死者の生まれるところ
ツヨシ
本編
親のいない自由な空間をしばらく楽しみ、軽いホームシックの後には、退屈な夏が待っていた。
親しい友人はいるがそれほど頻繁に会うわけでもなく、女の子のように電話で長話をするわけでもない。
二流大学ゆえに勉学は適当にやっていても単位が取れるし、空いた時間をうめてくれるはずの彼女もいない。
おまけに情熱を注ぎ込めるはずの趣味も持ち合わせてはいなかった。
つまり大学一回生である雑賀伸照は、暇を持て余していた。
もうすぐ夏休みだというのにバイトも決まらない。
そもそも積極的に探しているとはとても言えないが。
全てがないないづくしの中で、ただただ時間の流れるがままに身をまかせていた。
「よお」
学食で安い定食を食べているときに、坂本に声をかけられた。
坂本はたまに遊ぶ程度の友人で、雑賀と同じように退屈している一人だ。
ついでに言えば、積極的に行動することがない点においても、雑賀と同じだ。
「何かおもしろいことは、ないか」
このところ雑賀が坂本にかける声はいつも同じだ。
坂本が先に言うこともあるが、その内容はうり二つだ。
どちらが先に言うかだけの違いである。
共に自らは動こうとはせず、何かが向こうから来るのを待っているのだ。
雑賀は今日も「そんなもの、なんにもないよ」という返事が返ってくると思っていたが、違った。
「いちおうあるには、あるけど」
「えっ」
雑賀が予想外の返答に驚いていると、坂本が言った。
「久米川、知ってるだろう」
「ああ、知ってるけど」
同じ一回生の久米川は、雑賀たちと違って、ノリのいい男だった。
社交的で、遊ぶことが大好き。
行動力もあり、常になにかをして動きまわっている。
雑賀と坂本も久米川の遊びイベントに一度だけ参加したことがあるが、それなりに楽しかったことは確かだ。
ただその後は二人とも、一切お呼びがかかっていないことが問題ではあるが。
久米川のイベントによく呼ばれるやつは、同じように明るくノリのいいやつらだ。
雑賀と坂本はそうではない。
それゆえに久米川のイベントはまた聞きで知ってはいても、参加の機会はなかった。
「で、その久米川が、どうした?」
問いに坂本が答える。
「それなんだけど、どうやら大人数でなにかをやるみたいで、それで人を集めているって話だが」
「何をするんだい?」
「わからないけど、誰でも参加自由だそうだ。詳細は後ほどと言うか、後のお楽しみと言うか。そういうことらしいが」
「ふーん」
坂本が少し身をのりだした。
「で、参加するのか」
雑賀は少し考えたあとで言った。
「参加してもいいかな。久米川のことだから、変なイベントは企画しないだろうし」
「じゃあ、決まったな。俺ら二人で参加と言うことで。久米川に言っておくわ」
「ああ」
「じゃ」
坂本はその場を去った。雑賀は思った。
――前のように、面白いイベントだといいな。
数日後、雑賀が節約してパン一個だけの昼食を取っていると、坂本が声をかけてきた。
「イベント、聞いてきたぞ」
「そうか。で、なにやるんだ?」
「きもだめしだそうだ」
――きもだめし?
少々がっかりしたというのが、正直な気持ちだった。
そんなものがそれほど楽しいとは思えない。
坂本が空気を読んで言った。
「まあ、そんなにおもしろいとは思えないけど。もうすでに参加するって言ってあるし。それに一人で下宿に引きこもっているよりは、大勢できもだめしでもやってるほうが、まだましだと思うぞ」
そう言われてみれば、そうかもしれない。
雑賀が考えていると、坂本が決め手となる一言を言った。
「女の子も何人か来るみたいだし」
雑賀は女の子に関して積極的だとは、とても言えなかった。
かと言って、彼女なんかいらない、と言うわけでもない。
女の子と接する機会がほとんどない雑賀にとっては、これを機会に恋愛に発展するのではないかと考えるのは、単純ではあるが間違っているとも言えない。
実際そういった事例は、まわりにいくらでもあるのだ。
「わかった。いくよ」
坂上が笑った。
なんだかとっても嬉しそうだ。
なにがそんなに嬉しいのかわからないままに雑賀が見ていると、坂本が言った。
「日時はあさっての夜九時。場所はあの巨大廃墟モールだ」
巨大廃墟モール。
地元では知らない人がいない、ある意味名所だ。
なんでもバブル期に郊外のさらに離れたところに創られた、とてつもなく大きなショッピングモール。
当時は県でも最大と言うのが、売りだったそうだ。
当初はそれなりににぎわっていたようだが、基本的に立地条件が悪かった。
つまり人口集中地域から離れすぎていたのだ。
その上バブルがはじけて、景気低迷と共に傾きはじめた。
それでもしばらくはなんとかもちこたえていようたが、正真正銘の郊外に、やや小型とはいえもう一つのショッピングモールが出来たことが追い討ちとなった。
そしてとどめは今も地元で語り継がれている、あの事件である。
あの日、飲食店を中心とした地下の売り場で悲劇が起きた。
スポーツ用品店で金属バットを買った男がそのまま地下に下り、そこで暴れたのだ。
一時期はプロ入りのうわさもあった、地元では有名な高校球児だった男だ。
身長190センチ以上ある超スラッガーと呼ばれた男が、金属バットを振り回したものだから、たまったものではない。
見通しが悪く、初めて訪れた人で迷わない人は一人もいない「巨大迷路」とまで言われていた複雑な地形で発生した事件。
わけがわからないままに逃げ遅れた人も多かったと聞く。
ある生存者の話では「突然悲鳴や叫び声がいくつも聞こえてきたが、なにがあったのか、どこで起こっているのかもわからずに、どっちに逃げればいいのかもまるで見当がつかなかった」と言っていた。
男が走り回りながら犯行を重ねたことも、被害を拡大した。
悲鳴などから判断して逃げた先で、金属バットを振り回す男と出くわした、と証言した人もいた。
結局、警官数名が駆けつけ、男を発見し取り押さえた時には、すでに死者二十八人、重軽傷者三十三人を出していた。
死者の数がもう少しで津山事件を超えるほどの、大惨事だった。
死者のほとんどは、一撃で頭を割られていたと聞く。
いつ閉鎖しても不思議ではないショッピングモールで起きた大量殺人事件。
その日のうちに開店休業となったが、その後も再開のめどが立つことはなく、結局閉鎖となった。
「あそこか」
坂上が答える。
「そうだ」
「でも閉鎖されているんだろう。どうやって入るんだ?」
「それについては明日の昼に、ここで久米川から説明があるそうだ」
「そうか」
「それじゃ明日ここでな」
坂本はいつものように足早に立ち去った。
雑賀と同様に常に暇なくせに、歩くスピードだけは早かった。
翌日の昼に学食へ行くと、奥の隅に坂本と久米川、そして同じ一回生の山神がいるのが見えた。
「よお」
坂本が手を上げた。
雑賀が合流する。
「説明はこっちの久米川と山神がしてくれるそうだ。それじゃあお二人さん、どうぞよろしく」
坂本が久米川を見ると、久米川が話し始めた。
「場所と時間は二人とも、もう聴いているとは思うが念のためもう一度。明日の午後九時に例の廃墟モールだ。それで、なにか質問はあるかな」
雑賀が聞こうとするよりも先に、坂本が口を開いた。
「行くのはいいけど、あの中にいったいどうやって入るんだ。鍵は当然かかっているはずだが」
「それは心配ない。こっちには山神がいる」
「ちわ、山神です」
山神。そう呼ばれているやけに体格がよくて背の高い男は、雑賀も二度ほど顔をあわせたことがあるが、声を聞くのは今回が初めてだった。
ちなみに、雑賀は山神の下の名前を知らなかった。
「実は俺、警備会社でアルバイトしててね。最近あそこの夜警をまかされることが決まったんだ。一応まじめに働いたもんで、信用が出来たんだな。夜警の仕事はどんなところでも基本的に一人だ。だから明日の夜、あの廃墟モールにいくのも俺一人だ。もちろん、鍵は持ってね」
山神はまだなにか言おうとしてたみたいだが、その前に久米川が割り込んできた。
前から思っていたことだが、この久米川という男、どんなときでも自分が中心でないと気がすまないところがあるようだ。
「夜警の仕事は懐中電灯一つでやるそうだが、あの日行くのは地下だ。だから電気をつけても、誰にも気がつかれることはない」
「電気がつくのか?」
雑賀はようやくしゃべることができた。
「ああ。近々ようやく建物を解体するようになってね、視察のために昼間は業者が入るようになった。だから止めていた電気をまた通すようになったみたいだ。あれだけ広い施設だ。窓からの明かりだけでは中が暗いからね。もともとその窓も、ほとんどないんだけど。そんなわけで、夜に地下にもぐっても大丈夫だ」
今度は坂本が聞いた。
「ところで、どうしてあの場所をきもだめしに選んだんだ。たしかにさみしい場所では、あると思うけど」
今度は山神が答えた。
「俺の行っている警備会社が、あのモールの担当をしている唯一の会社でね。で、警備の仕事は年中無休、一日二十四時間営業だ。日勤のときも夜勤のときもあって、基本的には三、三、三でまわしている。三、三、三というのは、三日働いて、また三日働いて、あとの三日は休むというシフトのことだ。盆正月、ゴールデンウィーク関係なしに、ずっとこれでやっている。つまりシフトの都合上、同じ現場を同じ人が続けるということがないんだ。ずっと日勤の人も、ずっと夜勤の人もいないし。だからあそこを警備し始めてそれほど期間がたってないのに、うちの会社で廃墟を警備した人は何人もいる。で、あの廃墟モールで面白い話が持ち上がったんだ」
「おもしろい話とは?」
また坂本が聞いた。
「あそこを警備した人のほとんどが、真顔で同じことを言っているんだ」
「何を?」
と雑賀。
「見たんだよ、地下で」
「見た?」
「懐中電灯に照らされる、瞳が真っ黒い女の子をね」
「……」
「二十八人の死者の中に、小さな女の子が一人いたんだ」
そう言うと山神は、笑いこそしなかったが、おかしくてたまらないという顔をした。
久米川と山神が帰った後、坂本が声をかけてきた。
「今の話、どう思う」
「さあ。単なるうわさか、山神の作り話か」
「と言うことは信じてないんだな」
「もともと幽霊なんてものは、あまり信じてないんでね」
「そうか……」
「山神も、まだ自分は見てないと言ってたし」
「そりゃそうだろう。山神があそこの警備をするのは、今日が初めてだ。で、明日と明後日の三日間のシフトだと言ってたしな」
「会社の先輩が山神をからかったというケースもあるな」
「それもあるかもしれないな。だいたいこの話、久米川に持ってきたのは山神だそうだが、その山神本人が、少女の幽霊なんて、ぜんぜん信じていないみたいだし」
「みたいだな」
坂本も気づいたらしい。
山神のおかしくてたまらないのを、必死にこらえていたあの顔。
少女の幽霊を信じているやつが、あんな顔をするはずがない。
少なくとも雑賀なら、絶対にしない。
「あっ」
坂本がすっとんきょうな声を出した。
「どうした?」
「そういえば聞くのをわすれてたな」
「何を」
「女の子が何人来るのかを」
「おい、そこ大事だろう」
「まあまあ、あわてるなよ。その日になれば、嫌でもわかるさ。女の子が来るとは確かに言っていたし」
雑賀は思った。
女の子がたった一人しか来なくて、それもそいつがとびきりぶさいくだったとしたら、いったいどうするんだと。
当日をむかえた。
雑賀はなぜだか朝から頭が妙に重かった。
あまり経験したことがない体調だ。
――なんなんだよ、いったい。
とはいえ、動けないような状態でのないため、学校へ行った。
午前の授業を寝てすごし、昼にいつものように学食へ向かった。
