 そしてセスターの呪文。

 これは相手を直接的に痛めつける類のものだ。


「『闇』だからそういう呪文が多いのよね」

「どうして。闇の呪文を使う人は、そんなにいないのに」


 「闇」と「光」の魔法を使う人は少ない。


 なぜならあまりに強すぎる呪文であるし、並みの魔術師じゃ扱いに困るからだ。呪文が分かっても、それを扱うにはそれなりの知識と実力がないといけない。最も、そんな扱いに困る呪文を覚えていても、使う時がそうないから使わない、という人が多い。


「どうして? あんた、馬鹿なの? 恨みが何年も積み重なれば、自然と闇の呪文を使いたくなるに決まってるじゃない」

「…………」


 そこまで自分を恨んでいるのか。

 何年経っても彼女は、闇の中で自分を恨む事しか希望がないのか。


「私の何が不満なの。他にも理由があるなら、っ!」


 素早い移動で目の前に現れ、首を絞められる。

 遠慮のない絞め方をされながらも、たまに緩くする。そしてまた強くする。その繰り返しだ。セノウが苦しむぎりぎりの中でそうしているのだと、分かった。


 セスターはなぜか笑って目を合わせる。


「理由? そんなのいっぱいあるわよ。お母様に一番似ていて、魔力だって一番強い。親戚の魔術師たちだって、あんたを絶賛してた。お母様もいつもあんたを褒めてた。可愛がってた。私もいるのに。お兄様だっているのに。どうしてあんたばっかり」

「それ、は、」

「知らないでしょ。そんな風に可愛がられていたなんて、知らないでしょ? お父様だって、あんたの事を見直してた。しっかりした子に育ったって、嬉しそうに話していたわ。私だってあんたより先に立派になったのに。努力をしたのに……褒められた事なんて、一度もないっ!」


 最後は悲痛の叫びのようだった。


 朦朧とする意識の中、セノウはどうにか呪文を言う。


「『追い出せトス・アウト』!」


 セスターが魔法でふっ飛ばされ、やっと解放される。


 首を絞められたせいで、何度も咳き込んだ。

 改めて息が苦しかったのだと分かり、無意識に涙がにじむ。


 魔法で倒れたセスターはゆっくり立ち上がり、こちらの様子を見て口元を緩ませる。そして右腕を伸ばして、指を突き付けた。「……?」とその動作に疑問を感じつつ顔を動かせば、いつの間にか壁がガラスになっている。そしてそこには、自分と同じように首元を抑えている人物の姿があった。


「ドッズ……!」


 しかも傍には兄であるロベルトがいる。

 ロベルトは昔と変わらず、ただ自分を見つめていた。ずっと見ているんだと、伝えているかのように。その瞳には何が映っているのか、こちらをどう思っているのか分からない。だが、背筋がぞくっとした。いつの間にか身体は恐怖を感じていた。


「皮肉なものよねぇ」


 そう言われ、顔をセスターに戻す。

 おかしそうに笑っていた。


「契約したら死ぬ時が一緒らしいけど、それって傷つく時・・・・も一緒って事でしょ?」

「…………!」


 セノウは目を見開いた。


 契約した者は魂が結ばれている。

 それはつまり、「時間」も共有している事と一緒だ。


 ドッズも同じように、首元に手を当てていた。そしてよく見れば、同じところから血が流れている。なぜ気が付かなかったのだろう。自分だけが傷つくならまだしも、ドッズまで傷つく事はないのに。


 だが今まで気付かなかったのは、きっと今まで館長やドッズが守ってくれていたからだ。色んなものから守ってくれ、傷を負う事がなかった。心はお互い別に持っている。だから心の傷までは共有されない。それでも、身体の傷は違う。そういう契約・・・・・・なのだから。


「いい気味よね。あんたを苦しませれば、あの男も苦しむ。あんたを生かしたばっかりに、あの男は不幸になる」

「……やめて」

「どうせ死ぬ時も一緒でしょう? だったらいいじゃない。ここで終わったら」

「やめてっ!!」


 いきなりセノウの周りから、稲妻のような魔法が飛び散る。精神的な影響からだろうが、それでもしばらくすればその威力は治まる。自分から心を落ち着かせるようにしたからだ。


 セノウは一度深呼吸をする。


 前のように感情のままに動いたのでは、昔と変わらない。このままでは駄目だ。変わらなければ。変えなければ。そうしないと、いつまで経ってもセスターの恨みは終わらない。


 ゆっくりと手を動かし、前に向ける。


「セスター」


 はっきりと名を呼ぶ。


「もう私は逃げたりなんかしない。真っ向勝負であなたに挑む」


 真摯に前を向く。目線を合わせる。

 もう逃げない。ぶつけるんだ。自分の思いを。魔法を。


「……やれるもんならやってみてよ」


 抑えた言い方だったが、あからさまに挑発しているのは分かった。でもセノウはそれには乗らない。姉と妹という立場だけではなく、一人の人間として、自分の思いをぶつけるだけだ。







 ギルファイとジキルは、とにかく廊下を走り回っていた。手当たり次第ドアを開けたりもするが、何もない部屋ばかりだ。シィーラの手がかりさえ掴めない。


「何なんだここは……」


 思わずぼやくと、ジキルは眉を寄せた。


「おそらく惑わしの魔法が使われているかと。そうしてここから出さないようにしているんです」


 何度も同じところに出る時点で、そうではないかと思っていた。薄々魔力で感じていたし、こんなに複雑な造りになっている屋敷は聞いた事がない。元の道に戻ろうとしても、いつの間にかさっきいた場所に戻ったりしている。


