37:知るために

「お世話になりました」

「またいつでもおいでよ」

「うん、パーシーも元気でね」


 一通り図書館の説明が終わった後、いつの間に来ていたのか、ドッズと合流した。そしてそのまま皆で自国に帰る事となる。昨夜シィーラが狙われたので心配だったが、襲ってきた連中が昼間からわざわざ目立つ行為をするとは考えにくい。それにドッズとギルファイもいるから大丈夫だろう、とイザベラに笑われる。むしろこの国にずっといる方が危ないと付け足された。


 ジェイソンは仕事があるため図書館内で別れたのだが、パーシーとイザベラが見送ってくれるようだ。仕事が丁度終わったらしいレイも駆けつけてくれ、手を振ってくれた。


 ドッズとギルファイはさっさと馬車に乗り込んだが、シィーラも同じように手を振る。最初に会った時はあまり親しい間柄ではなかったが、それでも同じ司書だ。助けてもらった恩もあるし、できるだけこれからは穏便な関係でいたいと思った。




 行きと同様、揺られながら窓に顔を向ける。


 シィーラは変わらない美しい景色を見ながら、昨夜起こった出来事は幻ではないか、と一瞬考えた。普段図書館にこもってばかりで外出する事も稀だ。一見平和そうに見えて、あんな物騒な事が起きてしまうなんて。あれからジキルの行方も掴めていない。ドッズが言うには、ユジニア王立図書館にも最近来ていないのだという。シィーラに「また会いましょう」と告げたように、しばらく出てこないつもりなのだろうか。


 そんな事を思いながら、ちらっと横を見る。

 ギルファイも窓の外を見ていた。


 どこかぼんやりしているような、何か考えているような。

 今回一緒にこの国に来て、少しは新たな発見もあるかと期待していたのに。結局そんな事もなかった。もちろん分かった事もあれば、あんまり知りたくなかった事もあったといえよう。シィーラは少しだけ溜息をつく。


 すると向かい側の席に座っているドッズが顔を向けてきた。


「どうした。疲れたか?」

「あ、いえ……まぁ、疲れましたね」


 変な答え方をしてしまう。

 すると微妙そうな顔をされた。


「シィーラに嘘は無理みたいだな」

「仰る通りです……」


 自分でも苦しい答え方だと思った。

 これなら正直に胸の内を明かした方がましだ。


 ドッズはシィーラの傍に積まれている数冊の本を目にする。イザベラから受け取った物だ。最初は膝に乗せようとしたが重いので、空いているスペースに置かせてもらった。


「あっちの館長からの宿題か」

「はい」


 シィーラは苦笑してしまう。

 ドッズも同じように少し笑った。


「仕事は気にするな。他の奴らに任せるようにするから」

「あ、でも、少しの作業なら手伝えます」

「いい。それがお前の仕事だ。励め」


 はっきりと言われてしまう。


 あまりにはっきり過ぎるが、こう分かりやすく言ってくれるのはドッズの良いところだろう。嫌味もないし、すんなり言葉が入ってくる。シィーラも素直に頷いた。


「分かりました。それにしても、ドッズさんもフォルトニアに来ていたんですね。用事とかですか?」


 すると相手は分かりやすく動揺する。


「まぁ、な」


 そのまま視線を下にし、どこか歯切れの悪い言い方で答えた。







「どうぞ」


 机に紅茶が置かれる。


 はっとして見れば、アレナリアがにっこりと笑った。

 見ればいつの間にか部屋が薄暗い。どうやら夢中で本を読んでいたようだ。


 シィーラは目を擦りつつお礼を言った。


「ありがとうございます。すみません、気付かなくて」

「大丈夫よ。それにしてもすごい量ね。これ、全部シィーラさんが読んでいるの?」


 見れば机いっぱいに本の山だ。


 あれから本を読みながら知識を増やしていく日々を送っている。ほぼ毎日フォルトニアの司書がやってきて、試験を行ってはまた新しい本を置いていく。そんな日々が続いてもうすぐ二週間になるだろうか。ドッズからは何も言われないので、シィーラもただ黙々と与えられる本を読むだけだ。毎日となると本の数も増える。まさに塵も積もれば山となる、だ。