学食で坂本が言うところの「貧乏セット」を頼み、そのまま食べていた時、あることに気がついた。
坂本がいない。
毎日必ずというわけではないが、学食ではかなりの確立で坂本に会う。
それが今日は見当たらない。
久米川も話をするわけではないが、顔はよく見かけるのだが、その姿もない。
この大学に入学して二人の顔を覚えてから以降で、学食で二人とも顔を見ないのは、記録をとっているわけではないが、おそらく初めてではないだろうか。
おまけにきもだめしとしょぼい企画ではあるが、イベント当日にこんなことになるとは、雑賀にとってはかなり意外だった。
――どうしたんだあいつら。今日はきもだめし当日だから、学食でみんなで一盛り上がりするもんだと思っていたが、あてがはずれたな。
他の人ならすぐさま坂本に連絡を入れるだろう。
特に用もないのに電話することがあるくらいだから。
しかし雑賀はしなかった。
そう言う生産的なことは、あまりしたがらない男だからだ。
――たまにはこうゆうこともあるだろう。どうせ夜には会うんだから、別に連絡しなくてもいいか。
雑賀は連絡しない言い訳を、それと知らずに考えていた。
夜になったが、まだ頭が少し重い。
しかしここで行かなかったら、あとで何を言われるかわかったもんじゃない。
――行くか。
雑賀は頭を何度もぶるぶる振ってから、坂本から事故車と呼ばれている年代物の愛車に乗り込んだ。
九時少し前に集合場所に行くと、一台の軽自動車、一台の大型バイク、そして一台の原付が停まっていた。
雑賀は原付に見覚えがあった。
坂本がいつも乗っているものだ。
閉ざされたモールの道路から反対側であるここは、照明がないので正直暗かったが、幸いにも今夜は晴天な上に満月なので、何とか見ることができた。
雑賀が車から降りると、男三人が集まってきた。
坂本、久米川、そして山神だ。
久米川が言った。
「来たな。あと四人来るけど、少し遅れるようだ」
「四人か」
全部で八人。
多くもなく少なくもないが、久米川の口ぶりからは、この何倍もの人が参加するような印象を受けたので、ちょっと当てがはずれた。
雑賀が四人のうち女の子は何人だろうと考えていると、二台の車が並んで入ってきた。
一台は軽自動車だったが、もう一台はなんとベンツだった。
学生が所有する車としては、間違いなく不適切な車だ。
まず軽自動車が先に停まり、中から人が降りてきた。
運転席側からは男、助手席側からは女が降りてきた。
どうやらこの二人は、カップルのようだ。
そしてベンツからも同じように運転席側からは男、助手席側からは女が降りてきた。
こちらもどう見てもカップルに見える。
あと四人と言ったのは、二組のカップルのことだったのだ。
朝から頭が重い雑賀は、一気にやる気をなくしていた。
人一倍奥手な彼が、彼氏のいる女性を彼女にするなんてことは、奇跡でも起こらない限りありえないからだ。
八人が集まると、久米川が言った。
「それじゃあ行きますか。レディース アンド ジェントルマン。楽しい楽しいパーティの始まりだ。山神」
「おう」
山神が歩き出した。
残り七人がそれについてゆく。
山神がむかった先に、上に従業員専用と書かれた金属のドアがあった。
山神が鍵を開けて中に入る。
ころあいをみて山神が言った。
「みんな入ったか」
完全な闇だった。
山神が懐中電灯を振り回して人数を数えた。
「七人か。俺をいれて八人だな。そう言えば子供のころ、自分を数にいれないで何度も「一人足りない」って数えなおす話があったような気がするな。あれって、童話かなんかだっけか」
誰も答えなかった。
「まあ、いいか。じゃ、行くぞ」
山神が先を歩く。
みんなは山神と言うよりも、懐中電灯の光についていった。
「地下への階段は、ここからすぐそこだ」
山神が言ったそばから、丸い明かりの中に階段らしきものが浮かび上がった。
「いちおう俺の足元を照らすが、後ろの人はほとんど見えてないな。とにかくゆっくり行くから、気をつけてついて来いよ」
雑賀が最後だった。
俺が俺がの逆の性格が、この結果をまねいたのだ。
が、離れたところだが、階段はちゃんと照らされている。
もちろん階段を使うのは生まれて初めてではない。
十九年の人生でさんざん使ってきた。
ゆっくり歩けば問題はないように思われ、実際雑賀を含めて全員が無事に地下におりた。
そこには再び金属製の扉があった。
先ほどよりも大きな扉で、地下街への入り口だと思われる。
山神が鍵を使ってその扉を開けた。
「ちょっと待ってくれ。そこから動くなよ」
山神はそう言うと、一人で先に進んだ。
そしてどこかを曲がったのか、懐中電灯の明かりはすぐに消えた。
「山神は明かりをつけに行ったんだ。そのうちつくだろう」
久米川が言った。
待っているとその言葉の通り、地下全体に明かりがついたようだ。
しかしその明かりは、ここが商業地だということを考えると、かなり暗かった。
みんなの思いを感じ取り、久米川が言った。
「節電だ。経費節約のな。電気はここが商売をやっていたころに比べると、四分の一しかついてない。その分暗いが、先が見えないわけではない。光の一切届かない地下を、懐中電灯だけでうろうろすることを考えれば、このほうがはるかにましだ」
事実その通りなのだろう。
ここを懐中電灯だけで歩き回ることを想像したら、心底ぞっとする。
「待たせたな」
山神が帰ってきた。
「じゃあ、行きますか。とりあえず落ち着けるところへ」
そう言って歩き出した山神に、再びみながついていった。
少し進み、三度ほど曲がるとちょっとした広場に出た。
小さく低いステージのようなものがあり、その前にいくつかテーブルとイスが残されている。
久米川がステージに上がり、まるで自分の家であるかのように言った。
「みんな好きなところに座って。汚れているけど、それでもよかったら」
それぞれ近くのイスに座った。
だが、一人たったままの男がいた。
ベンツに乗ってきた男だ。
たしかにイスはほこりをかぶっているが、連れの女子が何の抵抗もなく座ったというのに、座ろうとしない。
彼女が声をかけてもそれは同じだった。
見るからに高そうな服が汚れるのが嫌なのか、それとも潔癖症なのか。
久米川はその男をじっと見ていたが、座らないことに気がつくと、みなをゆっくり見回してから言った。
「みんな、これをつけてくれ」
手に持っていた小型のバックから何かを取り出すと、テーブルの上に置いた。
よく見るとそれは、名札だった。
中に「ざつが」と書かれた名札がある。
「人によっては、半分以上の人が初対面の人もいるだろう。名前を聞いても忘れることもあるだろうし。忘れて聞きなおすのも、聞きづらいし。だから声をかけるときに困らないように、用意したんだ」
久米川のこの気遣いは「気がきいている」と言う人もいれば、「よけいなお世話だ」と言う人もいる。
どちらかといえば後者の人が多く、雑賀もその一人だった。
それにしても「ざつが」という名字は、ひらがなにするとこんなにも間が抜けたものになるとは、雑賀本人が思いもよらなかった。
気乗りしない雑賀が、ほとんど無意識のうちにゆっくり名札をつけ終わったころには、全員が名札つけて雑賀を待っていた。
雑賀はみんなの名前を見てみた。
「さかもと」「くめがわ」「やまがみ」は知っている。
軽自動車のカップルは「よねだ」と「のぞみ」。
ベンツで来て一人立っている男は「かねしろ」で、その彼女は「まゆこ」だった。
何故か男は名字なのに、女の子名前だ。
考えてみれば、男は名字で呼び合うことが多く、女の子は「○○ちゃん」と下の名前で呼ぶことが多いが、そのせいなのだろうか。
これまた久米川流の気遣いなのだろうか。
気がききすぎて、よけいに頭が重くなる。
「それじゃあ、あとは自由行動だ」
タイミングを見計らっていたであろう久米川が言った。
しかし誰一人動こうとはしなかった。
「しかたないなあ。じゃあとりあえず二手に別れよう。俺と山神、そしてかねしろとまゆこの四人が一緒に行動する。残り四人は別行動とする。と言う提案なんだが、それでいいかな?」
久米川はそう言うと、返答を待つことなく歩き出した。
山神が当然のようについてゆく。
かねしろとまゆこは顔を見合わせたが、何も言わずに二人の後を追った。
後には雑賀、坂本、よねだ、のぞみの四人が残された。
「しかたないですねえ」
最初に口を開いたのはよねだだった。
見るからに安そうな服を着た少し背の低い男だ。
ぱっと見では、女の子にもてる印象はまるでなかった。ただその顔は、なにかしらの知性を感じさせた。
それは彼女であるのぞみも同じだ。
いったい何年着ているんだと言いたくなるようなよれよれのTシャツと、くたびれたGパンという女の子。
ぶさいくではないが、決してかわいいとか美人だとかは言いがたいその容貌。
ただその目は、優しさと聡明さを感じさせる。
服が着ている人よりも目立ち、その本人からは知性のかけらも感じ取れないかねしろとは、真逆である。
かねしろの彼女であるまゆこも、彼氏と同じ印象を受けた。昔の人はいいことを言った。
似たもの同士、類は友を呼ぶ。
そう言えば雑賀と坂本も似ているし、久米川と山神もある意味同じだ。
ただ久米川よりも山神のほうが、信頼できそうなオーラを発しているが。
久米川がかねしろと同行したのも、そういった理由からだろうと思われる。
二人ともどう見ても派手好きである。
それに久米川は間違いなく、貧乏人よりも金持ちのほうが好きだろうし。
「とりあえず、歩きましょうか」
そう言うよねだの口調は、聞く者に一種の安心感を与える何かがあった。
よねだが歩き始め、のぞみがついていき、その後を雑賀と坂本が続いた。
「それにしても」
しばらく歩いたとき、よねだが言った。
「ここは本当に迷路ですね」
よねだの言うとおりだ。
途中、まだ壁に貼ってあった案内板を見たが、まるでくもの巣だ。
いや、くもの巣のほうが、まだましかもしれない。
なにせどれ一つとっても真っ直ぐではないくねくねと曲がりくねった通路が、何十となく重なり合っているのだ。
これではどこを歩いたとしても、遠くを見渡すことはできない。
おまけにかなり広いのに、出入り口は北東と南西の二つだけしかない。
しかも北東から入って南西にむかったとしても、普通に歩いたのでは南西の出口にたどり着くことは、まず不可能だろう。
ほとんどの利用者から「大迷路」と言われたのもうなずける。
あの大惨事の日、多くの人達がいったいなにが起こっているのかわからず、すんなりと出口に向かうこともできず、ただいたずらに被害をひろめる結果となってしまったのも、無理のないことだ。
坂本が言った。
「聞いてはいたが、本当に迷路だな。想像していた以上だ。案内図を見ても、そう簡単には出口にたどり着けそうにもないぞ。なんでこんな風に創ったんだろうな。わざと迷わしているとしか思えないが」
よねだが坂本の疑問に答えた。
「わざと迷わしているんですよ」
「えっ?」
「入って真っ直ぐ目的のお店に行かれて、すぐに帰られたのでは、地下街全体の売り上げが伸びませんからね。必要以上にうろうろしていると、必要ではないものをつい買ってしまうかもしれない。歩きつかれてどこかの喫茶店で飲み物を頼むかもしれない。それを狙っているんですよ。迷わないほどに常連になる人がいたなら、その人はいままでさんさん来てくれてこれからも来る人です。お得意様ですから、迷わなくても問題はないでしょうし。問題があるとするならば、最初に来たときに迷って疲れて「あんなところ二度と行くか」と思う人ですね。ですからそのへんの兼ね合いが難しいでしょうけど、結局できるだけ迷わすことを選んだんですね、ここを創った人は」
