09:全てを含めての試験

 ギルファイが部屋から去った瞬間、一気に部屋の中は沈黙に包まれる。


 思わず立ち尽くしたのは、どうやらシィーラだけではなかったらしい。移動していたはずの司書達は足を止め、好奇の目でこちらを見ている。そして静かなのは一瞬だけで、ざわざわと人の声が重なり始めた。彼のいきなりの登場に突拍子もない言葉。明らかに目立っていた事だろう。


「や、」


 誰かの漏らす声を聞いてそちらに顔を動かせば、ヨクだった。どことなく身体を震わせており、一瞬体調でも悪くなったのかと思えば、軽い足取りでシィーラに近づいてくる。


「やるやんあんたっ! ギルファイから言われる事、なかなかないで!?」


 嬉しげな声と共に思い切り肩を叩かれた。

 しかも素早い動きだったため、かなり痛い。シィーラは遠慮なく顔を歪ませたが、相手は無邪気な笑顔を絶やさない。高揚して気持ちが高ぶっているようだ。


「確かに、なかなかない事ですね」


 ロンドでさえ感慨深く何度も頷いていた。


 どうやら栄誉ある言葉をもらったらしい。が、分からない。一体さっきの何を見て彼はあんな事を言ったのだろうか。シィーラはまだ呆然としており、とりあえずまだ来る痛みを和らげるために肩をさすった。と、いつの間にか視界に蜂蜜色の長い髪が入ってくる。ソレイユがいつ声をかけようか迷っている様子だった。


 元はといえば、彼女のためにギルファイに啖呵を切ったようなものだ。……結局その話は振られなかったので、決定を覆す事はできなかったようだが。シィーラはこういう時どう接すればいいか、少し悩んだ。しかし当の本人は、朗らかな顔をしていた。


「先程は助けて下さって、ありがとうございました」


 律儀な少女はそう言って深く頭を下げてくる。

 別段すごい事をしたつもりはない。シィーラも慌てて同じような動作になった。


「私は何も」


 むしろ出て行こうとした時に身体を張ってでも止めるべきだっただろうか。でも、ギルファイの発言は的を得ていた。あれ以上言っても意味はないだろう。むしろソレイユの傷をより抉ってしまいかねない。


 言葉が続かないのを見てか、ソレイユはふふふ、と笑う。


「結果の事は気にしないでください。試験官の言う通りですから」

「……でも、あんな言い方は」

「いいえ。それよりも、あなたの言葉に救われました」


 そのままそっと手を包んでくれた。

 どう見ても自分より年下であるのに、大人びた少女だ。じんわりと、温かい人の体温を感じた。失格だと皆の前で言われたにも関わらず、へこたれず、落ち込む事もなく、むしろシィーラの方が慰められている。


「私の事をちゃんと理解してくれた人がいただけで、幸せです。それに、司書を諦めたつもりはありません。また来年、挑戦します」


 力強く言い切った彼女の瞳の中にある強い意志を感じた。

 さすが、共に王立図書館の司書を目指していただけある。いや、違う。目指している・・・・・・、だ。彼女の心の大きさ、強さも関係しているのだろう。思わずこちらも包まれた手を握り返した。


 ロンドは優しげに声をかける。


「ええ。まだ次のチャンスはありますよ」

「どっちにしろええアピールにはなったけんな。待っとるで」


 二人とも、晴れ晴れとした顔になっていた。それはソレイユの可能性を信じると同時に、とりあえず先程の問題が片付いたからだろう。


 確かに彼女の魔法は皆にインパクトを与えた。

 きっと次回試験を受ける時には、顔も名も知れ渡っているはずだ。


「それにしてもあんたは二次試験合格やろ? まだ三次あるけど、司書決定やん。おめでとー」

「……へ」

「二次試験に合格する人は他にもいますが、三次試験を受けられる事自体かなり珍しいです。それにギルファイに言い放ったあの真摯な姿に感銘を受けました。ここまで来たら、三次試験も突破してください」


 いつの間にか自分の話にすり替えられている。

 ソレイユも便乗して目を輝かせ、「がんばってくださいっ!」とより強く手を握ってきた。細い手をしているのに意外と力が強い。そして、他の司書達の視線もひしひしと伝わる。


 シィーラは顔を引きつらせた。こういう時どういう対応をすればいいのか分からない。ただ一つ言える事は、一度不審者を捕まえた時にいやというほど注目されている。目立つのはもうたくさんだった。







「さて、そろそろ行けますか?」

「はい」


 皆が移動し、そして部屋にいるのは自分達だけになると、ロンドはそう切り出した。


 既に心の準備はできている。

 むしろ緊張は通り越した。早く終わらせたい、というのが本音だ。


 するとどう思ってか、ロンドは苦笑しながら声をかけてくれた。


「大丈夫ですか?」

「……はい。まぁ」


 人に弱い所を見せるのは好きじゃないが、顔に出ていたらしい。

 一次、二次と終わり、心身ともに疲労したようだ。そんな中で大丈夫だなんてとても言えない。


 だが行くしかないので、頷いて行く旨を伝える。

 相手も頷いて足を動かし始めた。




 最初にセノウに案内された道を、戻っていく。


 相変わらずよく分からない、淡々とした廊下だ。白い壁に同じようなドアが並んでいる。こんなに何も目印がなくては、一人で歩くと迷ってしまう事だろう。あまりに同じような道が続き、むしろ気味が悪くなってきた。変化がないというのは周りと同調していて理にかなっているが、個性が見当たらない。迷路のようで、まるで同じ所をぐるぐる回っているような感覚だ。


