39:離れるのは誰のために

 ギルファイと外出した次の日から、シィーラはギルファイと一緒に過ごす事が多くなった。仕事で元から一緒にいる事は多かったが、あの一件でさらに距離が近くなったような気がしたのだ。シィーラの方から観察のために仕事に同行する事が多く、ギルファイも気にせず許可してくれた。


 ドッズにも一応報告したが、課題なら別に構わない、と言われた。ただ、観察するだけなので、書庫の整理や手伝えるところは手伝うように、と付け足された。仕事を行いつつの観察だが、近くにいる分には仕事も一緒にできる。昼はもちろん、夜の裏の仕事に同行する事も増えていった。


 今日も一緒に館内を歩きながら、話をしている。

 笑いながら歩く二人の姿に、たまたま集まった司書達は話していた。


「なんかあの二人、仲良くなったなぁ」

「本当ですね。以前は必要な事しか話していなかったのに」


 ヨクとロンドが微笑ましそうに見つめる。


 実際上司と部下の関係になったとはいえ、二人の仲は良好とは言えなかった。ぶつかる事の方が多かったイメージがある。それなのに、今では笑顔を見せている。いい進歩だと思う。


「んー……」


 だが同じように見ていたレナは、どこか複雑そうな顔をしていた。二人はそれを見てきょとんとする。確かレナも、シィーラとギルファイの二人の関係が良好になるのを快く思っていたはずだ。それなのに、なぜそんな心配そうな顔をするのだろう。思わず声をかけた。


「どうかしました?」

「なんや、心配事でもあるんか?」


 するとレナは少し苦笑した。


「その、二人が仲良しなのは私からしたら嬉しいんですけど、そう思わない人も出てくるかなって思って……」

「「?」」


 この時の二人は意味が分からず、何も言えなかった。

 だが数日経ってから、レナの言葉は的を得る事になる。







「お呼びでしょうか」


 ある日、シィーラはアレナリアに呼び出された。


 部屋に招かれ中に入れば、なぜかアレナリアの方が困ったような顔をする。とりあえず座るように促され、椅子に座って互いに落ち着いてから、こう言われた。


「最近、ギルファイと仲良くなったみたいね」


 そう言う相手の顔は、いつものように朗らかだった。


「そう……ですか?」

「ええ。いつも一緒にいるように見えるわ」

「それは課題の事もあって、」

「それでも、心境の変化もあったんじゃないかしら。少しは仲良くなれたんじゃない? 最初の頃より」


 そう言われると、そうかもしれない。


 目に見えて仲良くなれているのかは自信はないが、それでも互いに思っている事は口に出せるまでになった。例えそれが冗談でも、相手は笑ってくれる。互いに真面目で固いところがあったが、一旦距離が近くなれば仲良くなるのが早いのかもしれない。そういう意味ではアレナリアの言葉は正しいだろう。


 思わず頷く。


「それは良かった。私達からしても、同じ仲間なのだから仲良くなってくれて嬉しいわ。……でも、気を付けないといけない事も出てきたわね」

「……気を付ける?」

「ええ。創立記念日に劇をした事もあってか、二人は前より注目されるようになったわ。特にギルファイが館内にいるとね。背は高いしあの外見だし、興味を持つ人はいくらでもいる。……そんな二人が常に一緒にいたら、周りにどう思われるかしら?」


 アレナリアの言葉は、だんだんと真面目なものになった。

 だが、問いかけられてシィーラは分かった。周りからどう見られているのかが。


「別に、そういう関係じゃありません」


 内心焦ったが、出てきた言葉は冷静なものだった。


 するとアレナリアは眉を八の字にする。

 その表情はシィーラを肯定していた。


「もちろん、私達だってそんな風に思っていないわ。でも利用者から見れば、二人の距離は近過ぎるみたいなの。同じ仲間である司書だという事は分かっていても、どうしても……そう思う人も出てくる」

「…………」


 シィーラは両拳を握った。


 実は一緒にいる時、ギルファイはドッズに呼び出されたのだ。いつもと雰囲気が違っていたため、薄々何かあるんじゃないかとは思った。おそらくギルファイも、同じ内容をドッズから聞いているのだろう。


「シィーラさん、あまり気にしないで。どうしても周りの目というのは自分達の思い通りにならないものなの。二人が悪いわけじゃないのよ」


 せめてものフォローらしき事を言われたが、シィーラは黙ったままだった。知らぬ間に、相手の迷惑になっていたのだ。それだけじゃない、利用者の不信感を買ってしまったかもしれない。それは図書館の、全体の評価にもつながる。


 仕事に慣れた事もあって、少し気が緩んでいたのかもしれない。自分の甘さに、恥ずかしさが込み上げる。以前の自分ならこんな事しなかっただろうに。気持ちや考えの変化は、良い事を生むと当時に、そうじゃない時もあるのだと、理解した。