――なるほど。
雑賀は思った。
ただ雑賀には気になることが一つあった。
それはこの地下街とはなんの関係もないこと。よねだの言葉使いだ。
このきもだめしに参加するメンバーは、全員一回生だと久米川から聞いた。
「先輩がいると、いらん気を使うんでね」とは久米川の弁だが、それについては雑賀も同意見だ。
だとすれば、よねだも同い年のはずだ。
仮に浪人して大学に入ったとしたら、逆によねだが年上になってしまうし、だいたい一回生に後輩がいるわけがない。
だというのによねだはさっきからずっと、みんなに敬語を使っているのだ。
雑賀が考えていると、坂本が言った。
「そうか、なるほどな。で、よねだ。おまえさっきからずっと敬語でしゃべっているだろう。でも俺たち同級生だよな。もっとフランクに話せよ。変に敬語なんか使われると、こっちが逆にいらん気を使ってしまうからな」
雑賀は驚いた。
確かに坂本とは気が合うが、ここまでぴったりのタイミングで雑賀の疑問を代弁するとは、ぜんぜん予想していなかった。
「僕はこんな人間なんですよ。気にしないでください。慣れたら嫌と言うほどタメ口でしゃべりますから」
そう言って、よねだは笑った。
見ればのぞみも笑っている。
その笑顔は不快なものではなかった。
「では、しばらくその辺をうろうろしたら、適当なところで切り上げて帰りましょうか。ここに長居しても、何もいいことはないでしょうから。なあ、のぞみ」
のぞみは返事をしなかった。
そしてどこか一点をじっと見つめていた。
山神が先頭を歩いている。
いつもなら久米川が一番前を歩くところだが、彼はこの地下は初めてである。
それで山神に全てをまかせてあるのだ。
山神もまだ二日目であるが、初めてよりはぜんぜんましである。
久米川の後ろを、全身で金持ちを主張している二人がついて来ている。
実は久米川はああいった類の人間、品格の欠落したようなやからは大嫌いだった。
しかしどこからみても裕福なバカは、その利用価値ははかりしれない。
うまくいけば久米川の今後の人生の向上において、おおいに役立ってくれることだろう。
こういうやつらは利用するに限る。
それしか価値がないと断言してもいいくらいだ。
だから自分と同じグループに引き入れたのだ。
山神もこの場においては使えるし。
そして残りの四人は何の役にも立たないやつらなのだから、別にお近づきになる必要は、さらさらない。
「ほんと、迷路だ。嫌になる」
かねしろが言った。
それについては久米川も同じ意見だ。
さっき案内図を見たが、あれを一目で覚えられる人間がいるとは、とても思えない。
「俺も昨日さんざん歩き回ったが、完全に把握しているわけではないな、正直に言えば。まあ、だいたいはわかるけど」
と、山神。
でもまるでわからないのに比べれば、山神のほうがましに決まっている。
久米川はそう思った。
「で、どこへ行くんだ」
久米川の問いに、山神が答える。
「まあこんなところだから、明確な目的地があるわけじゃない。とりあえずうろうろするだけだ。運がよければ、女の子の幽霊に会えるかもしれないからな」
「うきゃ」
まゆこが突然、猿かなにかのような変な悲鳴をあげた。
その目は一点をじっと見つめている。
「まゆ、どうした?」
かねしろが、まゆこが見つめる先を見ながら言った。
「いや、さっき、いたの」
「何が?」
「よくわからないけど……あっと言う間に消えちゃって」
「なにもいないぞ」
「でも……なんか……いたような気がする」
「気のせいだよ。昨日おそくまで遊んでいたから、寝不足でそんなものが見えたような気がしただけさ」
「そうかしら」
「ちょっといいかな」
久米川が口をはさんだ。
「なんだ」
「いや、かねしろじゃなくて、まゆこに聞いているんだが」
「なに?」
「なにかいた、って言ってたね」
「言ったけど」
「それって、どれくらいの大きさのものかな?」
「どれくらいって……一瞬のことだったから。そうね……だいたい1メートルくらいのものなんだと思うけど」
「形は?」
「それもよくはわからないけど。ちょっと細長いかな」
「1メートルくらいの大きさで。ちょっと細長いもの。それって人間。それも小さな女の子じゃないの」
「えっ?」
「だからここに出ると言う、女の子の幽霊」
かねしろが割って入った。
「ちょっと待て。気のせいだと言ってるだろう」
「おまえに聞いてるんじゃないよ」
久米川はかねしろを制した。
本来ならかねしろとお近づきになり、いろいろと利用しようと思って引き入れたのだが、この時の久米川は、そんなことはどうでもよくなっていた。
それほどまでに、まゆこの見た何かが気になっていたのだ。
そしてその何かは、ここで殺された女の子の霊に違いないと勝手に決め付けていた。
ただ、なぜそれほどまでに女の子の幽霊を気にするのかは、久米川自身もよくわかっていなかったが。
「なんだと、きさま」
かねしろが久米川につめよる。
「おい、待ておまえら」
山神が二人の間に体を入れた。
「落ち着け。こんなところでケンカなんかおっぱじめて、どういうつもりだ。いいから頭を冷やせ」
「……」
「……」
「とりあえず、こうしよう。まゆこが見たものが本当にいるのかいないのか。いるとしたら、それはいったいなんなのか。みんなでここを徹底的に調べないか。気のすむまで。それでどうだ」
「わかった」
「まあ、そうするか」
「よおし、決まった。それでこそきもだめしと言うもんだぜ」
そう言うと、山神は笑った。
「どうした」
よねだが聞いた。
「いや、さっき、いたの」
「何が?」
「そこに小さな女の子が。……あっと言う間に消えちゃったけど」
「えっ」
「確かにいたの。そこに、小さな女の子が」
「……」
雑賀と坂本は顔を見合わせた。
よねだは何か考え込んでいる風だ。
誰も何もしゃべらなかった。
やけに重苦しい時間だけが、その場を流れてゆく。やがてよねだが言った。
「もう出よう」
「えっ」
「その女の子が実際にいたのかどうか、そんなことはどうでもいい。とにかくこの場に長く留まるのは、よくないような気がする。のぞみを危ない目にあわせるわけにも、いかないし」
「ゆうちゃん」
ゆうちゃんと言うのは、どう見てもよねだのことだ。
おそらく名前の一部がゆうなのだろう。
ゆうと言う名前である可能性もあるが。
「みなさんは、どうします」
雑賀は考えた。
このイベント、さして面白いものではない。
中途半端に明るい廃墟の地下街を、ただうろうろしているだけだ。
それに本当に女の子の幽霊が出るとしたら、そんなものは見たいと思わない。
「俺は出るぞ。坂本はどうする」
「俺も出るわ。正直つまらんし」
「では決まりましたね。みんなで出ましょう。のぞみ、それでいいよね」
「うん」
のぞみがよねだに寄り添った。
そのへんのカップルなら、腹が立ってぶん殴りたくなるものだが、この二人には不思議とそんな感情はわいてこなかった。
「よし、でましょう。問題は、出口がどこなのかいまいちわからないことですが。でもだいたいの方向はわかっています。とりあえずそちらに向かいましょう」
四人は歩き出した。
「ええと、ここは」
山神が案内図を見ながら首をかしげている。
さすが悪名高い巨大迷路。
一日くらいでは、その全貌を記憶することができないようだ。
以前キャンプに行ったとき、山神の方向感覚が常人よりもすぐれていることを、しっかり確認しておいたというのに。
「とりあえず、こっちか」
山神が歩き出す。残りの三人は、それについていくしかない。
「それにしても」
かねしろが言った。
「やけに行き止まりが多いな、ここは」
かねしろの言うとおりだ。どこかには入ると、その突き当たりに店がある。
つまり道としては袋小路になっているのだ。
もちろんそのまま引き返すしかない。
「まあ、いまのところ四分の一くらいは歩いたかな。もうしばらく歩いて何もなければ、その時考えよう」
「それがいいな」
久米川は山神に同意した。
さっきからずっと歩いている。
だんだんと疲れを感じはじめていた。
その時、何の前触れもなく、まゆこが言った。
「もう、疲れちゃった、疲れちゃった、疲れちゃった。だらだら歩くばかりで、つまんない。こんなところ、さっさと出ましょう」
「……」
――この女、ずっと黙っていると思ったら、いきなりこれかい。本性現しやがったな、こいつ。
久米川は思った。
「そうだそうだ。こんなところ、ぜんぜん面白くないぞ。さっさと出ようぜ」
かねしろが追い討ちをかける。
自分も疲れているのか、それとも彼女のためにそう言っているのか。
おそらく両方だろう。
久米川は山神を見た。
山神はわかりやすく困った顔をしていたが、やがて言った。
「わかった。最初に集まった、イスのある広場に行こう。そこで少し休んでから、どうするかみんなで考えよう」
「そうしてよね。とりあえず休みたいわ」
久米川と山神は互いに顔を見合わせて、苦笑いをした。
それを見たまゆこが言った。
「なに突っ立ってんのよ。さっさとそこに案内しなさいよ」
「わかった、わかった。それでえ」
山神はある通路を見つめた。
「こっちでいいと、思うんだが」
「どっちだと思います」
よねだは通路を見ていた。
通路は二手に別れている。
坂本がはっきりとした口調で言った。
「わからん」
「そうですか。正直僕もよくわかりませんが。でもどちらかと言えば、左のような気がします」
よねだは左に向かった。
先ほどからけっこう歩いたような気がするが、まだ出口に着かない。
ちょっと前に見た案内図の現在位置から判断して、出口に近づいているのは確かなのだが。
それにしてもこの地下街。その大きさの割には案内図の数が明らかに少なすぎる。
やはり客を迷わせて、その分お金を落とさせるつもりなのだろう。
それから右に行ったり左に行ったり。
さまよった先で、久しぶりに案内図を見つけた。
見れば出口はすぐそばだ、というよりそばすぎる。
案内図の先に階段に通ずる扉があるのだから。
よくよく迷った人を助けようと言う意図が感じられない案内板だ。
それとも入ってきた人のための案内板なのだろうか。
どちらにしても出口を探すのには、全く役に立たない。
「ありましたね。それじゃあ出ますか」
よねだがドアノブをつかみ、回す。
そして扉を引いた。
「ん?」
よねだが再びドアノブをつかみ、引いた。しかし扉は開かなかった。
「カギがかかってますね」
「えっ?」
坂本、そして雑賀が同じようにドアノブを回して引いた。
が、やはり扉は開かなかった。
「おかしいですね。山神がカギを開けるところは見ましたが、閉めるところは見なかったというのに。なぜカギがかかっているんでしょうか」
それは雑賀も坂本も同じだった。
山神がカギを閉めるところは見てない。
「カギを持っているのは山神だけですから、ぼくらが奥にいっている間に戻ってきて、カギを閉めたということになりますね」
「いったいなんのために」
と坂本。
「それはおそらく、僕たちを驚かせるためではないでしょうか。あついは久米川あたりが「あいつらが勝手に帰れないようにしとけ」とでも言ったのかもしれませんが、どうせそんなところでしょうね」
よねだの知性的な顔は伊達ではなかった。初対面でほとんど話もしていない久米川の本質を、正確に見抜いている。
「そうなると、山神を探してカギを開けてもらうしかないですね。また戻ることになりますね」
――また戻るのか。
雑賀はなぜかものすごく嫌な予感がした。坂本が言った。
「やれやれ。朝からなんだか頭が重いというのに、さらに重くなっちまうな。かんべんしてほしいぜ」
――頭が重い?
