38:小さな幸せ

「……なんでここにいる」


 そう言われて初めて、シィーラは今の状況を知った。ここまで来たら後には引けないと思っていたのだが、ギルファイからすればいきなり部屋に入られたのだ。確かになぜここにいるのかと問い詰めたくなるだろう。


 シィーラは慌ててどう説明しようか考えた。ジェイソンに与えられた課題の事を話せばいいのだろうが、それでも勝手に部屋に入っていい理由にはならない。


「ええと、その」


 誤魔化そうとしても、上手く言葉が出てこない。さらにギルファイは眉を寄せたままだ。どうしようと思いつつ周りを見ながら、だいぶ前の出来事について触れた。


「前に三次試験で部屋に来たじゃないですか。だから、どんな風にしてたかなって。あれからけっこう経ちましたし、改めて原点に帰りたくなったというか」

「…………」


 ギルファイは黙ったままだ。

 確かに苦しい言い訳だろう。自分でも聞いてて呆れる。


 だが引き返す事もできず、しゃべり続ける。


「ギルファイさんの部屋にも本棚とかあったんですね。でも本が一冊もなくて、少し驚きました」


 少し笑いながらそう言うと、相手はぴくっと動きを止める。そしてなぜか何とも言えない顔をしてきた。いつの間にか視線も下がり、こちらを見ようともしない。


「ギルファイさん?」


 思わず名前を呼ぶ。

 すると相手は一瞬ためらった後、口を開いた。


「……か」

「はい?」

「おかしいと思うか」


 目をぱちくりさせてしまう。

 訳が分からず聞き返した。


「何がですか?」

「……司書なのに、本を持ってない事だ」


 一瞬間を空けてしまう。

 だがシィーラはすぐに答えた。


「――いいえ?」


 すると相手はばっとこちらを見た。


 驚きつつ、信じられないような表情をしている。シィーラからすればそんな反応をされると思わず、逆に驚く。だが自分の考えを率直に伝えた。


「だって、そんな人もいるじゃないですか。部屋じゃなくて図書館で読みたいとか。仕事では読むけど、プライベートではそんなに読まないとか」

「それは、」

「読む読まないはその人の自由ですし、司書だからって本を一冊も持ってないだけで軽蔑なんてしませんよ。……それとも、私が軽蔑するとか思ってたんですか?」


 人には色んな考えがあるように、選択権はその人自身にある。それにジキルから聞いた話で自分も学んだのだ。相手に対する勝手なイメージを作り過ぎないように、と。


 その人がどういう人なのか、それは本人から聞くのが一番である。そしてそれによってもしイメージが変わったとしても、その人がその人である事は変わりない。だから周りは、受け入れるだけである。


 だがギルファイからすれば意外だったらしい。

 一呼吸置いてこう言った。


「シィーラは真面目だから、一冊くらい持つべきだって言うと思った」

「……確かに前ならそうだったかもしれません。でも、それが『司書』だって断定するのはおかしいと思ったんです。どんな形であれ、司書は司書だし、ギルファイさんはギルファイさんです」


 司書になりたての頃は、きっともっと頑固だった。


 それでも仕事をするうちに、そして色んな人と関わるうちに、その考えは変わったのだ。自分でも良い傾向だと思う。「真面目だから」と言われてしまったが、ギルファイとしても、シィーラの良さだと認めてくれているからこそ使ってくれたのだろう。少しは心が広くなったのだろうか。

 

 するとギルファイは小さく笑った。


「そうだな」


 シィーラも頷いた。


「で、」

「……で?」


 いきなり話題が変わり、聞き返す。

 ギルファイは息を吐いた。


「なんでここにいるんだ」

「……ええと」


 結局最初の質問に戻ってしまった。


 今度はきちんと説明し、課題を仕上げるために観察したい、と申し出た。本当はそこまで言わなくてもいいんじゃないかとも思ったのだが、隠れてこっそり観察するなんて技、シィーラにはおそらくできない。それにギルファイもある意味神出鬼没だ。観察しようとしてもいないとか、観察の途中でいなくなるとかあるかもしれない。だから一緒に行動した上で知ろうと思ったのだ。


