18:契約の恩恵とリスク

「ああ、そういえば出会ったのは初めてかな。ここの館長をしている者だ。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」


 握手を求められたので、シィーラも手を差し出す。

 すると館長は変わらぬ笑みでこう付け足した


「実は名乗らないのが私の性分でね。気軽に『館長』、と呼んでくれたので構わない」

「は、はぁ」


 名乗らない、とはっきり言う人に出会ったことがなかったので、少し面食らう。しかもあの有名なユジニア王立図書館の館長だ。他の司書にはない、どこか威圧的な、それでいて人懐こそうな雰囲気を持っている。今も相手を安心させるような柔らかい笑みを保っているが、何を考えているのかは読めない。


 そんな事を考えていると、館長は「ははっ」と軽く声を上げた。


「君は勤勉だね。初対面の相手に対していつもそんな風に分析しているのかい?」

「え!? い、いえ」


 露骨に表情に出していたのだろうか。自分としては無意識だったのだが。


 すると館長は特に気にせず、自然とシィーラの横に並んだ。


「すごいだろう、この魔法書の数。ここの本は私が管理しているんだ」


 確か魔法書は、管理されている場所が決まっている。

 本によっては、管理する人が分かれているのだろうか。


 シィーラも館長と同じ目線を向ける。


 きっちりと綺麗に整頓されているのを見ると、今日の午前中に整理した書庫の本とは質が違う事が分かる。なぜなら本当に重要な本なら、あんなぞんざいな置き方にはなってないはずだ。とはいえあれはあれで、大切に扱う必要がある本だろうが。どうしても魔法書の数と司書の――主に守護者ガーディアンの数が比例してない事で整理が出来ていないのだろう。いつも司書達は雑用に追われている。


「そういえば君は、ギルと行動を共にしているのかな」

「ギル……ギルファイさんですか?」


 急に聞かれたので、思わず聞き返す。

 館長は頷きながら言葉を続けた。


「どうかな、彼は」

「どう、と言われましても……」


 正直まだ分からない、というのが素直な感想だ。

 言葉には出していないが、表情で分かったのだろう。館長は陽気な声で笑う。


「そうだろうなぁ、ギルのことを理解するのに時間はかかるだろうね。少し気難しいが、とてもいい子だよ」

「はい。それはなんとなく、分かります」


 根はいい人だと思う。何度も助けてもらっている。

 それに先程レイに対して冷たい態度だったが、結局花も渡してくれた。きっともっとギルファイの事を知れば、扱い方も分かってくるだろう。ちなみにあの花は栞として、今シィーラの手元にある。


 シィーラの答え方に満足したのか、館長は微笑んだ。

 そして今度は、少し凛とした声色になる。


「ドッズとセノウの『契約』については、小耳に挟んだかな?」


 思わず相手を凝視してしまう。まさかこのタイミングで自分が知りたいと思っていた内容を言われるとは、微塵も思っていなかったからだ。


「今日フォルトニアの司書達が来ただろう。君も立派なここの司書だ。知る必要があると思ってね」

「……まだ入って間もない司書の私が、聞いていい内容なんですか」


 一呼吸置いて聞く。

 どうにかそれだけ言えた。


 聞きたい、という気持ちと、聞いてもいいのか、という不安があった。


 重要そうな内容であるのに、昼食でも誰も触れなかった話題なのに、自分に聞く資格はあるのだろうか。聞いた後で、それを受け入れられる自分がいるのだろうか。


「…………」


 館長は真っ直ぐこちらを見つめた。

 初めて見る表情だった。だが、すぐに顔を緩める。


「本当に君は真面目だ。だからこそ、皆が信頼を寄せる。私も分別はする。君は聞くに値する人間だよ」


 そう言われ、やっと息ができるようになった。

 思わず荒い呼吸をしてしまう。無意識に緊張していたようだ。


 館長はゆっくり頷き、そして再度口を開いた。


「契約の内容は、簡単に言えば『魔力を共同する事』だ。これによって魔術師が持つ魔力を、魔力を持っていない者に二分に渡す事が出来る。そして、魔力がない者でも魔術師と同様に魔法を使う事が出来る」


