41:ここに誓う

『やぁ。ある少女に会ってくれないかい?』


 館長にそう言われ、その時は首を傾げた。

 なぜ出会ったばかりの自分に、そんな付き添いのような事をさせるのか。しかも図書館や本の事ではなく、少女に会ってほしい、という話だ。正直何かの冗談だと思った。


『なんで俺が会わないといけないんだ?』


 今にして思えば、この頃は若い事もあって威圧的だった。

 まだ年にして二十四くらいだったのに、それよりも倍以上に歳を重ねている図書館の館長に対してよくそんな口が利けたものだ。若気の至りという奴だが、思い出しても恥ずかしい。


 だが館長は気分を害する事なく、にっこりと笑った。


『君のためにもなるからだよ』


 その一言だけだった。




 たいして詳しい説明もないままについて行けば、豪邸が目の前にあった。庭も整備されているし、綺麗な花が無数に咲き誇る。豪華でいかにも裕福な家庭だと思いつつ、その外観はどこか寂しげにも見えた。そう思ったのは、その屋敷があまりに静かすぎたからだ。


 下町の子供達は元気に走り回り、楽しそうな声を上げている。それなのにここは、声も聞こえない。それとも裕福な家庭というのはこんなものなのだろうか。


『どうぞこちらへ。お嬢様も奥方様も待っておられます』


 無機質な声で案内され、会うべき人物に対面する。

 見れば短い銀髪に、大きい菫色の瞳をした少女がいた。傍には同じ髪色と瞳の色を持つ女性がベッドに横たわっている。親子だからというのもあるだろうが、そっくりだ。


 そして少女に会って分かった。

 この子は……。







「ドッズ!」


 はっとして、声のする方へ顔を向ける。


 するといつの間にかセノウがいた。

 心配そうにこちらを見ている。


「何度呼んでも起きないから……。大丈夫?」

「あ、ああ」


 どうやらいつの間にか居眠りをしていたようだ。

 自分でも気が付かなかった。


 セノウは呆れた様子で近くのソファに腰掛ける。


「それで、話って?」


 話があったので彼女を呼んだ。

 遂に話す必要が来たと思ったからだ。


 ドッズは黙ったまま、セノウの前に座る。

 散々話すのをためらい、ここまで引き延ばしてきた。だが今はこんなにも落ち着いている。人は追い込まれると、逆に落ち着けるのかもしれない。


 目の前に淡い赤色の封筒を置き、単刀直入に伝える。


「招待状だ」

「……誰から?」

「お前の兄妹からだ」


 すぐに顔色が変わる。そして眉を寄せた。

 セノウが何か言う前に、ドッズが口を開く。


「アーロン氏が危篤状態らしい。だから新しい当主を決めないといけない」

「待ってよ」


 強い口調でセノウが先を止めた。


「私はもう家を出た。だから当主争いには関係ないはず」

「馬鹿言うな。血はつながってるし、お前は兄妹の中でも一番魔力が強い。それはステンマ家の親戚、その他関わりのある魔術師も知ってるはずだ。棄権する事は許されない」


 すると相手は机に両手をついて立ち上がる。

 ドンッと鈍い音が部屋中に響いた。


「そんなの私には関係ない。あの人達が欲しいのは私じゃなくて私の魔力よ。当主争いに参加したからって何になるの? 私に何のメリットがあるの? 私が当主になっても周りが私の魔力をいいように使うだけ。当主にならなかったらならなかったで、役立たずだと言われるだけよ」

「……珍しく高ぶってるな」

「っ!」


 はっとしたようにセノウは冷静を取り戻し、ゆっくりと座り直る。下を向いていたが、その顔はどこか苦しげだった。怒りも憎しみもあるだろう。でもその中には、悲しみもあるだろう。いくつもの感情が入り混じっている表情だ。


 それでも彼女は、「怒り」の感情を滅多に見せなかった。

 いや、フォルトニアで出会った時はすでに心が空っぽだった。だからこそ感情も出なかったのだろう。


 逆にこの国に来てからは、意識して見せないようにしていた。新しくできた自分の居場所を、とても気に入っていたようだから。だからこそ、感情に振り回されてその場所を壊したくなかったのだ。


