12:童話の世界
「うっ……」
シィーラは小さく呻き、そしてゆっくりと目を開ける。
いつの間にか身体はうつ伏せになっており、地面に当たっている顎が若干痛い。辺りを見回しながら、恐る恐る動き出す。すると目に映ったのは、一面緑だ。木々が生い茂っており、思わず唖然とする。
確か、ここは図書館の中だったはず。
それなのに、なぜいきなり緑豊かになっているのか。
「お、大丈夫かー?」
「ヨクさん、ここは……。え」
シィーラは知らぬ間に眉を寄せてしまった。
目の前にいるのはいつものようにへらっとした笑みを浮かべるヨク。
本人で間違いないはずなのに、本人じゃない。
いや、本人なのだ。だが……格好がおかしい。
「…………ヨクさん、なんですかそれ」
「ちょ、そんな変な目で見んといてくれんっ!? あれやあれ! これ別に自分の意志でやったわけやないけんっ!」
「いや、弁解したくなるのも分かりますが、なぜ狼の格好になってるんですか」
「ちょ、ドライすぎるやろっ!」
冷たい視線のままでいるシィーラに、ヨクは少しだけ泣きそうな表情になった。
そう、なぜかヨクは狼になっているのだ。
詳しく言えば、狼の
「それにな、俺だけやないんでっ!? 自分の格好だって見てみいっ!」
「え?」
下を見ると、派手な赤い靴。フリルのあるスカート。頭にもいつの間にか赤い頭巾を被っている。シィーラは目を見開いたままあちこち自分の身体を触った。先程の動きやすい私服ではない。しかも……司書の証もない。服装が変わった事よりも、そっちの方が気にかかった。
すると慌てた様子で分かったのか、ヨクは「落ち着け」と手を出した。
「これはこの世界に来たけんこうなっとるだけや。ちゃんと出たら服装も戻るし、証もあるから」
「そ、そうですか。…………世界?」
ヨクの話を聞いて一瞬安心しかけたが、シィーラは聞き返す。
どうやってこの場所に着いたのか、思い出したのだ。
確か、いきなり停電になって黒い物体が現れた。
そして、ヨクが童話のページを開いてそこに向かって飛び込んだ。
つまり、ここは……。
「そ、ここは童話の世界。ちなみに今回は『赤ずきん』の世界やな。やけん、俺らもこんな格好ってわけ」
そう言いながらヨクは、自分の頭の上にある狼の可愛らしい顔をぽん、と叩く。
シィーラは目を白黒させた。
「……は。ど、どういう事ですか。本の中って……」
「魔法書の本ならこんな風に俺らが中に入る事も可能ってことや。最も、物語上の本だけやけど」
思わず絶句する。
魔法書はただ魔法が使えるだけでなく、中にも入れるのか。
ちらっと再度辺りを見てみれば、確かに表紙に写っていた赤ずきんがいた森と似ている。しかし、本当に信じられない。ここが現実世界である事も疑ってしまう。シィーラはそのままヨクに聞いた。
「あの、これは現実なんですか? 夢とかではなく」
「夢ではないな。実際生身で来たんやけん。『幻想』って言葉も当てはまるとは思うけど。怪我したら怪我したまんまやけん、気を付けなよ」
最後のセリフはいやにリアルで少し顔が引きつった。
確かにヨクと一緒にここに来て、身体が吸い込まれる感触を味わった。
だから夢、なんて事はないだろう。だがなんだか……現実味がない。どこかファンタジーっぽくもある。しばしシィーラは考えたが、今度はどうしてこの中に入る事になったのか、理由が気になった。するとヨクはいつの間にかリラックスしてその場に寝っころがりながら答える。
「あのままやったら確実にやられるやん? やけん、避難」
「え。ここは安全なんですか?」
「あのままよりはマシやわー。ま、出るにはちゃんと物語の順に終わらせないかんけど」