「おい、坂本。おまえ朝から頭が重かったのか?」
「そうだよ。こんなへんな体調、生まれてこの方経験したことがない。それくらい、変な重さだぜ。おかげで学校、休んじまった。まあ一日や二日休んでも、たいしたことないけどな」
「おまえ、それで学校に来なかったのか。実は俺も頭が重くて、しかたなかったんだ。一応学校は行ったけど」
「えっ、おまえもか。そういえば久米川もさっき、頭が重くて学校休んだ、とか言ってたな」
「それで久米川も見なかったのか」
「あのう」
よねだが言った。
「あなたたちも、頭が重かったんですか。実は僕も今日は頭が重くて、学校休もうかと思ったくらいです。結局、休みはしませんでしたが。それでのぞみも朝から頭が重いと言ってました。二人そろってそんなことになるなんて、不思議なこともあるなあ、と言ってたんですけど」
「ええ。私も今日は頭が重くて。きもだめし、やめようかとも思ったんですけど、少しましになったので、参加したんですが」
「久米川に「行く」と言ってしまいましたからね。誘われた時、あまり乗り気ではなかったのですが、どうしても人が足りないからと言われて。それで夕方あたりから僕ものぞみも多少よくなってきたので、約束どおり参加することにしたんです」
坂本が言った。
「と言うことは、久米川も含めて少なくとも五人が今朝から頭が重かった、ということになるが」
「そういうことになりますね」
「それって、いったいどういうことだ?」
「それは僕にもわかりませんが」
「まさかこのきもだめしが、なんか関係しているとか」
「それもわかりません」
「……」
しばらく誰も口をきかなかったが、やがてよねだが言った。
「とにかく、ここでじっとしていても始まりません。山神を探しに行きましょう」
そう言うとよねだは、のぞみの耳元でなにかをささやいた。
小さな声だったが、そばにいた雑賀は聞き逃さなかった。
よねだはのぞみに「気をつけて。ここは絶対に変だ」と言っていたのだ。
広場に着いた。
ここから出口まではそう遠くないが、とりあえず休むことにした。
かねしろは相変わらず、一人立っているが。山神が言った。
「で、どうする」
ここは久米川がリーダーだったはずなのだが、いつの間にか自然と山神にその権利が移っていた。
久米川が言った。
「しばらく休んだら、もう帰るか。疲れただけだし」
久米川は、自分が企画したイベントだということを、もう忘れているようだ。
「ではそうするか。お二人さんも、それでいいだろう」
「あたりまえでしょ。なに言ってんのよ」
「そうするに決まってるだろう」
山神は何も言わなかったが、心の中では「今度この俺にそんな口をきいたら、ぶっとばしてやる」と思っていた。
探すために戻ってはみたものの、山神がどこにいるかは当然知らない。
しかも相手は動くのだ。
出会うのはほぼ運まかせになるだろう。
ある意味、出口を探すよりも難しいかもしれない。
「とりあえず広場にでも行きますか。そこで少し休んでから、考えましょう」
よねだが言った。
広場まではわりと近いようだ。
いったん落ち着くのも、いい考えかもしれない。
しばらく歩くと、広場が見えてきた。
広場は無人ではなかった。
あの四人が全員いたのだ。
「やあ、おまえたちもここに来たのか」
久米川が言い終わるやいなや、よねだが言った。
「山神さん、あなたカギを閉めましたね。開けてくれませんか」
「えっ?」
「ですから出口のカギですよ。あなたが閉めたんでしょ。私たちはもう帰りますから、カギを開けてください」
「いやいや何を言っているんだ。俺、カギなんか閉めてないぞ」
久米川が口をはさんだ。
「そうだ。山神はずっと俺たちといっしょだった。カギなんか閉めてないぞ。変な言いがかりをつけるな」
二人とも嘘を言っているようには見えなかった。
とすれば、いったいどうゆうことだ。
雑賀が考えていると、坂本が突然言った。
「うわっ!」
何かを見ていた。
その視線の先にいたもの。
それは女の子。
近所の女の子が開いたドアから入り込んだ可能性も、かなり低いがないわけではない。
しかしそうではなかった。
女の子の体を通して、後ろの壁がうっすらと見えている。
つまり女の子の体は透けていたのだ。
おまけにその大きな瞳が真っ黒だった。
驚きのあまりみなが固まっていると、今度は久米川が変な声を出した。
「ぶげぶっ」
見れば久米川の首が、九十度左に回っていた。
そしてその首がゆっくりと回り、真後ろまでいったのだ。
しかしそれにとどまらず、首はさらに回り続け、とうとう一回転してしまった。
久米川は口から血を吐くと、その場に棒のように倒れた。
「きゃーーーっ」
「きゃーーーっ」
女子二人が悲鳴を上げた。
山神が大きな声で叫んだ。
「こっちだ!」
山神が手招きをしながら、走った。
全員、それに続いて走った。
全速力で走ったせいか、出口にはすぐに着いた。
山神がドアノブを回して引いた。
「くそっ。本当にカギがかかってやがる。いったい誰が」
「あなたじゃないんですか」
「俺じゃない。本当だ。こんなときに嘘をつくわけないだろう」
山神がポケットからカギを取り出して、鍵穴に差し込んだ。
ガチャリ
「よし」
ドアノブに手をかけた。しかし山神は、それ以上動かなかった。
「どうしました」
「ドアノブが……回らない」
ガチャリ
再びカギのかかる音がした。
カギは山神の手の中にあるというのに。
「くそっ」
山神が再びカギを差し込む。
ガチャリ
そしてドアノブに手をかけたが、
先ほどと同じく固まっている。
ガチャリ
再びカギのかかる音がした。
「おいおい、いったいどうなっている」
山神が思わず一歩下がった。
すると、山神と扉との狭い隙間に、何かが出現した。
女の子だ。
さっき見た、半透明で瞳が真っ黒な女の子。
「きゃーーーっ」
「きゃーーーっ」
女子二人が叫ぶと同時に、全員が走り出した。
山神は走った。
すぐ目の前に立っていた女の子の姿が、脳裏に焼きついて離れない。
が、ふと気がつき立ち止まった。
山神の周りには誰一人いなかった。
「俺一人かよ」
山神は生まれて初めて、本物の恐怖と言うものを知った。
外に助けを呼ぼうと慌てて携帯を取り出したが、それは圏外となっていた。
かねしろは走っていた。後ろから何かが聞こえてくる。
「ちょっと、しゅんちゃん。待ってよ」
かねしろは無視してそのまま走り続けた。
「待ってって、言ってるでしょう!」
かねしろは止まらなかった。
「こっちだ」
よねだは走った。
のぞみの手を引いて。
たとえ何があっても、この手を離すまいと思いながら。
「ちょっと、ゆうちゃん速い」
その声を聞き、よねだは走るスピードを落とした。
するとのぞみがバランスを崩し、前方へ倒れこんだ。
よねだは後方へ引っ張られるかたちとなり、のぞみといっしょに倒れそうになったが、なんとか踏ん張った。
「大丈夫か」
「うん」
よねだはのぞみを引き起こすと、ジーパンについた汚れをはらってやった。
「ありがとう」
「いいよ」
よねだは考えた。
ここまで逃げてきたが、この後どうすればいいのか。
これまでの状況から考えて、敵はあの黒目の少女。
つまりここで殺された少女の幽霊だ。久米川の殺され方は、生きた人間に出来るものではない。
幽霊と戦う方法なんて、よねだは知らなかった。
携帯もつながらず、外に助けを呼ぶことも出来ない。
希望があるとすれば、山神だ。山神はカギを持っている。
カギを持っていてもさっきのように扉が開かない可能性もあるが、カギがなければ絶対に開くことはない。
あの金属製の扉をこじ開けるなんてことは、人力ではとうてい無理だろう。
つまり山神が持っているカギがなければ、ここから出ることはかなわない。
よねだがのぞみを見た。
「のぞみ、聞いてくれ。とにかく山神を探そう。それが最優先だ」
「うん」
よねだは歩き出した。
のぞみがついて行く。
よねだの手は、のぞみの手をしっかりとつかんでいた。
雑賀と坂本は走っていた。
しかし前を行く坂本が不意にスピードを落とし、止まった。
雑賀は坂本にぶつかりそうになるところを、すんでのところで避けた。
みれば坂本は、その場に立ち止まったままだ。
「おい、坂本。なに突っ立てるんだ。早く逃げようぜ」
「どこへ?」
「えっ?」
「雑賀、おまえ、いったいどこへ逃げようと言うんだ」
「そ、それは」
「考えてもみろよ。この地下に安全な場所があるか。そんなもん、どこにもないんだよ。相手が相手だからな」
「……」
「とにかくここから出ないと、あいつに殺される」
「だったら、どうやって?」
坂本は雑賀の肩に手を置いた。顔がやけに近い。
「山神だ」
「山神?」
「そう、山神だ。あいつがカギを持っている」
「で、でも、さっきカギを使って開けようとしたけど、だめだったじゃないか。おまえも見ただろう」
「じゃあなにか、おまえはカギなしであの扉を開けて、外に出られるとでも思っているのか?」
「そ、それは」
「カギがあってもさっきのように開けられない可能性はある。でもそれは可能性だ。絶対じゃない。でもカギがなければ、あの扉は二度と開かない。これは絶対だ。カギで扉を開け、幽霊の邪魔がはいらなければ、外に出られる。これしか方法がない」
「いや、しかし」
「じゃあなにか、他に何かいい方法でもあると言うのか?」
「……ない」
「それじゃあ話は決まったな。山神を探すぞ」
「わかった」
普段はおとなしくて引きこもりがちな坂本とは思えない、言動と雰囲気だった。
雑賀はこんな坂本は見たことがなかった。
人間は追い詰められたときにこそ、その本性が出ると言う。
雑賀は坂本の本質を見たような気がした。
――くそう、みんなどこだ?
山神はあせっていた。
いくらなんでもこの状況で一人というのは、怖すぎる。
山神は走りながら思わず叫んでいた。
「おーい、誰か」
その声は複雑極まりない通路を飛び交い、あちらこちらに散っていった。
そのうちの一つは、どこをどう通っていったのか、山神の方に返ってきた。
それはまるで山神自身がその方向から大声を出したかのようだった。
山神はここにいるにもかかわらず。
この迷路は人だけではなく、声までも惑わしている。
――無駄か。
下手に声を出せば、よけいに混乱を招くかもしれない。
相手がすぐ近くにいる場合ならともかく、離れていたらその混乱はより大きくなるだろう。
山神はもう叫ばないでおこうと思った。
そして走ることも止め、歩きはじめた。
この巨大な迷路の中、走ったからといって誰かとの遭遇率が急激に上がるとも思えない。
向こうも動き回っていることだろうし。
それにこの先、いつ本気で走らなければならない時がくるかもしれない。
その時に備えて、体力を温存していたほうがいいだろう。
山神はいざという時以外走らないことを決め、歩き続けた。
「聞こえたか」
「ええ、聞こえたわ。山神さんの声ね。あっちの方からだわ」
方向を変えようとするのぞみを、よねだが止めた。
「待て。これだけの迷路だ。声は反響しまくって、正確な位置なんかわからないだろう。慌てないほうがいい」
「どうするの?」
「このまま最初に決めたとおりに進もう。闇雲に動き回れば、よけいに山神に会えなくなるような気がする」
「そうね。ゆうちゃんの言うとおりにするわ」
「うん」
止まっていた二人は、再び歩きはじめた。
お互いの手をしっかりと繋いだままで。
「聞こえたろう」
「ああ、聞こえたさ」
声がしたと思える方向へ向きを変える雑賀を、坂本が止めた。
「おい、ちょっと待て。見てみろよ、この地形。声なんか響きわたって、どこから聞こえてきたかなんて、ちゃんとわかりゃしないぜ」
「それじゃあ、どうする」
「最初に決めたとおりにしよう。比較的幅の短い東西を、ジグザグに北に進む」
「とは言ってもこの迷路。ジグザグにすらまともに進ませてくれないぜ」
「そんなことはわかってるよ。でもやるしかないんだ。下手に動き回ったら、会えるもんも会えなくなる」
「そうかもしれんな」
そういったものの、雑賀は坂本の言うことに少し疑問を持っていた。
素直に声がした方に行けばいいのでは、と思っていた。
かと言って、声がした方に行けば山神に必ず会えるという自信もなかった。
おまけに今いっしょにいる唯一の人間である坂本と、こんなことでもめたくもなかった。
雑賀は坂本の言うとおりにすることにした。
かねしろは走っていた。
しかしあせりからか、足がもつれがちだった。
普段から運動らしい運動もせず、親にとことん甘やかされて育ち、生まれてから肉体を使うことが全くと言っていいほどなかったことも、大きな要因ではあるが。
山神の声を聞いたような気もするが、それすら考える余裕がなかった。
「ちょっと、待ちなさいよ。なに一人で逃げてんのよあんたは。この役立たず」
おかげで女子としてもけっして足の速くないまゆこにさえ、追いつかれ気味だ。
それにしてもこの女。こんな状況下においても泣いて頼ってくるわけでもなく、しっかりとかねしろを非難している。
やっぱりそういう女だったのか。
かねしろは、まるでまゆこがここに棲む殺人気でもあるかのように、必死で逃げていた。
その時かねしろは、足になにかの衝撃を感じた。
そしてそのまま、かなりの勢いで地面に倒れこんだ。
「わっ」
「きゃ」
倒れているかねしろを避けきれず、まゆこもかねしろの上を飛び超えるようなかたちで、地面に倒れた。
「ちょっと、なにしてんのよ、このバカ。まったく……」
まゆこの予定では、もうしばらくかねしろに罵声をあびせるつもりだった。
が、それは途中で中断された。
かねしろの体がゆっくりと持ち上がっていったからだ。
そしてかねしろの体が、完全に宙に浮いた。
頭を下にし、足を上にして。
片方の足はだらしなく曲がっていたが、もう片方は天井に向けてぴんと伸びていた。
それはまるで、見えない何かがかねしろの足首あたりをつかんで、持ち上げているかのようだった。
かねしろは口を半開きにし、目を大きく見開いていた。
だが、それだけだった。
あまりのことに暴れることもなんだかの抵抗することもなく、ただ持ち上げられていた。
そのかねしろの体が、伸びた足を中心にして振り子のようにゆれ始めた。
まゆこは動けなかった。ただかねしろを見ていた。
左右に揺れていたかねしろの体がぴたりと止まり、今度は上下に回転し始めた。
下にあった頭がぐんと上に上がる。
そして高い天井に頭が軽く当たったかと思うと、ものすごい勢いで頭が床に落ちてきた。
それはどう見ても、片足をつかんでいる何かが、かねしろの体をムチのように振り回しているとしか見えなかった。
かねしろは顔面から地面に突き刺さった。
まゆこが聞いたことがないような音が、あたりに響きわたった。
かねしろの頭から血が流れ始め、床を真っ赤に染めていく。
するとかねしろの体がまた持ち上がった。
一瞬その顔が見えたが、かねしろの顔は原型をとどめていなかった。
そして今度は床ではなく、右側の壁にむかってかねしろの頭部がたたきつけられた。
がっぐべちゃ
おそらく頭蓋骨がくだける音と、脳みそがつぶれる音なのだろう、がまゆこの耳に届いた。
体はさらに振られて、次は左の壁に頭がたたきつけられた。
