31:二つの口づけ

 本当に一瞬の出来事だった。


 一瞬で触れたかと思えば、目を覚ます。

 間近にあるギルファイの端正な顔が映った。


「『姫が! 姫が目を覚まされた!』」

「『よかった、よかったです姫!!』」


 周りがわあわあ何か言っている。おそらく家来役のセリフだろう。という事は、この場面はきっと最後だ。それに気付いてから、はっとした。周りには皆がいる。それに、観客の歓声も聞こえてくる。つまり、夢の中から戻ってこれたという事か。するとギルファイがゆっくり起こしてくれた。


 そのまま台本通りのセリフを言うのだろうかと思っていると、ぼそっと呟かれた。


「よかった」


 どことなく微妙な顔をしている。

 戻れるかきっとギルファイも心配だったのだろう。


 これにはさすがのシィーラも苦笑した。







「なんとかなったな」

「ええ」


 その様子を見ながら、ウィルとアレナリアは話していた。

 舞台袖で衣装に身を包んで次の演劇の出番を待っている。


 安心したウィルをよそに、アレナリアは少し難しい顔をしていた。言い方を気を付けていたら、こんな事にはならなかったかもしれないのに。もちろんローズマリーは気分屋なので、絶対に夢から戻れない、というわけではない。今回のように、ちゃんと帰してくれる時の方が多い。


 それでも、それは信頼を寄せた相手だけだ。まだ新人のシィーラに対しては、風当たりはきっと強かっただろう。ギルファイのおかげで戻ってこれたが、先に本の住人について伝えればよかった。伝えて説明する時間もなかったため今回は省いたが、彼女も同じ守護者ガーディアンの仲間だ。少し甘く考えていたのかもしれない。小さく溜息をつくと、ウィルは気付いたのかアレナリアに笑顔を見せた。


「そんな顔するなよ。今回はたまたまこうなっただけだ。それにちゃんと戻れたし、シィーラもこれに懲りて次からは気を付けるだろう」


 アレナリアも頷いた。

 きっと謝ったとしても、気にせず彼女も笑ってくれるだろう。


 だがウィルは急にそわそわし始めた。

 カーテンの間から見える観客の数を見て、渋った顔になる。


「正直、思ったより人の数が多くて俺はそっちの方が気になる」


 一瞬目が点になったが、これには少し笑ってしまった。

 確かに今自分達は目の前の事に集中しないといけない。


「では、お互いに頑張りましょうね」

「ああ。……アレナリア」

「? はい」

「その、劇が終わったら、話したい事がある。いいか?」


 急に真面目な顔をされ、アレナリアも目を合わせた。

 優しく微笑みながら、こう聞く。


「今、話してはくれないんですか?」

「え。そ、それは無理だ。劇どころじゃなくなる」

「まぁ。そんなにすごい話なんですか?」


 大袈裟に言ってみると、ぎょっとされた。


「おまっ、……からかってるだろ」

「あら、バレましたわね。ふふ、分かりました。楽しみにしています」


 するとウィルは何度か頷く。

 その後は互いに話さず、劇に集中した。







 シィーラ達が出ていた演劇は無事に終わり、休憩を挟んでからアレナリア達の演劇が始まる事になる。色々あったので皆に休めと言われ、シィーラは司書用に用意されていた観覧席で少し休んでいた。守護者ガーディアンとしてもまだ新人であるため、裏方の仕事もしなくていいと言われたのだ。とりあえず終わってほっとする。


 夢の中、正確に言えばローズマリーが所持している管理人の本の中に入ってしまい、戻れないかもしれないと知った時は本当に焦った。どうにかギルファイが来てくれたおかげで助かったが……と思っていると、あの時の事を思い出しそうになる。慌てて首を振って思い出さないようにしていると、後ろから声をかけられた。


