35:言葉と態度は裏腹に

「……悪い。遅くなった」


 ギルファイは耳元に口を近づいてそう言った。

 いきなり抱き着かれた事で少し驚いたようだが、おそらくシィーラの様子を見て悟ったのだろう。軽く背中を叩いてあげる。シィーラは何も言わず、ただ泣きじゃくる。抱き着いたまま、涙を流していた。


「ちょっと、こっちも無視しないでくれる!?」


 文句を言ってきたのはパーシーだ。


 見れば話しながらも魔法を使っている。いつの間にかシィーラを追ってきた男達に囲まれているようで、防御の魔法でこの場を守っていた。その間にも男達は魔法を使って攻撃してくるが、今のところなんとか保っている。子供であるのにこの数を対応できるのはなかなかの実力の持ち主だ。


「なんでか知らないけどレイは急に落ち込むし、そっちはそっちでなんかいい雰囲気になってるし! この状況を早く何とかしてよ!」


 見れば確かにレイが呆然と突っ立っていた。

 言葉には出さなくても、表情や態度で落ち込んでいるのも丸わかりだ。


 パーシーの言葉は正論なので、すぐにギルファイも応戦しようとした。が、シィーラが力強く腕の裾を掴んでくるので、動くのを少しためらった。どうしようかと思っていると、急に別の方向から霧のようなものが出始める。だんだん濃くなり、その場にいる皆の姿がかろうじて見える程度になると、近くで「おい」と声が聞こえた。


「私だ。真ん中に集まれ。すぐにここを移動するぞ」


 声のする方に顔を向ければ、グレイシアがいつの間にか立っていた。格好は着ていたままの正装であり、隣にはちゃんとナギもいる。こちらを見る表情はとても静かだが、どことなく緊迫感は伝わった。グレイシアは相手の心が読めるが、その特性を生かしてか、場に溶け込んで瞬間移動するのが得意だ。霧を生み出して魔法の波動を読めなくしたのだろう。


 すぐにパーシーとレイも呼び、皆の距離が近くなった。周りにいる男達も霧のせいでこちらの姿が見えないからか、辺りを探し回っている。グレイシアがひっそりと大移動の魔法を唱えようとすると、ギルファイは何かの気配を感じた。そしてはっとして見ると、霧の中から人影のようなものが出てきて、こちらを襲う。グレイシアが必死で魔法を唱えている間、パーシーがすぐに手を差し出した。


「『稲妻よ貫けセラニュウ・バイ・ライティング』」


 稲津が放たれると人影のような物は消え、同時に場所も移動する。

 見ればグレイシアの屋敷の中だった。


 グレイシアは少しぐったりしたように息を吐く。


「すまないな、この人数だとどうしても移動に時間がかかる」

「別に、グレイシア嬢が謝る事じゃないよ。むしろ助かったし」


 パーシーもほっとしたのかそう言った。

 いつの間にか復活したレイも頷いている。するとグレイシアは少しだけ微笑んだ。とりあえず皆が無事だった事に、ほっとしたのだろう。だが傍にいたナギが、考えるように顎に手を添える。


「それにしても、最後の人影は何だったのでしょう。お嬢様の霧の魔法が破られるなんて……」


 確かにあれには驚いた。いつの間に近寄ってきたのか。気配を感じるのも遅れてしまったし、防御の魔法を破って襲ってきた。並みの魔術師ではない事は分かる。


 グレイシアは少し考えるように黙ったが、間を空けてからこう言う。


「もしかしたら、シィーラを捕まえようとしている張本人なのかもしれないな」


 そしてちらっとギルファイの腕の中にいるシィーラを見る。

 いつの間にか疲れたのか、すうすうと眠っていた。


「彼女が起きてからまた考えよう」


 しばらく休ませようという事になり、ギルファイが部屋まで連れていく事になった。そしてパーシーらも、一度ジェイソンの所に戻るようだ。別れた後、グレイシアが近寄ってくる。


「結局、危険な目に遭わせてしまったな」


 寝ているシィーラの髪を撫でながらそう言った。

 声のトーンが明らかに落ちている。


「……お前だけのせいじゃない。俺の責任もある」


 すると相手はゆっくりこちらを見てきた。


 無表情とも取れるその顔は、何を思っているのだろう。

 だがグレイシアはそれについて触れず、「お前も休め」と一言だけ残してその場を去った。







 シィーラは夢の中にいた。

 夢の中の自分も、目を閉じていた。


 そして急に、ジキルの柔らかい声色が聞こえる。


『あなたがどんな人物なのか、しばらく観察させていただきました。あの時も』


(……あの時?)