 シィーラの説明に相手は少し複雑そうな顔になる。

 話が全部終わった後、改めて聞いてきた。


「でもなんで俺なんだ。他の奴でもいいんじゃないか?」

「それは、ギルファイさんの事をもっと知りたいと思って」

「……?」

「その、直属の上司でもありますから」

「……はぁ、そうか」


 あまり分かってないような返答だった。


 シィーラがこう言うのもあれかもしれないが、この人もけっこう鈍いな、と思った。ここまで言って「はぁそうか」だけなんて。もっと他に言う事あるんじゃないだろうか。


 するとおもむろにギルファイは立った。


 そしてすぐにシィーラを部屋から出し、「しばらく待ってろ」とだけ伝える。わけが分からず待っていると、ギルファイが出てきた。相手は一言告げる。


「じゃ、出るぞ」

「はい。……え、どこへ?」


 このまま館内に向かうと思っていた。

 だがギルファイは何を言ってるのか、と溜息をつく。


「外に決まってるだろ」

「え」

「俺は非番だ。非番の時に何をしているのかを見るのも観察なんだろ?」

「それは、まぁそうですけど」

「じゃあついてこい」


 シィーラの返答も待たずにすたすた歩き出してしまう。


 慌ててついていくが、正直驚いた。

 ギルファイも外出する時があるのか。


 外出している姿を見た事ないし、付き合いの長いヨクでさえその姿をあまり見ないと言っていた。だからてっきり部屋で一日過ごすのかと思っていたのに。だがなぜだが、少し嬉しくも感じた。







「……あの、ここは?」


 見れば目の前に大きい看板が立てられている。

 ギルファイは事もなげに答えた。


「見れば分かるだろ。食堂だ」


 そう言うとさっさと中に入ってしまう。

 シィーラはしばし唖然とした。


 図書館内にだって食堂と呼ばれる場所はあるが、そこでギルファイを見る事は少ない。以前皆で一緒に食べたが、普段は部屋で食べているというし。こんな場所に来る事もあったのか。看板を見ても普通の食堂とそう変わらない。なぜここなのだろうと考えていると、待ちくたびれたのか「早く来い」と苛立ちながら言われてしまった。


 店に入ればエプロンを付けた女性と男性が「いらっしゃい!」と声をかけてくれた。どうやら夫婦で経営しているらしく、もう夕刻だからか、お客さんも多い。しばらく眺めつつ、ギルファイに手を引かれる。カウンター席に座った。


 すると少し肥えた女性はまん丸の顔をほころばせた。


「なんだいギル、今日は珍しく女の子連れてるね」

「ほんとだな、ようやくお前にも恋人ができたのか?」


 男性も料理を作りながら会話に参加する。

 だがギルファイは慣れた様子で「仕事仲間だ」と答えた。


 すると二人共けらけら笑いだす。


「よく言うね、女の子一人だけ連れてきた事ないくせに」

「別に。こいつが観察したいって言うから連れてきただけだ」

「「観察?」」


 一気に視線が集まる。

 シィーラは戸惑いながらも挨拶した。


「シィーラと言います。ギルファイさんには仕事でお世話になっていて。私の我儘で連れてきてもらったんです」

「へぇ、礼儀正しいし可愛い子じゃないか」

「お前にはもったいないな」

「……関係ないだろ」


 するとまた二人はどっと笑う。

 どうやらかなり愉快な性格のようだ。


 女性の名はカティス。ご主人の名はエリオットと言うらしい。ご主人が料理を担当し、カティスが料理を運んだりお客さんの相手をしているようだ。


 しばらく待っていると、料理が運ばれてくる。


 柔らかい鶏肉料理に野菜がごろごろ入っているポトフだ。焼いたばかりのふわふわパンもついてくる。その美しい見た目と美味しそうな香りで、思わず歓声を上げてしまう。


「栄養バランスの取れた食事を提供してくれる。非番の時はよく来るんだ」


 言いながらギルファイは食べ始める。


 それを見てシィーラも食べてみた。素材の味を引き立てる味付けで、とても美味しい。これならおかわりをしたくなる程だ。食べているとまたさらにお客の数は増え、だんだん賑やかになる。完食して席を立つと、お皿を回収しようとカティスが近づいてきた。そしてそっと耳打ちされる。


「またいつでもおいで。ギルが元気にしてるか心配だったが、姿を見られてよかった」


 シィーラは頷く。

 ぜひまた来たいと思っていた。


 するとカティスははにかんだ後、また言葉を続けた。


「昔から知ってるというのもあるけど……あの子の事をよろしくね。きっとシィーラさんなら大丈夫だろうから」

「え、でも私なんて」


 そんなにギルファイの事を分かってない。

 それなのに任せてもらっていいのだろうか。するとまたけらけらと笑われた。


「女の勘だよ。根拠はないけど、そう信じてる。どうやらあの子も変わったようだからね」


 そう言ってちらっとギルファイの方を見る。

 ギルファイはエリオットと何か話していた。


「…………」


 話している横顔を見つめてしまう。


 ここ最近、ギルファイは変わったと周りは話していた。前を知らないシィーラからすれば、そう言われてもピンと来ないし、変わったから何なのだろうと思った。それでも、自分との関わりでギルファイが良くなっているのなら、少しでも役に立てているのなら、これからも何かできたらと思ったりする。


