07:予想外の展開

「魔法書は持ったままでかまいません。後は書かれている内容をしっかり頭に思い浮かべるんです。そうすると、自然に呪文が出てきます」


 ロンドは丁寧に説明をしてくれる。

 実践で行っている少女はもちろんの事、周りの者も真剣に聞いていた。


 慣れた守護者ガーディアンはチャームに手をかけてすぐに魔法を使う事ができるが、初心者がいきなりやるにはハードルが高いらしい。しかも一番難しいのは、魔法書に載っている内容を頭に浮かべる事だ。内容を理解しているのはもちろん、基礎的な事から応用まで扱えるように熟読しておかなければならない。今回は簡単な魔法さえ使えればいいらしい。


 「魔法」とは、思ったよりも複雑なようだ。


 魔法書に書かれている内容を理解するだけでなく、思考も上手く使わなければならない。与えられた知識を頭で変換しながら、それを魔法に変えるのだ。ただ魔法書があればできる、といったものではない。


「……あの、今は試験中ですからその話は止めませんか?」


 あまり大きな声で言える事ではないので、シィーラは声を落としながらそう提案した。ピンと張りつめている中、唯一シィーラ達の間だけ微妙な空気が流れている。話題を逸らしたいと同時に、このままではロンドの説明に集中できない。そして居心地も悪い。


 するとヨクは一瞬だけ目を丸くした後、さらに笑みを深めた。

 どう見ても意味深な表情だ。そんな顔をされてもちっとも胸には響いてこない。いや、これが他の女性なら、そんなヨクにも頬を染めていただろう。なんてったって、容姿は良いのだから。そんな余計な事を考えつつ、シィーラは次に来るであろう言葉を待っていた。


「ほんと噂に聞く『真面目さ』やなぁ」

「…………」


 予想通りの返しだった。


 シィーラは不審な顔を露わにする。

 一応試験官であるのでそんな態度をしない方が賢明である事は分かっているが、それでも同じ単語を一日に何度も言われるとさすがに嫌気も差してくる。それなのに相手は気づいてないのか、はたまた気づいていても知らない顔を通しているのか、うんうん頷いていた。


「これぞ司書に相応しいわ。真面目できっちりしとる人も欲しいもんなぁ」

「……あの?」


 だんだんおかしな方向に行き出した気がして、思わず口を挟む。

 するとヨクはあっさり言い放った。


「ああ、心配せんでもあんたなら合格するやろ。後は三次試験やな」


 シィーラは目を見開く。

 そして知らず知らずのうちに口が開いていた。


「……根拠もないのに勝手な発言は止めて下さい。魔法が上手く使えるかも分からないのに、そんな風に言われても全く嬉しくありません」


 最後には強い口調になっていた。

 周りの迷惑になるので、どうにか声を押し殺しただけマシだ。


 だが相手は首を傾げた。


「そこまで怒る程の事か? 別に考えを言っただけやん。確かにあんたの言う通り、俺の言った事が全部本当になるとは限らんし」


 これには眉を寄せてしまう。


 だったらそんな突拍子もない、法螺話を聞かされる身にもなってほしい。怒りは収まらなかったが、シィーラはとりあえず黙った。こういうタイプは何を言っても意味がない。だったらこちらが黙って聞いてればいいだけだ。するとヨクは、口元だけで微笑んだ。


「あんたやったら、ギルファイに対してもぎゃふんと言えるかもなぁ」

「……ギル、ファイ?」


 突然の聞き慣れない名前に、間を空けながら復唱する。

 すると相手は「あんまり見かけんやろなぁ」と苦笑した。


「あいつは表舞台に滅多に出ん奴やけん。ちなみに三次試験の試験管や。あいつは扱いが難しいでー。正論しか言わん。あんたと似とる部分もあるけど、考え方とかは違うやろうな」


 シィーラはいつの間にか怒りの感情が消え、その人物に興味を持った。

 臨時ではあるが司書として働いて、ここの正式の司書とも関わる事は多い。が、その人物の名は聞いた事がなかった。挨拶程度で見かける司書とも違うのだろう。


 気になる事があるとそちらに集中してしまう性格が出たのか、シィーラはそのまま考えてしまう。しかし、突然聞こえた甲高い悲鳴のような声を聞いてはっとした。


「な、んだよあれ……!」


 見れば他の者達も驚きと焦りの声色を出している。

 シィーラも同じように首を動かせば、その場の光景に言葉を失った。


 そこにはなぜかいるはずのない、巨大な「竜」の姿がある。


 身体には多くの鱗がついており、瞳はまるで水晶のようだ。

 爬虫類を思わせる伝説上の生き物であるそれが、こんな所にいきなり出現するわけがない。だが何度瞬きをしても、天井をぎりぎり突き破らないくらいの身体を持つ竜が、自分達を睨んでいた。