「シィーラさん」

「わっ!!」


 いきなり背中を叩かれたので思わず声を上げてしまった。

 その大声にレナが後ずさりをする。


「ど、どうしたんですか」

「レ、レナか……びっくりした」

「びっくりしたのはこっちのセリフですよもうー!」


 怒られてしまい、さすがにシィーラも謝った。

 するとすぐに機嫌を良くして、きらきらした目で聞いてくる。


「で、どうだったんですか? ちゃんとキスシーンできました?」

「ちょ、なんて事聞いてるの!?」


 また大声で怒鳴ってしまう。


 するとその声に周りの観客が反応を示す。

 さすがに申し訳なくなり、二人共頭を下げて小声で話した。


「何で大声出すんですか!」

「そんなの普通聞かないでしょ!」

「ただその場面がちゃんと上手くいったのかなって、心配しただけじゃないですか!」


 そこまで言われてから、シィーラは気付いた。


「……え、ちょっと待って。レナ、見てなかったの?」


 するとむっとした顔をされる。

 そして持っていたのか、ある本を見せられる。


「おすすめの本を紹介する役割でしたから。忙しくて見に来れなかったんです」


 その本は前にシィーラに紹介してくれたものだ。


 確かかなりベタ甘な内容だったのを覚えている。内容も前にレナが丁寧に説明してくれたので覚えているが、なぜかその内容とセリフがどこかで重なっていたように感じた。どこだろうと思っていると、レナが声を上げる。そしてシィーラの裾を掴んできた。


「ほら、ほら! もうすぐ始まりますよ!」


 これには思わず凝視した。アレナリアが出る「美女と野獣」だ。きっと今回も素敵な内容になっているだろう。シィーラもレナと一緒に夢中になった。




 一言でいうなら、今年も最高の仕上がりだ。

 観客も会場一体となって、場面場面の雰囲気に飲み込まれていく。


 アレナリアが適役だっただけではなく、ウィルも適役だった。野獣の時は野獣の仮面をつけていたが、それはそれでよく似合っていたし、怒鳴る場面はウィルそのままだ。最初は少し緊張しているようにも見えたが、慣れたらその後は自然な演技をしていた。アレナリアが言ったように、役的にやりやすかったのだろう。素人には到底見えない。そして、物語は最後の場面を迎えた。


 父の病気を知ったベルが一度家に帰った後、野獣は倒れてしまう。ある晩、野獣が死にかける夢を見てベルは急いで野獣の待つ城に帰った。だが城に着けば、倒れている野獣の姿がある。


「『ああ、私が早く帰らなかったから……!』」


 ベルに扮したアレナリアは慌てて野獣であるウィルの傍に寄る。ウィルは苦しい表情のまま、ゆっくりと名を呼んだ。それを聞き、アレナリアは手を握った。


「『ごめんなさい、ごめんなさい。私のせいで。ほんとうにごめんなさい』」


 アレナリアは涙をぽろぽろと流す。


 するとその涙がウィルの顔に落ち、眩しい光が放たれた。

 しばらくその光で観客も目を閉じる。だがその光が止んで見れば、今度は野獣の仮面ではないウィルの姿になる。元の姿の王子になったのだ。ここで観客から小さい歓声が上がった。


 元の姿に戻ったウィルは微笑む。


「『ありがとう、ベル。おかげで魔法が解けた。どうか俺と結婚してくれ』」


 アレナリアは涙を流しながら、笑みを見せた。


「『はい』」


 そう言いながらウィルの元まで走り、抱き着いた。


 ここで一気に歓声が上がる。

 シィーラも思わず大きい拍手をした。他の観客も満足そうに笑っている。


 そのまま抱き着いたアレナリアをウィルが持ち上げるという、一種のパフォ―マンスもあった。そして本来ならこの後、二人は抱き合ったまま幕が閉じる。だが、ここで誰も予想しない展開になる。


 ウィルがアレナリアをおろそうとした時、アレナリアは顔を動かした。


 そしてそのままウィルにキスをしたのだ。しかも唇に。


「え」


 素で声を出したシィーラに、レナは思いきり「素敵……!」と自分の両手で顔を包んでいた。だがシィーラと同じように、観客達は一瞬静かになる。だがさらに大きい歓声を上げた。


 しかもキスがなかなか終わらない。ウィルはおろそうとアレナリアの腰を掴んでいる状態のままで止まっている。……遠目でも分かる。あれは固まっている。アレナリアの行動に一番驚いているのはウィルなのだろう。しかもこの熱狂の中もし拒絶すれば、一斉に観客を敵に回す。しかもせっかくのいい雰囲気もおしまいだ。もはやアレナリアのなされるがままになっていた。


