肉塊

ツヨシ

本編

吼え狂う激しい風が吹き荒れていた。


と同時に、横なぐりで痛い雨も降っている。


時折光る稲光が、黒に沈んだ空と海を、瞬間照らしていた。


その日季節外れの台風が、浅垣町に上陸していた。


小さな漁港と、これまた小さな採石場しかなく、西と東の隣町からも離れており、海と山に押し寄せられた狭い土地にひっそりと佇む町だ。


その町に住む林田徳之助は、昼ごろから妙に落ち着かなった。


天気予報によると台風は、大型でやや強い勢力と言うことだ。


毎年のようにやって来る普通の台風であると、誰にもそう思えていた。


しかし林田には、とてもそうとは思えなかったのである。


林田徳之助はこの小さな町で生まれ育ち、十五歳のときから漁師をやっている。


そして今年、もうすぐ八十七歳の誕生日をむかえようとしていた。


漁に出る回数は若い頃に比べてずいぶんと減ったものの、まだまだ現役の漁師である。


その林田の長い経験から生まれた独自の第六感が、この台風はいつもの台風とはまるで違うと、彼の全身にはっきりと告げていた。


何がどう違うのかは、第三者にはうまく説明はできない。


風の向きや肌に感じる湿りけ、空気の密度がいつもとは微妙に違い、そしてなにより潮の動きが、普段とはわずかの差ではあるが、不気味なほど奇妙な流れとなっていた。


もちろん台風の勢力や進行ルートの違いにより、よくある台風と大きく違う風向きや風の強さ、そして潮の動きになることは、とくに珍しいこととは言えない。


ところが潮の流れを中心にして、その他全てが少しずつ違うというのは、林田の長い漁師生活においても、これが初めてのことであったのである。


林田は、雨風はもちろんのこと、潮の流れをいたく気にしていた。


それは、彼が今までの人生においても、一度も見たことがない動きをしているのだ。


林田は、六十年以上連れそった妻のさえに向かって言った。


「ちょっと、外を見てくる」


さえは通販で買った粗末な座椅子に座ったままで、軽く寝息をたてていた。


林田徳之助は、そのまま何も言わずに玄関に掛けてあった雨ガッパをはおると、急ぎ外に出た。




林田は雨風に強く押されながらも、海へと向かおうとしていた。


林田の家から坂を下ってしばらくのところに、一本の道がある。


アスファルト塗装はされているが、中央線もない狭い道だ。


それでも浅垣町の海沿いを走る唯一の道である。


その道の海側に、胸の高さほどの防波堤があり、そのむこうが砂浜となっている。


すでに漁船は全て浜の奥へと早々に避難していた。


林田は激しく降りしきる暴風雨の中、とにかく船のところまでたどりついた。


そして船の側面をつかみながら、なんとか海へと進んでいた。


真っ暗な中、時々光る稲光を頼りに海を見ようとしていた。


海が、特に潮の流れ方が、どうしても気になってしかたがなかったのだ。


林田が海のほうを見ながら歩いていると、また稲妻が光った。


その時、林田の左目の隅に、一瞬何かが見えたような気がした。


林田から百メートルほど離れた場所である。


正面から見たわけではなく、おまけに雷が光った一瞬のことだったので、いったい何なのかよくはわからない。


ただ黒っぽい何かばかでかいものが、海と砂浜の境目あたりに見えたように思えた。


しかしここにたどり着くまで何度か稲妻が光ったが、そんな大きなものは今の今まで、確かに存在していなかったはずだ。