 ……でも、ギルファイからすればどうなのだろう。


 一緒にいる事で、何か変わったのだろうか。一緒にいる事で、良かった事もあったのだろうか。知りたい。本人の口から知りたいと思った。


「シィーラ」


 名前を呼ばれてはっとした。

 ギルファイに手を差し出される。


「行くぞ」

「は、はい」


 戸惑いながらも、その手を取った。




「次はここだ」


 見れば古びた家のような場所だった。


「ここは……」

「古本屋だ」


 そう言ってまた勝手に歩き出す。

 シィーラは慌ててついて行った。


 入ればそこには壁中に本棚が並び、これ以上入りきらないくらいぎっちり書物が入っていた。入らない分は近くの棚の上に積み上げられている。全体的に埃っぽく、古い書物が多いからか、独特の香りもした。物珍しいので色々見て回ると、奥に主人らしきおじいさんの姿がある。


 おじいさんはギルファイの姿を見て「おや」と嬉しそうな声を上げた。


「これはこれは。久しぶりじゃな」

「じいさんも元気そうで」

「おかげさまでの。して、その子は新入りかい?」

「ああ」


 シィーラは先程と同じように挨拶する。

 するとおじさんは何度も頷いてくれた。


「うんうん、いい子そうじゃな。わしの名はダミアン。しがない古本屋をしているじいさんじゃよ。まぁ館長とは付き合いが長いがな」

「え、館長とですか?」


 確かに見た目的にも似た年齢であると思った。

 するとダミアンは微笑む。


「そう。若い頃からな。さて、よかったら本を見ていかんか?」


 話を簡単に済ました後、ダミアンは周りにある本を指差した。特におすすめの本を説明してくれる。一通り聞きた後、シィーラ自身も色々と本を手に取ってみた。世界中の本が収集されているようで、読めない文字で書かれているものもある。どれも見た事ない、珍しい本ばかりだ。


 ふと見れば、ギルファイはその場にあった椅子に座っていた。本を探しに来たんじゃないかと思っていたのだが、ただそこで座っているだけだ。じっと見ると、目が合う。


「なんだ」

「ギルファイさんは探さないんですか?」

「別に……俺はいい」

「え、じゃあなんでここに」

「シィーラが気に入ると思って連れてきただけだ」


(私のために?)


 一瞬唖然とする。

 ギルファイの日常を観察するためについてきたのに。


 するとダミアンがほっほっほ、と後ろで笑った。


 どうやらギルファイは昔から館長に連れてこられる事が多かったらしく、何度も通っているらしい。だからわざわざ来る事もなかったようだが、せっかくだからとシィーラに場所を教えてくれたようだ。今後何かあった時に本の事を聞く事もできるから、と。


 ダミアンに指摘されて渋々そう話してくれたが、少し不機嫌になっていた。元々シィーラに言うつもりはなかったのだろう。今はそっぽを向いている。


 思わず苦笑していると、ダミアンに手招きされた。


「シィーラさん。この世の中で一番大事なものはなんだと思うかい?」

「大事なものですか?」


 いきなり壮大な質問だ。


「そう。誰に対しても言える事じゃとは思うが」


 戸惑ったが、答えは一つじゃないと思った。

 人によって何が大事か分からないし、大事なものも異なる。でも、共通して皆が大事だと思うものはあるだろう。なのでシィーラはこう答えた。


「家族や友人、仲間とかですね」


 自分にとってかけがえのないものだ。

 きっとどの人だって大事な存在だと答えるだろう。


 するとダミアンは笑みを濃くした。


「そうじゃな。私もそうじゃと思っておる。じゃがもう少し応用させようかの。家族や友人や仲間。それらは一体何とつながっていると思うかね?」

「え……?」

「それらが共通しているものが一つだけ、あるんじゃよ」

「何ですか」


 考えてもすぐには答えが見つからなかった。

 するとダミアンはひっそりと答える。


「それは」







 ダミアンの店から出て、しばらく二人は街を歩く。


 日も暮れ、だいぶ暗くなってきた。それでも街には光が灯り、それなりに街の美しさを引き立たせている。夜はまだまだこれからだが、こうして空の色が変わるだけでも、街の雰囲気は随分変わるものだ。