「じゃあ、距離を置いたらいいのか」


 ギルファイは同じような事を、ドッズから聞いていた。

 特に表情もない様子で聞けば、相手は少し溜息をつく。


「それができるんならそれでいいけどな。だが、仕事上難しいだろ。シィーラの課題もあるし。とりあえず一緒になるなら利用者の目に入らない時にしてくれ」

「分かった」


 それだけ言い、ギルファイは部屋から出ようとした。

 ドッズは「待て」と声をかける。


「なんだ」

「お前、シィーラの事どう思ってるんだ?」

「仲間だ」


 即答だった。


 ドッズは片眉を上げる。

 潔いが、聞きたかったのはそこではない。


「そうじゃなくて、異性としてだ」

「なんでその話になる」

「いや、逆にいい話かもしれないと思ったんだ。これまで通り二人で一緒にいたいなら、恋人同士だと公言してもいいだろ。そうしたら利用者からも不審な目で見られない」

「嘘で利用者を騙せって言うのか。それこそ司書としての信頼を失う」

「違う。お互いに好意を持っていたら、の話だ」

「もしそうなら言われなくても公言するだろ。アレナリアやウィルのように」


 あまりにはっきり正論を言われた。

 ドッズは口ごもってしまう。


 確かに最近アレナリアも恋人がいると公言した。

 むしろあの劇で公言したようなものだが。その宣伝(?)効果は凄まじく、むしろアレナリアの人気はうなぎ登りだ。劇で結ばれる二人が実際に結ばれる、というのがまたロマンチックなのだろう。


 利用者の中にも応援する人は多く、ウィルはウィルで、今や昼間も働いてくれている。元々おすすめの本を探すのが上手いのもあるが、顔は怖くても中身は優しいと分かってくれる利用者が増えたおかげだ。当の本人は、昼も夜も仕事をするのは地味にきついとぼやきつつ、アレナリアのおかげで毎日楽しい、と言っていた。


 一応シィーラとギルファイのためを思って言ったようなものなのだが、ギルファイは直球で返してきた。それが彼らしいと言えばらしいが、ドッズからすれば二人の関係ははっきりしていないところがあると思う。


「じゃあ異性としてはどうも思ってないのか」

「しつこい」


 一言で済まされた。


 もはやここまでか、という気持ちと、この二人に限ってそこまですぐに発展はしないか、とドッズは諦める事にした。それに伝えるべき事は、伝えないといけない。


「ギルファイ」

「なんだ」

「利用者から依頼された事はなんでもしろ。老若男女問わず。愛想笑いくらいできるよな」


 すると眉を寄せられる。


 今までギルファイは裏の仕事がメインだった。

 もちろん昼間に館内で仕事をする時もあるが、利用者と関わった事はほとんどない。それはギルファイ自身が人との関わりを避けたがる傾向にあったからだ。性格も気難しいので、何かあってからじゃ遅い。そう判断して今までは放っておいた。だが今はそうもいかない。


 アレナリアの計らいで、利用者にギルファイの姿を見てもらおうと、創立記念日では劇をさせた。そうして注目されるようになった。そして最初は険悪な様子だったシィーラとも打ち解けるくらいになった。こちらから見ても、だいぶギルファイは変わったように思う。だったらこの機会を使って、利用者との関わりをもっと持ってもらおうと思ったのだ。利用者はギルファイに興味を持ってくれているし、関わる事でギルファイはギルファイできっと得るものはある。


 見つめ続けるドッズに対し、ギルファイは黙ったままだった。それでも、しばらくしてから顔を背ける。そして溜息をついた後、答えた。


「分かった」


 そしてそそくさと部屋から出て行ってしまう。

 あまりに素直で、思わず呆気に取られる。残されたドッズは苦笑した。


「ほんと、変わったもんだな」


 そう思いながら、ちらっと自分の手元にある封筒を見る。

 先日、ジェイソンが持ってきてくれたものだ。


「……俺も、変わらないとな」


 思わずそうぼやいた。







 あれからまた数日経ち、シィーラとギルファイは館内であまり顔を合わせないようになった。互いにそう言われたからというのもあるし、周りのためでもある。何より相手自身にも申し訳ない、という気持ちが強かった。


 そして、ギルファイにも変化があった。

 積極的に館内を歩き、利用者の依頼を受けるようになったのだ。最初はどこかぎこちない笑みを浮かべていたが、数回すれば慣れたのか、小さく笑う事はできるようになった。


 これにはギルファイをよく知る司書達も驚いている様子で、少し我儘なところもあると思ったが、成長していると、評価されていた。元々仕事はできるので、利用者からの評価も上々のようだ。リピーターも多く、忙しなく動いている姿もよく目にする。


 いつの間にかギルファイとシィーラの事よりも、ギルファイがいかに優秀な司書なのか、という話で持ち切りだ。自分の上司が褒められるのは素直に嬉しかった。だが、利用者からの依頼が増えた事もあってか、一緒になる数は一気に減った。もちろん、観察するのが課題なので、遠くで見る事はできるのだが、それはそれで何だか……距離が遠のいたように感じてしまった。