「なんで、『竜』が?」


 思わず呟いてしまったが、その疑問はすぐに解消された。

 なぜならその生き物の傍には、先ほどの少女の姿がある。


 もしかして。


「……お見事です。まさかここまでの大きさの竜を呼んでしまうとは」


 ロンドも明らかに動揺している姿を見せた。


 あんな小さい子でもここまでの魔法を使う事ができるという事実は、他の者に衝撃を与えた。あの子ができるなら自分でもできるだろうとほっとしている者や、逆に自分じゃこうもいかない、と既に落胆の表情を浮かべている者もいる。確かにいきなりここまでできる人はなかなかいないだろう。


 少女はきらきらとした眼差しのまま、自分が出した竜を見上げていた。それはどう見ても嬉しそうで、魔法が使えた事に喜んでいるというより、「竜」に会えた事に感激しているようだ。


 そんな純情な様子を見て、シィーラは気づいた。


(ああ、大事なのは好きな本に対する『想い』なんだ)


 想いこそが人に力を与える。

 どこかの本にも書いていた気がする。


 自分も魔法書が扱えるだろうかという不安は、いつの間にか消え去った。周りが複雑な感情で揺れ動いている間、シィーラは逆に落ち着いていく。自分なりに悟ったからかもしれない。


「さて、もういいでしょう。ソレイユさん、竜を戻してもらえますか?」


 まだ頬を緩ませていた少女は、小さく頷く。


 そしてすっと目を閉じ、魔法書に触れた。


 ――――……。


 ふとしてから、彼女は目を開ける。

 そして再度同じ行為を行い、またもや目を開けた。


 周りはざわざわし始め、二人の試験官も静かに見つめている。


 戻す事は簡単そうに見えたが、意外と手こずっているようだ。魔法を生み出すのと同様、難しいのだろうか。そう思いながらちらっと見れば、ソレイユ自身もよく分からないような顔になっていた。冷や汗が流れ始め、何も変わらない今の現状にどうすればいいのか迷っている。


「ソレイユさん?」


 ロンドが小さく名を呼ぶ。


「……な、い」

「はい?」

「戻ら、ない」


 次の瞬間、部屋全体に振動が伝わってきた。


「きゃあっ!」

「うわっ!?」


 振動はまるで地響きのようになり、一気に襲ってくる。

 立っていられない状態になり、皆が床に伏せるような格好になった。どうにか顔を上げて見れば、竜が遠吠えを上げている。ロンドとヨクも座った状態になっていた。が、さすがは守護者ガーディアンといった所か。上半身はちゃんと起き上がっている。そして遠吠えにも負けないように声を出していた。


「おいロンドっ! どうなっとるんやこれっ!!」

「……っ、おそらく、魔法書に取り込まれていますね。見てください、彼女だけが身じろぎ一つしていない」


 確かに、ソレイユはその場に立っているままだ。

 しかも竜の遠吠えにも動じていない。……いや、違う。動じていないのではない。気づいていない・・・・・・・、と言った方が正しいだろうか。目は虚ろになっており、どこかぼんやりしている。あれが取り込まれている、という事なのだろう。


 シィーラもどうにか床を支えにしながら、ゆっくり立ち上がった。


「はぁっ!? そんな事起こるもんなんかっ?」

「彼女の場合、特例です。普通はありえません。どうやら魔法の力が強すぎたようですね」


 ふらふらとしながら、どうにかソレイユに近づこうとする。


「やったらどうしようもないやんっ! 俺らの魔法は『火』と『水』やで!? あんな固い鱗を持っとる竜に太刀打ちできんわっ!」

「……うるさいですね、そんな事は分かってますよ! 文句を言う前に策を考えてくださいっ!!」


 ロンドの声が荒くなった。

 彼でもいらいらするとこうなるのか。


 見上げれば遠吠えを上げていた竜はいつの間にか静かになり、代わりにゆっくりと蜷局を巻いた身体を動かしていた。そして「グルルルルル……」と低く唸り、ソレイユに鋭い牙を向けている。


「「!!」」


 この後の展開が予想できたのか、二人は焦った表情になる。

 そしてすぐにチャームに手をかけたが、それよりも自分の方が早かった。


 竜の前に立ちはだかり、両手を広げる。


「シィーラさん!?」

「なにしよるんやあんたっ!」


 二人の声が聞こえないかのように、シィーラは前だけを見据えている。

 根拠もないのに、自信もないのに、なぜだか意志は決まっていた。

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