 でも、それでもこいつは。


「お前、本当はちゃんと話したいんだろ」


 ゆっくりと顔を上げる。

 その表情は、訝し気な様子だった。


「どういう意味」

「家族と。本当はちゃんと話し合いたいんだろ」

「誰があんな、」

「家族の縁はすぐに切れない。それはお前も分かってるはずだ」

「……」

「お前は昔から母親以外に愛されなかった。父親や兄妹には愛されないと、諦めていた。でももうお前は子供じゃない」

「……」

「腹を割って話せるいい機会だ。それにもしお前が当主になったら、お前が全て主導権を握れる。お前が全部決める事ができるんだ。だから」


 セノウは黙ったままだった。

 深く頭を下にし、表情さえ見えない。


 それでも、待つつもりだった。


 どんなに時間がかかろうとも、自分で決めてほしいと思った。セノウはきっと分かってないのだ。どうして母親以外にあんなに疎まれていたのか。どうして些細な理由で愛してもらえないのか、と。


 だからこれは、直接相手に聞けるいい機会なのだ。


「……は、」

「なんだ」


 急に言われた言葉が聞き取れなくて、聞き返す。

 すると、こんな事を言われた。


「ドッズは、どうして私にそこまでしてくれるの?」


 今度はこちらが目を見開く番だ。

 まさかそんな事を聞かれるとは思わなかった。


 驚きで一瞬言葉を失う。

 だがその間にも、セノウは続けた。


「フォルトニアで助けてくれた事は感謝してる。でももう、ドッズが私の世話を焼く必要なんかない。それなのに、どうして? どうして私に尽くしてくれるの?」

「それはお前、」


 大事に思ってる存在を思う事は当たり前だろう、と言いたくなった。が、それを伝えるのはどこか語弊を生みそうで危うい。しかもそんな事を聞かれるなんてこれっぽっちも思ってなかったので、どうやって切り抜けようか頭を動かすが、なかなか言葉が見つからない。


 すると焦っているのが伝わったのか、セノウの顔色は少し曇った。


「別に、無理して言わなくていいよ」


 そうしてそのまま立ち上がって部屋から出ようとする。

 ドッズは慌てて手首を掴んだ。


「ちょ、ちょっと待てセノウ」

「いいから、ドッズが私と契約したせいで困ってるのも分かってるから……! だからもうこれ以上は、」

「は、困る? お前何言ってんだ?」


 訳の分からない事を言われ、声色が変わる。

 するとぽかんとしたドッズを見て、セノウは眉を寄せた。


「なにその言い方。こっちはどれだけ必死に契約を解除してもらえるか考えてたのに」


 これにはドッズも眉を寄せた。


「契約解除だと? お前、そんな事しようとしてたのか。おかしいと思ったんだ、館長の書庫によく行くと思えば、アッシュのとこに行ってたんだな!?」

「ちょっ、何でドッズが怒るの!? 私は」

「馬鹿かお前は! 一度契約したのを解除できるわけないだろっ! むしろそんな危ない事をアッシュなんかに頼んでみろ、別の要求されてもっと危ない目に遭うかもしれないだぞ! 特に本の住人の中でもアッシュが一番厄介な奴なんだから、例えお前でも……ってなんでお前笑ってるんだ」


 ドッズが熱弁して話しているというのに、セノウはなぜか顔を背けて小さく笑っていた。よほどおかしかったのか、目元に小さく涙まで溜めている。今の話でどこかおかしいのだろうかとドッズは疑問に感じたが、セノウはひとしきり笑った後、教えてくれた。