林田は何かがいたような気がした場所を見ていた。


しかし辺りはすべて闇にすっぽりと包まれていて、何も見ることができない。


風は相変わらず強く吹き荒れている。


その激しい轟音の中、何かが、何か小さな生き物の群れが、同時に激しく砂を掻いているような音が、かすかに林田の耳に届いてきた。


――何だ? あの変な音は。


それは林田が、生まれてから一度も聞いたことのない狂音だった。


その時、再び稲光が走った。


そして林田は見た。


黒くて巨大なものが、自分のすぐ目の前にそびえ立っていた。




電話が鳴ったのは、朝の六時前のことである。


森本裕介が眠たい目をこすりながら出ると、電話はおばのさえからだった。


「どうしたんだ? こんな朝早くから」


森本が問いただすと、さえが言った。


「ゆーちゃん、おじいちゃんがいなくなったの。おじいちゃんが、いなくなったの」


その声は泣いていた。さえの言うおじいちゃんとは、夫の林田徳之助のことである。


森本がどうしたことかと詳しく聞こうとしたところ、電話の向こうで誰かがさえに声をかけた。


その誰かと何事か話をした後、さえが言った。


「とにかく、早く来て!」


そして電話は切られた。


森本はあわてて身支度を整えると、外に出た。


日はまだ昇りきってはいなかったが、台風はすでに通りすぎて、雨も風もどこかに行ってしまっている。


森本は素早く車に乗りこむと、急ぎ走り出した。




森本は浅垣町の隣町に住んでいた。


都会とは言いがたいが浅垣町よりはずっと大きな町だ。


ただ隣町とは言っても浅垣町に行くためには、大きな山をひとつ越えなければならない。


直線距離の何倍もの曲がりくねった道を通って。


森本が町についた頃には、日はすっかり昇りきっていた。




森本がさえの家に着くと、そこには大勢の人が押しかけていた。


家の前の庭に何台もの車が止まっている。


一台はパトカーだ。


他には車に社名を書いている新聞社とテレビ局の車が、一台ずつ止まっている。


それ以外の数台は、おそらく町の住人の車だと思われた。


森本は庭に残ったわずかなスペースに、なんとか車を押しこんだ。


森本が車から降りた時、ちょうど地元のテレビ局の撮影クルー達がさえの家から出てくるところだった。


そのうちの一人、カメラマンの押本学は、森本の高校時代の同級生である。


森本は押本に声をかけた。押本が気づき、近づいて来た。


「この度はほんと、なんといって言いか」


「それより、いったいどうなっているんだ」


「ああ、林田さんは確かお前のおじさんだったな。とにかくその林田さんの姿が、どこにも見あたらなくなっているんだ。奥さんのさえさんが気づいたのは、五時前くらいだそうだ。おまけに玄関に掛けてあった雨ガッパがなくなっている、と言っている」


「雨ガッパが」


「林田さんは台風のときは、時々船の様子を見に行っていたそうだ。いつもその雨ガッパを着て。それが林田さんといっしょに、見あたらなくなっているんだ。さえさんが言うには、気がついた時は外の雨も止んで、風もおとなしくなりつつあったころだ。それでそこら辺中を探して、まだ寝ている近所の人も起こして聞いてまわったそうだ。でも誰も知らないし、何処にもいないと言う話だ。それで近所の人が警察に通報したんだ」


