40:過去を得ての現在がある
「……あの」
シィーラは思わず声をかけた。
すると目の前に座る相手は、小豆色の瞳を開ける。
その瞳は、何を見ているのだろう。
セノウと話した次の日。
今日にでも話をすると決めた彼女の勇姿を見届けようとしていた時に、イザベラがやってきた。それも急に。シィーラは慌てて客人を迎える応接室に通したのだが、彼女は一向にここに来た目的を話さない。お互いに座った後、ずっと沈黙が続いている。そして今に至る。
さすがに沈黙に耐え切れず声をかけたのだが、ようやく相手は目を開けた。座った後すぐに目を閉じていたのだが、まるで祈っているかのような姿だった。
イザベラは意地悪そうな顔をして微笑む。
「お前さんもせっかちなもんだね。少しくらい待っててくれてもいいんじゃないかい?」
「……いや、けっこう待ちましたけど」
するとあっけらかんと笑われる。
「それもそうだね。じゃあ今日来た目的を手短に伝えようか。まずは課題だ」
「課題ですか? でもまだ完成してませんけど」
ジェイソンに渡された何も書かれていない本。
気になる人を観察し、自分だけの本を作れという課題だった。
「いいよ。途中経過が知りたいからね」
そう言われ、シィーラは最近持ち歩くようになった小ぶりの鞄から、本を取り出して渡した。いつもは鞄など邪魔になるので持ち歩いたりはしないのだが、観察するために本は持っておくに限ると思い、最近持ち歩き出したのだ。本は分厚いので地味に重かったりするが、少しは慣れた。
イザベラは受け取りながらゆっくりページをめくる。
見れば丁寧な字がずらっと並んでいた。
「さすが、きちんと書いてるものだね」
「そうですかね」
だがずらっと並んでいたのは最初だけのようだ。
「最近は箇条書きばかりかい?」
「観察しながらなので……なかなか。後でまとめようかとも思ってたんですけど、大変で」
最初は文章で書くようにしていたが、最近ではめっきり詳しく書かなくなった。例えば性格なら、「周りの意見で言うと最初は取っ付きにくく見えるが、分かりやすいところがあるとの事。またはっきりと言葉にするより態度や表情で出す事が多い」という感じで書いていたのだ。
だが文章にするとそれだけ書かないといけない分量も増えるため、観察しながらだと上手く書けない事に気付いた。なので、気付いた事はその場で簡単に書く事にしたのだ。
「二人で出かけたりしたみたいだね。『前より優しくなった』、から矢印で『元々こういう人か、それとも人によってその優しさの表現は変わるのか?』って書く辺りがさすがだね」
「え、でも気になりませんか?」
「ここまで考える辺りがシィーラらしいよ。優しくなったならそれでいいじゃないのかい?」
「でももっと考えを知りたくて」
「なるほど。極限まで調べたいってわけか。やっぱり性格出るねぇ」
面白げに笑われ、シィーラは少し言葉に詰まった。
自分はあまり限界を決めたくない。ここで終わりだ、なんてせずに、きっとどこまでもとことん調べれば無限の可能性を秘めていると信じている。それを周りは「完璧主義だ」なんて言うが。自分からすればただ極めたいだけだ。それでも周りからすればそれが「完璧主義」と言うらしい。自分ではなかなか分からないものだ。
「まぁやり方や考えは人それぞれだし、性格によって個人差が出るなと思っただけだよ。ただ、」
「……ただ?」
「お前さんは心理学者にでもなるつもりかい、って聞きたくなったがね」
頭の上に石を落とされたような気持ちになる。
地味にショックを受けた。
「でもね」
ここでフォローが入る。
「観察して、新たな発見があって、嬉しく感じてるんだろう? 知りたいと思った相手を知る事に、素直に喜びを感じている。私にはそれが見えるよ」
「…………」
元々課題という事で観察していたが、それでもギルファイの事が知れるのは確かに嬉しい。最近特に仲良くなれているようにも感じる。少しでも仕事で役に立つと、小さく笑ってくれるようになった。もっと役に立てる部下として頑張りたいし、モチベーションにもつながっている。
イザベラは口元を緩ませる。
「元々観察力も探求心もあるから課題も生かされてる。良い事だね」
そう言って本を返してくれた。
