34:ある学者の思惑
「少し雰囲気が変わりましたね」
「え?」
歩きながらジキルに言われた。
聞き返せば、小さく笑われてしまう。
「ギルファイさんです。雰囲気が柔らかくなったなと思って。シィーラさんのおかげでしょうか」
「そうですか?」
苦笑しながらそう答えてしまう。
確かに前より優しくなった気はするが、それでも雰囲気が変わったまでは分からない。それにもし変わったとしても、それがシィーラのおかげであるとは限らない。レナにも似たような事を言われたが、自分がしてるのは迷惑をかけているだけで、ギルファイの雰囲気を変えられるだけの実績も残せていない。だから全くもって信じられなかった。
「先程も、心配そうにシィーラさんを見ていましたよ」
「それは……」
少しだけ言いよどんでしまう。
自分でもまさかあの場でペンダントを預けられるとは思わなかった。しかし、服の中に隠していたからだろう、そんなものを身につけていたとは。見れば年季が入っている物だったので、昔からつけているものなのかもしれない。司書の証だろうかとも思ったが、まず形が違う。司書の証はシルバーで魔法書に関連する形になっている。
だがこれは正真正銘の指輪だ。指輪を首にかけられるようにしているだけで、司書の証とはまた別物だろう。しかし、ギルファイが司書の証をつけている姿を見た事がない。むしろつけているのだろうか?
脱線して別の事を考えていると、ジキルはなぜか嬉しそうに微笑んでいた。
「人は人との関わりが増える事でまた変わります。ギルファイさんもそうなのでしょうね。シィーラさんは
シィーラは苦笑しながら聞いていた。
そう周りに評価されても、はっきり証拠はないので素直に喜べない。自分以外の人だったらきっとここは喜んでいる場面だろうに。どうやら自分はひねくれ者のようだ。
だがここは少し話を変える事にした。
「あの、ジキルさんは心理についても研究されてるんですよね? やっぱり相手の気持ちとか分かったりするですか?」
ジキルはよく図書館に来てくれるが、いつも研究が忙しいのか、研究内容について話す事はほとんどない。あっても借りる本の事とか、
「正確に言えば、心の中で何を考えているのか全て分かる人はいません。ただ、
言葉以外の表情や態度で、相手の事がほぼ分かってしまうという事か。無意識に出してしまうサインに気づく事ができれば、こちらもそれなりの対応ができる。それが分かるだけでも十分にすごい。感心してシィーラが何度も頷いていると、ジキルは少し苦い顔をした。
「でも、私はできません。研究はしますが、それを実践しようとは思えないのです」
「え、どうしてですか?」
自分なら喜んで習得したいくらいなのだが。
実際利用者の対応をする時にも役立てられそうだ。
「確かに研究している身なので、多少は分かる事もあります。でも大事なのは結果ではなく、過程なのです。なぜ目の前の人物がそのような感情を持ってしまうのか、それを考えて行動する事に、意味はあると思います」
「でも相手の気持ちが分かった方が、考えて行動できると思いますけど」
相手の気持ちが分かれば、相手に対して失礼な行動をする事もないし、予防する事もできる。むしろ分からないからこそ、人は衝突したり迷惑をかけたりするんじゃないだろうか。
すると首を振られてしまう。
「いいえ、そうとも限りません。相手が『笑顔』だから必ず喜んでいる、楽しんでいる、とは言えないでしょう? それに、いつも笑顔の人が急に真顔になるだけで『怖い、怒っている』という印象になる事があります。それはその人がいつも『笑っている、何事も楽しんで行える』と、周りが勝手に思ってしまうからです。同じ人間ですから、悲しむ時も怒る時もあるというのに、態度や印象だけで見られる事が多いんです。……どの人も千差万別。同じ人なんていません」
確かに最初の印象は強く残る。現に自分も「真面目」で通っているし、一緒に働く司書達からもそう言われている。それにいつも「真面目だから」と言われてはこっちも気が滅入る。真面目だからなんだ、人間だから誰だって真面目なところはあるじゃないか、と思う事もある。実際ギルファイには言い返したのだが。