 お昼休み。


 今日は何だか食欲がなく、一人で食べようとしていた。

 図書館の外部にある庭に咲く花々を見ながら癒されようと思ったのだ。買ってきた焼きたてのパンを手に、ベンチに座る。すると、向こう側から「おーい!」と呼ぶ声があった。


「セノウさん」

「お昼? 私も一緒にいいかな?」

「はい、もちろん」


 シィーラは笑顔で頷いた。


 セノウも同じようにパンを買ったようで、一緒に食べる。

 美味しいものを食べると笑顔になれるというのは、本当だと思う。お互いに満足げな顔をする。


「そういや前はギルファイとよく食べてたよね。最近は一人が多くない?」


 きっと一緒にいる姿を何度も見かけたのだろう。

 苦笑しながら答える。

 

「今はお忙しそうですから、邪魔したくないと思って」

「そっか」

「はい。迷惑をかけたので……離れておこうって」

「迷惑をかけたから離れる、か。私もあったなぁ」


 空を見上げながら、懐かしそうに笑う。

 思わず見つめれば、セノウは言葉を続けた。


「私ね、知ってると思うけど前はフォルトニアに住んでたの。それをドッズが連れ出してくれて、ここの図書館で司書として働く事になったんだ。でも、魔術師だし他国の人間だしで、周りからは結構白い目で見られたの。何でそんな奴を連れてきたんだ、ってドッズが責められる事もあって……あの頃はお互いに若くて、お偉いさんの司書が多かったからね。今はそんな事言う人、全然いないけど」


 確かに自国の図書館があるのに他国の図書館で働く司書は珍しい。だが他国の人間であっても、どこで働くかを決めるのはその本人の自由だと認められた事により、今では当たり前のようになっている。


 セノウも当初は辺りがきつかったのだろう。自分もこの国の人間だが、生まれは違う。それでも当たり前のようにこの図書館で司書となった。過去のセノウのような人達の努力があって、ここにいるようなものだ。


「当時はどうしてもね、自分が悪いんだ、って落ち込んでた。そしてドッズからも離れた方がいいんだって思ってた。……それは、今もかな」

「え?」


 今も、というのはどういう意味だろう。

 見てる限りだと、仲は良さそうだと思うが。


 すると小さく笑われる。


「契約をしてくれたのも、私のためなの。ドッズが望んだんじゃない。私を助けるためにしてくれたの。だから、どうにか契約を外そうと思って色々やってみたんだけど……無理で。このままずっとドッズを苦しめたままなのかなって、時折思っちゃうんだ」

「苦しめるって……ドッズさんはそんな事、思わないと思いますけど」


 だが首を振られる。


「一生つながったままだもん。私は……もしかしたら、命が狙われる可能性もあるかもしれない。ドッズには未来があるのに、私のせいでそれがなくなったら……」

「ちょ、ちょっと待って下さい」


 命が狙われるとはどういう事だろう。だが、それを聞くと話は脱線してしまう。とりあえず今は、セノウの気持ちを落ち着かせる必要がある。


「それでも、ドッズさんは迷惑とか、苦しむとか、思いません。ただ、セノウさんの事を助けたかっただけです。それに、アッシュが言ってました。『相手のために契約したいと願う人達が契約できる』って。セノウさんの事、それだけ大事に思って下さってるはずです」

「どうかな……」


 必死に伝えようとするが、セノウは聞く耳を持ってくれない。どこか諦めたような、信じられないような様子だった。話の流れで、どうしてこうなったのだろうと思いつつ、セノウの表情を見る。


 そして、分かったような気がした。きっとセノウはセノウで、その答えをずっと探していたのだ。契約を解除したくても、それができない。それでも、このままにはできない。相手に、迷惑をかけてしまうから。


 色々と悪循環を生んでしまい、今のように思い悩むようになった。それでも、それを誰かに見せる事はしなかった。ずっと、一人で戦っていたのだろう。


 シィーラは思わず、口にした。


「聞きましょう」

「……え?」

「本人に聞くんです。契約の事、セノウさんの事、どう思っているのか」

「え!?」


 目を見開かれた。


「そ、そんなの無理だよ。だってドッズの事だから、答えてくれないかもしれないし」

「でも聞いてみた方が早いじゃないですか」

「嘘ついて大丈夫だ、とか言われるかも……」

「ちゃんとセノウさんの気持ちを伝えれば大丈夫です」

「でも、」

「でもじゃないっ!」


 思わず声を張り上げてしまう。

 セノウはびくっとした。


「気持ちは言葉にして伝える事も大事です! もちろんそれ以外にも伝える方法はありますが、人が何を考えているのかは誰にも分からないでしょう? だったら伝えるべきです。ちゃんと思いを込めて、伝えるんです。そうすればきっと……ドッズさんだって分かってくれます」


 セノウはしばし固まったままだったが、少ししてから強張った肩をゆっくり下に落とした。そして、呼吸を繰り返しながら、頷く。


「そう、だよね。私、今まであんまり口にしてなかったから……」

「一度、ゆっくり話すべきですよ」

「……うん、うん。ありがとう、シーちゃん」


 ようやく笑みを浮かべてくれた。

 その姿に、シィーラも思わず微笑んだ。

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