森本は何も言わなかった。


いや言いえなかった。


誰が考えても思いつくことは一つしかない。


林田徳之助はおそらく船が気になって、雨ガッパを着て夜の嵐の中、外に出た。


危険ではあるが、漁師としては特別珍しい行動ではない。


しかしそのまま帰らないとなると、波にさらわれてしまったと考えるのが一番自然な考えだ。


しかし森本は考えた。


とてもじゃないがそんなことは想像できないと。


漁師になるために生まれてきたような、おじである。


その上に七十年以上も漁師をやっている。


たとえ嵐の夜に出かけて行ったとしても、それで自分の命を落とすようなへまをするとは、ありえることではないと思った。


「ちょっと、行ってくる」


森本は押本に一声掛けると、おばの家へとむかった。


警察官二人がパトカーのむこうで、何事かを話し合っている。


深刻な顔はしておらず、ごく普通の日常会話のような雰囲気だ。


隣の車の横では、新聞記者らしい男が携帯で電話をしていた。


早口で何かをまくし立てている。


森本はその間を通って、おばの家に入った。


林田家の古く小さな家は、人であふれかえっていた。


今ここにいるのは、どうやらみな近所の人達らしい。


森本がそのまま家に入ると、一番奥にさえがぽつんと座っていた。


「ああ、ゆーちゃん」


森本を見ると立ち上がり、泣きながら抱きついてきた。森本はさえを優しく抱きしめた。




幼子のように泣いていたさえも、しばらくすると落ち着いてきた。


たくさんいた人たちも、だんだんといなくなっていき、今は森本とさえの二人きりになっている。


家の窓から海を見下ろすと、何隻もの漁船が、右へ行ったり左へ行ったりと、忙しくこまねずみのように動き回っている。


林田徳之助を探しているのだ。


それも徳之助の屍を。


森本は、おじがそんなところで見つかって欲しくはない、と思っていた。


森本がきつく海を見ていると、さえが力ない声で言った。


「本当に波にさらわれてしまったのかねえ」


森本は努めて笑顔を保った。


「そんなことないさ。あの人が波なんかにさらわれたりするもんか。そんなこと考えられないよ」


それはさえを慰めると言うより、森本自身がそう本気で思っていた。


「私もそう思うんだけど。……でも、それじゃあおじいちゃんは、いったい何処に行ったの」


「それは俺にもわからないさ。でもあの人のことだから、そのうちひょっこり顔をだすさ」


「だといいんだけど」


さえは夫が再び姿を現すことを、信じようとしていた。


しかし悲しいことに信じきれてはいないことが、その表情にありありと浮き出ていた。


森本は、とにかくなんでもいいから切らすことなく話を続けなければ、と考えた。


「俺もこうやって駆けつけてきたし。俺がなんとかおじいちゃんを、見つけるよ」


さえは何も答えない。森本がかまわず続ける。


「で、おじいちゃんが行きそうなところは、どこ?」


「海……かな。それ以外だと、家……」


「……でも家にはいないし、おそらく海でもない……と思う。でも何処かにいるはずだ。何か心当たりは、ないの。どんな小さなことでもいいからさ」


「心当たり?」


「そう、心当たりだよ」


さえは一生懸命考えた。


とにかく何かを思い出そうとしていた。


しかし長く連れ添った夫が消えた精神的ショックと今朝からの騒動で、かなり疲れていた。


頭が全く働いていない。


それでもさえは、森本に何か言わなければならないと思った。


何か言わなければ何か言わなければ、と考えていると、ふとあることを思い出した。


それは普通に聞いたら、とても林田徳之助の失踪とは関係がないことのように思える事だったが、この時のさえにはそんな判断能力はなくなっていた。


「そういえば、さっきゴンさんが変なことを、言ってた」


「変なこと?」


「ゴンさんとこと、うちとの間にあるあの坂道だけど、道の途中の木が変な倒れ方してたって。確かそう言ってた」


さえは抑揚のない声でそう言うと、また黙ってしまった。


森本はかたくなに信じていた。


おじは波にさらわれたのではない事を。


そして海ではないとすると、ここには山しかない。


おじは山にいる可能性のほうが高い。


彼はゴンさんに話を聞くより、直接自分の目でその坂道を見てみることにした。


その方が早いし、確かだ。




隣のゴンさんの家までは、百メートルと少しくらいだ。


問題の坂道は、両家のほぼ中間付近にある。


細くて急で、まるで踏み固められたかように硬い土で被われた舗装のされていない道で、山に向かって一直線に伸びている。


道幅は三メートルくらいだろうか。


森本はその坂道を、力強く登りはじめた。


登りはじめてすぐに奇妙なことに気がついた。


道の両側はまさに雑木林と言った様相で、さまざまな種類の木が雑然と生えていたが、道のすぐ両側にある他の木に比べて比較的低い木が、地面にばったりと倒れていた。


一見するとそれは、嵐によって倒れたとも見えないこともないが、問題はその倒れ方である。


道の右側にある木は山に向かって右上に、左側にある木は左上に向かって倒れていた。


そしてよく見れば、道の両側にある雑草も、きれいにそろって斜めに倒れている。


左右ともに、ほぼ一メートルほどの幅にわたって。


森本はそれを見て考え、何か大きなものが通った跡、と結論づけた。


しかしそれにしては、同じように道のすぐそばに生えているより大きな木が、全く無傷で立っている。


その点がなんとも不自然ではある。


それでも森本は何か大きなものが通った跡、と言う考えを捨てなかった。


熊かとも思ったが、このあたりには熊はいない。


それに、幅が三メートル以上―――雑草も考慮に入れれば五メートルほどにもなろうか――の熊など、日本には存在しない。


と言うより一番大きな北極熊でも、そこまでの大きさはない。


象くらいしか思いつかないが、象がこんな所を通るとはとても考えられないし、象でもまだ幅が足りない。


次に森本の頭に浮かんだ生物は恐竜であったが、その考えは、森本自身がすぐに否定した。


――いったい、何がここを通ったんだ?