 するとシィーラの様子に気づいたロンドが、少し顔を曇らせた。


「……気分は悪くありませんか?」

「いえ、大丈夫です」

「無理はしないでください。この場所はわざと全て同じ造りになっているんです」


 そうなのか。だが、どうしてだろう。

 思わず聞こうとすると、相手は曖昧そうに首を振った。




 どうもこの王立図書館は、他の図書館と違う。


 それは司書も、魔法書がある事も、だ。決定的に違うのは……はっきりとは、分からない。だがきっと、何か秘密があるのだろう。二次試験合格によりここの司書になる事は決定したが、果たして王立図書館の「秘密」まで教えてもらえるのかは疑問に思う。もし教えてもらえるとしても――守護者ガーディアンにならないと無理な気がする。でなければ、ロンドが首を振るはずがない。


 色々考えを頭に巡らせていると、足が止まった。

 どうやら着いたようだ。


 ロンドはこのまま別室に移動した司書達の二次試験を担当するという。

 わざわざシィーラのために、時間を作ってここまで連れてきてくれた。


「ありがとうございました」


 お礼を言うと、目の前の人物はちらと扉を見る。

 そしてふっと笑った。


「ギルファイは口こそ悪い男ですが、人を見る目は確かです。……そして、誰よりも仲間思いです。彼に認められたら、ここの司書に認められたと考えても過言ではありません。良い結果が出る事を祈っています」


 恭しく執事の如く、腰を折る。

 そのままロンドは元の道へと戻っていった。


 その後ろ姿を見送った後、シィーラは正面を向いた。

 ここからが本当の意味で厳しい試験となるだろう。一度自分の両頬を叩き、気合を入れる。そして勢いのまま、ノックをした。


 短い返事が中から聞こえ、そっと扉を開ける。


 中に入れば、当たり前だがギルファイがいた。大きな机に肘をつけ、居心地が良さそうな革製のイスに座っている。そしてこちらを一瞬で見据えた後、置かれているイスに座るように促す。シィーラはゆっくりと腰を下ろした。そして、お互い顔が見える位置になる。


「始める」

「はい。よろしくお願いします」


 端的な言い方に、こちらも真面目に答える。

 一次とも二次とも違う空気だ。これぞ本当の試験である事を悟る。


 ギルファイは、机の端に置いていた資料をおもむろに手に取った。

 おそらく、自分が書いたものだろう。彼は淡々と聞いてくる。


「読むジャンルにこだわりがないとあるが――最近読んだ本のあらすじとそれに対する感想を述べてみろ」


 いきなりそこから入るのか。


 三次試験がどういうものか分からなかったため、少しだけ面食らった。が、この手の質問はむしろ得意分野だ。読む本に関する事なら、一日中語れるほどである。


「はい。最近読んだのはチャウチェ・マッサー作『建築のあり方と今後』という本です。内容としては、家をテーマとしています。今の時代レンガを使った家が多いですが、著者は木を使った家の利点を詳しく述べています。その際に問題になる森林伐採など今後の課題も述べられていますが、今ある建築との比較もされており、専門家でなくても分かりやすい内容です。立体的な図面も書かれてあって、想像しながら自分の理想の家について考える事ができます。今後家を建てたい方におすすめしたい本です」


 ぺらぺらと詰まる事なく話したシィーラに、ギルファイは眉一つ動かさなかった。ただ語られる内容を耳で聞き、そして紙に何か書いている。何も質問されないと分かり、とりあえずこちらも黙ってその作業を見ていた。すると、手を止めてからまた質問される。


「小説で気になるものはあるか」

「小説、ですか」


 聞き返してしまった。

 だが相手はただ「ああ」と言ったきり。


 何を考えているのか分からない。

 そして表情も全く読めない。だったら自分は、質問に答えればいい。


「そうですね。アレンド・ポープ作の『君への手紙』、は印象に残っています。届くはずのない手紙を書き続ける主人公が、最終的に家族と再会する場面は感動しました。家族とは何か、再度考えさせられるお話でした。……今でも、いえ、なんでもありません」


 内容を思い出しながら話していると、思わず鼻の奥がつんとする。

 いけない。どうやら感情を入れ過ぎたようだ。今は試験。感動して泣くのは家に帰ってからでいい。どうにもこれは癖のようで、いつの間にか目に涙が溜まってしまう。慌ててシィーラは拭った。


 するとギルファイはちらと見ただけで、特に何も言わなかった。

 そしてまた紙に何か書いた後、今度は立ち上がった。


「本に対する知識は分かった。次は魔法だ」

「え、」

「魔法の使い方を教える。詳しくは聞いてないんだろ?」

「それは、まぁ」


 実際教えてもらっていたのはソレイユだ。

 自分はそれを見ていただけ。というか、本格的に教えられる前にここに連れてこられたようなものなのだが。心の中で色々言っていると、ギルファイは名を呼んだ。


「立て。シィーラ・ノクターン」


 慌てて立ち上がる。

 そしてギルファイが近づいてきた。


 真正面から来たが、すぐに横に並ぶ。手を前に出しながら、また口を開いた。


「一から教える。俺の言う通りに動かせ」

「は、はい」


 いきなりギルファイによる魔法講座が行われた。


 丁寧に言葉で、そして手を動かしながら見せて、教えてくれる。シィーラはとにかくついていくのに必死だった。だが彼の教え方は上手く、疑問や質問をすればすぐに答えてくれる。個人講座なので、より詳しく学ぶ事ができた。魔力の調節も、練習を重ねて少しずつできるようになる。


 内容があまりに充実していたせいだろうか。

 今行っているのは試験であるという事を、この時シィーラはすっかり忘れていた。

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