「よかったのか、買わなくて」

「はい。また次にしようかなって」


 結局シィーラは本を買わなかった。もちろん興味のある本はたくさんあったが、今日はいいと思ったのだ。場所を覚えたのでいつでも行けるし、それに何より、本とは別に大事な事を教わった気がする。


「今日はありがとうございました」


 ほんの短い時間だったが、それでも楽しかった。


 思えばこうして二人きりでどこかに出かけるなんて初めてだ。グレイシアからの招待だって、仕事つながりのようなものだし。結局フォルトニアの観光だってできなかった。身の安全が分かったら観光もしてみたい。


「いや、いい。むしろこれだけで俺の事が分かったのか知らないが」

「分かりましたよ、少しは」


 するとギルファイは足を止めた。


「……そうか?」

「はい。ギルファイさんは皆さんからとても愛されています。そのつながりはきっとこれからも一生続くんだろうなって思いましたし、見てて微笑ましかったです。それに、ギルファイさんはとても優しい方です。気を遣ってもらいましたし」


 すると視線を外される。

 もしかしたら気恥ずかしく感じたのかもしれない。


「別に、紹介しておいた方がいいと思っただけだ」


 それが優しいのだと言っているのに。

 シィーラは苦笑しつつも、間を空けて聞いた。


「私も、ギルファイさんの役に立ててますか?」


 するとゆっくり顔を動かす。


「少しは、ギルファイさんの傍にいていい仲間だと思ってくれますか?」

「……急になに言ってるんだ」


 眉を寄せられる。

 シィーラは思わずそれに笑った。


「皆さんよく言ってくれるんです、ギルファイさんは変わったって。それは私のおかげもあるんじゃないかって。傍にいるからこそ、いい影響も与えてるんじゃないかって。……自分で言ったら、ちょっと自画自賛って感じしますけど」

「…………」


 ギルファイは黙っていた。


 その表情は読めない。

 何を考えているのかも、分からなかった。


「どう、ですかね?」


 へらっと笑ったまま再度聞く。

 思わず笑ってしまったのは、無意識だ。


 すると相手は小さく溜息をついた。


「分からない」


 一言だけだった。


 思わず口をつぐみそうになったが、ギルファイは言葉を続ける。


「でも皆がそう言うならそうって事だろ。周りの方が変化に敏感だ。いつも一緒にいるしな。だから、それでいいんじゃないか」

「…………」

「泣きそうな顔するな」


 ばっと両手で目を押える。

 負けじと言い返した。


「そんな顔してないです」

「嘘つけ。今してただろ」

「してません」

「意地っ張りだな」

「ギルファイさんだって」


 両手を取られた。

 溜めていた涙が溢れ出てくる。


 それを見たギルファイは口元を緩ませた。


「ほら」

「……誰のせいだと」

「泣いてるの初めて見たな」

「ほんとは見せたくなかったんですけどね」


 最後まで憎まれ口を叩いた。


 ほんとは不安だった。ギルファイにとって「そうじゃない」と言われる事が。そうじゃなかったらどうなのか。別にどうもならないのに、そうだったら悲しいと思った。一緒にいるのに、一緒にいる自分の存在意義は何なのか、考えてしまっていただろう。


 でも、ギルファイは正直に答えてくれた。

 そして、周りが言うならそうだろう、と言ってくれた。それだけで嬉しかった。


 手を放してくれ、シィーラは急いで涙をぬぐう。

 見られてしまったが、それでもその痕跡は残したくない。


「帰るか」


 そう言ってまた手を差し出してくれた。


「……」

「なんだ」

「いいえ」


 シィーラは手をつなぐ。


 最初に手をつないだのは多分創立記念日の時だったと思うが、あまりに自然に手を差し伸べてくれるようになった。それに意味はあるのか、むしろそうでなくても誰にでもこんな風にしているのだろうか。


 そんな事を思いつつ、シィーラは手をつなぐ力を込める。するとギルファイの力も強くなった。少しだけどきっとする。自分なんかよりも強い力に、より感じる角ばった手に、鼓動が鳴った。


 一緒に歩きながら、ダミアンの言葉を思い出す。




『それは、愛じゃよ』

『……愛?』

『そう。愛がなくては成せない。愛は相手のために生きようとする者達が持つものだ』




 隣を歩く青年に顔を向ける。

 すると相手も気付いてか、こちらを見てくれた。


 思わず微笑む。

 すると相手も微笑んでくれる。


 「愛」。それは異性間のみならず、家族や友人、仲間にも生ずるもの。


 まだまだ分からない事が多い中で、確かな事もある。


 それは、互いに支え合える関係でいたい。

 そしてこうして笑い合いたい。


 きっとそれだけで、幸せだな、と。

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