 しばらくしてからようやくアレナリアは顔を上げる。

 その顔はどこか艶やかでとても美しかった。いつものように微笑みを見せてくれる。


 一方ウィルは放心状態だったが、すぐに微妙に笑った。

 笑わないといけない状態だからだろう。


 最後の結末があまりに濃かったため誰もが驚きを隠せなかったが、それでも無事に演劇は終わる事ができた。しばらく観客の熱狂が止まらなかったらしいが、それは司書や守護者ガーディアン達がどうにか対処する。こうして無事に演劇も幕を閉じる。後は閉館時間まで利用者の対応をするのみだ。とはいえ演劇目当てに来る利用者ばかりなので、それが終わると帰宅する人の方が多い。人が減った場所は早めに片づけを行うようにして、司書達も最後までバタバタ走り回っていた。




 ウィルも着替えを済ませ、片付けを手伝おうと思った。

 だが、まずはアレナリアに会わないといけない。約束した場所に迎えば、同じように着替えていたアレナリアの姿がある。ウィルの姿を見て微笑んだ。


「お疲れ様です」

「……お疲れ」


 随分日が暮れ、風も吹き出した。

 そのせいで髪が揺れるが、そんな中でもアレナリアは綺麗だ。


「……最後、なんで、あんな事したんだ」


 どうしてもそれを先に聞きたかった。


 台本にはそんなのなかったはずだ。それに、アレナリアは舞台であろうと相手役にそんな風に口づけをする事などない。今まで舞台を見て知っていたし、そんな話も聞いた事がなかった。アレナリアの性格からしても、あんな風に人前でやるほど大胆であるとも思えなかった。


「それをあなたが聞きますか?」


 アレナリアは近づきながらくすっと笑う。

 そしてそのまま言葉を続けた。


「ずっと、ウィルさんの気持ちは、なんとなく知っていました。周りの方も噂していましたし」


 驚きつつも、後半の言葉はなんとなく検討がついた。

 どうせからかうのが好きないつものメンバーのせいだろう。


「でも、ウィルさんは、他の人とは少し違いました。それは、『好意』というより『憧れ』に近い視線で……私も、どっちなのか分からなくて」


 どこか迷うような声色だった。


 それは、ウィル自身も思っていた事だ。いつもただ遠くでひたむきに本と向き合うアレナリアの姿を見て、ただ純粋にすごいと思った。そして同時に、憧れた。そんな風に本と向き合うように、自分も見てもらえたらどんなにいいだろう、と。だが自分とじゃ、絶対釣り合わないと思っていた。見た目が強面であるし、女性との関係も持った事がない。自分には一生縁のない話だ、と、決めつけていた。それでもアレナリアは、後輩として、遠くから見守りたいと思っていたのだ。


「ウィルさんは、とても優しくて頼りになる方です。いつも助けて下さって、誰に対しても変わらない態度で、本当に、誠実な方です。私も司書として、憧れていました。……でも今は」


 続きを言わせる前に、ウィルはアレナリアの腕を引いて抱きしめた。


「ごめん」

「……なんで、謝るんですか?」

「俺が、俺が待たせた。お前は、長い事待ってくれたのに」


 最後まで聞いていないが、アレナリアはきっと自分から言ってくれるだろうと信じて待ってくれたのだ。そして、少なからず想ってくれていたのだ。それなのに、自分は気付かなかったなんて。


 するとアレナリアはそっとウィルの背に手を回す。


「遅いですよ」


 消えるような声だった。


 ウィルは力を込めて抱きしめる。

 アレナリアもその痛みに耐えるように目を閉じた。


 そして身体を離した後、ゆっくり見つめ合う。

 二人は気持ちを確かめるようにして、顔を重ねた。







 無事に創立記念日が終わり、今まで通りの日々が戻ってきた。


 だが変わった事もある。創立記念日の後、ウィルとアレナリアが恋人同士になったらしいのだ。その噂を聞き付けた人は、なんと二人が劇の後に抱き合った姿を目撃したらしい。しかもお揃いの物を身に着けているだの、二人の時はお互いに愛称で呼んでいるだの、その噂は隅々まで広がっている。ちなみに当の本人達には皆何も言えないようで(それなりの司書歴と実力があるので迂闊に聞けないのだ)、ひっそり話している。そんなに噂が広がっているのだから、いつか本人達の耳にも届くだろうとシィーラは思ったが。


