43:見守っていた第三者

 遂に招待された日になった。


 用意されていた大型の馬車に乗り込む。

 車内は静かなものだった。


 セノウは窓を眺めており、ドッズも下を向いていた。

 二人の顔色はとても穏やかとは言えない。そして、同行として一緒に乗っているギルファイも、表情はなく黙ったままだ。シィーラもその空気を感じながら、口を結んでいた。


 皆を乗せた馬車は道中特に何もなく順調に進み、フォルトニアに入国する。そして街の中を進みながら、ある屋敷の前に着いた。外見だけで、豪華で地位の高い者が住んでいるのが伺える。


 その傍にはジェイソンを含む三人が待っていた。


「よく来たね」


 ジェイソンが気さくに声をかけてくれる。


「……ありがとう、今まで」


 セノウはそれだけ伝える。

 ドッズから話を聞き、改めて礼を言いたいと思っていた。


 家族とセノウの間で板挟みになっていただろうに、それでも数年間、辛抱強く付き合ってくれた。許嫁も無効になったのに、崩壊してしまった家族の仲を、どうにか取り持とうとしてくれた。いざこざはあったものの、それでも、昔から優しく見守ってくれた大事な存在の一人だ。今は感謝しかない。


 するとジェイソンはあっさりと言いのけた。


「何の話かな。私は自分のすべき事をしただけだよ」


 セノウは目をぱちくりさせるが、相手はふっと笑う。そして「さ、入ろう」と言って、屋敷に入るように促した。話題を後にしたのは、今ここで話すような事ではないからだろう。話すなら全てが終わってから、だ。こんな時だからこそ遠慮してくれているのだと分かり、セノウは前を向いて進む。


 今自分がしないといけないのは、目の前の事に違いないのだから。




「ようこそおいでくださいました」


 無機質な声でそう言ったのは、使用人の中でも長く仕えてくれている女性だった。短かったこげ茶の髪は今では長くなり、丁寧に結っている。あの頃はまだ少女と呼べる年齢だったが、今では女性らしくなっていた。ただ丁寧口調で淡々と話すその姿は、昔と変わっていない。


 表情にあまり出さないタイプではあるが、それでも真面目で忠誠心の強い子だった。よくセシリアと一緒にお世話をしてくれたものだ。セノウは今でも仕えてくれているのだという喜びと、何とも言えない気持ちに押しつぶされそうになった。


「ロザリーさんが出迎えて下さるなんて、珍しいですね」


 ジェイソンはその使用人を見てにっこり笑う。


 いつもは違う使用人が迎えてくれるという事だろうか。ジェイソンは誰よりもこの屋敷の出入りが多い。彼が言うくらいなのだから、きっとそうなのだろう。そんな事を思っていると、ロザリーは淡々と答える。


「今日はたまたまです。こちらへどうぞ」


 そして屋敷の中を案内された。


 壁も装飾がされており、珍しい柄をしていた。絵画も飾られ、床も絨毯のようにふかふかだ。シィーラはそれを見つつ、感心しながら辺りを見渡していた。物珍しいものがあるとそれに夢中になる性格は、この場でもどうやら発揮されるようだ。そのまま進んでいるうちに、分かれ道が出てきた。屋敷の中は広く、まるで迷路のように廊下や道が入り組んでいる。


 ロザリーは振り返りながら説明してきた。


「一度、皆様それぞれに案内したい部屋がございます。シィーラ様とギルファイ様は左へ。セノウ様とドッズ様は右にお進みください。ジェイソン様達は私について来て下さい」


 そう言われ、皆が顔を合わせる。

 頷き合い、言われるままに散り散りになった。


 シィーラ達が左、セノウ達が右に行ったのを確認した後、ロザリーは廊下に飾ってあった一枚の絵画の傍に寄った。そしてそっと絵画を外し、そこに隠されていたボタンのようなものを押す。すると急に壁がゆっくりと移動し、入り口のようなものが出現した。