そして休むことなく床、右の壁、左の壁と、頭は止まることなく何度もたたきつけられ続けた。
まゆこは気を失った。
「何か変な音がしなかったか」
坂本が答えた。
「ああ、確かにしたな。何度も」
何かを繰り返したたきつけるような音で、何をたたきつけているのかはわからなかった。
しかし、嫌と言うほど生理的嫌悪感を覚える音だった。
二度と聞きたくはない、と思えるような。
「わりと近くだな」
雑賀は驚いた。
「おい、行くのか」
「行くけど。それがどうかしたか」
「いや、どう考えても危ないだろう」
坂本が鼻で笑った。
「さっきも言ったろう。ここに安全な場所なんて、どこにもないんだよ。行こうが行くまいが、たいしてかわりゃしない」
「……そうか」
二人は歩き出した。
山神の声を聞いたときのように、遠くだとどこから聞こえてくるのかわかりづらいが、近くからだとさすがにそれよりはわかりやすい。
それでも迷うことなくたどり着けるという保障があるわけではないが。
「とりあえずこのあたりをうろうろしてたら、そのうちに変な音がしたところに行けるんじゃないのか」
「たぶんな」
雑賀は不思議だった。
坂本は危険をおかしてまで、なぜあの音のした場所に行こうとするのか。
わけがわからない。
見当をつけた場所を歩き回った。
同じ場所を一度通った後、右に曲がるとそれは突然現れた。
床といわず壁といわず、あたり一面にまるで撒き散らしたかのように血が飛び散っていた。
そして床に男が倒れていた。
足をこちらに向けていたため一瞬誰だかわからなかった。
が、必要以上に派手な服装から、かねしろであることがわかった。
それを立証するかのように、そばでまゆこが壁に寄りかかって座っていた。
更に恐ろしいことに、そのまゆこのまん前に、半透明で黒目の少女がいたのだ。
雑賀も坂本も逃げようとしたが、あまりの驚きに体が固まってしまった。
それでもそれを振り切って逃げようとしたところ、少女がすうっとその姿を消した。
「はあ」
坂本が大きく息をついた。
「もういないみたいだな」
坂本はまず倒れた男のところに歩み寄ったが、雑賀はその場から動こうとしなかった。
あんなものになんの抵抗もなく近づくなんて、坂本はどうかしていると思った。
雑賀の想いを無視するかのように、坂本はかねしろを観察した。
かねしろの頭部は完全に壊されていた。
ただつぶされていただけではない。
首とあごのあたりまでは残っていたが、それより上はほとんどなかったのである。
探さなくてもそれら頭髪、頭蓋骨、脳みそがどこにいったのかはわかる。
それは血といっしょに、そこらへんじゅうに飛び散っていたのだ。
「ひでえ」
かねしろを蘇生させる方法がないことに気がついたのか、坂本はまゆこに近づいた。
ひざをつき、話しかける。
「おい、大丈夫か」
まゆこは気づかないのか、坂本を見ようともしなかった。
そしてなにかをぶつぶつとつぶやくばかりだった。
「おい、なに言ってるんだ」
声が小さすぎてよく聞こえない。
坂本はまるでキスでもするかのように、まゆこに顔を近づけた。
そして聞き取った。まゆこはこう言っていた。
「ケロちゃん、返して。ケロちゃん、返して」
二人はひたすら歩いていた。
目的は山神だ。
山神自身ではなく、山神の持っているカギである。
「こっちでもないか」
その声に少し怒りを含んでいる。
よねだにしては珍しくいらだっていたのだ。
その理由はしごく単純である。
のぞみをこの危険な場所から一刻もはやく逃がしてあげたい。
その想いがとても強いがゆえに、まだそのとおりになっていないことに、強い憤りを感じていたのだ。
「ゆうちゃん」
のぞみが優しく声をかけてきた。
よねだのいらだちを感じ取ったのだろう。
のぞみは立ち止まった。
よねだがつられて立ち止まる。
のぞみは自分の手をつないでいるよねだの手を軽くもちあげて、キスをした。
そしてもう一度言った。
「ゆうちゃん」
微笑むのぞみによねだが言った。
「わかったよ。ごめん。もういらいらしない」
よねだも笑った。
「で、そう言ったんだな」
坂本の問いに、まゆこが答えた。
「うん」
最初まゆこは一種の放心状態で、何を言っても「ケロちゃん返して。ケロちゃん返して」としか言わなかった。
そこで坂本が、遠慮のかけらもない張り手をまゆこの顔面にたたきおろすと、まゆこはようやく正気に戻った。
口の中をけっこう切ったみたいだったが。
そしてまゆこが言うには、かねしろが殺された後に女の子が現れて、「ケロちゃん返して。ケロちゃん返して」と何度も言ったのだそうだ。
「ケロちゃんって、何だ?」
坂本が答えた。
「まあ名前からして、カエルの何かだろうな」
「カエルの人形とかアクセサリーとか」
「そんなところだろう」
坂本がしばらく考えてから、言った。
「あの子はケロちゃんとかいうやつを、欲しがっている。と言うことは、そのケロちゃんをあの子に渡せば、この惨劇はおさまるんじゃないのか?」
「そううまくいくかな」
「可能性があるかぎり、やってみるべきだと思うが。なんせこっちは命がかかっているんだからな」
「で、そのケロちゃんというやつは、ここにあるのか? 俺たちはこの地下から出られないから、ここにないと、なんの意味もないぞ」
「そんなもん、探してみないとわからんだろう」
「でも」
「じゃあなにか、おまえは「ここにないかもしれないから、探すのはやめます」とでも言うのか」
「いや、そういうわけではないけど」
「じゃあ、つべこべ言わすに探せよ」
坂本はのぞみを見た。
「聞いてのとおりだ。これからケロちゃんってやつを探す。あんたも命が欲しかったら、死ぬ気で探すんだな」
「……はい」
のぞみが小さく言った。
山神はとにかく歩いていた。
今はそれ以外何も思いつかない。
口を一文字にしたまま、ただひたすら歩く。
それに徹底していた。
――ん?
なにかが聞こえた。
若い女の声だ。
どうやらのぞみのようだ。
「ゆうちゃん」とか言っていた。
――あの子だな。
わりと近くから聞こえた。
それは確かだ。
山神は自らかしていた禁を解いた。
「おい、ここにいるぞ」
大声ではなく、普通の声でそう言った。
近くにいるなら、そのうち見つけてくれるだろう。
こっちは下手に動かないほうがいい。
そして相手が見つけてくれるのを、待つことにした。
「聞こえたよね」
「うん」
「それも近くだ」
「そうね」
目的の男の声が聞こえたのだ。
当然探すべきである。
見当をつけたあたりを重点的に探していると、やがて見つけた。
「やあ」
山神だ。
山神は壁にもたれかかって腕を組み、ついでに足まで組んで、よねだたちが自分を見つけてくれるのを待っていた。
「見つからんなあ」
「そうだな」
ケロちゃんを探しはじめたが、予想通り簡単には見つからない。
「せめてあの子が殺された場所でも、わかればなあ」
雑賀が聞いた。
「なんで?」
「ケロちゃんがここにあるのなら、女の子が殺された場所の近くにあるだろう」
「ああ、そうか」
ネットにでもつながれば、そんなコアな情報でも誰かがネットに載せているかもしれないが、携帯は何度試してもつながらず、それを知ることはのぞめなかった。
「それにしても、なんにもないなあ」
「そうだな」
雑賀の弱気な発言に対して、坂本は今回は突っこまなかった。
確かにほとんど何もないからだ。
例の大量殺人の後、全体をていねいに掃除したことは間違いないだろう。
休店はしたが、当初は営業再開するつもりだったのだから、あたり一面血だらけではお客を呼べない。
あの女の子がケロちゃんとかいうやつを落としたとしても、片付けられている可能性が大きい。
そして閉鎖。
床にはほこり以外はほとんどなく、まれに放置された店の看板が壁際にそのまま置いてあるくらいだ。
「でも逆にも考えられるぜ」
「何が」
坂本が答える。
「これだけ何もないのなら、ケロちゃんが落ちている場所に行けば、あっさり見つかるかもしれないぜ」
「……」
雑賀は何も答えなかった。
坂本も雑賀の無言と言う返答に、無言で返した。
山神はすたすた歩いている。
その歩みに、なんの迷いもないように見受けられた。
それを信じてよねだとのぞみがついて行く。
しかし山神が突然立ち止まった。
まわりをきょろきょろと見渡している。
「うーん、こっちか」
再び歩きはじめた。
山神がこの地下に入るのは昨日に次いで二回目だ。
ある程度は把握しているようだが、どうやら完璧にというわけではないようだ。
しばらく歩くと、また立ち止まった。
「こっちか」
自ら確認するかのように指を指し、その方向へ歩き出す。
歩いている山神に、よねだが聞いた。
「ところで、どこへ行くんです」
「決まっているだろう。出口だよ」
「カギは持っていますね」
「ああ、持ってる」
「カギを開けて外に出るんですね」
「ああ、開けばの話だが」
「そうですね。開けばの話ですよね。開くといいのですが。……ところで山神さん」
「なんだ」
「もし開いて外に出られたとして、残りの人達はどうします?」
「そんなもの、知ったこっちゃない。幽霊に襲われたら、どうせ助けることなんてできやしないし。待つのも探すのも、あまりに危険すぎる。待ったり探したりするのが人道的なんだろうが、そんなことはごめんこうむりたいね。なあに、カギはここに置いていくから、あとは自分たちでなんとかするだろう。もし生きていたらの話だが」
「そうですか」
「なんか文句でもあるか」
「いえ、ありません」
よねだはちらりとのぞみを見た。
「こっちにも、今日会ったばかりの他人の命とは比べものにならないくらい大切なものがありますから。先に行かせてもらいます」
山神はのぞみを見た。
「かわいい彼女じゃないか。自分のためではなく、その彼女のために一刻も早くここを出たいんだな」
「そうですよ。なにか文句がありますか」
「いや、ない」
山神は笑った。
「おっと、そろそろ出口だな。こっちでよかったんだ」
広場が見えてきた。
ここからは、もうよねだ一人でも出口まで行ける。
そのまま歩くと、出口にたどり着いた。山神がカギを取り出した。
「さてと。頼むから開いてくれよ」
鍵穴に差込め、回した。
カチャ
カギが開いたと同時に山神はドアノブに手をかけたが、そこからの動きが止まった。
やはりドアノブが回らないようだ。
カチャ
カギが閉まる音がした。
「くそう、やっぱりだめか」
「一応、僕がやってみます」
「ああ、一応な」
よねだは山神からカギを受け取ると、鍵穴に差込、回した。
カチャ
次はドアノブだ。
一番重要なところだ。
よねだはゆっくりとした動きで、ドアノブに手をかけた。
「……」
やはり回らなかった。
カチャ
カギが閉まる音が小さく響いた。
「だめですね」
よねだは山神にカギを返した。山神が言った。
「だめだったか。で、どうする」
「とりあえず、戻りましょう」
「この中へか?」
「ここだろうが中だろうが、どちらも危険なことにはかわりがないですよ。あと、こうなったら残りの人達を見つけて、合流したほうがいいでしょう」
「そうだな。次にカギを開けるときは、全員そろってからにしたほうが、いいかもな」
「ええ」
「それじゃあ戻って、あいつらを探すか」
「そうしましょう」
三人は歩きはじめた。
「ないいなあ」
「ケロちゃんどころか、ほんと何もないなあ」
「……」
坂本がふと立ち止まる。
「えっと、ここ、さっき探さなかったか?」
「そういわれても、正直わからん」
無理もない。
ただでさえ地形が迷路なうえに、同じような通路ばかりなのだから。
床は全て薄いグレーのタイル。
両壁はシャッターの閉まった店舗のみ。
まれに違う色のシャッターがあったり、路上に残された店の看板があったりするのだが、それ以外はほぼ同じ風景。
歩いているうちに、いつの間にか元の場所に戻っていたとしても、なんら不思議はないのだ。
「で、ここはどのあたりなんだ」
坂本が答えた。
「そんなの、わかるわけないだろう」
これまでに数度見かけたことのある案内板も、ケロちゃんを探し始めてからは一度も見ていない。
自分たちがいったい今どこにいるのか、まるで見当がついていないのだ。
「まあこのまま止まってても、なんの進展もないしな。とりあえずケロちゃんの捜索を、続けますか」
坂本はそう言って歩きはじめた。
二人が無言でついてゆく。
広場に出た。
ここには久米川の死体が、そのまま放置されている。
しかし山神には、なんの感慨も浮かんではこなかった。
久米川とは数回しか会っていないし、久米川のやることは面白いとはおもうのだが、久米川本人のことは嫌っていたというのが、山神の正直な気持ちだったからだ。
「ここで待とう」
よねだが聞いた。
「ここで待つんですか?」
「そうだ。向こうが闇雲に歩き回っていたとしたら、一番通る確立が高いのはここだ。出口にも近いし、この地下で唯一見通しのよいところだから、ここにきたら俺たちを見落とすこともないし。双方がうろうろしていたら、出会いがしらのように会うかもしれないが、逆にいつまでたってもすれ違いになる場合だってあるだろう。ここで待つのが一番いいような気がする」
「そうですか。わかりました」
よねだはのぞみを見た。
久米川の死体を見ないように、目をそらしていた。
よねだは久米川の足をつかむと、その体を引きずりはじめた。
「おい、どうするんだ」
「久米川さんには悪いですけど、のぞみがこれを見ないように、見えないところまで運んでいきます」
「そうか」
よねだはそのまま久米川をずるずると引っ張って行き、路地の奥に消え、しばらくすると戻ってきた。
「これでよし。久米川さんがあまり血を流さなくて、助かりました」
「よねだは何にしても、のぞみちゃんが最優先なんだな」
「……」
「まあ、男としては当然かもしれないな。で、イスはいくらでもある。座りほうだいだ。とにかく座って待つか」
山神が座り、よねだとのぞみも座った。
その後、三人に会話はなくなった。
「本当にあるのかな、ケロちゃん」
「おまえ、さっきから何回同じことを言ってるんだ。いいかげんしつこいぞ」
坂本がきつい口調で言った。
「……」
「それにしても、ここがどこだかまるでわからんなあ」
「この地下全体のうち、どれくらい探したんだろうか」
「それもわからん。同じところを二度三度と探したような気もするし。どちらにしても、まだ探していないところがけっこうあることは、間違いないと思うぞ」
言うだけ言うと、坂本は再び探し始めた。
雑賀は乗り気ではなかったが、とりあえず捜索を再開した。
しばらく歩いていると、誰かが倒れているのが見えた。
「久米川じゃないか。なんでこんなところにこいつがいるんだ」
久米川は確か広場で殺されたはずだ。
ところがこんな場所に転がっている。坂口は考えてみた。
「ひょっとして広場に誰かいるんじゃないか」
「そうかな」
坂本が再びきつい口調で言った。
「そうかなって、そうに決まっているだろう。家族団らん、特に女子がいる場合は、死体は明らかに邪魔だよな。……ということは、あいつら広場にいるはずだ」
「でも広場がどこだか」
「見てみろよ」
坂本が指差したそこには、かねしろの後頭部から赤く細い線が一本、奥に向かって伸びていた。
