36:動き出す時

「こちらです」

「…………」


 部屋に案内され、一瞬ドアを開けるのをためらう。


 なぜならここに来たのはこれで二度目だ。正確に言えばもっと多いのだが、それでもこの件・・・に関しては二度目と言ってもいいかもしれない。急いで来たとはいえ、呼吸は整えた。それなのに早くも鼓動が鳴り始める。これが小説でいう「愛しい人物を前にする」事で鳴る鼓動なら、どれだけいいだろう。最も、もしそうだとしても、今の自分にはそんな事を感じる資格もないだろうが。


 ドッズはゆっくりとドアを開ける。

 中には椅子に座っている年老いた女性がいた。


 音で気づいたのか、相手がこちらを見る。灰色になってしまった髪は綺麗にまとめており、後ろでお団子にしていた。横髪は少しカールかかっているが、きっといつも丁寧にセットしているのだろう。小豆色の瞳でこちらを見つめる。ゆっくりと微笑んだ後、彼女から口を開いた。


「随分急いで来てくれたね、ドッズ」

「うちの部下がお世話になったようだからな」


 シィーラとギルファイがグレイシアから招待を受けてこの国に来たのは事前に報告されていた。そして怪しい噂があるという事も知っていながら、ドッズは何も言わずに送り出した。元々本人に伝えると言ってきたのはグレイシアからだし、ギルファイならば大丈夫だと思っていたのだ。だが襲われて危ない目に遭った事を、今朝送られたジェイソンの手紙によって知る。


 そしてこの女性――フォルトニア王立図書館の館長であるイザベラ・ジャスミンに呼び出された。手紙の最後に、一言だけ添えられていたのだ。「例の件で話がある」と。


 イザベラは座ったまま、机の上に肘を立てた。

 そしてゆっくり自分の手の上に顎を載せて、こちらをじっと見つめる。


「見ない間にいい面構えになったもんだ」

「そいつはどうも」

「あの子も元気にしているのかい?」

「……ああ。元気にしてる」


 するとふっと笑われる。

 両耳にあるアメジストのイヤリングが揺れ動いた。


「じゃあ単刀直入に言おう。遂に動き出したよ」

「確かか」

「あの家を行き来しているジェイソンの情報だから間違いないだろう。とはいえ、詳しい事まではジェイソンも教えてもらってないようだがね」

「…………」

「詳しい事は資料にまとめておいた。目を通しておくれ」


 そしてばさっと机の上にあったであろう、書類の山を床に落とす。そこまで多い数ではなかったが、相変わらず雑なやり方だ。大事な資料ならこんな風に扱わなくてもいいんじゃないだろうか。訝しげな表情をして拾うドッズに、イザベラはせせら笑う。そして付け足すように「私は一度見たものは絶対に忘れない。だから私からすればこれは全部ただの紙切れさ」とだけ言ってきた。


 ドッズはむっとしながらも資料に目を通す。

 そこには今回、シィーラが襲われた事も書かれていた。そしてジキルが失踪した事も。


 前に起きた事件を思い出す。閲覧室に別の魔法の波動がない事が不思議だった。そしてもしかしてジキル自身が行ったのではないかと考えたのだが、読みは当たっていたようだ。


 いつも図書館を利用してくれ、そして何より人の役に立つ事だけを考えている優しい人物だった。一瞬裏切られたような心地になるが、感情で動いても何も解決しない。ユジニア王立図書館の責任者らしく、冷静に先を読み続ける。そして最後まで読んだ後、イザベラに問いかけた。


「今回起こった事と例の件が関係してるって、どういう事だ」

「そのまんまの意味さ」


 資料を読めば大体は理解したが、それでも信じられない。


「あいつらの目的はセノウだろ? それなのになぜシィーラを、シィーラの能力を狙う」


 するとこちらにちらっと視線を寄越す。そして今度は別の資料を投げ捨てた。見れば新聞記事を張り付けたものだ。日付からすればだいぶ古い。ドッズはそれを拾い、大きく書かれている記事に目を見開く。