だが同時に、自分もイメージだけで人を判断しているんじゃないのか、と気づかされた。セノウはいつも元気で明るいがひどく落ち込んだ時もあったし、アレナリアだっておしとやかに見えて大胆に行動する時がある。こうやって考えれば、知ったふりをして相手の事を決めつけていただけなのかもしれない。もう少し相手を見て、相手の知らなかった側面も理解したいと思った。
考えながら真剣な顔になったシィーラに対し、ジキルはこう続けた。
「それに、迷惑をかけたからといって、誰もが困るなんて事はありません。家族や友人、仲間だからこそ迷惑をかけたくないと思ったりしますけど、逆に周りからすれば、迷惑をかけてほしい、頼ってほしい、と思ったりします。人は、支え合うものです。一人では生きられないと、私は思います」
「…………」
自分が助ける側なら、相手を助けたいと思う。逆の立場ならきっと、迷惑だから助けを求めようなんてしないと思うけども。でも、それは誰もが思ってしまう事なんだろうか。仕事でよく周りに迷惑をかけている立場だが、それを気にしているのは自分だけで、周りはそうではないのかもしれない。
「新人なのだから失敗するのは当たり前」と言ってしまえばそれまでだが、それでも評価してもらえているところは評価してくれる。それに叱る時もその場だけ、という事が多い。知らぬ間に、自分は色んな人達に助けられているのだ。それはきっと、あの人にも。
「もしかして、気持ちを知りたい方がいらっしゃるのですか?」
「え?」
「ギルファイさんとか」
「な、なんでっ」
薄っすらと考えていた相手の名前を出され、無意識に顔が赤くなってしまう。すると相手も驚いた顔をした後、一呼吸おいてからこう言った。
「……冗談で口にしたのですが、当たったようですね」
シィーラは思わず顔を隠す。何より心理の研究をしているジキルに言われた事が少し痛かった。
「別に私は、ギルファイさんが普段何を考えているか分からないので、少しだけでも分かりたいと思っただけです。ジキルさんなら分かるのかなと思って」
「なるほど。ですがギルファイさんは分かりやすい方ですよ」
「……周りの方もそう言いますけど、本当に分かりますか?」
皆と同じような事を言われ、少し不満な声になってしまう。
すると相手はなだめるように微笑んだ。
「ええ、ギルファイさんははっきり出す人ですから。思った事は口か表情に出します。言いにくい時は表情に出す事が多いですね」
あまりにあっさり言われた。
確かに言われるとそんな気もする。大抵口か表情だ。
するとこちらの表情を察してか、こう付け足される。
「本当はシィーラさんも、よく分かってるんじゃないですか?」
思わず頬に熱を帯びた。
だが、黙ってしまう。やっぱり自分は素直じゃない。
ジキルはただくすっと笑った。
「焦る必要はありません。短時間で相手を知るのは難しい事です。相手との関係が親密になればなるほど、相手の事も見えてきます。ゆっくりでいいんですよ」
「はい……」
確かに、少し焦っていたのかもしれない。
なかなか相手の事が分からなくて、どう接していいのか迷った。むしろ分からないし衝突する事も多いしで、もっと知った上で接したいと思ったのだ。だが、最近は関わる事が増えて少しは分かったような気もする。本当は皆のようにもっとギルファイの事が分かるようになりたいのだ。気持ちばかりが、きっと先走り過ぎていたのだろう。
話をしているうちに、ある一室についた。
どうやら事前にグレイシアから借りていたらしい。
部屋に入り、お互いにソファに座る。
「それではシィーラさん、私からもお話ししてもよろしいですか?」
「あ、はい」
元々話があって連れられたのに、どうしても気になって色々質問してしまった。だがジキルは「私もたくさんお話できて嬉しいですよ」とフォローしてくれた。いつもは別の事ばかりなので、シィーラに質問されるのも新鮮に感じてくれたのだろう。
しばらくすると、ジキルは穏やかな笑みを消してこう言ってきた。
「複数の魔法書を使える
「!」
話が全く別物になり、思わず背筋が伸びる。
だが相手は変わらない表情でこちらを見ていた。その表情は、何を考えているのか、訓練もしていないシィーラに分かるはずもない。だが、自分も意見はきちんと伝えた。