「引きずったときについたんだな。あれをたどって行けば、広場に行けるはずだ。それにこんな重くて気持ち悪いもの、長いこと引きずらないだろう。俺だったら、絶対にそんなことはしないね。だから広場も近くにあるに違いない。それじゃ、行くぞ」
「わかった」
坂本は血の線を見ながら歩いた。
雑賀は坂本の背中を見ながら歩いた。
三人とも何も言わなかった。
みんな疲れていたし、何をしゃべったとしても、この場の雰囲気には似つかないような気がする。
一分が一時間にも感じられる空間だ。
その重い空気の中歩く。
不意に坂本が言った。
「そういえば、あいつは」
あいつとは、まゆこのことだろう。
雑賀もすっかり忘れていた。
振り返ると、つかず離れず、二人の後をついてくる。
この極めて異常な状況だ。
誰かのそばに寄り添いたくなるのが普通だろう。
ましてやまだ十代の女の子ならば、そうするのが当然だ。
しかしまゆこは、けっして二人に近づこうとはしなかった。
――かわった女だ。
雑賀はそう思った。
三人で座っている。
山神、よねだ、のぞみ。
よねだとのぞみはしっかりと手をつなぎ、二人で同じ方向を見ていた。
山神は仲むつまじい二人を見たくないのか、それとも他の理由からなのか、二人とは真反対の方向を見ていた。
まるで静止画のような三人だったが、突然山神が立ち上がった。
「あっ」
その視線の先にはこちらに向かって歩いてくる、雑賀と坂本、そして少し離れてのぞみの姿があった。
「と言うと、そのケロちゃんとかいうやつを女の子の幽霊に渡せば、俺たちは助かるかもしれないんだな」
山神の問いに坂上が答える。
「ああ。まあコロちゃんというやつが、ここにあるとは限らない。よしんば見つけて女の子の幽霊に渡しても、必ず助かるというわけではない。しかしその可能性はある。可能性があるのなら、やらないでおくよりもやったほうが、いいに決まっていると思うぞ」
今度はよねだが口をはさんだ。
「このままでは完全に手詰まりですからね。女の子に殺されるのを、ただ待つだけです。僕たちはなんとしてでも、生きてここを出なければなりません。今はケロちゃんというやつをみつけて、女の子に渡すことを最優先に行動しないといけないと思います」
「そうだな」
「そうですね」
山神が言った。
「それで六人でがん首そろえて探す手もあるが、効率がいいとは言えないな。ここは二手にわかれよう。こっちに男女のカップルがいるし、こっちに男どうしのペアがいるな。で、女子が二人か。女の子二人は一緒にしないほうがいいだろう。となると組分けは一つしかない。さっきと同じだ。俺とよねだ、そしてのぞみちゃんの組と、残り三人の組だ。それでいいかな」
「いいだろう」
「いいでしょう」
さっきからずっと話が続いているが、話をしているのは山神、坂本、よねだの三人だけだ。
雑賀と女子二人は、ずっと黙ったまま。
女子二人はともかく、男で唯一だんまりの雑賀にも、男のプライドというものがあった。
だからなんとか口をはさもうとしてはいるのだが、言うべきことがなかなか思いつかず、思いついて言おうとしたときには誰かに先に言われたり、あるいは話の流れがすでにかわっていたりで、結局ずっと黙ったままの状況が続いていたのだ。
山神が言った。
「それじゃあ、今からケロちゃん捜索開始だ。こっちはこっちでがんばるから、そっちはそっちでがんばってくれ」
みながうなずき、やがてふた手に分かれて歩き出した。
山神が歩いている。
その後ろをよねだとのぞみが、手をつないでついて来ていた。
よねだは考えていた。
いつの間にか山神がみんなを指揮している。
誰に頼まれたわけでもないのに。
カギを持っているし、ここに入るのは唯一二回目であるが、もちろんそれだけではない。
自ら進んで先頭に立っている。
指導力がある世話好きなのか、それとも自分が中心でないと気のすまないバカなのか。
よねだは両方だと思った。
人間、一つのタイプにぴったりと当てはめられるほど、単純な生き物ではない。
――でも今はこれでいいか。
少なくとも山神に悪意はない。
悪意がなければなにをしてもいいと言うわけではないが、悪意があるよりはましである。
――なにかあったら、そのときに対応すればいい。
何かあったら、のぞみの身に危険がおよぶことになる。
それだけは絶対に避けなければならない。よねだはそう思った。
「また同じメンバーで同じことをしているな。せっかく山神に会えたというのに」
坂上がぐちっている。
山神に会えたらそこで全て解決とも思ってはいなかったが、なんだかの進展があると思っていたのだ。
それが会う前と人員も含めて同じことをする羽目になるとは、まったく考えていなかった。
少し考えればそういうケースも思い浮かぶはずなのだが、坂本の頭には浮かんではこなかった。
「まあ、ケロちゃんを見つけたら帰れるかもしれないんだから、いいじゃないか」
坂本が雑賀を見た。
「ところで」
「どうした」
「さっきから同じことをしているのは確かだが、場所まで同じところを探しているんじゃないだろうな」
「さあ」
「それにしても」
山神が言った。
「探してみてよけいに感じたけど、ここってほんとに何もないんだな」
「そうですね」
「ケロちゃんってのは、本当にここにあるのか?」
「あるかどうかは、僕にもわかりません。ただここを出たいのなら、今は探すしかないでしょうね」
「そうだよな」
とは言え、なんだか無駄なことをしているような気持ちに、山神はとらわれはじめていた。
床を見つめる目に、力が入っていない。
山神はよねだとのぞみを見た。
二人とも真剣そのものの眼差しで、床を見つめている。
しっかりと手をつないだままで。
視線から察するによねだは右側で、のぞみは左側を探しているようだ。
役割分担まで決めている。
――まったく。自分で決めたことだが、お熱いカップルなんかと、同じ組になるんじゃなかったぜ。
山神はそう思った。
「見つからんなあ。ほんとにあるのかケロちゃん」
今度は雑賀が不満を口にしはじめた。
「文句いわずに探せよ」
「わかってるよ」
「ならいいけど……」
坂本がきゅうに止まった。
「ん? どうした」
「出たーっ。少女の幽霊だーーーっ」
「えっ?」
雑賀は慌ててまわりを見渡した。しかし何も見つからなかった。
「おい、どこだ?」
見れば坂本は笑っていた。
「うそだよ。見事に引っかかったな」
「おまえ、しゃれにならんぞ」
坂本は真顔に戻った。
「だからはやくケロちゃん見つけないと、本当に女の子が目の前に出てくるぞ。それでもいいのかい」
「いや、よくはない」
「それなら必死で探せよな」
「わかったよ」
雑賀は坂本の言うとおりにすることにした。
山神は、一度思いついた「コロちゃんを探すのは、無駄」と言う考えを、振り払うことが出来ずにいた。
その上よねだとのぞみの熱々ぶりを見せ付けられて、よけいに嫌になっていた。
そしてその思いが抑えきれず、口を開いた。
「ちょっと」
「なんですか?」
「探すのは一旦切り上げて、もう一度あの扉を開けに行かないか。今度は開くかもしれないぞ」
よねだが山神の顔をじっと見た。
「……ケロちゃんが見つかっていない以上、とても開くとは思えませんが。それにしてもこのタイミングでそんなことを言い出すとは、思いませんでしたよ。まさかケロちゃんを探しても無駄なんてことを、考えているんじゃないでしょうね」
「そんなわけ、ないだろう。もし開いたら、探すよりも早くここを出られると思っただけだ。なにもそんな言い方……」
山神はしゃべるのを止めた。
何かを見つめていた。
よねだは山神の視線の先を見た。
少女だった。
半透明で瞳が真っ黒な少女が、そこに立っていた。
「うわ!」
山神の体が宙に浮いた。
浮いただけではない。
両手と両足が真横にぴんと伸びていた。
「ちょ、ちょ、待て。今ケロちゃん探して」
ぶちぃぃぃぶちゅるるる
大きな音と共に山神の体が、真ん中から左右二つに引き裂かれた。
そして右半身はさらに右に、左半身はさらに左へと移動した。
それでも山神は宙に浮いたままであり、双方から内臓が下にぼたぼた落ちていた。
「……」
「逃げろ」
身震いしていたのぞみの手を引いて、よねだが走り出した。
「きゃ」
しかしのぞみが放置されていた店の看板に当たり、看板とともに床に倒れこんだ。
「の、のぞみ、大丈夫か。はやく……ん?」
その時よねだは、緑色の何かが床に落ちていることに気がついた。
もともと看板のあったあたり、つまりさっきまで看板の下にあったであろうそれは、どう見てもカエルの顔だった。
マンガチックにデフォルメされたカエルの顔のブローチ。
よねだはそれを拾うと、振り返った。
山神の二つの体はばらばらに床に落ちていた。
そして少女がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
「!」
少し離れた場所にいたはずの少女は、次の瞬間よねだのまん前に立っていた。
よねだはカエルのブローチをつかんでいた右手を差し出した。
「ケロちゃんだ。おまえの欲しがっていた、ケロちゃんだ!」
少女は真っ黒い目でそれをしばらく見ていたが、ゆっくり両手を差し出すと、カエルのブローチを受け取った。
そして笑うと、ブローチとともに、すうっとその姿を消した。
よねだはのぞみを見た。
「大丈夫か」
「うん」
「終わった。終わったぞ」
「うん」
「ちょっとここで待っていてくれ」
よねだは山神の体に近づいた。そしてズボンのポケットに手を入れ、そこからカギを取り出した。
「おぞみ、帰るぞ。僕たちの家へ」
「うん」
よねだはのぞみに歩み寄り、その手を取った。
三人は黙って下を見ながら歩いていた。
ただ一人まゆこは、二人とは離れて歩いていた。
坂本が言った。
「うーん、見つからんなあ」
「そうだな」
「そもそもケロちゃんって、本当にカエルのなにかなのかな」
「そんなこと、俺が知るわけないだろう。とにかくそう思うしかないって言うか、何か落ちていればとりあえず拾っておくしかないって言うか。とにかくそれぐらいのことしか出来そうにないな」
「チッ」
坂本は舌打ちをした。
いらついているのは十分わかるが、雑賀だって坂本に負けないくらいにいらいらしているのだ。
すぐ横でそんな態度をされた日には、よけいにいらついてしまう。
「おっ」
「あら」
突然広場に出た。
たしか広場から離れていくように探索をしていたはずなのだが、いつの間にか元に戻ってしまった。
「ほんと、わかりにくいなあ、ここ」
そう言って坂本は、イスに乱暴に腰掛けた。
「休憩だ、休憩」
雑賀も座った。
休憩するつもりはなかったが、ここで変に逆らったら、ややこしいことになるのは目に見えている。
おとなしく従ったほうがよいと判断した。
二人ともお互いに顔を見合すことも、何かを語ることもなく、ただ下を向き、そのままじっとしていた。
雑賀はそのうち坂本が再びケロちゃん探しを始めるだろうと思っていたが、いくら待ってもその気配すらなかった。
――しょうがない。
とにかく今はケロちゃんを見つけることに望みをかける以外に、方法はないのだ。
雑賀がそろそろ坂本に声をかけて、ケロちゃん探しの再開を催促しようと思ったとき、坂本がすっと立ち上がった。
「ああああ、もうほんとに、しょうがないよな。まったく。そんじゃあとっととケロちゃんとか言うわけのわからんもんを探して、あの女の子にたたきつけて、おうちに帰ろうぜ。なあ。雑賀」
坂本が歩き出した。
――ようやく、その気になったか。
雑賀が後を追った。
が、ふと気がつき、振り返った。
まゆこがいた。
まゆこは離れた場所に座って、こちらを見ていた。
しかし座ったままで、立ち上がろうとはしなかった。
雑賀が声をかけた。
「おい、そこの。俺たちはケロちゃんを探しに行くけど、おまえはここに一人で残る気なのか?」
するとまゆこがゆっくりと立ち上がった。
そしてふらふらとまるでこいつ自身が幽霊であるかのように思える動きで、二人に近づいてきた。
「それじゃあ、行くぞ」
待っていた坂本を含めて、三人は歩き出した。
――さっきの歩き方、妙に気持ち悪かったな。まったく、ここまでわけのわからん女は、初めて見たな。
雑賀はそう思った。
先頭の坂本が広場にいくつもある通路に入ろうとしたとき、隣の通路から突然よねだとのぞみが顔を出した。
坂本が気づき、声をかける。
「よお、おたくらか」
「会えましたね。よかったです」
「で、ケロちゃん見つけたかい。こっちはまだなんだが」
「ケロちゃんは見つけましたよ。カエルのブローチでしたね」
「えっ、そうか。で、どこにある?」
「もう女の子に渡しました」
「そうなのか。で、どうなった?」
「女の子はケロちゃんを受け取って、そのままケロちゃんともども、消えましたよ」
「そ、そうなのか。やった。やったぜ。これで家に帰れるぜ。よかった。よかった」
坂本は涙を流していた。雑賀が聞いた。
「山神はどうした?」
「山神さんは、残念ですが……」
「そうか」
坂本が割って入ってきた。
「なんだ山神のやつ、死んだのか。それは残念だったな。でもケロちゃんが見つかったのは、良かったぜ」
「……そうですね」
「で、山神が持っていたカギ、どこにある」
よねだはポケットに手を入れると何かを取り出し、坂本に見せた。
「ここにあります」
「おっしゃああ。さっさとここを出ようぜ」
「もちろんそのつもりです」
「ここから出口までは、近いよな」
そう言うと坂本は、すたすた歩き出した。
もう山神のことなんか、頭のどこにもないようだ。
確かに友達でもなんでもなかったが。
途中、坂本が道を間違えたがよねだが修正して、やがて五人は出口にたどり着いた。
「じゃあ、開けますね」
よねだがカギを差し込み、回した。
ガチャ
つづいてドアノブに手をかけた。
「……」
「おい、どうした」
「動きません」
「何だって?」
ガチャ
カギの閉まる音がした。
「おいおい、さっきと同じじゃないか。ほんとにケロちゃん、女の子に渡したのか?」
「間違いなく渡しました」
「ええ、ゆうちゃんが渡すところ、私も見ました」
「だったらなんで、カギが開かないんだよ」
「それは、わかりませんが」
坂本はまるで奪い取るように、よねだからカギを取った。
「もういい、俺がやる!」
そしてよねだをつきとばすようにして、扉の前に立ち、カギを差し込んで回した。
ガチャ
つづいて、飛びつくようにドアノブに手をかけて、回した。
「うううっ」
どうやら扉が開かないらしい。
「くそっ!」
ガチャ
カギの閉まる音がした。
坂本は振り返り、よねだに詰め寄った。
「おい、もう一度聞くが、おまえほんとうに女の子にケロちゃん、渡したんだろうな。嘘だったら、ただじゃおかないぞ!」
「ちょっと落ち着いてください。嘘じゃありません。間違いなく女の子にケロちゃんを渡しました」
のぞみが口をはさんだ。
「ええ、確かに渡しました。ゆうちゃんの言うとおりです。女の子はそれを受け取って、そのまま消えました。本当です」
「だったらどうしてこの扉が開か……」
坂本が怒鳴るのを途中で止めた。
その目はよねだの先にある何かを見ていた。
雑賀は振り返った。
信じられないことに、そこには男が一人立っていた。
――えっ?