「ローレン・ステンマ氏が大病?」

「そう。噂じゃ病気は何年も前からだと。妻を亡くしたショックじゃないかと言われているが、誰も真相は知らない。ローレンはステンマ家の現当主だ。いつまでも病気が治らないなら、次の当主を決める方が賢明な措置と言えよう」

「だから動き出したって事か」

「ああ」

「だが待て。それとシィーラの件がどうして結びつくんだ」


 思わず食いつくように聞いてしまう。

 するとイザベラは呆れたような顔になった。


「実際私達もそこまでは分からない。むしろここまで情報を集めただけ感謝してほしいものだね。詳しい事情は知らないが、当主争いでセノウを潰そうとしているのは確かだろう。それに想像すれば分かる。彼らからすればシィーラはいい手段……いや、いい人質になるんじゃないのかい?」

「なに?」

「シィーラの力を使えば簡単な魔法しか使えない魔術師なんて敵じゃない。捕まえればお前達を上手く足止めできるし、セノウも手出しはできないだろう」

「…………」


 表情を硬くしたドッズに、イザベラは軽く息を吐く。

 そしてゆっくりと椅子から立ち上がった。


「とりあえずこの件、もうお前だけの問題じゃないよ。ちゃんとセノウにも説明してあげな」

「…………」


 何も答えないドッズを残し、イザベラは部屋から出た。







「わぁ……!」


 図書館内であるにも関わらず、思わずそんな声を出してしまう。案内していたパーシーから「うるさいよ」と遠慮なく注意され、ようやくシィーラも静かになった。


 この国に来る途中も散々興味深く周りを見てしまったが、図書館内もとても不思議なものだった。上を見上げれば高い天井付近にも本棚がずらっと並べられており、逆に下を見れば奥深くまで本が収納されている。まずそれだけでどれほどこの図書館には本があるのだろうと思った。自動で上り下りできる移動式の機械なんてものもあり、利用者は慣れた様子でそれを使ってお目当ての本を探している。便利なものだ。


「ユジニア王立図書館より、ここの図書館の方が書物は多いです。まぁ魔法が使える国ですから、整理もそこまで手間取りませんし」

「嫌味か」


 説明してくれたジェイソンに対し、ぼそっとギルファイが言った。ただ説明しただけだというのに、なんて失礼な。シィーラは慌てて「ギルファイさん!」とたしなめるが、本人はつんとして顔を背ける。フォルトニア王立図書館に来るにあたって、シィーラとギルファイだけ呼び出されたのだ。ギルファイはどうしてか、機嫌が悪い。もしかしたら今朝自分のした行為のせいだろうかと思いつつ、いやあれは別に悪くない、とシィーラは自分に言い聞かせていた。


 するとジェイソンは嫌な顔一つせず、ははは、と笑う。


「そっちはいつも手作業で整理しないといけないから大変ですよね、ほんとに」


 前言撤回。これは嫌味だとすぐに分かった。

 思わずシィーラまでも言い返そうかと思ったが、パーシーが眉を八の字にしながら「大人げない……」と呟いたので止めておいた。確かにこれくらいの事で言い争うのは少し大人げないように思う。


 他にも色々な場所があるようだ。しかもこの図書館にしかない書物もあるようで、それを見せてもらう事になった。どうやら司書や決められた人物しか貸出できない決まりらしい。ジェイソンがある本棚の奥にあるボタンらしきものを押す。すると本棚が移動し、隠し扉らしきものが出てきた。驚きつつも、皆で中に入る。


 するとそこにはすでに人の姿があった。

 淡い紫色のショールを身にまとう年老いた女性が、にこっと笑う。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 反射で挨拶を返せば、パーシーが気付いて声を上げる。


「館長」

「え、館長!?」


 思わず顔を二度見してしまう。

 だが女性は優雅そうにほほ、と笑った後、近寄ってきた。


「フォルトニア王立図書館の館長、イザベラ・ジャスミンさ。よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」