「だ、だってドッズ。私の事叱ってるのに最終的に私の心配してくれてるんだもん」


 それを言われては敵わない。


 確かに最初は怒っていたが、最終的には心配になってくる。

 本の住人は賢く、そして互いの利益を考えた上で願いを叶えてくれるものだ。だが、こちらの願いが複雑だと、それだけより複雑な要求をされる。それこそ危険な場合もある。


 特に館長の書庫を守るアッシュの存在は大きい。


 館長とは古くからの付き合いなのでそれだけ絆もあるようだが、どうにも食えないとドッズは思っている。館長が「優秀な助手」とまで言う相手だ。それだけ図書館の事も、図書館内部の事も熟知している。子供の外見であるのに、何もかも知っているような顔をするのがちょっと苦手なのだ。


 セノウは素直なので、アッシュもセノウを気に入っている。

 だから余計心配した。


 あまりに笑われ、少しだけ気恥ずかしくなる。

 視線を逸らしながら答えた。


「別に、お前は特に付け込まれやすいと思っただけだ」


 セノウは小さく笑った後、穏やかな顔をする。


「大丈夫だよ。アッシュにも無理ってはっきり言われたから。それに、特別な方法はあるって言ったけど、それも……どっちかが死ぬ事になるって事だったし」


 ドッズは思わず掴んでいた手に力を込めた。

 するとまた相手は笑う。


「だから、大丈夫だって。どっちかが死ぬなら意味はないから」

「……本当か。また勝手に、何か考えてるんじゃないだろうな」

「考えてるのはドッズの方じゃないの?」


 セノウが真面目なトーンになる。

 思わずはっとさせられた。


「ジェイソンの事、悪く言わなくなっておかしいと思った。二人で話してる時もけっこうあったでしょ。どういう心境の変化?」

「……あいつは、ただお前のために」

「うん、ドッズがそう言うならそうなんだろうね」


 あまりにあっさりと納得してくれた。

 少し拍子抜けしそうになるが、セノウは微笑む。


「ドッズは人を見る目があるから。それにシーちゃんも助けてくれたみたいだし。だから、何か理由があって私に突っかかってきたんだなって」


 あんなに喧嘩ばかりしていた相手だったのに、それだけで信じてくれるのか。仲間である自分を信じてくれている証拠だが、素直に嬉しく感じた。


「私ね、ずっと迷惑だと思ってたの」


 思わず凝視してしまう。

 自分の事かと思い、どきっとした。


「ドッズに、迷惑かけてるなって」


 何だそっちか、と今度は呆れた。


「だから、何でそんな風に」

「分かってる」


 セノウは一度、言葉を止めた。


「分かってるよ。迷惑とか、ドッズは思ってないって。……でもね、私はずっと思ってたの。契約は、一生を共にするのと同じ事。それってさ、その人の人生を奪ってる事にもなるなって。私は今後も命を狙われる可能性がある。だから私のせいでドッズがこの先、司書として仕事ができなかったら」

「セノウ」


 思わず自分から身体を寄せた。

 そしてゆっくり包んだ。


 拒否されるかと思ったが、意外にも相手は大人しくなる。胸に温かいものを感じながら、ドッズはしばらくそのままでいた。相手が落ち着くのを感じながら、ドッズも自分の考えを告げた。


「俺も一緒だ」

「……え」

「俺も、お前にとって迷惑な存在だろうと思ってた。だから実は、契約を解除するその特別な方法っていうのをやろうかと思ったりした」

「なにそれ、ドッズも人の事言えないじゃない……!」


 怒ってじたばたする相手を、苦笑しながらなだめる。


「でも、俺も心のどこかでは不安があったんだろうな。あの時そうするしかなかったとはいえ、セノウも、全部受け入れたわけじゃない、って言ってただろ?」

「あ、あれは、思わず言っちゃっただけで」

「でも少なからずその思いはあったわけだ」

「……ごめんなさい」

「謝るなよ。お前が悪いわけじゃない」

「……でも、ドッズを傷つけた」


 顔を隠すようにして俯いていた。

 そういうところは素直で可愛らしいものだ。


「そんなのお互い様だろ」

「…………」

「でもよかった」

「?」


 ちらっとだけこちらを見てくる。

 ドッズは目線を合わせた。


「これでやっと俺達も和解できたわけだ」

「……え」

「だってそうだろ。お互い相手に迷惑をかけてると思ってた。でも実際はそうじゃなかった。勘違いしてただけなんだよ」


 セノウは、自分の立場のせいで迷惑をかけたと思っていた。そしてドッズはドッズで、そうするしかなかった契約を、少なからず悪い事のように思っていた。それはきっと、今日まで触れずに過ごしてきたのもあるだろう。あまり思い出したくない出来事だったし、こうして面と向き合って話す事もなかった。