 ちなみに守護者ガーディアンの男性達は遠慮なくウィルをからかっていた。まず会えば万歳三唱、それが終われば胴上げ。しまいにはどうくどいただの質問攻めだ。ウィルからすれば拷問並みの仕打ちじゃないだろうか。だがドッズはただ嬉しそうに「やっとくっついたな」とぼやいていた。どうやらドッズは二人が両片思いである事を知っていたようだ。さすが館長代理、と言うべきだろうか。


 だがシィーラも、二人が結ばれて嬉しく思っている。

 思った通り、幸せな結末を迎えてくれた。とはいえ、きっとその物語は続くのだろう。結ばれても喧嘩をしたり、困難に遭ったり、するかもしれない。それでもこれからは、二人三脚で歩んでいくはずだ。


 そんなおめでたいと思える事もあれば……困った事も起きた。




『シィーラ』


 名前を呼ばれる。

 聞いたある声に。


 そして顔が近くなる。


 そこでがばっと起きた。

 ぜいぜいと息を乱しながら、周りを見る。自分の部屋だ。


 シィーラはゆっくりと背中から倒れ込む。

 そして顔を両手で覆った。


「夢……。いや夢だけど、夢だけど……夢じゃない」


 自分で何を言っているのだろう、とツッコミをしたくなる。

 実はあの出来事から、ずっと同じ夢を見る。しかも同じ相手が出てくるのだ。


 そして、今朝も見た。


 こんなに続けて見たら、そんなに気にしてるのか、と自分で問いかけたくなる。確かに気にしているところはある。だってあれは、普通に考えてするべき事ではなかったのだから。だが、ギルファイの方はどうなのだろう。気にしているのだろうか。それとも、どうでもいいと思っているのだろうか。


 そんな事を思いながら歩いていると、少し遠い場所でギルファイの姿を見た。ドッズと何か話し込んでいる。実は創立記念日の後、忙しいのか一緒に仕事をする機会が減った。姿を見ても忙しそうにどこかへ向かう事が多く、話もできない。いや、今は話ができなくてよかったと思っている部分もあるが。


 するとドッズとの話が終わったからか、急にこちらを見てきた。

 見過ぎていたせいか、思わず視線を逸らしてしまう。


 そしてまたちらっと見れば、なぜか睨まれていた。

 思わずびくつく。さすがに失礼だったかと思い頭を下げた。


 するとふっと笑われる。そして手を振られた。

 シィーラもそっと振り返すと、また小さく笑われる。そして ギルファイはどこかに行ってしまう。


 それを見た後、前よりも優しくなった、と思った。こんな風に笑いかけてもらう事も、手を振ってもらう事もなかったのに。それに、「仲間だと認めている」とも言ってくれた。つまり、それなりに自分も信頼を持ってもらえている、という事だろうか。それは少し、嬉しいかもしれない。


 なんとなく気分が良くなり、午前中はてきぱきと仕事が終わる。順調に終わったせいか、午後一番にする仕事がなくなった。なんとなく魔法書がある書庫に向かうと、自分が疑問に感じている事を思い出す。シィーラは足を進めて向かった。


 前に教えてもらった場所まで行き、そっとドアを開ける。


 もしかして閉まっているんじゃないかと思ったが、普通に入れた。そして、いつものように綺麗に整理されている魔法書を眺める。書かれている題名を見ながら、自分が探す本があるかを確認した。物珍しい本もたくさんあるため、思わず引き込まれそうだ。そのうち、ある一冊の本が目についた。真っ赤な表紙だ。


「何してるの? お姉さん」


 触れようとしたら声をかけられ、手を止める。そして声がする方を見れば、少年が立っていた。白いシャツに首元には暗い赤色のリボン。いつの間に現れたのだろう。だが少年は真っ赤な瞳でシィーラを見た。


「館長の書庫に勝手に入るなんて、随分手癖悪いね」


 そう言われては言葉に詰まってしまう。

 確かに許可なく入っていい場所ではない。


 だが少年はにっこり笑った。


「大丈夫だよ、内緒にしてあげる。それに『契約』について調べに来たんでしょ? 俺なら分かるよ。教えてあげようか?」

「……え、いいの?」


 なぜ知りたいと思った事が分かったのか不思議だったが、持ち前の好奇心には勝てない。怪しむ前に、シィーラは素直に聞いてしまった。すると少年は深く頷いてくれる。


「もちろん。じゃあまず、質問に答えてもらおうかな」


 そう言ってにやっと笑う。


 子供らしからぬ笑みに、シィーラは少しだけ怖気づいた。 

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