 握手を交わし合い、そしてイザベラはじっとシィーラを見る。そのまま目線を合わせると、急に相手はにこっと笑って指を鳴らした。


「え」


 そして一瞬の隙に場所が移動されていた。

 とても広い部屋だ。何もない。


 思わずきょろきょろしていると、イザベラは含み笑いをする。


「随分警戒心のない子だね。いくらここが図書館だからって、もう少し警戒する必要があるんじゃないのかい?」

「……どういう意味ですか」


 相手を観察しながら、思わず司書の証を握りしめる。

 何かされた時、即座に対応できるように。


 するとそれを見てか、イザベラは遠慮なく手を出した。


「『暗闇の霧ミスト・オブ・ダークネス』」


 すぐに黒い煙のようなものが溢れ、部屋一面が真っ黒になる。しかもただの煙じゃないようで、それを少し吸っただけで咳き込んでしまった。どうにか対抗できないかと頭で考えていると、イザベラの声が響く。


「別の魔法を使ってごらん。きっと今のお前さんなら使えるさ」

「そんな事……!」

「いいから。そのまま死にたくないだろう?」


 最後はあざけ笑うようだった。

 何て人だ、初対面に対して。


 シィーラは煙が染みて涙を溜める。

 だが苦しみより怒りの方が勝った。やけくそに叫ぶ。


「『風で吹き飛ばせブロン・アウェイ・バイ・ザ・ウィンド』」


 するとすぐに突風が生まれ、煙を吹き飛ばしてしまう。

 あっさりと煙がなくなり、イザベラの姿も見えた。


 シィーラは魔法が使えた事に呆気に取られる。だが相手は落ち着いていた。そのままゆっくりこちらに近づいてくる。思わず後ずさりするが、にこっと笑われた。


「うん、実技は合格だね」

「…………はい?」

「いやぁお前さん、なかなかやるじゃないか。これなら安心だよ」


 はっはっは、と、なぜか嬉しそうな声を上げる。

 シィーラは困惑した。


「いやあの、どういう意味で」

「まずはお前さんの技量を知りたかったのさ。それにジキルによって能力が開花した事も知っている。どうやら複数の魔法書を所持しなくても、他の魔法は使えるようだ」

「え、そんな。どうして」


 魔法書がなければその魔法は使えない。

 それがただの一般人であるならば尚更だ。


 だがイザベラはとん、とシィーラの額に指を置いた。


「そんなの簡単。頭に知識は入っているから」

「……え」

「お前さん、相当読み込んでる方だろう。しかも一度じゃないな、何度も読んで頭に叩き入れてる。それに植物の魔法書は所持しているんだ。魔法書とはその名の通り、魔力が込められている本の事。だからその知識と魔力を合わせれば、他の魔法も使えるってわけだな」


 つまり魔法書の魔力と知識が上手く合わさったというわけか。だがそれでは、他の人も普通に魔法を使えるのではないだろうか。確かに他の守護者ガーディアンは得意分野が分かれているが、それでも司書として色んな本を読む人もいる。そう返せば、イザベラは「いや」と否定した。


「例え司書であろうと、好きじゃないとそんなにたくさんは読めないよ。もちろんそれでも全ての知識を入れる秀才とやらはいるだろうけどね。でもそいつらだって、ただ『知識を得るために』しか本を活用していない。本だって意志はある。本当に本が好きな人に読んでもらった方が嬉しいはずさ。シィーラの場合は本が好きだからだろう? 分け隔てなくどのジャンルを読める人はそうそういないよ」


 ここまで大っぴらに褒められた事がないため、少しだけぽかんとしてしまう。だが館長に褒められるのはなかなかない事だ。素直に照れつつ、「ありがとうございます」と頭を下げた。すると相手も嬉しそうに笑う。そしてすぐに真面目な顔をした。