 それを聞いて シィーラは納得した。

 だからドッズはあの時、魔法書を使わずに魔法が使えたのだ。


「もちろん、良い事だけではない。それだけのリスクがある」

「リスク……」


 そういえばジェイソンもそんな事を言っていた。

 一体何だろうと思えば、急に耳元で低い声が聞こえた。


「おい」

「!?」


 思わずびくっとして振り返れば、ギルファイだ。

 いつの間にか部屋に来ていたらしい。彼の姿を見て、館長は嬉しそうに微笑んだ。


「おやギル。久しいな」

「こいつにどこまで話したんだ」

「リスクを伝える前までは。続きはギルが話してくれ。私も用事があるからね」

「えっ」


 あまりにもあっさりそう言われ、シィーラはうろたえた。

 だが館長は気にせずに優雅に手を振る。そして次の瞬間、その場から消えた。


「えっ、えっ!?」

「あいつも魔術師だ。だから瞬間移動なんて日常茶飯事だぞ」

「え、そうなんですか!?」


 まさかセノウ以外にも魔術師がいるとは思わなかった。

 だがギルファイは気にせず軽く溜息をつく。どうやら続きの説明するのが面倒らしい。


 言葉では何も言わないことが多いが、こうも態度で示されるとさすがにシィーラでも分かる。どこか気に食わないと思いながらも、シィーラは怯まずに聞いた。


「それで、リスクって何ですか?」


 ギルファイは一回ちらっと見て、また目線を前に戻す。

 そしてぼそっと口にした。







「さて、そろそろ私も帰ります」


 持っていた帽子を被り直しながら、ジェイソンは立ち上がった。


「もう帰るのか」

「おや? 私が帰るのがそんなに寂しいですか?」


 にやにや笑いながら言われたが、ドッズは心底嫌そうな顔をして答える。


「そういう意味じゃねぇ。自分の国に帰るのか、って聞いてんだ」

「ああ」


 きっと分かっていただろうが、ジェイソンは笑ったまま答えた。


「少しは観光しますよ。いつも仕事でしか来れませんしね。パーシーやレイにも、この国の良さを知ってほしいと思っていたりしますから」

「……そういや、その二人はこの事知ってんのか」

「いえ。パーシーはまだ子供ですし、レイは少し扱いづらい所がありますからね」


 あの小生意気な子供は分かるとして、寡黙な男が扱いづらいと言うのは少し意外だった。言動的にも謙虚に感じたのだが。するとジェイソンは苦笑する。


「普段は寡黙ですが、自己主張はしっかりします。私の言う事を聞かない時もありますし」

「そいやうちの司書を口説いてたな」


 シィーラに花を渡していた事を思い出しながら言う。

 なかなかにきざな事をするもんだと思った。


「彼にとっては、シィーラさんが可憐に映ったのでしょうね。確かに見た目は可憐ですし。中身はかなり違う感じですが」

「否定はしないな」


 ドッズはあっさり言い放った。

 ジェイソンはくすくすと一通り笑った後、不意に真面目な顔になる。


「セノウの事、くれぐれもよろしくお願いしますね」

「当たり前だ」


 即答で答えれば、ジェイソンはふっと笑う。安心したような顔だった。そして帽子を外して一礼した後、その場から消えていなくなる。瞬間移動で図書館の外に出たようだ。


 いなくなったのが確認できた後、ドッズは一度、椅子に深く腰掛ける。

 長い時間話したせいか、どっと疲れた。内容が濃かった事もある。


 とりあえず今一番気にかかるのは、セノウだ。

 さて、どうしようか。


 そんなことを思っていると、ガチャッとどこか遠くで錠が開く事が聞こえた。

 ドッズははっと立ち上がる。


(……この音は)