『私が危ない目に遭った時です。シィーラさんが助けて下さったでしょう?』


 借りた本を閲覧し終わったジキルの合図によって、シィーラが閲覧室に向かった時の事か。確かあの時ジキルは煙を吸って倒れていた。そして、部屋の角に黒い人影の姿があったのだ。結局あれが誰なのかも分からず、ずっと保留の状態だった。ジキルは倒れていたはずだ。その状態で観察なんてできるだろうか。


 すると予想外の事を言われる。


『あれは私の自作自演です。あなたをおびき出す為の』


(……どうして、そんな事を)


『あなたを観察するためです。危機的状況に、あなたはどう対応するのか』


(そんな事をする必要があったんですか? ……ジキルさんは、何のために)


 するとジキルは冷静な声で答える。


『必要性はありました。それに、あなたの能力を開花させたかったのです。話には聞いていましたが、あなたの所持している魔法書はあなたの得意分野ではない。むしろどの分野であっても器用に魔法を使えるでしょう。ならば逆にその特性を生かそうと思ったのです。他の魔法書をそれなりに使えるように』


(私は別にこの能力が欲しかったわけじゃない!!)


 思わず怒鳴ってしまう。

 すると相手は少しだけ黙った後、申し訳なさそうな声を出した。


『すみませんシィーラさん、結局は私のエゴです。……いえ、私達の・・・、と言った方がいいでしょうか』


(……私達?)


『救ってあげてください、あの方達を』


 後半になるにつれて声が聞こえづらくなる。

 そのまま言葉を待ったが、それからジキルの声は消えてしまった。







「待って!!」


 がばっと起き上がると、ベッドの上だった。見渡せばグレイシアに用意された部屋だ。いつの間にか朝になったのか、窓からは明るい光が差し込んでくる。


 息を切らしながらも、シィーラは冷静に頭を動かす。

 そして思い出した。いったい何があったのか。そして同時に、もう一つの事も思い出す。シィーラは自分の手をゆっくり見る。見ながら、急に震え始めたのを感じた。自嘲気味に吐き出す。


「……そうか、使ったんだ。魔法を」


 たくさんの氷の山。血を流しながら倒れている複数の男。

 そうしたのは、シィーラ自身だ。そしてまだ、魔法を放った感触が残っている。あの時はそれどころじゃなかった。パニックになっていた。だが今なら思い出せる。何が起こったのかも。




「つまり、催眠の魔法をかけられたと?」

「はい。何をされたのかはそれくらいしか覚えていません。でもその後に言われたんです。『いつものように書物の知識を思い描いて魔法を放てばいい』と」

「……なるほど。それで催眠状態のまま魔法を使い、目を覚ました時にはそこにいた男達は倒れていたわけか」


 シィーラはすぐにあの時何が起こったのか、グレイシア、ナギ、ギルファイの三人に話した。パーシーやレイはまだ来ていないようだ。とりあえずいるメンバーに現状を伝える。


 ジキルはシィーラを一度催眠状態にした上で、他の魔法書が使えるのかを試したのだ。そして意識のない中でも、身体に覚えさせようとした。実際その通りになったし、氷の魔法を放った事も覚えている。意識がなかったとはいえ、あんな事をしてしまったのは自分でも少し痛々しく思う。