受け取りながら、そっと表紙に触れる。
ほんの少しだが、自分の手に馴染んできた気がした。
「――さて、これならもう一つの目的も話せるね」
「え」
イザベラが来たのはこの課題のためだと思っていた。
だが、他にもあるというのか。「これなら」の意味も気になった。
すると相手は打って変わって、真面目な表情をする。
そして一通の招待状を机の上に出した。淡い赤色の封筒は、少し不気味にも見える。
「これは」
「シィーラ宛だよ。見てみな」
そっと手に取る。
おそるおそる裏を見れば、差出人の名前はない。
封筒から招待状を取り出し、ゆっくり開ける。すると一文だけ、こう書かれていた。
『シィーラさん。ステンマ家の屋敷にご招待致します』
「……ステンマ家って」
どこかで聞いた事がある名前だった。
思い出そうと頭を捻りながら見れば、下にも何か書かれている。
『あなたの魔法が開花する時が来ました』
シィーラは目を見開く。
『私もこの目で見る事を、楽しみにしていますよ』
思わず招待状を放った。
いつの間にか呼吸も上がっている。
それは驚きからなのか、恐怖からなのか、分からない。
ただ、ぞっとしたのは確かだ。
「なんですか、これ」
思わずイザベラを見つめる。
相手は表情を崩さずにこう言った。
「セノウの家族からさ」
言われて思い出す。
確かにセノウと同じ名字だ。
だが、なぜこのような招待状を送る必要があったのだろうか。
シィーラはセノウの家族と会った事もないし接点もない。それに、追伸のように書かれたメッセージが……どことなく不気味だった。まるで、シィーラの事をよく知っているような。
「招待状は全部で三つだ。セノウ、ドッズ、シィーラの三人に宛てられている」
「……セノウさんとドッズさんって」
まさかこの招待は、過去に関係ある話なのだろうか。
「正式に言えばこの招待状を出したのはセノウの兄妹だ。あの子は有名な魔術師一家。父親が危篤状態で新しい当主を決めないといけない。血のつながったセノウにもその権利はある。その当主を決めるために、屋敷に招待するという話だ。招待と言っても、セノウの実家だけどね。皮肉なものだよ」
そんな理由があったのか。
なんとなくだが、あまり穏便に進む感じがしない。
ドッズも呼んでいる時点で、何かが起こりそうだ。
「でも、どうして私も招待されたんでしょうか」
「それはよく分からない。でも文面を見れば、シィーラが複数の魔法書を扱う事ができるのを知っているようだ。前に流れていた噂も、今ではすっかり止んでいる。それと何か関係がありそうだけど……」
「私も、狙われてるって事でしょうか」
フォルトニアに行った時、危ない目に遭った。
今でもその恐ろしさは身に覚えがある。無意識か、少しだけ身震いした。
するとイザベラは微妙な顔になる。
「最初は私もそう思ったさ。でももしそうだったとしても、わざわざ招待するかね。ステンマ家の力をすれば、他のやり方はいくらでもある。だから妙だね。文面には、『魔法が開花する時が来た』と書いていた。これじゃあその魔法を使ってほしいと言わんばかりだ」
シィーラは思わず黙ってしまう。
一体セノウの兄妹の目的は何なのだろうか。
「それで、だ」
急に声色が変わり、シィーラは目線を合わせた。
「それを解明するためにも、シィーラにはステンマ家の屋敷に行ってほしい」
「分かりました」
きっぱり答えれば、意外そうな顔をされる。
「なんだ、迷いはないのかい?」
「謎を謎のままにするのは嫌なんです。それに、私の魔法が役立つなら、使いたいです。大事な仲間であるセノウさんのためにも」
分からない事をそのまま放置するなんて、シィーラには無理な話だ。それにフォルトニアで噂が広まり、シィーラが探されていたところを見れば、ステンマ家に行けばその理由も分かると思った。
最初はこんな能力が何の役に立つのかと嘆きそうになったが、それでも、役に立つなら使いたい。何よりセノウは大事な先輩であり、仲間だ。いつも助けてもらっている。助けたいと思うのは当たり前だった。
するとふっと笑われた。
「いかにもシィーラらしいね。分かった。じゃあ付き添いにギルファイを連れていきなさい」
「え、でもギルファイさんは招待されてないんじゃ」