 だがジキルはしばらくして、壁に手を当てた。

 そしてゆっくりと呪文を唱える。


「『我らを導けジ・アス・ミチバイク』」


 するとみるみるうちに景色が変わり、どこかの部屋になる。今まで見た部屋の中では一番部屋らしく、テーブルの上には書類やペンが散乱していた。生活感が残っており、最近まで誰かが使っていた形跡がある。しばらく興味深く見ていれば、ジキルが苦笑した。


「私の部屋です」

「部屋? 屋敷の中のか?」

「はい。一つの部屋だけ与えられて、そこで研究を進めていました。そうすれば、監禁されながらも研究は続けられますから」

「さっきの呪文は、」

「ロベルトさん……セノウさんのお兄さんですね。彼に教わったんです。いつでもこの部屋に戻れるように。実際屋敷は広いので、迷う事もありましたから。もっとも、この部屋限定みたいですが」


 どうりで本や書類がたくさん置いてあるわけだ。

 見れば科学者らしく、まとめたレポートまでもある。専門的であり且つ複雑な内容なので、一瞬見ただけではなかなか理解し難い。ジキルは整理をしつつ、何やら探している様子だった。


「どうした」

「ここから出るのに、何かいい方法がないかと思いまして」


 あちこち動き回りながらも、丁寧に資料に目を通している。その姿を見ながら、やっぱりジキルはジキルだったのだと、少し安心した。シィーラに行った事、司書の皆に対する裏切り、事情があってこうなったのだろうが、やっぱり本質は変わらない。優しい青年のままだ。


 ギルファイは少しだけ口元を緩めた。

 すると相手に目ざとく見られてしまう。


「ギルファイさんの穏やかな笑みが見られるなんて。こんな時に言うのもなんですが、少し嬉しいです」

「別に、誰だって笑う時はあるだろ」


 無意識だった事もあり、少し気恥ずかしい。

 だがジキルは穏やかに笑った。そして一冊の本を持ってくる。


「これは?」

「人の心理についてまとめた本です」

「? それが、どうした」


 ここを出るために必要な本だとは思えず、聞き返す。するとジキルは、穏やか表情のまま、あるページを開いた。そしてこんな事を言いだす。


「人の心理というのは不思議なものです。一人ひとり個性があると共に、考え方も異なる。だからこそ、人は支え合い、成長し、そして変化していく。ギルファイさん、あなたもそのうちの一人です」

「……?」


 何が言いたいのかよく分からなかった。

 だがジキルは気にせず、はっきりと告げてくる。


「だいぶ、人を信じる・・・・・ようになりましたね」


 急にジキルが持っていた本が光り出す。

 そしてそこから、急にうねうねとした手のようなものが、複数飛び出してきた。


「っ!!」


 それは一瞬の隙も無くギルファイを捕らえ、拘束させる。

 見ればいつの間にか床には魔法陣のようなものが書かれており、自分はその真上に立っていた。ゆっくりと魔法陣が発動し始め、赤黒い光が発している。


「ジキル、お前」


 顔を見ても、表情を変えない。

 相手に害を与えない良い面構えのままで、こちらを見つめている。


「俺を、騙したのか」

「事実から言えばそうですが、悪意を持って騙したわけではありません。私の研究に必要な人材だと判断したまでです」

「お前っ……!」


 するとくすっと笑う。


「シィーラさんと関わる事で変わっていくあなたの心理は大変興味深いものでした。でも同時に問いかけたかった。過去に負った傷は、もう癒えているのかと」

「……過去?」

「あなたの情報はデータとして私のところにあります。それに拘束されても、あなたにとっては無意味なのでは? だって魔術師なんでしょう?」


 ギルファイは固まってしまう。

 咄嗟に言葉が出てこなかった。


「魔力の波動も感じないし、最初は守護者ガーディアンだと思っていました。しかし、」


 ゆっくりとした動作で、左手で持っていたものを見せてくる。そこにはギルファイが身に着けていたはずの、青い指輪があった。見れば首元にしていた紐がない。いつの間に。


「指輪にはとんでもない魔力を感じます。これ、普通の指輪ではないですね」

「…………」

「過去に何があったのか、どんな子供時代だったのか、データを見て知りました。だから理解した。あなたには人を信じられない理由がある。人との関わりを避けたがる理由がある。そして、専門書などのはっきりとした事実が書かれている本以外……想像で書かれている物語など、気休めでしかない大嫌いなものだった」

「……黙れ」

「だからこそ仲間である司書にも必要以上には関わらない。大事な仲間であっても、それは必要に応じてだけ。そこはきっちりと線引きをしていた。でも、シィーラさんの時は違いましたよね。自分でも分からない心情になる時がある」

「黙れ、静かにしろ」

「でもそれを知りたいなんて思わなかった。なぜなら、」


 ギルファイは素早く魔法を唱えた。

 そして勢いよくジキルの首元まで手を動かす。


 当たるか当たらないかの手前で、その手は止まった。


 見れば手には剣を持っている。剣の刃の部分が、もう少しで当たりそうな状態だ。それでもジキルは焦っていなかった。その鮮やかな手さばきに、むしろ納得するように笑みを浮かべる。


「私はギルファイさんの極限状態を知りたいのです」


 そしてすっと持っていた手を放す。


「っ!」


 手を伸ばそうとするが、それは間に合わず、床に落ちる。

 そして指輪に、小さなヒビが入った。

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