 でも、前を向かないといけない。

 いつまでも目を逸らすべきじゃない。


 ドッズは抱きしめる力を少し強めた。


「俺も招待されてる。だから一緒だ」

「ドッズも?」

「ああ。差出人はお前の兄貴だった。妹を連れ去った男だからな、恨まれもするさ」


 ご丁寧に兄であろう達筆の字だった。

 しかも余計な追伸付きだ。


「ねぇドッズ」

「うん?」

「私の事どう思ってる?」

「…………は?」


 反射で手を緩める。

 だがセノウは両腕を掴んで離さなかった。


「教えて」

「……おま、なんで急にそんな事」

「急じゃないよ。ずっと前から聞きたかったの」

「今の流れでそれ聞くか?」

「今の流れだから聞くんじゃない。しらばっくれないで教えてよ」


 だがドッズは完全に固まってしまった。


 セノウは、分かりやすく不服そうな顔になる。

 だがすぐに、相手の目を真っ直ぐ見てこう言った。


「私はドッズの事、好き」

「それは、」

「助けてもらったからとか憧れでもなくて、」


 きっぱりとドッズが言いそうな事を先に封じる。

 すると案の定、相手は何も言えない。


 セノウは微笑んだ。


「まぁそれもあるかもだけど、それ以上に想ってる気持ちの方が強いの」

「…………」

「ドッズは、どう思ってますか」

「…………」

「ちょっと」

「……そんな恥ずかしい事言えるか」


 顔を背けて呟く。


 それを聞いて、逆にセノウの方が顔を赤くする。

 意を決して告白したというのに、何て言い草だろうか。


「わ、私はちゃんと言葉にしたんだよ!? なのに」


 すると言葉は塞がれた。


 あまりに一瞬の出来事で、今度はセノウが固まる。

 だがドッズは、どこか吹っ切れたような顔になった。


「…………」

「……何か言えよ」


 しばらく無言が続き、居心地が悪くなったのかそう言ってきた。だがセノウからすれば、いきなり過ぎる。どう反応すればいいか分からなかった。とりあえず口に手を持っていくが、ここで勢いのままに拭ってしまうのはどうかと思い、ためらった。


「ロ、ロマンもあったもんじゃないね」

「第一声がそれか」

「だって、だってこういうのって、もっと大事にするものじゃない?」


 するとドッズは眉を寄せる。


「お前本の読みすぎだろ。実際はそんな甘くねぇよ」

「それはまぁ、相手がドッズの時点で諦めてたけど」

「おい」

「冗談だけどっ」


 でも、それでも、最初のキスというのはもっと大事に行うものじゃないだろうか。結婚式でするような、もっと、二人の愛がしっかり合わさった上で行うものじゃないかと、期待していた。だが実際はこれだ。


 地味に落ち込んだセノウに、ドッズは溜息をつく。


「大体な、何も解決してない上でそんな事できるかよ。これからあの家に行くのに」

「……でもドッズしたじゃない、今」

「それは……その」

「いいよ、もう」


 完全に捻くれたセノウは聞く耳を持たない。

 するとドッズはしばし迷った後、セノウに顔を近づけた。


「……じゃあ、よく聞いとけ」

「え?」


 ドッズが耳に口元を持っていく。

 そっと呟いた。


「              」


 セノウは目を丸くする。


 ドッズは気恥ずかしいのか、しきりに唇を噛んでいる。

 それを見てセノウは愛おしくなった。思わず微笑む。


 そして二人はそっと顔を引き寄せた。

 互いに目を閉じ、ゆっくり唇が合わさる。


 まるでこれからも共にいると、誓うように。

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