「付き添いはいくらでも大丈夫なようだよ。うちの司書三人も連れていくつもりだ。もちろん、人数が増えたところでどうかなる相手でもないけどね」
確かに有名な魔術師一家ならば、ただの
すると相手は思い出したように「そうだ」と言い出す。
「課題の事だけど、今日でもう終わりだ。後は好きなようにしなさい」
「えっ」
「あれはお前さんの能力を上げるためにしたものさ。きっとステンマ家に行っても役に立つ」
シィーラは目を丸くした。
今後のために勉強しなさいと課題を渡されたが、もしかしてこの時のためだったのだろうか。すると感づいたシィーラに、イザベラは悪戯が成功した子供のように微笑んだ。
「書物をたくさん読ませたのは知識を増やすため。まんべんなく知識を入れるのも重要だよ。もう一つの課題は少し心理面に近いかね。相手が何を考えているのか、観察力をよりつける事で、身近な人だけでなく、初対面の相手にもその力は発揮される。まぁシィーラの場合はどちらも持ち合わせていたから、もう少し身につけた方が応用が利くと思ったのさ」
「そうだったんですか」
自分のためになるとは思っていたが、こういう意図がある事までは分からなかった。だが、こうして直々に課題を出してもらった事はとてもありがたい。この課題で身につけた事は、必ず生かしたいと思った。
そんな闘志に燃えていると、イザベラはふっと笑う。
「シィーラ」
「はい」
「他人の過去を背負う気はあるかい?」
「……え?」
「ちょっと聞きたいと思ってね。他人の過去を聞いて重荷に感じるのかどうか」
急にそんな事を言われ、少し戸惑う。
だがシィーラは、自分の考えを伝えた。
「相手によると思います。相手が私だからこそ言いたいと思ってくれるなら、それを一緒に背負いたいです。聞くだけでその負担が少しは減らせるなら、聞きたいです。でも、無理に聞きたいとは思いません」
「……なるほど。相手にゆだねるって事だね」
「はい」
過去を聞いて、確かに重荷に感じる事もあるかもしれない。
直接的に関係ないのに、どうしてそこまで知る必要があるのか、とか。知ったからといって、相手の方が何倍も深い感情に溺れる、とか。例え、話を聞いて自分も同じ感情になったとしても、相手からすればそれは同じじゃない。それでも、自分は相手を、過去を受け入れたいと思う。
イザベラは少しだけ深い息を吐く。
そしてゆっくりこう言った。
「じゃあお前さんに、セノウの過去を教えよう」
「!」
「むしろ、知った方がいいと思うんだ。これから同じ場所に行くわけだからね。知って、そして味わう感情もあるだろう。でもお前さんは、辛くなっても決して相手を見捨てたりしない。……質問をする前から分かっていたけどね。その答えを聞いて、余計に教えようと思ったよ」
「……セノウさんに、許可は」
「許可なんかないさ。だが話してはいけない義理もない。そういうものだろう?」
「……私を信頼して、話して下さるという事ですか」
「ああ」
このような場面を、前にも経験した事があった。
確か館長と話した時だ。契約について、自分のような下っ端が聞いていいのかと尋ねた。すると誠意を込めて答えてくれた。聞いた後でも迷っていた自分に、ギルファイが叱咤してくれた。あれは今思えば、もっと相手を信じろと、伝えてくれたような気がする。
シィーラは相手の目を見て、真剣に言った。
「お願いします」
過去を背負う気はある。
大事な仲間の事なら尚更だ。
するとイザベラは、静かに微笑んだ。
セノウは有名なステンマ家の次女として生まれた。
上に年の離れた兄と姉がおり、三人兄妹だ。
有名な魔術師一家となると、その強大な力を残そうと考え、子だくさんの家系が多い。だがステンマ家の当主であったローレン・ステンマ氏の妻であったセシリアは、昔から病弱な体質だった。子も多くて二人しか無理だろうと言われていたのだ。だから最初の子と二人目の子を産んだ後、身体を安静にしていた。それなのに、予期せぬ事が起きた。三人目ができたのだ。
当時の二人としても、その予定はなかった。
それなのに三人目ができ、産むか産まないかで口論になった。身体の事を考えろと言ったローレンに対し、セシリアは神からの贈り物だと、絶対に産んで育てたい、の一点張りだった。結局妻に甘いローレンは根負けし、産むことを決意。そして無事にセノウを産んだ。