「こちらへ」


 口で説明するよりもまず中に入れという事か。


 緊張した面持ちでおそるおそる入るパーシーとレイが入る。だがジェイソンは、少しだけ足を止めた。なぜ付き添いで来た人間を、このような場所に案内するのだろう、と。


「わぁああっ!!」


 先に入ったパーシーの叫び声が聞こえ、ジェイソンははっとする。そして慌てて中に入れば、壁でできた入り口が閉まった。そして入った先には、縄のようなもので吊るされ、上に引っ張りあげられている二人の姿がある。そしてよく見れば、床一面にトラップのようなものが散らばっていた。


「ちょっ、魔法使っても解けないんだけど!」


 パーシーがじたばたしながら文句を言う。

 レイも同じようにしているが、苦しい表情だ。同じように解けないのだろう。


「待ってろ、今俺が……。!?」


 急に足元にあったトラップが光に包まれて消えていく。

 その先を見れば、いつの間にか移動したのか、ロザリーの姿があった。入った瞬間暗かった部屋も、今では煌々と明かりがついている。そしてジェイソンを睨んでいた。


「さすが、ジェイソン様は見苦しい姿にはならなかったのですね」


 思わず苦笑してしまう。


「随分手厚い歓迎のようだ」

「招待もしていない人間は、この屋敷に必要ありませんから」


 ロザリーは表情を変えなかった。


「……なるほど」


 元々招待もされていない自分含めて三人、そしてギルファイに対して何もお咎めなく中に入れた時点でおかしいと思った。しかも名指しで場所を移動させた事も。二人ずつ分けさせたのも、何かしら意図があるのだろうか。


「では使用人が一切いないのも、何か関係があるんですか?」

「なぜそう思うのですか」

「気配や魔力を感じない」

「使用人は魔法が使えても微々たるものです。それでもお分かりになるのですか」


 確かにステンマ家のような魔術師一家、そして魔力が豊富な人の方が特定しやすい。それにただの使用人の中には、魔法が使えない人もいたりする。その場合はなかなか場所や気配を特定できないものだ。何せこの屋敷はかなりの広さを誇っている。近くにいないだけかもしれない。だからロザリーの言い分は最もだった。


 が、そうも言えない理由がジェイソンにはあった。


「香水」

「……香水?」


 ロザリーは眉を寄せて聞き返す。


「そうです。以前使用人全員に香水を贈りましたよね」

「え、ちょっと待ってよジェイソン。いつの間にそんな事してんの」


 途中でパーシーの鋭いツッコミが入る。

 が、それはとりあえず無言でいた。


 昔から屋敷には遊びに来ていたので、その場の雰囲気やセノウの事情などは知っている方だった。そして屋敷の中を知るには、そこで働く使用人達に聞くのが一番である。セノウの家族のみならず、使用人達とも仲が良かったため、色々情報をもらったり、逆に贈り物をしていたのだ。


 セノウがいなくなってからは色々あったようだが、それでも交流は持たせてもらった。そして屋敷で過ごすうち、セノウの家族の様子がおかしいと感じる時が出てきた。その時は許嫁だった・・・立場なので、そこまで深く聞けるほどの関係ではなかった。


「……確かに、香水を作っている友人から大量にもらったから、とおっしゃっていましたね。ご丁寧に男性用も用意して下さって」

「社交の場では男性も軽くつけるのがステータスですから。でも皆さん喜んでいたでしょう?」

「ええ。屋敷の中がとてもいい香りに包まれていました」


 ジェイソンは老若男女問わず全員に贈った。

 しかも一人ひとりに合ったものを。わざわざ好みを聞き出し、独自に選んだのだ。そのかいあってか、ほぼ全員が喜んでくれた。ただ一人を除いては。


「誰にどの香水を贈ったのかも覚えています。でも、ロザリーさんだけは一度もつけてくれませんでしたね」

「元々香水は苦手なのです。それに、」

「それに?」

「……いえ。そんな事より話を逸らさないで下さい」

「使用人の方々はほとんど香水をつけてくれました。私がわざわざそうお願いしたからかもしれないですが。私が喜ぶ姿を見て、毎日つけてくれた人もいましたね」

「それが何ですか」


 一向に香水の話が終わらない事に、うんざりした様子だった。


だから・・・、ですよ。今日は屋敷の中で香水の香りが全くしない。あの香水は匂いが強いものです。少し歩いただけでも空間で匂いが残る。それなのに今日は全くない。無臭なんです」