その身長がかなり高く、おそらく190センチは超えているだろう。
おまけにやけに筋肉質で、その肉体が強靭であることが一目でわかる男だった。
一瞬幽霊かとも思ったが、その存在感がありすぎる体は、どう見ても生きた人間にしか見えなかった。
こちらを見ているようだが、四分の一しか点いてない照明が災いして、ちょうど顔のあたりだけが影となり、その顔は良く見えなかった。
坂本が言った。
「お、おまえ、誰だ」
男は何も答えず、くるりと身をひるがえすと、奥に向かって歩き出し、そのまま迷路の中に消えた。
「誰なんでしょうか?」
よねだが言ったが、誰も答えなかった。
カギが開かないこともあって、とりあえず広場に集まった。
カギが開かないことはもちろん重要な問題であり、討論すべき議題なのだが、今はみなそれどころではなかった。
現在話に登っているのは、先ほどの男のことだ。
坂本が言った。
「あいつ、いったい誰なんだ」
よねだが答える。
「わかりません」
「幽霊には見えなかったが」
「僕も生きた人間にしか見えませんでした」
「と言うことは、あいつがなんだかの細工をして、扉が開かないようにしているのか」
「その可能性はありますね」
「でも、いったいどうやって?」
「それもわかりません」
「じゃあ、なんのために」
「わかりません」
しゃべっているのは坂本とよねだの二人だ。
のぞみは基本的におとなしくて無口な性格らしく、無駄に口をはさむということはしないようだし、まゆこは相変わらず離れた場所で、一人でいる。
そして雑賀は、何かしゃべろうとはしているが、思いつく前に誰かに言われるか、あるいは話の流れについていけず、しゃべるタイミングを逸していた。
それもいつものことと言えばいつものことで、雑賀はそのうちしゃべろうとする努力さえ放棄していた。
「なにもわからずじまいか」
「そうですね」
「でもあいつ、なんか知ってるだろう」
「それはまず間違いないでしょう。いきなり現れて、黙ってそのまま消えましたから。扉が開いているときに、たまたま入り込んだとも思えません。そうなら、こちらとなんだかのコンタクトを取ろうとするはずです。あれは全部わかった上で行動しているとしか思えませんね」
「そのとおりだな」
坂本は何か考えていたが、やがて言った。
「こうなったら、あいつを捕まえて、無理やりにでも吐かすしかないか。やけに強そうだったが、こっちは男が三人もいるんだ。三人がかりなら、なんとかなるだろう」
「それは最終手段として、考えておきましょう。その前にあの男を探し出して、質問してみるのがいいとおもいますよ。それでうまくいかないときは、その手段もありかもしれませんね」
「まどろっこしいな。いきなりとっ捕まえたほうが、話が早いと思うがな。さっきの態度を見る限り、素直に質問に答えてくれるとは、とても思えないぜ」
「そうかもしれませんが。それでもいきなり襲うのは、僕は反対ですね」
話は白熱しているようだ。
しかし雑賀は別のことを考えていた。
あの男の顔は、暗くてよくは見えなかった。
それでも雑賀は、あいつをどこかで見たような気がしたのだ。
どこで見たのかは、全く思い出せなかったが。
「わかったわかった。おまえの言うとおりにしよう。でもあいつが少しでも非協力的な態度を取ったら、三人がかりで襲う。それでいいな」
「誰を襲うって、言ってるのかな」
突然に声がした。
見るとあの男がステージの中央に立っていた。
そこに来るには雑賀たちのすぐそばを通らなければならない。なのに誰も気がつかなかった。
あれだけの大男だと言うのに。
「返事がないなあ。いったい誰を襲うのかって聞いてんだよ」
「あなた、誰ですか?」
よねだが言った。
「俺か。俺は宇賀乃崎と言うものだ」
宇賀乃崎。
その珍しい名前を雑賀は知っていた。
いや雑賀だけではない。
ここにいる五人が全員知っていたのだ。
このショッピングモールの地下で起きた大量殺人事件の犯人。
その名が宇賀乃崎だった。
どうりで顔に見覚えがあると思った。
何度となくニュースで見たからだ。
今目の前にいるこの男は、殺人犯として映像で見た宇賀乃崎と、同じ顔をしている。
しかし宇賀乃崎がここにいるはずがなかった。
宇賀乃崎は逮捕後なんの反省もなく、故人や遺族をののしるような発言を繰り返し、精神鑑定でも正常と判断されたために、この日本では異例のスピードで裁判が進み、死刑の判決が出た。
そして死刑決定後もことあるごとに故人や遺族を罵倒し続けたために、これまた異例のスピードで死刑の執行が行われた。
つまり宇賀乃崎は国によって殺され、間違いなく死んでいるはずなのだ。
――すると幽霊?
もう一度見直したが、その見た目といい質感といい、どう見ても生きている人間にしか見えなかった。
全員があっけにとられて何も出来ずにいると、宇賀乃崎が言った。
「そうだ。俺が宇賀乃崎だ。この俺のことは、みんな知っているよな。全国はもちろんのこと、このあたりでは特に有名人だからな。だったら俺がここに何をしにきたかは、言わなくてもわかるよな。そう、おまえたちを殺すためにきたのさ。もうすでに三人殺した。あとは五人だな」
宇賀乃崎は笑った。
するとよねだが一歩前に出た。
「三人というのは久米川さん、かねしろさん、山神さんのことですか。あの三人は、少女の霊に殺されたのではないんですか?」
宇賀乃崎の笑いが止まり、真顔になった。
「おまえたちが大きな勘違いをしているのは、見ててわかったぜ。おまえたちが仲間を殺しているのはあの女の子だと思い込んでいたことだがな。あの女の子のことは知っている。俺がここに来る前から、ずっとこの地下にいたみたいだな。俺が殺したその日から。殺されたときになくしたケロちゃんとか言うカエルに未練たらたらで、それであの世にも行かずにここでずっとカエル探していたぜ。おまえらがカエル渡したもんで、めでたく空のお星様になったけどな。けど三人の殺しとあの女の子は、全くなんの関係もない。あの子はただ無駄にうろうろしていただけだ。あの三人は、この俺が殺した」
「……」
「で、お前たちが女の子が犯人だと勝手に思い込み、女の子をお星様にして助かったとバカな勘違いをしているから、優しい俺はその間違いを正してやろうと思ってね。こうしてわざわざお姿を見せに来たというわけだ。ありがたく思えよ。もしおまえらが勘違いしなければ、最後まで姿を見せるつもりはなかったんだけどな。というわけで、これからおまえら五人を殺してやるから、念仏でもとなえておとなしく待っとくんだな」
「どうして僕たちを殺すんですか」
よねだが言った。
はっきりとした口調で。
殺人鬼、しかも幽霊を相手にひるむことなく堂々と渡り合っている。
怖くはないのか。
すごい男だ。
雑賀は思った。
「どうして殺すのか、って。そんなもん、決まってるじゃないか。楽しいからだよ。楽しくて楽しくてしかたがないからだよ。人を殺すことがな。それも殺す人数が多ければ多いほど楽しいのさ。そのことは、ある日突然気がついた。だが、日本は法治国家だ。楽しいからといって、何度も自由に殺しを許してはくれない。どうせやるなら、一度でなるべく多く殺そうと考えたんだな。そこでこの地下街に目をつけたってわけだ。もちろんすぐさま実行に移すなんてバカなことはしなかった。数年にもわたって何度も何度もここに足を運び、この迷路を頭にいやと言うほどたたき込んだ。どうすれば効率よく、警察に捕まるまでにできるだけ多くの人間を殺すことが出来るのかと、毎日考え続けた。ついでに警官も二、三人殺るつもりだったが、おれに負けないくらいでかいやつにいきなり後ろからタックルかまされちまって。警官殺しが出来なかったのは、今でも残念に思うぜ。それとここの調査ももう少し続けたかったんだが、最初はこの広い地下街にあふれるくらい人がいたのだが、それが見ているうちにどんどん減っていってしまうもんだから、予定を切り上げてあの日にしたんだ。おかげで当初の予定よりも殺す人数が減ってしまった。少なくとも津山事件よりは多くの人間を殺すつもりでいたのだが、それもかなわなかったぜ。もう少しだったのによ。まったく。これまた残念でしかたないぜ」
「で、僕たち五人も殺すつもりですか」
「だからさっきからそう言っているじゃねえか」
「一つ不思議なことがあります」
「なんだ、それは」
「ここには最近、毎日のように警備の人が来ていたはずですが、なぜその人たちは殺さなかったのですか?」
「おいおいおい、人の話、ちゃんと聞いてんのかよ。さっきから言ってるだろう。殺す人数が多ければ多いほど楽しいってな。たったひとりなんて殺した日にゃ、女のおっぱい触っただけで、はい終わり、みたいなもんで、よけいにムラムラするだけだ。欲求不満になっちまうぜ。こう見えてもこの俺は、とってもデリケートなんだ。本当は八人でも物足りないくらいなんだが、こんな機会はめったになさそうなんで、みな殺しにすることにしたんだ。せいぜいありがたく思え」
「……」
「それじゃあ言いたいことは全部言ったし。いったん引き上げるぜ。また来るぜ。おまえらを殺しにな。せいぜい首洗って待ってろよ」
そう言うと宇賀乃崎は、目の前ですうっと消えた。
生身の人間に見えたが、やはり幽霊だったのだ。
残された五人は誰も口をきかず、その場を動かなかった。
そのひたすら重い空気の中、最初に口を開いたのはよねだだった。
「みなさんとりあえず、いったん座りませんか」
五人でイスに座っている。
誰も話そうとしない。
よねだとのぞみが寄り添って座っているが、口を開かないことにはかわりがない。
四人は近くに集まっていたが、まゆこ一人が一番離れたイスに座っていた。
雑賀がまゆこを見た。
――ほんと、変わったやつだ。
坂本もまゆこを見ていた。
なんだか気に入らない風だ。
気持ちはわからないでもない。
こんな時なのに、一人だけ露骨にみんなを避けるような行動をとっているのだから。
まゆこを見ていた坂本が、急に雑賀を見た。
その顔はどうやら、おまえ何か言え、と言っているようだった。
しかしこんな状態の中で、雑賀に気の利いたことなど言えるはずもなかった。
坂本はぷいと目をそらし、立ち上がって言った。
「まったく、いったいこれからどうすんだよ」
今度はよねだを見ていた。
「僕ですか。何もわかりませんね。何をどうすればよいのか。一言で言えば、相手が悪すぎます。生きた人間なら、いくらか方法もあるとは思いますが」
「やっぱりないか。雑賀は」
こっちにふってきやがった。雑賀は正直に言った。
「何もないよ」
「じゃあ、そこのねえちゃんは」
「私?」
のぞみのことだ。
「私も……何もありません」
「まあ、そうだろうな。じゃあ、あっちで寂しい一人ぼっちのねえちゃん。あんた何かないのかい」
「……」
「返事すらしてくれないとはな。ありがたくて涙が出てくるぜ」
雑賀が言った。
「そういうおまえは、何かあるのか」
「そんなもん。あるわけないだろう」
そう言って坂本は座った。
何かぶつぶつ言ってたが、当然のことながら、皆それを無視した。
雑賀はまゆこを見た。
どうやら相手して欲しくないようだが、あの態度は嫌でもまわりの気を引いてしまう。
――えっ!