「……私は、いないと思います」
「なぜ、そう考えますか?」
「そんなの、考えてみれば分かる事です。一つの魔法書で精一杯なのに、複数の魔法書の知識を頭に入れる事はできません。
実際自分の得意分野の魔法書を使っている人が多いが、そんな人達だって日々勉強している。ただ持っている知識だけを使うのではなく、新たに習得しないと上手く使いこなせなかったりするのだ。
するとジキルは納得するように頷いた。
「なるほど。シィーラさんも他の方と同意見なのですね」
「どういう意味ですか?」
「シィーラさんと他の方がおっしゃっているのは、『狭く深く』の場合です。でも私の意見は違います」
「……ジキルさん、何を言ってるんですか」
思わずそんな言葉を投げかけてしまった。
なぜなら悪い予感がしたのだ。目の前の人物が、信じ難い事を言うような気がした。
だが、相手は変わらぬ表情のまま静かに告げる。
「――『広く浅く』なら、複数の魔法書を所持するのは可能です」
思わず目を見開く。
一瞬身体が動かなかった。
「そんな、そんな事」
「できます。あなたなら」
「え?」
ジキルはすぐにシィーラと目を合わせ、指を使って真っすぐ線を描くように動かす。思わずその指が動く位置に目を合わせれば、急に視界が霞んだ。一気に眠気が襲ってきたのが分かり立とうとしたが、バランスを崩してそのまま床に膝をつく形になる。
それでもどうにか、ジキルの顔を見ようとした。
すると相手はなぜか、いつも見せる優しい笑みを浮かべていた。
はっとして目を覚ます。
場所が変わり、どこか分からない部屋にいた。
……そして、目の前の光景が信じられなかった。
「なに、これ」
なぜか自分の周りに複数の男が倒れていた。周りを見れば氷の山のような物がたくさんあり、男達もそれによって負傷したようだった。氷のかけらや粒など、よくは分からないが部屋中に転がっている。ほとんどが血を流して倒れているが、うめき声や荒い息は聞こえてくるので、とりあえず生きてはいるようだ。
シィーラはほっとしたが、それでも不安は消えなかった。
なぜ自分がここにいるのかが分からない。と同時に、何があったのか、思い出せない。だが急に、頭がちくっと痛む。そして、幻聴のようなものが聞こえ出した。
『あなたはきっと、忘れません。例え意識や記憶になくても、五感が覚えています。今起こった事も、私が言った事も』
声の主はジキルだった。
辺りを見回すが、その姿はない。
『私は能力を開花させただけ。その力を使えるのはあなた自身です。そして、私はあなたの魔法を信じています』
「……ジキルさん、どこですか。どこにいるの」
部屋にいないと分かったものの、声をかけずにはいられなかった。姿は見えなくても、声だけは耳に届く。きっと近くにいるはずだ。そう信じて歩き回りながらジキルを探す。
『また会いましょう、シィーラさん』
はっきりと聞こえた。
だがその言葉の後、ジキルの声は消えた。
「ジキルさん、ジキルさん!!」
思わず叫んだが、その姿はない。
ただしんと静まり返った。
シィーラは身体が震え始めた。
とにかくこのままでは危ないと、本能で分かった。
部屋のような場所にいたが、急いでドアを開けて出る。
出るとグレイシアの屋敷ではない事は明白だった。辺りは暗く、目の前に何があるのかも分からない。どうしてこんな場所にいるのか、ここがどこなのか、気になる点はたくさんあったが、とにかく逃げないといけない。シィーラはとりあえず、どこかも分からない場所に向かって走り始めた。
すると、遠くで複数の声が聞こえてきた。
「おい、さっき魔法の音が聞こえなかったか」
「待機している奴らの応答がない。確認する必要があるな」
「もしかして逃げ出したんじゃ」
自分の事だと、すぐに分かった。
声も音も立ててはいけないと思いながらも、無意識に息は荒くなる。とにかく進まないといけないと思っていると、急に人影が自分の目の前を通る。思わず叫ぼうとすると、相手はシィーラの口を手で塞いだ。
「おい、人質の姿がないぞ!」
「こっちもやられてる。早く見つけ出せ!」
同じような格好をした男達が走り回っていた。