「…………」

「だから香水を一切つけないロザリーさんだけがいるのかなと。でも不思議なんです。今日はセノウを迎えての話し合いのはず。それなのにどうしてロザリーさんだけなんでしょう」


 もし向かい入れるならばそれなりに準備があるはずだ。


 食事や部屋の準備、話し合いのための書記も必要だろう。魔術師である親戚も含めての話し合いのはずであり、兄妹三人だけで決められるほど簡単な問題じゃない。それなのに人がいる様子がない。周りのサポートも必要なはずだ。使用人、そして他の魔術師がいない事もおかしい。


「さて、教えてください。どうして使用人がいないのですか」


 だがロザリーは真っ直ぐ目を合わせてくる。

 全く動じていなかった。


「……そこまで分かっているなら、その後の事も理解できるのでは?」


 これには思わず笑ってしまう。


「なるほど、確かにそうですね。じゃあもう一つ」


 そう言ってジェイソンは魔法を使った。


「!」


 いつの間にかロザリーの目の前に来る。

 瞬間移動で近い距離の中、問いかけた。

 

「どうしてあなたは私に対してそこまで敵対心を向けるのですか?」

「……なにを」

「昔はそこまででもなかったのに、今のあなたは明らかに私に対して敵意を持っている。なぜなのか知りたいのです。なぜですか?」


 するとここでようやくロザリーの顔が歪んだ。

 そして腰につけていたのか、小型ナイフを動かす。


 それを避けながら、再度問いかけた。


「言ってください。あなたはまるでただ命令を聞くだけの人形のようだ。ここではそんな事をしなくても」

「うるさいっ!」


 相手は叫んだ。

 これにジェイソンは黙る。


 ロザリーは恐ろしい形相で睨んだ。


「あなたのような人は大嫌いです。セノウ様が辛い目に遭っても、それを追おうとしなかった」

「セノウを支えるのは俺じゃなかった。追う必要があったら他国であろうと追ってました。それでもあいつの傍にいるのは俺じゃなくて別の人間だったんです」

「何食わぬ顔でこの屋敷に戻ってきて、使用人の皆を騙した」

「騙した事については謝ります。でもそうでもしないとセノウはここに戻れないと思った」

「……」


 ロザリーは昔からこの屋敷に仕えている事もあって、セノウの気持ちも、セノウの家族の気持ちも、きっと一番近い距離で感じていたはずだ。そして、少しでも自分にできる事があればと思い、今日まで仕え続けてきた。だからこそ、自分のような何か企んでいる人物が気に食わなかったのだろう。


「他にまだ言いたい事があればどうぞ」

「……あなたの」

「はい」

「あなたの、八方美人なところも嫌いなんです!」

「はぁ」


 思わずそう返せば、きっと眉を上げられた。


「ご自分で自覚がないようですけど、あなたに優しくされて勘違いをする使用人も出てきました。優しいのは自分だからと、何人も何人もそう私に言ってくるんです。同じような話を毎日毎日本当にうんざりっ!」

「…………」


 いつの間にそんな話になっていたのか。

 確かに少しでも親密な関係になっていた方が、より情報をもらえる。そのために近づいたようなものだが、自分の事まで噂されているとは思わなかった。そしてロザリーがその被害に遭っていたという事も。


 ロザリーは険しい顔をしていたが、しばらくしてから息を吐く。


「でも私は、セノウ様のために動いていらっしゃるんだと、信じていました。……それなのに、他の男にセノウ様が連れ去られて、それを別に悔しいとも思わないなんて」

「……」


 一応許嫁の立場であったからこそ、きっとセノウを助けてくれると信じてくれたのかもしれない。もちろん最初はそのつもりだった。でもその相手は自分じゃないと分かり、気持ちにけじめがついた。自分からすればあの少女の事を、異性というよりも手のかかる妹のように思っていたから。


「今日までセノウ様のために動いて下さったのは感謝しています。けど、今度はご自分の幸せを考えて下さい。おそらく今日で全て決着がつく……それが良い方向に行くのか、それとも悪い方向に行くのか、私には祈る事しかできませんが。もうジェイソン様も、ご自分の事を考えていいと思います」