 誰かが魔法を使ったと分かり、ドッズは全力で走り出した。







 館長はゆっくりとある部屋に入る。

 そこにはセノウの姿があった。最も、うずくまった格好だ。


 顔は横に向けていたため、表情が見える。

 うっすらと涙が流れたまま、寝息を立てている。おそらく、泣き疲れて眠ってしまったのだろう。


「……まだ、諦めていないんだね」


 健気な彼女の事を思いながら、館長は軽く笑った。

 アッシュに全て聞いたのだ。契約の解除など、出来るわけがないのに。セノウはずっとその方法を隠れて探している。それは自分のためではなく、ドッズのためだろう。


 館長はふと真面目な口調になる。


「誰が悪いわけでもない、むしろ色んなことが重なりすぎて起こった事であろうに……。ここの司書達は自分を責める者が多い」


 そう言いながら、セノウに向けて手をそっとかざした。







 ノックもせず、ドッズは乱暴にドアを開ける。

 するといきなり飛び込んできたのは、無数の光。


「!」


 見れば、館長が一冊の本を持って立っていた。

 左手には司書の証である鍵を持ち、その先にセノウの姿が見える。


「セノウ!!」


 ドッズが叫んだ瞬間、光は一瞬にして消える。

 ゆっくりと体勢を崩したセノウを支えるように、ドッズは駆け寄った。


 そして館長を睨みつける。


「何を、してらっしゃったんですか」

「魔法を感知したのか。さすが、セノウの魔力と言ったところかな」

「質問に答えて下さい!」

「――辛い記憶を本に記憶させただけだよ」


 そうして持っていた本を差し出す。

 見れば題名が「セノウ・ステンマ」となっていた。


「本に記憶させるのは一時的にしかならない。また思い出すだろう。契約をした事も、今日の出来事も」

「…………」

「セノウの場合は特に抱え込み過ぎる。一時的でも忘れた方が、彼女のためだと思ってね」


 自分の早とちりだと知り、ドッズは冷静さを取り戻した。

 そして、今を含め、過去の過ちを思い出してしまう。


「……すみません、俺のせいで。俺は、いつも」

「謝る必要はどこにもないよ、ドッズ。自分を責めるならば、責任者の座を降りてもらうことになる」


 一見優しいが、厳しい言葉を浴びせられる。

 ドッズは歯を食いしばった。


 そうだ、ここで弱音を吐いてる場合じゃない。自分はやらないといけない事が多い。それを果たさないと、司書の皆にも、セノウにも、顔向けができない。


 表情が変わった事が分かり、館長はまたいつもの柔らかい笑みに戻った。


「彼女を連れて行ってあげなさい。私はまた別の仕事に戻るね」


 そう言ってすぐに去ってしまう。

 本当に、神出鬼没と言われるだけのお人だ。


 ドッズは苦笑しながらセノウをおぶった。




 長い廊下を進みながら、背中に重みを感じる。

 それだけ成長したのだ、彼女も。


(大きくなったな)


 娘に似た感情を持つ。本当に、背丈も、容姿も、大人の女性に近づいている。中身はどうだか分からないが。なんて、そんな事を言ったら怒られてしまうだろうか。


「ん……ふああ、あれ。ドッズ?」

「起きたか」

「私、寝てた?」

「ああ。疲れてたんだろ、もう今日は休め」


 すると不思議そうな顔をされる。


「どうしたの? 今日珍しく優しい。雨でも降るかな。あ、今振ってるか」

「……俺はいつも優しい。お前、馬鹿にしてるだろ」

「ドッズはたまにしか優しくないもーん。いつも口うるさいし」


 今日の出来事も覚えてないからか、普段通りに憎まれ口を叩いてくる。最も、これは二人の時だけだ。普段はしっかり敬語も使うし、上司として敬う。だが二人になった途端に変わる。互いに遠慮する仲ではないからだろうが、今日は妙に居心地良く感じた。


「……そっか、そうだな」

「? どうしたの、今日変だよ?」

「別に変じゃねぇよ」


(居心地がいいなんて、口が裂けても言えるか)


 誤魔化すために流そうとすると、セノウは腕の力を強めた。


「……?」


 思わず振り返れば、セノウはなぜだか嬉しそうな表情をしていた。


「私も、」

「あ?」

「私も、こうしてる時、居心地良いって思ってるんだよ」

「え、お前、まさか」

「そういえばさっき面白い利用者がいたんだよー! 雨の中に必死に本を返しに来てくれてね、それで、」

「いやおい答えろお前絶対さっきの……!」


 まさか滑って口に出していたのだろうか。

 焦って顔が赤くなるドッズに、セノウはただ笑って返すばかりだった。







 ギルファイは静かに、だがはっきりと答えた。


「『一人が欠ければ、もう一人もいなくなる』」


 シィーラは頭が真っ白になる。

 ――――なんだそれは。


「契約は鎖で繋がれているのと一緒だ。離れる事が出来ない。つまり、一人が死んだらもう一人は生きられない」

「そんな、」

「魔力が一つになってるんだ。それは命も繋がってるのと同じ事」

「……どうして、どうしてそんな危険な契約を」

「そうせざるを得なかった事情があったからだろ」


 強い口調で言われる。

 シィーラはそれ以上何も言えなかった。


 ギルファイもしばらく黙っていたが、やがてこう言葉を続けた。


「……俺達に出来るのは、支える事だ」


 その方法しかない、と言うような口調だった。

 ちらっと相手の表情を見る。


 自分よりもどこか寂しげだ。

 だが、その瞳は力強く前を見ていた。

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