ふわぁっ、と大きな欠伸をし出した相手に、シィーラは唖然とする。つまり、赤ずきんの物語の順番……お母さんのいいつけを聞いて狼に会ってお花畑でお花を摘んでいる間におばあさんが食べられ、訪ねたら自分もがぶっといかれるわけか。一瞬で頭を巡らせて難しい表情になったせいか、ヨクは「シィーラってほんと真面目によく考えるなぁ」と呑気に言われた。
「……私、最後はヨクさん扮した狼に食べられるってわけですか?」
「ま、そうやな。こんな風に狼になっとるみたいやし」
「わぁ、嫌だ……」
「ちょい、本音を言うなやっ! 心配せんでもすぐに終わるやろうけん、」
ヨクが狼のように両手を広げて近づきながら「ぐおー」と鳴き真似をする。シィーラは無意識のうちにその場から距離を取った。おそらくそのままがぶっとするつもりだったのだろうが、そうはさせない。シィーラの真剣な表情に、ヨクは少しだけ呆れたように手を下ろした。
「そんな警戒せんでも、狼としての役割を果たそうとしただけやのに」
「今その場面じゃないですよ。順番通りじゃないといけないんですよね?」
するとヨクが再度自分の頭の上の狼の顔を軽く叩く。
「細かいなぁ。多分この着ぐるみ狼が魔法とか使って一瞬で終わらせるやろうけん、大丈夫やって」
「いや、全然大丈夫じゃないですか。なんですかその適当な説明」
「……シィーラだんだん俺に対する扱いひどなってないか?」
「ヨクさんが真面目にしてくれないからですよ」
直球でそう答えると、ヨクはうっと少し怯んだ。
だが少し不機嫌そうな顔になり、そしてすっと手を自分の胸の前に出した。
「っ!?」
ヨクは何も発する事なく、手を開いて自身の持つ炎の魔法を起動する。その威力がどんどん強くなり、シィーラは思わず後ずさりした。だが見れば、いつの間にかヨクの口元には笑みがある。
「丁度いいわ。暇やし、魔法使って対戦しよや。俺が指導しちゃる」
「な、え、遠慮します!」
距離が遠くなったからか大声で叫べば、ヨクはすぐに「なんでや!」と驚くように聞き返す。元々すぐ火が付く性格故か、その感情が出たままにまた炎が強くなった。まるで蜷局のようにヨクの周りをぐるぐるとまわり始める。シィーラは素直に声を張って答えた。
「ギルファイさんに言われたんです。慣れるまで魔法使うなって!」
これは本当だ。
実際魔法の使い方を習っている時に、慣れないうちは使うなと言われた。未熟なままで使うとそれに慣れてしまい、使うべき時に役に立たないからだと。だがヨクはどこか納得しないように眉を寄せ、そしてシィーラに負けないように声を上げた。
「なんやそれっ! 魔法っていうのは使ってなんぼやろっ!」
叫んだ瞬間、ヨクの周りをまとった炎が大きく揺らめき、シィーラに向かって走り出した。
「!?」
「しまっ……!」
ヨクは口走ったが、竜のような炎は勢いを止める間もなく、シィーラに一直線に進む。間に合わないと思い、シィーラは目を閉じた。と、急に何かの音が耳元で聞こえる。そしてそれは、剣が風を切る音である事が分かった。
そっと目を開ければ、その場にいないはずの背中が見える。
その頼もしい背中はシィーラの前にあり、そして黒い手袋を嵌めた左手で器用に剣を回す。紺青色の髪の振り回しながら、彼は呪文を口にする。
「
彼はすぐに腕を振るう。すると剣先が光り、そしてその光は炎に向かってまるで道のように真っ直ぐ進んだ。光と炎がぶつかり合い、辺りに轟ぐような音が聞こえる。あまりの威力に風によって髪が後ろになびいたが、シィーラは目が逸らせなかった。しかも力が抜けたからか、いつの間にか地べたにへたり込んでしまう。
そんなシィーラに、手が差し出された。
あの時助けてくれた光景が脳裏に蘇る。
やはりそれはギルファイだった。
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