30:童話の管理人
「ねぇ、これどんな話なの?」
「なかなか素直になれない二人が結ばれる、どこか強引で切ない、でも最後はハッピーエンドの純愛物語です!」
「あら素敵じゃない。じゃあこれ借りようかしら」
「あ、ではどうぞあちらへ。カウンターがございますので」
奥にある貸し出し専用のカウンターに案内すると、若い女性は会釈しながらそちらに向かった。レナはそれを見て嬉しそうににこにこする。すると傍で同じように本を紹介している司書が、どことなく眉を寄せながら声をかけてきた。
「レナお前、恋愛小説ばっかり薦めるなよ。女性だからってそれに興味ある人ばっかりじゃないんだぞ?」
「なーに言ってるんですか。女性の一番気になるジャンルといったら恋愛以外にありませんよ。それに、あの利用者の女性だって興味持ってくれましたし」
するとその司書はまだぶつぶつ何か言っていた。
これだからねちこい男は面倒だ。だがレナは完全に無視して来る利用者(特に女性)に自分の薦める本を紹介する。紹介しながら、ちらっと時計を見た。この時間だと、シィーラが行う演劇が丁度始まったばかりだろうか。結局利用者がひっきりなしに来るので、レナは見る事ができない。
(今頃シィーラさんお姫様になってるのかぁ。あーあ、見たかったなぁ。あわよくば最後のキスシーンでも見られたら……いや、どうせシィーラさんとギルファイさんだから、本当にはしないんだろうな)
いくら質の高い演劇を極めるといっても、やっているのは司書達だ。しかも個人の尊重はちゃんと守られる。お堅いシィーラとギルファイじゃ、間違っても本当に口を合わせるなんて事はしないだろう。それはレナもちゃんと分かっていた。だが、ちらっとだけ自分の薦める本を見る。
幸せな結末など、物語ほど簡単には見られない。
予期せぬ事が起こる現実だからこそ、きっと小説より面白いのだろう。
そんな事を思いながら、くすっと笑った。
「『オーロラ姫、せっかくの誕生日だ。何か欲しい物はあるかい?」』」
「『いいえ。私はお父様とお母様、そして城の皆が健康でいてくれたらそれで幸せですわ』」
「『まぁ、なんていい子なのかしら』」
シィーラは自分の最初の出番を難なくこなした。
国王と王妃に挨拶をした後、一度舞台から下がる。
同じように舞台袖にいた出演者達から「お疲れ」「良かったよ」と言われて軽く微笑む。やっぱり練習と違って会場の熱気はすごい。いくらセリフが少ないからといっても、緊張して足がすくんでしまいそうだ。会場ではなく会話をする相手の顔を見ればいいのがまだ救いである。だが、次は一人の場面だ。
舞台は一瞬にして、オーロラ姫の自室になる。ここでシィーラ扮するオーロラ姫が糸車を初めて見るのだ。話の流れでは、魔女の呪いを恐れた国王が国中の糸車を焼いたはずだった。しかし、なぜか糸車が部屋に置かれていたのだ。オーロラ姫からすれば、糸車が何なのかも分かるはずがない。
タイミングよく暗くなってから舞台の真ん中に立つと、光が当たる。
「『一体これは何かしら』」
糸車を見つけ、そっと近付いた。
本来なら右手で先に触れるという予定だったが、思ったより拳の腫れが痛々しかったので、左手で行う事になった。幸いにも、舞台から見て左袖からシィーラは現れる。なので右側部分は目立たない。観客から見ても左手で行った方が分かりやすいだろう。当初の予定と変わったものの、それくらいシィーラもできると思っていた。
しかし、利き手じゃなくなって距離感があまり掴めなかったせいか、それとも多くの観客から凝視されて緊張したせいか、ほんの少しだが、先に触れてしまう。
(あっ)
確かアレナリアに触れてはいけないと言われた。
本物の糸車だから、と。だが触れた後も、特に何も起こらなかった。面倒な事にはなるが大丈夫だ、と言われたし、きっと大丈夫だろう。と思っていると、急に眠気がやってくる。
そして一瞬のうちに目が閉じられ、そのまま身体が倒れてしまう。
