10:これからどう進むのか

 いつものように、まだ開館していない図書館の中に入る。

 今日は雨だからか、少し薄暗かった。しかも明かりさえもついていない。


「……?」


 シィーラは少し、妙に思った。


 ここの司書達はいつも早い。図書館内の高い位置に設置されてある重厚で高価そうな時計を見ると、時間は集合時間の十分前。この時間になっても人影がないのは珍しい。


 とりあえず準備をしようと、シィーラはそのまま歩く。かつかつ、と自分のブーツが床を叩く音だけが聞こえた。と、そんな中、急に雷が鳴り響いた。大きなものではなかったが、少しだけ肩がびくつく。今日はどうやら天気が良くないらしい。雨は嫌いではないが、雷や風などがあると別だ。


 パァ――ン!!


 そして何かが破裂するような音が聞こえ、シィーラは文字通り飛び上がる。

 急に眩しい光が目に入った。どうやら図書館の明りがついたようだ。暗闇の中にいたので、余計に明るく感じる。思わず目を手で覆っていた。


 しばらくしてからそっと見れば、なぜかセノウが満面の笑みで目の前にいた。しかも手にはクラッカーを持っている。床には色とりどりの紙やテープが散乱しており、大きな音はこれだったのだと、ようやく気づいた。しかもそこには顔馴染みの司書達も揃っている。


「……皆さん、どうしたんですか?」


 思わずそう聞くと、皆が一斉に笑い始めた。だがシィーラにはわけが分からず、困惑してしまう。すると見兼ねたのか、アレナリアがゆっくりと近づいて来た。顔は苦笑している。


「お祝いをしたくて、サプライズを計画していたの。最も、シィーラさんにとってサプライズになったのかどうか分からないけれど」


 アレナリアは目で合図し、そして全員が声を揃えた。


「「「「合格おめでとう! ようこそ王立図書館へ!!」」」」


 シィーラは目を丸くした。

 そしてようやく、皆が何のためにこんな事を行ったのか理解した。


 自然と、頬が緩んでしまう。


 元々臨時司書として働いてはいたが、正式にここで働く事になる。皆と接する機会も増えるだろう。胸に温かいものが込み上げながら、シィーラはしっかりと想いを伝えた。


「これから、よろしくお願いします!」


 思い切り頭を下げれば、またもや皆に笑われた。

 そしてセノウが一番最初に走ってきて、いきなり熱い抱擁をしてくれた。少し戸惑いつつも、自分も小さく笑いながら返す。他の司書達もこちらに駆け寄り、声をかけてくれる。


 それを側で見ていたアレナリアは、皆の様子を微笑ましく見守っていた。

 そして同じく遠目で見ていたドッズの姿を発見する。


「どうかされました?」

「うん? ああ、いや……」


 一次試験の試験管としてシィーラと話していた時は楽しそうだったのに、今はどこか歯切れが悪い。しかも期待していた司書の合格だ。当初はドッズも喜んでいたはずだが。


 アレナリアは探るかの如くこう言った。


「よく、合格にさせましたわね。ギルファイの事だから、何か一言二言あるかと思いましたわ」

「そうだな。……まぁ、あったんだけどな」

「あら」


 アレナリアは、なんとなく分かっていたような、分かっていなかったような声を上げてしまう。だがドッズは、どこか呆れた風に眉を下げていた。







 シィーラの三次試験が終わり、部屋から出るのを見てから、ドッズは中に入った。鉢合わせにならないように気を使ったので彼女はこちらに気づかなかったようだが、明らかに疲れていたのが見て分かった。


 対してイスに座ったままのギルファイは、そんな素振りさえしていなかった。試験を受ける側の方がしんどいのは明白だが、それにしても涼しげな顔をしている。元々表情をあまり変えない人物なので、その分感情も見えてこないのが厄介な所か。


「どうだったんだ、試験は」


 いきなり入ってきたドッズに何か言う事もなく、視線だけ合わせあくまでも淡々と述べてきた。


「司書としての技量は合格だ」

「お。じゃあ、」

「だが難点もある」


 滅多に褒める言い方をしないので期待したのに、すぐに否定がやってきた。

 少しだけがくっとなったが、ひとまず「何がだ」と聞いた。


 するとギルファイは少しだけ目を細めた。

 どこか遠くを見るようにした後、何でもないように口にする。


「性格だ」


 ドッズは思わず何度も瞬きした。


 言い放った単語の意味を理解するのに、少しだけ時間がかかる。

 ゆっくり自分の口で復唱した後、思わず眉を寄せた。


「どこがだ。彼女はかなり優秀でしかもいい子のはずだぞ?」


 真面目過ぎるのがたまに傷だろうが、それでも難点、とまでつけられるほどひどくはない。それにギルファイも認めたように、本に対する知識はかなりある。しっかりしているし、すぐでも仕事をしてほしいほどだ。それなりに周りからの評価も高く、自分だって期待している。それなのに、性格に問題があると言い方は失礼ではないだろうか。