……だが、セノウを産んでからセシリアは、身体の体調が悪化した。
ベッドから起き上がる事はできず、常に寝たきりの状態。それでもセリシアはいつも笑顔で子供達に接していた。セノウは兄妹の中で一番魔力を持っていた。そして外見もセシリアに似ていた。その事もあってセシリアは一番に可愛がっていたが、ローレン、そして兄妹は複雑だった。セノウのせいでセシリアの命が脅かされていると、心の中で感じていたからだ。
「セノウは昔から、母親以外に愛されていなかった」
「そんな……」
家族の仲が良くないのはなんとなく分かっていたが、ここまでだったなんて。母からの愛情があったといえど、一緒に暮らしているのだ。あからさまに愛してもらえないなんて、子供であったセノウも何かしら感じていたのではないだろうか。
「でも、セノウは母親と共にもう一つ希望をもらったんだ。それが本だったんだよ」
セシリアは無類の本好きで、いつも本を読んでいた。
それを見たセノウも興味が沸き、母と一緒に本を読むようになる。セシリアは魔法書を読むのが一番好きだったらしく、その影響もあってセノウも魔法書を一番読むようになった。そして成長するにつれ、セノウは司書になりたいと強く願うようになった。しかし、現実は甘くなかった。
「ステンマ家くらいになると、魔法をより使う職業が求められてくる。地位の問題もあるしね。それにセノウは魔力が強かった。だから司書なんてもってのほかだったんだ」
「司書だって、立派な職業なのに」
シィーラの最もな意見に、イザベラは大きく頷く。
「全くだね。地位の高い職業ばかりが偉いんじゃないってのに」
そのせいでセノウは司書になる事を一時諦めた。
父親に否定されたせいで塞ぎ込むようになり、それを見たセシリアは図書館に助けを求めるようになった。そして手紙を送ってきたのだ。当時フォルトニア王立図書館の館長であった「館長」に。
「え、ちょっと待って下さい。じゃあ館長が元々……?」
「そうさ。お前さんとこの館長は元々うちの館長だったんだよ。そしてそっちに移動するようになって、当時責任者の位置にいた私が館長になったわけだ」
「そういう事ってあるんですか?」
「上の立場になるとけっこうあるよ。なんせ実力と経験値が違うからね。特にお前さんとこの館長は図書館協会からのお墨付きだった。ま、館長は認められても、他国の司書は最初批判されていたようだがね……」
それを聞き、セノウが他の司書から白い目で見られていた、と言っていた事を思い出した。地位があればそれで守られるが、それもない下の司書からすれば、守れる方法もなかったわけか。過去の事とはいえ、やはり胸が痛い。
「それで、館長はセノウと会う事にしたんだ。父親の目が厳しくて、図書館も行けなかったようだからね。いつも給仕に本を借りさせていたようだし。そしてドッズも連れて行った」
「え、その頃からお二人は一緒だったんですか?」
「そうだよ。ドッズは図書館を転々としていたらしい。その頃からかなり経験値は高かったね。フォルトニアには勉強しに来てたらしいが、そこで館長と会ったんだ。館長が一目で気に入ってね。まだ知り合って間もないのに一緒にセノウに会いに行ったんだ」
思わず感嘆の声を上げてしまう。
ドッズが経験豊富ですごい司書なのはなんとなく知っていたが、それでもそれ以上だ。しかも館長に気に入られるなんて、どれだけその時点で司書として出来上がっていたのだろうか。仕事をしている姿を見ても素直にすごいと思ったりするが、その当時のドッズにも会ってみたかったと思ってしまう。
「イザベラ館長は、その当時のドッズさんにお会いした事あるんですか?」
「ああ、もちろん」
「どんな感じでしたか?」
するといきなり鼻で笑われた。
「ありゃくそガキだったね」
「え」
「知識だけある若造って感じさ。元々賢かったしね。その分足りないところも多かった。……だからこそ館長は、セノウに会わせたんだと思うよ」
シィーラから視線をずらし、イザベラはどこか遠くを見つめるようにそう言った。
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