「『姫!』」
「『姫様ー!!』」
倒れた姿を見つけ、家来の役をしていた者が叫ぶ。
この時のセリフも、シィーラの耳には届かなかった。
「「「「…………」」」」
シィーラの様子を見ていた
「……今触ったよね」
「触りましたね」
綺麗に言葉を返したロンドも苦々しい顔をしている。
セノウは顔を真っ青にさせた。
「どうするの、演劇中だよ!?」
「落ち着いて。まだ戻れないと決まったわけじゃないわ」
「だ、だって。それにしたってどうやって戻ってくるの!?」
アレナリアもなだめているが、顔は少し深刻になっていた。
一応警告はしたが、シィーラの性格上何があっても絶対触れないだろうという信頼があった。それは他の皆も一緒だ。それに演劇の質を上げるためには、偽物よりも本物を使う方がいいだろうという事になったのだ。その手配などは
「……俺が行く」
「「「「!!」」」」
ギルファイの声に皆が反応した。
すかさずドッズが聞く。
「どうやるんだ。お前もうすぐ出番だろ」
オーロラ姫が眠ってしまった後、妖精達が国中を眠らせる。そしてその噂を聞き付けた王子であるギルファイが登場する場面がある。そこでギルファイが出ない、となると、客だけでなく出演者も混乱してしまう。ギルファイ目当てに来る客もいるだろうし、代わりに誰かがが王子になるわけにもいかない。
「それはちゃんとやる。最後の場面がチャンスだ。それでシィーラを連れ戻す」
「できるのか」
「なんとかする」
そこでなんとかなる、と答えない辺りは褒めてもいいかとドッズは思った。最後の場面で、と言ったのは、唯一シィーラと接触できるからだろう。そのタイミングで行って無事に帰る事ができれば、演劇も無事に終わる事ができる。だがその間何が起こるか分からないので、油断もできない。ある意味賭けだ。
「分かった。周りもフォローする。いいな」
「「「「了解」」」」
皆は声を揃えて返事をした。
シィーラは目を閉じていた。
身体が軽い。まるで浮いているかのようだ。
そんな風に思っていると、ふっと目が開く。
見ればそこは自分の知っている場所じゃなかった。
周りはどこか薄暗く、そして無数にドアが並んでいる。どのドアの色も、形も、同じものは一つもない。こんな場所、図書館の中にあっただろうか。そう思っていると、急に鈴が鳴るような声が聞こえてきた。
「やっとお目覚めですこと?」
見ればそこに一人の少女が立っていた。
歳は十くらいだろうか。フリルやレースのあしらわれた服にふんわりとしたスカート、それにヘッドドレスを付けている。全体的に真っ黒だが、レースは全て白地だ。かなりふりふりの格好をしている。
「あなたは……?」
「まぁ。
随分階級の高い令嬢のような口調だ。
ウェーブかかった茶髪に青い瞳を持っている。見た目からしても令嬢っぽい。
シィーラが
「
「管理人? ……え、ここは、本の中なの?」
確かに見た事がない場所だし、シィーラと少女以外には誰もいない。だが、なぜ自分が本の中にいるのかは分からない。戸惑う様子で周りを見ていると、ローズマリーは溜息をついた。
「呆れた。あなた、自分がしでかした事が分かってますの?」
「え?」
「糸車に触れたでしょう?」
それを言われてはっとした。
確かに自分は触れてしまった。
そしてそこから、何が起こったのかも分からなくなった。
「説明するために話を戻しますけれど、ここは様々な『童話』を管理している場所ですわ。そして、
つまり、たくさんある本の中でも特定の本の管理をしている、という事か。しかもこの本から「眠れる森の美女」の道具を取り出していたとは。なんでも
「だから、その間は絶対に『触れない事』を条件にしてるんですの。だってこれらは現実世界にあるわけではないんですのよ? 人間の願いのために本にある物を勝手に使うなんて……そんな事は許されませんわ。だから