森本は考えるより行動することにして、道をさらに登りはじめた。


やはり道の両側にある小さな木だけが、一本残らず右上左上にわかれて倒れている。


雑草も同様である。


そのまま登って行くと、やがてちょっとした広場にでた。


そこは、ソフトボールくらいならできそうな広さのある、草があまり生えていない、固い土と小さな岩の空き地だった。


森本は思い出していた。


間違いなく子供の頃ここに来たことがある、と。




森本はわずか二歳にして、両親を交通事故で二人同時に亡くしていた。


その彼をひきとって育てたのが、林田夫婦である。


森本には実の両親の記憶というものが、ほとんどない。


もの心ついたころの森本にとって、徳之助が父親であり、さえが母親であった。


その後、林田裕介が七歳のとき、何の前触れもなく養子縁組の話が持ち上がってきた。


相手は母方の遠い親戚にあたる、森本修二である。


森本夫婦は結婚して二十年にもなるのに、子宝に恵まれていなかった。


そこで養子を探していたのだが、赤の他人より血がつながっている裕介のほうがいい、と言い出したのだ。


林田夫婦は明らかに乗り気ではなく、当の林田裕介はかたくなに拒んだが、何度も親族会議を重ねたうえで、裕介が森本家の養子になることが決まってしまった。


林田夫妻には、その時すでに全員独立していっしょに住んではいなかったとはいえ、四人も子供がいることが決め手となった。


裕介は七歳にして、鈴木、林田、森本と、三つも苗字を名乗ることになったのである。


泣きながら林田夫妻と別れたあの日のことを、森本は今でもはっきりと覚えている。


特にあの時の徳之助の寂しい目とさえの涙は、忘れようにも忘れられない。


今からちょうど二十年前のことだった。


――なんとしても、おじを。いや父を、探しださないと。


彼はそう決めていた。




その広場の先には、森本の記憶にあるとおり、池があった。


子供の頃に徳之助から「危ないから、近寄るな」と言われていた池である。


彼はその言葉に従った。


だからこの空き地に来たことはあったが、池に近づいたことはなかった。


林田裕介という子供は林田徳之助、そしてさえの言うことなら、どんなことでもそれを守る子供だった。


もちろん今はそんなことを言っている場合ではない。


森本は池に近づき、ほとりから池をながめた。


その黒々とした水の溜まりは、池と言うより、沼――湿った泥炭――と言ったほうがいいしろものである。


透明度が絶望的に低く、中のようすを窺い知ることがまったく出来ない。


その沼は空き地と同じく、ソフトボール場くらいの大きさがあった。


角がとれたほぼ正方形の形をしていて、その見た目は、見るからに人の手で作られたという印象を受けるものだ。


もともとはこの空き地も池も、人が何かに使うために作られたものらしい。


しかしそれがいったい何であるかは、もはやこの町の長老でさえ知らなかった。


かなり昔に作られたであろう人工の池は、長い間誰も訪れることもなく、やがて黒い沼へとその身を落としていた。


森本は沼をしばらくながめていたが、やがて沼の横にある道に気がついた。


沼の手前は空き地に接しているが、右、左、奥は、雑木林に囲まれている。


そして沼のむかって右側に、三メートルほどの幅の土道があった。


その道は、沼の右側を通ってそのまま沼の後ろに沿って続き、後ろの中央あたりで右に曲がっている。


その先は、さきほど登ってきた道と、まったく同じ様相の坂道となっていた。


森本は池を回って上り坂までたどり着くと、一呼吸おいてからその道を登り始めた。


そして少し登ったところで、すぐに気がついた。


この道の小さな木や雑草は、ただの一本も倒れていないことに。




森本は迷っていた。


彼は木々をなぎ倒した何かが、あの沼に潜んでいると考えていた。


しかしそれを、警察とか捜索隊とか他の誰かに言うことを、ためらっていたのだ。


三メートルの道幅よりも大きく、大きな木はそのままで小さな木や生い茂る雑草だけをなぎ倒して進み、何の足跡も残さず、そして今は沼の中にもぐっている何か。


果たして〝そんなもの〟が、この地球上に存在するのだろうか。


森本自身も〝そんなもの〟は、全く思い浮かべることができなかった。


そしてそいつ――とても信じがたいが、おそらく生き物だろう――が林田徳之助に何かをした。


常識で考えれば、とてもありえる話ではない。


しかし森本は沼の暗い水面を眺めているうちに、確信が増してきた。


やはりここには何かが潜んでいる、と。


森本はそのまま待つことにした。


その沼から出てくる何かを、この目でしっかりと確認することに決めた。


彼は空き地に戻り、その中央付近に立った。


そして待った。ただ待ち続けていた。




どれくらい待ったのだろうか。


時間の感覚がおぼろになりつつあった時、不意に誰かが後ろから森本に、声をかけてきた。