それは一瞬のことだった。
まゆこの後ろに、宇賀乃崎がいきなり現れたのだ。
宇賀乃崎は金属バットを振りかざしていた。
そしてそれを、横殴りに振り抜いた。
ガン
大きな音とともに、まゆこの首がありえない方向に曲がった。
全員が音で気づいた。
そのとき宇賀乃崎は、金属バットを先ほどとは反対方向に振りかざしていた。
そして再び横殴りに振った。
ガン
二度目の音がして、まゆこの首は逆方向に激しく曲がった。
そしてまゆこは、そのまま床に倒れこんだ。
雑賀は思わず逃げようとした。
しかしその前に、宇賀乃崎の姿が、ゆっくりと消えた。
全員がイスから腰を浮かしていたが、そのうちへたり込むように座った。
「あ、あいつ」
坂上が何か言いかけたとき、声が聞こえてきた。
宇賀乃崎の声だった。
「なつかしいぜ。生きているときは、こうやって人を殺してたもんだ。姿を見せずに八つ裂きにするのも面白かったが、体を実体化させて生きているときと同じように金属バットで殴り殺すほうが、人を殺してるって実感がわくことに、今気がついたぜ。おまえら四人はそうやって殺してやるから、おとなしく待ってるんだぜ。逃げるなよ。まあ、どうせ逃げられないけどな」
宇賀乃崎の高笑いが聞こえてきた。耳障りな笑い声だったが、やがてそれも聞こえなくなった。
あまりのことに、ぼうとしていた。
気がつくと、よねだがまゆこの足を持って引きずっているところだった。
おそらく、のぞみに見せたくはないのだろう。
よねだの頭の中は、自分のことよりものぞみのことでいっぱいのようだ。
まゆこをどこかに置いて、よねだが帰ってきた。
イスに座り、のぞみの手を取った。
誰もしゃべらない。
誰も逃げることすらしなかった。
みんな知っていたのだ。
どこに逃げようとも、同じだということを。
どれくらい時間がたったのだろう。
時間の感覚が完全におかしくなっている。
しかし今の雑賀にとっては、そんなことはどうでもよいことだった。
ふと気がつくと、よねだが立っていた。
雑賀はうつろな目でよねだを見た。よねだが言った。
「先に言っておきます。おそらくそんなに高い確率ではないとは思うのですが、ひょっとしたら、宇賀乃崎に勝てるかもしれませんね」
「えっ?」
「えっ?」
「あいつ自身が言ったんですよ。自分を実体化させたってね」
坂本が身を乗り出した。
「まるで意味がわからんぞ。それがいったい、やつをやっつけることと、どういう関係があるんだ」
「勘違いされると困るので言っておきますが、僕は心霊とかオカルトといったものに、けっして詳しいわけではありません。でも何かで聞いたことがあります。坂本さん、エクトプラズムというものを知ってますか?」
「どういうものかは、よくは知らんが、名前ぐらいなら聞いたことがあるな。で、そのエクトプラズムがどうかしたか」
「エクトプラズムは、零体が実体化したものと言われています。そのエクトプラズムに光を当てたり、強く握ったりすると、一瞬で消滅してしまうということを、聞いたことがあります。エクトプラズム、つまり実体化した霊魂は、ある程度の物理攻撃でダメージを受けるということです」
「そうすると、なにか。実体化したあいつなら、俺たちの攻撃でもやっつけることが出来ると言うことか?」
「そういうわけです。あいつが現れたとき、生身の人間にしか見えませんでした。それだけ完全に実体化していると言うことです。もちろん確証はありません。こんなこと今まで一度もやったことはありませんから。ですがこのまま何もしなければ、あいつに確実に殺されます。ですから僕は実体化したあいつと戦うつもりです。もちろん、みなさんにも協力してもらいますが。どうですか?」
「……わかった。このまま無抵抗のまま殺されてしまうなんて、それこそ死んでも嫌だからな。俺もあいつと戦うぞ」
「そう言ってもらえると、助かります」
よねだはのぞみの手を離すと立ち上がり、近くのパイプイスを手に取った。
そしてそれを思いっきり床に叩きつけた。
何度も何度も。
坂本が何かに気づいたようで、同じようにイスを手に取り、床に叩きつけ始めた。
イスは曲がり、折れ、原形をとどめなくなった。
よねだは折れ曲がった部分をねじ切り始めた。
坂本もそれにならう。
雑賀が何もせずに見守っていると、よねだと坂本は、何かをテーブルの上に置いた。
それは四本の鉄パイプだった。
無理やりにねじ切ったためか、その先端がまるで槍のように尖っている。
坂本は一本は自分が取り、もう一本を雑賀に渡した。
よねだも一本は自分が取り、もう一本をのぞみに渡した。
のぞみには率先して戦ってくれというわけではなく、自己防衛のために渡したのであろう。
雑賀はそう考えた。
坂本が言った。
「ようしこいつを、あの野郎のどてっぱらに突き刺してやるぜ。来るなら来いってんだ。やってやるぜ」
「……」
雑賀は凶器と化した鉄パイプを手に取り、まるで自分には全く関係がないもののように眺めた。
その横でのぞみが、鉄パイプを両手でしっかりとつかんでいた。
四人は待った。
待ったが宇賀乃崎は現れない。
でもこうなったら待つしかない。それ以外の方法はないのだ。
「そうでした」
不意によねだが言った。
よねだはポケットに手を突っこむと、何かを取り出し、テーブルの上に置いた。
それはカギだった。
ある意味、唯一の希望。
あの扉が開きさえすれば、外に出られるのだから。
「これから何が起こるかわかりません。あなたがたもそうですし、僕ものぞみもそうです。ですから外に出られるチャンスは、みんな平等であるべきです。誰か生き残れる機会が来たならば、このカギを自由に使ってください。もちろん僕にものぞみにも、その権利はありますが。……そういったわけで、カギは僕が持たずにここに置いておきますね。それでいいですね」
「ああ」
「わかった」
二人が返答をした後、先の見えない静寂があたりを包んだ。
待った。
時の歩みの遅さが異常とも思える空間の中、ただひたすら待った。
――本当にやつは出てくるのか。いつになったら出てくるんだ。さっさと出て来い、この悪魔!
雑賀は待ちくたびれていた。
長く続く緊張感による心理的重圧に、耐え切れなくなっていた。
とてもじゃないが、じっとしているなんてことは、出来そうもない。
雑賀は無意識のうちに、ふらりと立ち上がった。
「おい、どうした」
坂本が雑賀を見た。
坂本だけではない。
よねだものぞみも雑賀に注目した。
まさにその時である。
ガゴン
大きく嫌な音が響いた。
見れば宇賀乃崎がいつの間にか立っていて、金属バットを振り下ろしていた。
そのバットの下にはのぞみの頭があった。
その頭は、ざくろのようにぱっくりと割れていた。
「のっ、のぞみーーーーっ!」
「ハッハハハハハーーーッ」
宇賀乃崎は高笑いをすると、ゆっくりとよねだを見た。
「きっ、きさまああ。よくものぞみを。許さんぞ!」
「ほう。許さないというなら、いったいどうするんだ」
「こうするんだ!」
よねだが驚くほどの速さで、宇賀乃崎のふところに飛び込んだ。
手にはしっかりと鉄パイプが握られていた。
鉄パイプは見事に宇賀乃崎の胸を貫いていた。
宇賀乃崎の体が揺らめいたかと思ったら、そのまま後方へ倒れこんだ。
――やったか。
雑賀が見ていると、よねだがのぞみの持っていた鉄パイプを手に取った。
そしてそれを、大の字に寝ている宇賀乃崎の額に、ふかぶかと突き刺した。
宇賀乃崎を見たが、目を見開いたままぴくりとも動かなかった。
よねだは宇賀乃崎を見た後、のぞみに目を移した。
「のぞみーーーっ」
よねだはのぞみに抱きつき、声をあげて泣いた。
が、寝ていたはずの宇賀乃崎が、ありえない速さで立ち上がり、金属バットを振りかざした。
「危ない」
「危ない」
雑賀と坂本が同時に叫んだ。
しかし遅かった。
よねだが振り返る前に、宇賀乃崎が金属バットを振り下ろしていた。
「うぐっ」
バットはよねだの肩のあたりに当たった。
よねだは痛みと殴られた勢いで、床に倒れこんだ。
宇賀乃崎が再び金属バットを振り上げ、振り下ろした。
それはよねだのひざを直撃した。
骨が砕ける嫌な音が雑賀の耳に届いた。
「ぐぐっ」
宇賀乃崎がよねだを見下ろしながら言った。
「まったく。おろかなことだな。武器なんか用意してやがるから、バカがまた勘違いしてるとわかったぜ。いくら実体化しているからといって、そんなものを何十本とぶっさそうが、この俺を殺すなんてことはとても出来やしないぜ。なんせこの俺は、もう死んでるんだからな」
「いくぞ」
本は小さく言うと、カギを手に取り、身をかがめて歩き出した。
雑賀が慌てて同じ体勢でついて行った。
後方から金属バットで何かを殴る音が連続して聞こえてきたが、そんなことはもうどうでもよかった。
ふたりはただただ歩いた。
出口にはすぐに着いた。
坂本がカギを差し込み回した。
カチャ
坂本はドアノブに手をかけた。
「おい、回るぞ」
坂本が扉を引くと、開いた。
開いたのだ。
宇賀乃崎が実体化していたために、今までのように変な力を使うことが出来なかったのか。
あるいはよねだを殺すことに集中しすぎて、扉まで気が回らなかったのか。
それはわからない。
わからないがそんなことを検証している余裕はなかった。
二人は階段、外に通ずるドア、そして裏に停めてある車まで一気に走った。
坂本が言った。
「おい、早く開けろ!」
言われなくてもわかっている。
雑賀はドアを開けると、運転席に飛び込んだ。
同時に坂本も助手席に飛び込んできた。
「おい、早く出せ!」
「わかってる。うるさい!」
雑賀はエンジンをかけると、無我夢中でアクセルをふかした。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
気がつけば、車は停まっていた。
信号が赤で、雑賀の前に、一台の車が停まっていた。
記憶が飛んでしまうほどに夢中で車を走らせたが、赤信号で停まっている車に突っこむようなまねはしなかったようだ。
習慣と防衛本能のたまものか。
よく見れば、ここから下宿まではすぐそこだ。
――助かったあ。
雑賀は大息を一つついた。
ふと横を見ると、坂本がまだ半ば放心したような顔で座っていた。
信号が青になり、前の車が動き出す。
雑賀はアクセルに足をかけた。
ガゴン
大きな音が狭い車内に響いた。
見れば坂本の脳天に、金属バットがめり込んでいた。
振り返ると後部座席で宇賀乃崎が笑っていた。
終
死者の生まれるところ ツヨシ @kunkunkonkon
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