 真摯な眼差しでそう言われる。

 どうやら自分の事も心配してくれたようだ。


「ついでに、これ以上親密な関係になるような態度を取るのも止めてあげて下さい。勘違いしてしまう使用人達が可哀想ですし見てられません。もうこれ以上あなたの話を聞くのもうんざりです」


 これには思わず吹き出してしまう。


「もしかして、それが本音ですか?」

「ええ。ずっと言いたかったんです」


 やっとすっきりしたような顔になる。

 どこか満足げに見えた。


 それを見て笑いが止まらない。

 そしてジェイソンも和やかな笑みのまま、質問した。


「じゃあどうして贈った香水を、毎日持ち歩いているんですか?」

「っ!」


 エプロンの片方のポケットが小さく膨らんでいる事に気付いたのは、香水を皆に贈ってからだ。いつも中に入れないのに、最近ずっとだなと思っていると、ロザリーと仲の良い使用人が教えてくれた。一応もらいものだから、気にしているのだと。


 ロザリーは少し焦ったような顔をした。


「これは、いつか使う時があるかと思って」

「仕事中にそこまであなたは頭が回らないでしょう。いつも持ち帰っては使わなかった事を悔やんでいたりしてるのでは?」

「! なんでそんな事」

「あれ、図星でした?」


 やぶ蛇だったのか、ロザリーは思いっきり叩いてきた。


 けっこうな痛みだったが、まぁ可愛らしいものだ。

 ジェイソンは手を差し出す。


「貸してください」

「?」


 首を傾げながらも差し出せば、箱に入ったままだ。

 なるほど、だからより膨らんで見えたのか。


 箱を開けて出てきたのは、薄い緑色をした小瓶だ。

 それを取り出し、おもむろにロザリーの首元に振りかける。


「わっ。ちょっと、ちゃんと断ってからにしてください!」

「あ、すみません」


 あっさり謝るが、全然心がこもってない言い方だった。

 なのでまたロザリーは怒る。


 だがしばらくしてから、木の葉のような香りがしてきた。


「爽やかな香りでしょう?」

「驚きました。もっと濃い香りかと……」

「一人ひとりに合わせたものにしましたから。ロザリーさんは花の香水は気に入ってくれないと思いましたからね、柄じゃないと言って」

「それは……もっと可愛らしい子につけてほしいですから」

「そう言うと思って、この香りにしたんです」


 ロザリーは目を丸くした。


 さすがというか、そんな事まで分かるのか。好みの話までした事はなかったのに、もしかしたら他の使用人に聞いたのかもしれない。さすが人の心を取り込むのが上手い人だ。だからこそこちらからすれば、そういうところを好ましく思わないのだが。ロザリーはひとまず礼だけは言うようにした。


「ありがとうございます」

「いいえ。それと訂正しておきますが、私だって誰にでも手を出しているわけじゃないですよ」

「口ではどうとでも言えますよね」

「手厳しいですね」


 ははっ、と軽く笑われる。


「でも俺、本気ですよ」


 急にジェイソンの顔が真顔になった。

 声色もさっきと変わり、思わず後ずさりをする。


「セノウ様とシィーラ様は、それぞれ別の方とお会いするようになっています。ですから、ジェイソン様達はもうお帰り下さい。大体ただの付き添いで来ただけなんですから……っ!」


 急に腕を引かれ、バランスを崩して倒れそうになる。

 だがそれをジェイソンが上手く立て直してくれた。そのまま離してくれると思いきや、がっちりと腕を掴んだままだ。しかも男性なので、力が強くて抵抗してもほぼ無意味だった。


「時間があるなら色々とお話ししましょう」


 あまりに飄々とそんな事を言ってきた。


「いいからまずは離して下さい」

「離したら今すぐ逃げ出すでしょう?」

「当たり前でしょう!」

「少しは人の話も聞いた方がいいですよ」

「余計なお世話です!」


 そのまま二人はぎゃあぎゃあと言い争う。

 だがそれは、傍から見れば仲が良くも見えた。







「……いや、さっさと助けてよ」


 上で見ていたパーシーが呟く。

 レイも呆れたような顔で同意していた。

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