なんとなくは分かったが、今初めて聞いた話ばかりだ。
まさか人間と本の間にも守るべき事があったなんて。
とりあえずシィーラは聞いた。
「あの、ここから出るにはどうすればいいの?」
するとローズマリーはあっさり答えた。
「そんな事できませんわよ?」
「え」
「当たり前でしょう、勝手に約束を破ったんですから」
「え、そんな。それじゃ私一生……」
アレナリアの言葉を思い出す。
じゃあ一生目覚めないという事だろうか。
このままここで囚われの身になるなんて冗談じゃない。シィーラは近づいてローズマリーの両腕を掴んだ。その上で、相手と視線を真っ直ぐに合わせる。
「お願い、帰して。私このまま眠ったままなんて嫌」
まだ
だが相手は鼻で笑った。
「冗談じゃないですわ。約束を破った人をすぐ帰してあげると思いまして?」
これには少し言葉が詰まった。それは確かにその通りだ。思えば自分がアレナリアの言葉をしっかり聞いていなかった事に問題があった。自分の責任だ。これは自分で解決しないといけない。
「分かった、何でもする。だから……!」
するとローズマリーは何かしら考えるような素振りを見せた後、にやっと笑った。
「
「う、うん」
「その言葉、本当に守ってくれますの? やっぱり嫌だ、なんて言うのは許しませんわよ?」
脅されているのがありありと伝わる。
少し先走り過ぎたか、と思ったが、今更前言を撤回するなんて事はできない。それに、相手に信用してもらうためには、それなりの誠意を見せる必要がある。シィーラは覚悟を決め、頷いた。
するとローズマリーは微笑む。
「ではシィーラ、童話というのはどういうお話の事を指すんですの?」
いきなり質問され、少し面食らう。
答えようとしたが、思わず止まった。
「……待って、どうして私の名前を知ってるの?」
まだ名乗っていないはずだ。
するとローズマリーは心外、という風に顔を振る。
「
つまり、本の中であろうと館内の事が分かるのか。
聞けば本の住人は他にもいるらしく、シィーラの事も知っているらしい。シィーラからすれば初耳だ。こっちは知らないのにあっちは知っている、という状況は微妙に居心地が悪い。その間にも司書として、
だが早く答えろと言われてしまったので、慌ててその事は一旦置いといて、答えた。
「主に子供が読む、民話や伝説、創作された物語が書かれている作品の事。子供に配慮しているから、良い事は良い、悪い事は悪い、とはっきり書かれている物が多い」
「そうですわね。何が良くて何が悪いのか、子供にはっきり伝える必要があったりしますから。もちろん、子供だからこそ見せられない、曖昧にしている部分もありますけれど……」
最後はひっそりと言った。
シィーラは黙って聞いておく。
確かに童話の中には、あまりに残酷すぎる内容が書かれている場面もある。だが子供にそれを読ませるのは良くないという事で、改定したり大まかにカットされていたりする。子供の頃は無邪気に読んだものだが、いざ成長して最初から最後まで書かれている童話を読んでみると、あまりの違いに驚いたものだ。
「でも
それは共感できるので、シィーラも頷いた。
しかしそんな風に言うという事は、ローズマリーもやっぱりそれくらいの年齢なのだろうか。大人びてはいるが、実年齢は分からない。それに本の住人と言っていたし、人間……とはまた違うのかもしれない。
そんな風に思っていると、ローズマリーは急に指を鳴らした。
「!!」
すっとギルファイが姿を現す。
最初は目を閉じていたが、すぐに開いた。
しかも衣装の格好のままである。
「よくも許可なしに勝手に来ましたわね、ギルファイ」
「そう言いながらあっさり入れてくれたな」
ローズマリーは微笑んでいたが、少しだけ苛立っていた。だがギルファイは落ち着いていた。そのやり取りを聞いてすぐに分かる。シィーラを連れ戻しに来てくれたのだ。
「それで? 新人の教育が全くできていないんじゃなくて?」