「知識は言わずもがなだね。だがまだ足りない」


 そう言ってまた指を鳴らす。

 どこからか、数冊の本が現れた。


「これからお前さんにはしばらく本を読みつつ勉強してもらいたい」

「べ、勉強ですか?」

「ああ。読み終わったら試験も行う。とりあえず今日はこの数冊かな」


 受け取ればどの本も分厚く、ずっしりと重い。


 しかもジャンルはバラバラで、医学、教養、心理、経済など、様々だ。だがどの本もうちの図書館で見たものではない。聞けばここの図書館にしかない種類の本らしい。しかも魔法書も含まれているようだ。とりあえず読書をするのは好きなので問題はない。だがなぜこの本達を読まないといけないのだろう。


「まぁ今後のため、かね。ドッズには伝えておくから、しばらくは勉強に励みなさい」

「え、でも」

「館長命令だと言えば、お前さんは聞いてくれるのかい?」


 にこっと笑われた。

 思わず言葉に詰まってしまう。


 それを言われては敵わない。

 ただの司書からすれば、他国の館長であれ権力がある。


「わ、分かりました」


 するとイザベラは嬉しそうに頷いた。




「あ、もう、勝手にいなくなるなんてひどいじゃない!」


 元いた場所に戻ると、パーシーが少し怒っていた。

 だがイザベラは気にせず「すまないすまない」と笑う。


「待ってる間、そいつがずっといらいらしてたんだから。居心地悪いったらなかったよ」


 見ればギルファイがむすっとしたままだった。

 これにはシィーラも苦笑する。


 確かに急にいなくなってしまったわけだし、心配をかけてしまっただろう。シィーラの姿を見つけてか、ギルファイはゆっくり近づいてくる。目を伏せながら、「大丈夫か」と聞いてきた。


「大丈夫です。何もされてません」

「そうか」


 少しほっとしたような声色だった。

 ジェイソンが頃合いを見て話しを進める。


「ではお待ちかねの書物を見に行きましょうか」


 そう言いながら案内してくれた。

 ついていこうとした時、ギルファイが横に来てそっと耳打ちする。


「頼りないかもしれないが、守るから」

「え」


 思わず顔をそちらに向ける。

 相手は言いにくそうにしながらも、言葉を続けた。


「……言ってただろ、あの時」


 すぐに頬が火照るのを感じた。

 まさか聞かれていたなんて。


 何も言えず突っ立っていると、前から手を引かれる。

 見ればパーシーが「早くこっち!」と連れていってくれた。


 残されたギルファイはしばらく足を止めていたが、イザベラが傍に寄る。しばらくこちらを見て楽しげに口元を緩ませた後、不意に指を鳴らした。そしてギルファイの手元に数冊の本が降ってくる。受け取りながら背表紙を見れば、「相手の気持ちが分かる方法」「人間観察」「男女間の距離感」という題名が書かれていた。

 

「………………」

「今のお前さんにぴったりな本だろう?」

「……いらない」

「本嫌いは相変わらずかい?」


 ギルファイは眉を寄せる。


「あいつの前では言うな」

「そうだな、本好きのシィーラは驚くだろうな、『じゃあなんで司書になったのか』と」

「…………」


 遠慮なく嫌な顔になる。

 するとイザベラは笑った。


「すまないな、どうにも人をからかうのが趣味らしい」

「悪趣味」

「そう言うと思った。でも彼女にはなかなか思い入れがあるようじゃないか」

「……別に」


 素っ気ない言い方に、イザベラは少しだけ溜息をつく。


「お前さん、そういう所は昔から変わらないねぇ。もう少し欲を持った方がいい」

「欲なんて持ってどうする。意味はない」

「『欲』と聞けば誰もが悪いものだと想像するだろうが、そうじゃないよ。どの言葉も『善』と『悪』は紙一重だ。後は目的にもよるだろうけどね」

「もういいだろ」


 最後まで聞かずにギルファイは歩き始める。

 イザベラはやれやれと思いながらも、その広い背中をしばらく眺めた。

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