「とりあえず全部目には通してます。何度も読まないと、全部覚える事はできないので」

「それにしたってすごいわね。種類だってばらばらだし、よく読めるわ」


 アレナリアは感心したようにそう言った。


 聞けばやはり自分の好きなジャンルや得意なジャンルを読む事が多いらしい。知識を入れておく程度に若干他の本も読んだりするらしいが。確かにシィーラはどの本も隔てなく全て読める。イザベラに褒められた通り、普通はなかなかできない事なのかもしれない。


「でもずっと部屋にこもりっ放しなのは身体に毒だわ。たまには外に出てるの?」

「はい、まぁ。それでも本が気になってしまって……」

「さすが本の虫ね」


 眉を八の字にされて心配される。

 これにはシィーラも苦笑してしまった。


 確かに自分でも動かなさ過ぎて、少し身体がなまってきたと思っていたところだ。思わず腕を動かせば、音が鳴る。その音を聞いたアレナリアはふふ、と口元に手を持っていきながら微笑んだ。見れば指には指輪がはめられている。おそらくウィルとお揃いの物だろう。些細な事ではあるが、少し微笑ましい。


 とその時丁度、ある人物が姿を現した。魔法で移動したのだろう、床に足を置く音が聞こえる。図書館内ならば魔法は使えるため、このように魔術師は自由に移動して良いそうだ。今日は誰だろうと顔を向ければ、ジェイソンだった。


「どうも。シィーラさん、アレナリアさん」

「ご苦労様です」

「お久しぶりですね」


 ジェイソンは定期的に来てくれたりするのだが、実際シィーラと会うかドッズと会うかしかしないので、他の司書は久しぶりだったりする。ジェイソンはいつものように柔らかい笑みを浮かべていた。


「今日はアレナリアさんでよかった。前はギルファイさんがいたのですが、地味に睨まれましたからね」

「あら、困ったものですね。以前助けていただいたというのに」


 シィーラの身に起きた事は守護者ガーディアンには連絡している。シィーラが話したのだが、その話を聞いてフォルトニアの司書に対する警戒心が少しは和らいだように思う。


 付け足すようにドッズも「全部が悪い奴らじゃない」と言っていた。一番警戒心を持っていただろうドッズまでそう言うのだから、一体フォルトニアに行って何があったのかと、探る者も出始めた。シィーラもドッズが何の用事で行ったのか知らないので、少し気になったものだ。


 試験を始めるからという理由で、アレナリアには退席してもらった。


 そしてジェイソンはいつものようにシィーラに試験の紙を渡す。もう慣れたものだが、やっぱり試験となるとまだ緊張してしまう。緊張を力に変えるつもりでペンを走らせた。そして解き終わると、いつものようにすぐに答えを照らし合わせる。ジェイソンは頷いた。


「満点が続いてますね。これなら問題なさそうだ」

「それならよかったです」

「館長曰く、これで試験は終了とします。ただ、ある課題を出しておきます」

「課題、ですか」


 いきなり試験が終わりと告げられ驚きつつ、課題と言われて首を傾げる。このように本を読む事も課題の一つだ。散々本の知識を入れろと言われ、今度はどんな課題を出されるのだろう。すると相手は持ってきた荷物の中から一冊の本を取り出した。


「今のシィーラさんなら知識は申し分ない。次は相手の心理を理解してもらいます」

「? それはどういう」


 言いかけながらも本を渡される。ジェイソンによってページがめくられるが、そこには何も書かれていなかった。本当に、何も。全てのページが真っ白だ。これは本と言えるのか。


「これはまだ何も記されていない本です。あなただけの『本』にして下さい」

「本に……」

「そう。人を観察し、その人の心を知るのです。それがあなたの課題です」


 言い終わると、ジェイソンは帰る支度をし始めた。

 シィーラは慌てる。


「あの、これどうしたらいいんですか?」


 人を知り、本にする。そんなあっさりと言われても理解できない。すると相手は「ああ」と軽く答えた。まだ具体的な指示をしてなかったからだろう。ちゃんと説明してくれる。


「気になる人を観察してこの本に書いていくんです。特徴とか、性格とか。その人が何を考え、何を好むのか。そして自分はその人と接するとどういう気持ちになるのか。簡単に言えば日記みたいなものでしょうか。それが分かるようになれば、この本は完成します」