「だが、疑問がいくつか残るな。どうしてシィーラは魔法書を持っていないのに魔法が使えた」


 確かにシィーラは植物学の魔法書しか所持していなかった。それなのになぜ氷の魔法が使えたのだろう。魔法書を使ってでなければ魔法は使えないというのに。これはシィーラも分からなかった。もしかしたら何かしらジキルが細工したのかもしれない。例えば、ジキルがその魔法書を持っていた、とか。


「それにいくら試そうとしても、仲間の魔術師共に放ったりするか?」


 確かにもしジキルがあっち側の人間なら、そんな事はしないだろう。それともその場にいた男どもとは面識がなかったのか。それともジキルの狙いはそこではなかったのだろうか。


「シィーラさんが狙われているという噂と、複数の魔法書を扱える守護者ガーディアンを探しているという噂……やはり別物なのでしょうか。襲ってきた魔術師は明らかにシィーラさんを狙っていましたが、ジキルさんはそうではありませんでした。むしろその力を開花させただけです」

「だがなんでそうする必要があったのか、って話だろ」


 ギルファイがゆっくり告げる。


 確かにその通りだ。夢の中で何度もジキルに問いかけたが、分からなかった。そして最後に言われた意味も……分からなかった。最後の言葉は誰にも打ち明けていない。こんな事を言っても事態がよりややこしくなるだろうと思ったからだ。ひとまず話し合いは終わり、それぞれ部屋に戻る事になった。




「もう身体はいいのか」


 帰りながらギルファイに聞かれる。

 シィーラは小さく笑った。


「よく寝ましたから。大丈夫です」

「そうか」


 まだ何か言いたげだったが、シィーラはその視線を避けた。今はこれ以上話したくないと思ったのだ。そして思い出したように自分のポケットから指輪を取り出す。この機会に返そうと考えた。


「これ、ありがとうございました。鎖が粉々になってしまいましたけど……」

「別にいい」


 そう言いながら受け取る。

 ギルファイの手に渡った後、思わず聞いた。


「それ、魔法の指輪ですか」

「……まぁ、そうだな」

「へぇ」


 シィーラはそれだけしか返せなかった。少し口ごもったところを見れば、言いたくないのかもしれないと思ったのだ。あまりよく覚えてないが、指輪が光ってギルファイが来てくれた。場所の特定を把握できる指輪なのかもしれない。


 しばらくギルファイは黙ったが、不意にシィーラの首元を見た。


「その跡」

「え?」


 手が首に触れる。


「痛っ」


 触れたところが地味に痛かった。

 反射的にギルファイが手を引っ込める。


「悪い」

「いえ……」


 自分も首に触れた。


 跡のようなものが連なっていた。

 感触で思い出す。鎖で引っ張られた時にできたものだ。


 確かに遠慮のない引っ張り方だった。少し息苦しく感じたが、数日もすれば跡くらいなくなるだろう。ギルファイが心配そうに見てきたので、シィーラは苦笑する。


「大丈夫ですよ、これくらい。どうせすぐ治り」


 ますし、と言うところでギルファイから肩を掴まれた。

 首元に顔を近づけられ、柔らかい感触が伝わる。


「…………」


 シィーラは固まってしまう。

 だが相手はそれが終わって少ししてから、顔を上げた。


「呪文を口で言うように、口元には魔力が残る。だから直に触れる事で治癒の魔法が使える場合もあるんだ。気休めかもしれないが、少しだけ跡も引いたように……シィーラ?」


 丁寧に説明をしてくれたが、シィーラからすればそれどころじゃなかった。頭に知識など入るわけない。ギルファイは戸惑ったような表情で顔を覗き込もうとしたが、思わず睨み付ける。色々緊迫した事が起きて忘れていたが、そういえばこの人はこんな事を平気でする人だった。


「シィーラ」

「いきなり行動しないで下さい。できれば言葉で伝えてからにして下さい!」

「え、」

「失礼します」


 ギルファイを放っておいて自分の部屋に向かう。

 ずんずん歩いて行きながら、後ろから追ってくるような気配はない。それはありがたい事でもあった。歩き続けながら、きっと自分のために行ってくれたのだろうという事は分かった。が、そのやり方が少し気にくわなかった。一応異性同士なのだから、もう少し距離感を気にしてほしい。