 だがギルファイは、長い睫毛を動かしながらふっと息をついた。

 まるで、少し小馬鹿したように。


「長所も多い分、短所も出るだろう」

「……どこだ、性格のどこが問題だ」


 問い詰めるような言い方になってしまう。

 驚きよりも、怒りの方が大きいかもしれない。納得できない。なぜシィーラがそんな風に言われないといけないのだ。臨時で働いてはいるものの、ギルファイは面識すらない。それなのにシィーラの事を分かっているような顔をしている相手の真意が見えない。


 だがギルファイは冷静のままだ。


 イスから立ち上がり、ふらっとドアに向かって歩く。

 そして立ち去る瞬間に、一言だけ吐いた。


「それは今後出てくるはずだ。俺はそれを直してやるだけ」


 そしてバタン、とドアが閉まった。


 残されたドッズは、唖然とする。

 いつも意味深な事を言うやつだが、今回はまたさらに突拍子もない。


 が、気になる台詞だった。


「直して、やる? ……って、つまり」







「つまり、ギルファイ自身が彼女の面倒を見る事になると?」


 アレナリアの言葉に、ドッズは少しだけ曖昧な様子で腕組みをしていた。


「そうだと思うが……。まだ、なんとも言えない」

「ですが、合格にさせた司書を試験管がその後面倒を見る、というのはよくある話ですわ。ようやくギルファイも、そうする気にでもなったのでは?」


 昔からこの図書館では、そのように新人教育を行ってきた。

 誰から始めたのか、規則として行っていたわけではないのに、これが恒例になったのだ。実際アレナリアもドッズも、自分の目で見て決めた司書を教育してきた。その事に後悔はないし、むしろ期待している司書を自分の手で育てられる。成長して立派になってくれた時ほど嬉しい事はない。


 が、ドッズは思い切り顔を顰めた。


「……アレナリア、お前、ギルファイがそんな事をすると思うか?」

「思いませんわね。全く」


 笑みは絶やさないまま、彼女ははっきりと答えた。


 その態度に半笑いになりながらも、ドッズも頷いてしまう。

 事実、そうだからだ。


 ギルファイはこれまで試験管を経験したが、司書の世話などした事がない。

 というか、まず合格にさせた事がない。


 自分の事はちゃんとしている。している上で色々と口出しをしてくる。そして少なからず、後から入ってきた司書に対して指示もできる。指導力はあるだろう。が、問題はそこじゃない。部下を育てる力、より、むしろ部下に対する思いやりというものがあるのか。こちらからすれば未知数である。


「……まぁ、言った事に責任は持つ奴だ。嘘や冗談ではないだろう。それにあいつの事だから、上手くやるだろうしな。実際シィーラに興味を示しているようだし」

「私も色々な噂は聞きました。最近は館内の至る所に出没していた様子ですわ。私もシィーラさんと話している時に、盗み聞きしていたのを見ましたし。ギルファイはギルファイで、何か思うところがあったのかもしれませんわね」

「そうなのか?」


 出没していたとは知らず、目を丸くする。

 ギルファイも、自分と同じく表より裏の仕事が多いというのに。書類整理や試験の事やらで、あまり館内に出ていない。ドッズの耳に入らないわけだ。


 するとアレナリアは楽しそうな笑みを浮かべたまま頷いた。


「ええ。女性の司書からは、あんな美形の司書は見た事がない、と興奮気味に話していましたわ。名前すら知らない司書もいますけれど、姿も見たことがなかったら目立ちますわよね。あの外見ですから」

「……相変わらず人気はあるな」


 皮肉交じりに呟いてみる。


 ギルファイはやたら皆からちやほやされる。

 彼自身は周りから注目されても興味も持たないし、むしろあまりに騒がしくなると、眉を寄せてあからさまに嫌な顔をする。それなのに、皆はなぜか慕っている。それは容姿も関係していると思うが、それ以外もだろう。仕事はできるし、質問すれば的確にアドバイスをしてくれる。性格も悪くない(口は悪いが)。


「ギルファイは全てにおいて立派ですわ。唯一、人との関わりを避けたがるのはどうかと思いますけれど」

「…………」


 アレナリアの意見は最もだ。

 それだけ人望にも優れているだろうに、ギルファイは人を信用する素振りを見せない。むしろ、「信頼」という言葉を知らないのではないだろうか。


 守護者ガーディアンとして一緒に働いている者、または自分が認めた人間にしか心を開かない。その事に気づいている者は少ないが、長い事一緒にいてギルファイの性格を知った者なら表情と行動ですぐ察する。それに、ギルファイ自身は隠しているつもりはない。むしろはっきりと態度に出す。それが周りからは非常に分かりにくい、というだけだ。


(……むしろ、それだけは救いだけどな)


 あまりに分かりやすいと仲間にも利用者にも影響が出る。

 それは避けたいところだ。ドッズは息を深く吐く。


 合格を決定づけたのはギルファイだ。


 こちらが色々言う前に、全部任せた方がいいだろう。彼女を悪いようにはしないはずだろうし、シィーラはシィーラで、ギルファイに対して反発しながら上手くやる気がする。真面目な彼女の事だ。ぎゃふんと言う時もあるのではないだろうか。


 話が一区切りついた後、ようやく二人は足を動かして輪の中に近づく。

 嬉しそうな顔をしているシィーラに対し、これからどう進んでいくのかと、見据えていた。

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