「……つまり、書いていけばいいんですか?」


 ジェイソンの目を見ながら聞く。

 すると相手は真っ直ぐ合わせてくれた。


「そう、書いていけばいいんです。その人の事を」

「その人の事を……」

「その人を理解できるし、その人の心を知れます。シィーラさんは観察力がありますが、その分探求心もあります。いい課題だと思いますよ。それに気になる人、いるでしょう?」


 どこかからかう口調だ。

 しかも断定系で言われた。少しだけむっとしてしまう。


「どういう意味ですか」


 するとジェイソンは被っていた帽子を少し上にする。

 そして口元を緩ませた。


「自分の本心に聞けばすぐに分かる事ですよ。それでは用事があるので」


 挨拶が終わればあっという間に瞬間移動を行う。

 シィーラは一人取り残された。そしてゆっくり椅子に座りなおす。本はなかなかの分厚さがある。それに皮で作られているのか、手触りが良いし新品の香りがする。


 これを自分の本にするのか。

 そして相手の事を記していくのか。


 シィーラははぁと溜息を吐いた後、机の上に突っ伏した。


「気になる、程度じゃなくなってる気がする……」


 フォルトニアから戻って二週間経つ。


 その間自分は自分の仕事しかしていない。

 そして同じ守護者ガーディアンにも、そして他の司書にもそう会っていない。アレナリアやセノウがたまに紅茶やお菓子を運んだりしてくれるが、会話も少しだけだ。


 そしてそれは――ギルファイにも言える。たまにやってきては様子を見るくらいで、会話まで発展しない。そしてしばらくしたら出ていく。その微妙な空気もなんだか居心地が悪いし、だからといって自分から話に言ったりもしない。そんな日々が続いている。


 シィーラからすれば、それはそれでありがたいような気もした。というのも、またギルファイと顔を合わせたくないと思うようになったのだ。それもそうだ。フォルトニアで色々あったし、合わす顔がない。


 でも時折会えないと、寂しく感じるようにもなった。しばらく一緒に仕事をしていた事もあったからだろう。最初はそう思っていた。それなのにここ最近は、毎日そう思ってしまうのだ。いないならいないでありがたい。でもやっぱり顔は見たい。矛盾している気持ちに、自分の事なのに分からなくなる。


「…………」


 むくっと机から顔を上げる。


 それでも、いい機会なのかもしれない。一緒にいても分からない事が多い相手だ。課題という名目で、色々話もできるだろう。それにこれで相手の事が分かれば悩む事もないし、きっと……自分のこのよく分からない気持ちが何なのか、はっきりするかもしれない。


 シィーラは息を吐き、自分の頬を叩いて気合を入れた。







「どういうつもりですか」

「何の話だ」


 ドッズは視線を避けて聞き返す。


 忙しい振りをしながら、机に置かれている書類に手をつける。だがジェイソンはそんな事をさせなかった。すぐに近寄ってきて書類の上に手を置き、嫌でもこちらを見るよう仕向ける。


「手をどけろ」

「人に命令する暇があったらセノウに早く話をしたらいいんじゃないですか」


 するとドッズは眉間に皺を寄せる。

 そしてお望み通り顔を向けた。


 見ればジェイソンは涼しげな顔をしている。そりゃそうだ、この男は正論しか述べていない。それは分かっていたのだが、思った通りに行かないのが世の常じゃないだろうか。


 何も言わないのを見通してか、ジェイソンは直球で聞いてくる。


「なんでまだセノウに言ってないんですか。私が探りを入れながら毎日はらはらしているというのに、あなたは高みの上から見物しているだけですか?」

「…………」

「イザベラ館長から話は聞いたはずです。準備を進めなければ」

「分かってる」


 どうにかそれだけ答えた。

 絞るかのように出した声は、自分でも情けないものだった。 


 するとジェイソンは、開きかけた口を一旦閉める。

 そしてどう思ったのか、静かにこう言った。


「……今後も様子は見ます。何かあったらすぐに連絡しますから」


 そう言い残すと、すぐに魔法で消えた。

 彼にしてはあまりに潔い引き方だった。


 一応気にはしてくれているのだろう。過去に起きた惨劇の事を。惨劇と表現するには少し出過ぎているのかもしれない。それでも、セノウにとっては辛いものだった。そう、辛い出来事だからこそ、本当は伝えたくない。一刻を争う事でもあるのに。本当は真っ先に伝えないといけないのに。