見つかりそうになったが、部屋の角に隠れて身を隠す。口を塞がれて慌てたが、シィーラは見覚えのある人物の姿に目を丸くした。男達が移動してから、そっと手が離される。
「レイさん……!?」
小声で聞けば、灰色の瞳を持つ青年はゆっくり頷く。
確か一度ユジニア王立図書館に来た、フォルトニア王立図書館の司書だ。久しぶり過ぎる再会に驚いたが、なぜここにいるのかが気になった。だが驚いたままのシィーラに対し、ひょっこり小さい影が現れる。
「ちょっと、僕もいるんだけど」
「えっ」
見れば茶色の気の強そうな瞳を持つ少年だ。
同じくフォルトニア王立図書館の司書であるパーシーだった。
「ど、どうしてお二人が」
「あんたと一緒。グレイシア嬢に招待されたから来てたんだよ。で、あんたが連れ去られてるのをレイが見つけて、追ってきたってわけ」
ユジニア王立図書館の司書が招待されるなら、この国の司書が招待されるのもおかしくない話だ。見れば確かに二人ともタキシードを着ている。ちなみにジェイソンと一緒に招待されたらしい。シィーラは少し気が抜ける。
「そうだったんですね、ありがとうございます……!」
感謝して頭を下げる。
二人ともぎょっとしたが、パーシーはすぐに顔を背けた。
「レイが一人じゃ不安だからって、ジェイソンの命令で来たんだからね。別にあんたのためじゃないから」
「はい。それでも、ありがとうございます」
パーシーは少しきまり悪そうな顔をしたが、そっぽを向いたままだ。レイはただ微笑んでくれた。相変わらず口数は少ないが、表情で伝えてくれる。
とりあえずこの場から出る作戦を立てる事にした。レイが魔法で対応する間に、シィーラは外に逃げ、パーシーが援護する、という形になった。ここに隠れたままでは、いつ見つかるか分かったものではない。それならばさっさと動くに限る。
辺りを見渡しながら、三人は動き出す。
案の定近くいる男に気づかれたが、レイが魔法を放った。
その間にシィーラはただ前だけを見て走る。
「いたぞ! 追え!!」
自分を捕まえようとする声が聞こえ怯えそうになったが、それでも足だけは動かした。パーシーも魔法を唱える。子供といってもさすが司書として大人と一緒に働いているだけある。しっかりとシィーラを守ってくれた。そして外に脱出できた。
だがこのまま逃げ切れるかと思うところで、急に首が閉まるような感覚に陥った。
「ん、かはっ……!」
「ようやく捕まえたぞ」
見れば後ろで男の一人がペンダントの鎖を掴んでいた。
どうやら瞬間移動で背後に回り、捕まえるために使えると思って掴んだのだろう。これにはパーシーもレイも予想しなかったのか、焦ったような表情になる。その間も男は遠慮なく鎖を強く引っ張っていた。シィーラは、息ができず、声さえも出ない。
だがレイは冷静に手を出した。
「『
瞬く間に鎖がバラバラになり、弾け飛ぶ。
シィーラはその場に倒れた。
男は舌打ちをしながら捕まえようとしたが、続けてパーシーが魔法を使う。
「『
すぐに魔法で捉え、身動きができなくする。
男はバランスを崩して、その場に転倒してしまった。
シィーラはその場に倒れたが、目は指輪を追っていた。
ギルファイから受け取った物。きっと大事な物だ。ちゃんと返さないといけない。
指輪はそう遠くまでいっておらず、シィーラはすぐに手で掴んだ。そっと手を緩めれば指輪が見え、ほっとすると同時に、なぜか涙が溢れてきた。青い美しい宝石を目にしながら、その色がギルファイの瞳と似ていたのだ。そして、そのまま涙を流す。無意識に言葉も出ていた。
「なんで、こんな時にいないの」
この時の自分は、混乱していたのかもしれない。
それでもシィーラは、思いのままに叫んだ。
「守ってよ、守って……!!」
すると指輪から、眩しい光が生まれる。
それはシィーラの傍に寄ろうとした二人も、そしてシィーラを捕まえようとした男達の目を塞ぐほどに大きい光だった。そして光が消えてから、シィーラもゆっくり目を開ける。すると自分が来てほしいと思っていた人物がいた。
「シィーラ」
真剣な顔で息を乱すギルファイの顔が目の前にある。
シィーラは迷わず抱き着いた。
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