腕を組みながら顎でシィーラを指してきた。
少しだけむっとしたが、確かにその通りなので何も言えない。
「悪いな。こいつは普段約束を破るような奴じゃない。
「……ふうん。あなたにしては甘いですわね」
シィーラを庇ってくれているのだろう。きっとそうでもしないとローズマリーが納得してくれないからだ。ギルファイの言葉に、他の仲間の顔が浮かんだ。ありがたいと同時に、申し訳ないと思った。信じてくれたのに、このように恩を仇で返すような事をしてしまって。大丈夫だから大丈夫だろう、なんて考えが新人なのだ。約束は守るからこそ約束であるのに。地味にへこんでしまう。
「まぁいいですわ。今回は特別に、
「なんだ」
するとローズマリーはちらっとシィーラを見た。
ここでどうして自分を見る必要があるのだろうと思いながらも、深く頷く。きっとさっきの脅しだ。何でもする、と言ったのだから。すると彼女は予想外のお願いをしてきた。
「では、王子と姫のキスを見たいですわ」
「「…………は?」」
タイミングよく二人の声が合わさった。
しかもローズマリーはなぜか頬を赤らめる。
「だって王子と姫の格好をしているでしょう? しかもどうせ演劇ではキスのフリなのでしょう? 『童話』の管理者としては全く面白くありませんわ。だから今ここで見せて下さったら、帰してあげてもいいですわよ?」
「な、あれは二人共が愛し合って」
「あら何をおっしゃるのシィーラ。『眠れる森の美女』では姫は寝たきりですわ。そこに王子が愛のキスをするんですのよ。つまり、二人は生まれながらにして運命の相手という事。キスによってそれが証明されるのですから、何も問題ありませんわ?」
問題ない、と言われたが問題はあるだろう。
しかもあれは物語の話だ。実際じゃない。それにキスというのは愛し合った者同士がするものだ。こういうノリでするものじゃない。シィーラの考えからしてもあり得なかった。
「じゃあそれをしたら俺達は帰れるのか」
隣で言われてぎょっとする。
「もちろんですわ」
ローズマリーはにこにこしながら答える。
今なら言えるが、どことなくこの少女はレナと似ているのかもしれない。
するとギルファイがシィーラの正面に立った。
距離が近くなって思わず後ずさりをする。
だが手を掴まれる。
「すぐ終わる」
「そういう問題じゃないです」
真顔で言われたので真顔で返した。
するとギルファイはちらっとだけローズマリーの方を見る。
「そうでもしないと帰れないぞ」
「それは……」
「ここは普通の魔法書と違って本物じゃない。夢の中だ。実際に行った事にはならない」
シィーラが気にしているであろう事を言ってくれた。確かに本当にするわけじゃない……が、それでもできない。大体今までそんな経験もした事がないのに、どうやって心構えをしろというのだろう。だがローズマリーとも約束した。約束を今度こそ破る事はできない。
少ししてからようやく覚悟を決め、頷いた。
「分かりました」
だがそう言った後、いつの間にか呼吸が乱れる。
緊張しているのだ。柄にもなく。
だがこのまま時間が経つ方が恥ずかしいと思い、シィーラは先に目を閉じる。ここはギルファイに任せた方がすぐに終わるはずだ。するとギルファイがゆっくりシィーラの両肩に手を置いた。身長差があるので、支えが必要なのだろう。近づいてくる気配を感じながらも、目は閉じたままでいた。
すると今度は左頬に手が添えられる。
ごつごつした手の感触が肌に伝わってきた。
ギルファイの吐く息も頬にかかりそうになった時、シィーラの心臓は今まで以上に鳴った。そして耐えられなくなった。やっぱり無理だと思って目を開く。
「待っ」
開いた瞬間に目の前に綺麗な瞳が見えた。
そしてシィーラの言葉を飲み込むように、相手の唇が重なった。
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