 それなのに自分は――――怖いのだ。


 目の前に置かれている資料の紙を、いつの間にか思い切り握っていた。しわになってしまったそれを見ても、今の自分には何も感じられない。いや、何も考えたくない。今は。







 シィーラは館内を歩き回っていた。


 いざ観察をしようと思い立ち、ギルファイの姿を探していたのだが、どこにもいない。司書だけが行ける場所や、魔法書が並ぶ書庫にも足を運んだのだが、いない。シィーラのように館内での仕事が多い司書なら探しやすいのだが、ギルファイの場合は表の仕事も裏の仕事も両方受け持っているため、たまにどこにいるのか分からなくなる。探すのが一苦労だ。


 少し唸りながらも歩き回っていると、ばったりとヨクに出会う。


「どしたん慌てて」

「ヨクさん。あの、ギルファイさん見てないですか?」

「ギルファイ? あいつ今日非番やない?」

「え」


 まさかの非番か。

 通りで探してもいないわけだ。


 ヨク曰く、裏の仕事をしている守護者ガーディアン達の非番は、不定期に発生するらしい。仕事の内容からして仕方のない事とはいえ、まさか今日被るとは思わなかった。だがしょうがない。今日は諦めようかと考えていると、ヨクがある情報を与えてくれた。


「ギルファイの事やけん、部屋におると思うで」

「え、でも」

「非番っていっても、あいつが外出しとるんってあんまないからな。行ってみたらいいんやない?」

「あ、ありがとうございます!」


 そう言われたら確かめたくなる。

 シィーラは頭を下げた後、小走りで部屋に向かった。




 ギルファイが寝泊まりしている部屋は確か、いくつもの部屋が連なっている場所にある。しかも周りが真っ白で、淡々とした廊下が続いている。最初に行ったのは三次試験を受ける時だ。あの時はロンドと一緒だったので大丈夫だったが、今は一人だ。無事に着けるだろうかと心配になる。


 大体の目星で進んでいきながら、一つのドアの前に着いた。周りと同化してほぼ同じに見える真っ白いドアだが、ここが部屋だった気がする。記憶力はいい方だ。シィーラは賭けて、ドアをノックした。しばらくしても返事がないので、もう一度ノックする。それでも返事はない。


 間違えたか、それともいないのか、どっちだろうと思いながらドアノブに触れると、普通に開いた。ぎょっとしながらも、そっと中の様子を見る。すると机に上で突っ伏して寝ている人物がいた。


 紺青色のさらさらした髪だ。

 すぐにギルファイだと分かった。


 寝ているのは分かっていたが、ここに来ては後に引けないと思い、そっと部屋に入る。見れば机と革製の椅子、そして簡易ベッドと本棚があった。試験の時はそっちに集中していたので、部屋に何があるかなんて気にもしていなかったが、こう見ると普通の部屋だなと思う。ただそれ以外何もないので、ある意味殺風景だ。


 ふと、本棚を見てシィーラは疑問を感じた。


「……本が、ない?」


 大きめの立派な本棚が置いてあるというのに、そこには本はない。あるのは何かの資料だろうか、書類が雑に置かれてあるだけだ。これでは本棚の意味を成していないようにも思う。


 だがそれよりも気になったのは、ギルファイが本を読んでいる姿をあまり見かけてない事だ。探し物や必要な時に本を開いている姿は見た事がある。でも、自分から好き好んで本の話をしたり、読んだりしているのは見た事がない。司書ならば一冊くらい本を置いておくだろうに、珍しい。


 なぜだろうと思いながら眺めていると、「ん……」と唸り声が聞こえてきた。そちらを見れば、ギルファイが起きたのか、何度も瞬きしている。そしてシィーラの姿を見て、訝しげに眉を寄せた。

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