 部屋について思い切りドアを閉める。


 傍にあった鏡に自分の姿が映り、見れば確かに首の跡が若干薄くなったような気がした。が、同時に赤くなった自分の顔も映っており、シィーラはすぐに顔を背けた。


 コンコン。


 ドアにもたれていたいたので振動が背中に伝わった。一瞬ギルファイかと思って身構えたが、すぐに「ちょっと、いるんでしょ?」と甲高い声が聞こえてくる。その声ですぐに誰か分かった。シィーラは慌ててドアを開ける。見れば案の定、パーシーだ。


「少しは休めた? 今大丈夫?」


 タキシードではない普通の服だ。

 だがそれよりも、第一声の言葉に少しだけ拍子抜けしてしまう。


 すると相手も怪訝そうな顔をした。


「なに」

「あ、いえ、心配して下さったんだなって……」


 するともっと嫌な顔をされた。


「危ない目に遭った相手に対して、罵倒するとでも思ったわけ?」

「い、いえそういうわけでは」


 結局今罵倒してるんじゃないだろうか、というツッコミはきっと怒られるだろうから秘密にしておこうと思った。だがパーシーはふん、と鼻を鳴らして腕を組む。


「僕、そこまで非道じゃないから」

「はい……。あ、助けていただいて、ありがとうございました」


 改めてお礼を言う。

 結局あの時も簡単なお礼しか言えなかった。


 頭を下げると、今度はきまり悪そうな顔になる。


「いいよ、一度お礼言ってくれたんだから。それと敬語もやめて。あんた僕より年上でしょ?」

「でも」

「いいから」


 そこまで言われてしまったら、敬語を外すしかない。「さん付けもやめて。呼び捨てでいいから」とまで付け足された。ついでに自分の事も名前で呼んでほしいと伝えると、渋々承諾してくれる。


「それで、パーシー……は、どうしてここに?」

「グレイシア嬢にはさっき伝えたんだけど、お昼から図書館に来てほしいと思って」

「図書館?」

「そ。うちの館長がシィーラに会いたがってるの」

「私に?」


 フォルトニアの館長には一度も会った事がない。

 というか、フォルトニア王立図書館自体、行くのが初めてだ。


 どうして館長が会いたいと思ってくれたのかは分からないが、図書館に行けるのは純粋に嬉しいと思った。たった一日、二日図書館を離れただけで、本を読んだり触れたい思いが出てくる。目を輝かせながら楽しみにしていると、パーシーが急に「それよりさ」と話題を変えてきた。


「あんた、ギルファイ・バルドとできてるの?」

「…………は?」

「いや、だってなんか抱き着いてたし。そういう関係なのかなって思って。前は冷徹だったのに少しは表情が変わったってレイも言ってたし、何か心境の変化とかあったのかなって……ちょっと、シィーラ?」


 後半の言葉は耳に届いてなかった。

 そして今更ながらに思い出す。


 そういえば自分は、ギルファイに恥ずかしい姿を晒していなかったか? 今になってあの時の事が事細かに思い出してしまい、顔から火が出てしまう。あんな姿を晒してしまったなんて、とんでもない醜態だ。しかもギルファイには見られなかったものの、指輪を見て助けてほしいと叫んだ。正確に言えば「守って」と口にしていた気がする。なぜギルファイに? 何であの時は平気でそんな事を言ってしまったのだろう。


 一人悶絶していると、パーシーが引いたようにこちらを見る。


「……なんかよく分からないけど、ようはシィーラがギルファイに好意を寄せてるって事?」

「違うからっ!」


 これははっきり否定した。

 声の大きさで相手はびくついていたが、シィーラは構ってられなかった。


「あっちがいけないから。私は何も悪くない、誤解させるような事を平気でしてくるあっちが悪いんだから! それもデマよ。それ以上言ったら怒るからね!?」

「わ、分かったよ」


 さすがのパーシーもたじたじになる。


(でも、言葉と表情が一致してないんだけど……)


 これは心の中で呟いておいた。

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