「ここで、何してるの?」


振り返ると、そこには赤いワンピースを着た四歳くらいの女の子が、虫取り網を手に持ち、虫かごを肩からぶら下げて立っていた。


「うーん、ただお散歩しているだけだよ。……で、おじょうちゃんは、この寒いのに昆虫採取かい」


「うん」


森本は少なからず動揺していた。


沼から何かが現れたら、その目で確かめる。


そして後はひたすら逃げる。そのつもりだった。


ところが森本一人ではなく、そこに少女が一人加わるとなれば、話は全く変わってくる。


少女を残して一人で逃げるわけにはいかないのだ。


かといって少女といっしょに逃げるとなれば、確実に逃げ足が遅くなってしまう。


沼の中に潜む何かが、いったいどれくらいのスピードで移動するのかはまるでわからない。


わからないが、まだ足腰がしっかりしている林田を襲っている可能性がある。


そうなれば、亀のように歩みが遅いとは考えにくい。


彼は少女に優しく微笑んだ。


「この辺は危ないから、他の場所で虫取りしたほうがいいよ」


「うん、大丈夫。パパからお池には近づくなと言われてるの。だからお池には近づかないよ」


お池――どう見ても腐った泥沼だが――に近づかなくても十分に危険だ。


森本は何と説明しようかと迷ったが、子供には逆にありのままを言ったほうがいいと考えついた。


「そうじゃなくて、あのお池の中には、実はお化けが隠れてるんだ。お池からお化けが出てきて、おじょうちゃんを食べちゃうよ」


「えーっ、本当?」


「本当だよ」


「知らなかった」


「だから、早くおうちに帰ったほうが、いいよ」


「うん、わかった」


その時、森本の携帯電話が鳴った。


でるとそれは、さえからだ。


「ゆーちゃん、何処にいるの。はやく帰ってきて!」


「どうした?」


返事はなかった。電話はすでに切れている。


森本は、さえに何かあった、と思った。


「おじょうちゃん、とにかくここは危ないから、早くお帰り」


「うん」


森本はその返事を聞くと、走り出していた。




さえの家に着くと、荒々しく玄関の戸を開けた。


そして土足のまま奥の部屋へ駆け上がると、そこにさえがちょこんと一人座っていた。


「どうした! 何があった?」


「だって、ずーっとずーっと一人ぼっちで。心細くて。ゆーちゃん、いったい何処に行ってたの?」


森本が思わず大きく息を、一つつく。


「おばさん、何処にも行きやしないさ。おじさんを探していただけだよ」


かつては母であった老女の痩せた肩を、森本は優しく数回たたいた。


でも今はさえよりも、少女のことが気になる。


「じゃ、おばさん。またおじさんを、探してくるからね。すぐに戻って来るからね。心配しないで、待っててね」


そう言うと、まだ何か言いたそうな顔のさえを残して、家をでた。


森本は走った。


全力で走った。


全力で走るのは久しぶりだったが、一度も止まることなく空き地に着いた。


そこには少女はいなかった。


――よかった。あの子、もう帰ったみたいだな。


その時、安堵していた森本の視界に何かが飛びこんできた。


見覚えのある細長いもの。


彼は沼のふちまで再び走った。


そこにはさっきの少女が持っていた虫取り網が、水面に張り付くように浮かんでいた。




森本は沼に潜む何かのことを除いて、全て警察に話した。


そこにいた駐在は、少女が沼に落ちた可能性は否定しなかった。


しかしその駐在は、何故か一人で沼に行ってその周りを調べただけで、それ以上のことは何もしなかった。




そのうちに夜になり、少女の父親の小野正雄が、駐在所に飛びこんできた。


かなり興奮した様子で「娘の奈々が帰ってこない」と全身を使ってわめき立てた。


その剣幕に慌てた駐在は信じられないことに、ここに至ってはじめて、本署に連絡をとったのだ。




その頃にはすでに夜はふけていて、本格的な捜索は明日になると言う。


夜の沼の捜索は、危険がともなうからだ。


駐在がそのことを父親の小野正雄に告げると、小野は駐在に殴りかからんばかりの勢いで抗議をしたが実を結ばず、結局その日はそれ以上の進展はなかった。




次の日、夜も明けきらないうちに、本署と隣町から数人のダイバーを含む捜索隊が、沼に到着した。


しかしそこに到着したのは、捜索隊だけではなかった。


全国区の新聞社及びテレビ局の報道陣が、何社も押しかけて来ていたのである。


林田徳之助が行方不明になった時は地元の新聞社とテレビ局が一社ずつだけで、他からは一社も来なかったというのに。


それは被害者の違いにある。


記録にあるかぎり、これまでに一人の行方不明者も出さなかった浅垣町において、たて続けに二人の行方不明者がでたことも無視できない事実ではある。


しかしそれよりなにより、八十を超える老人の男と四歳の可憐な少女とでは、あまりにもランクが違いすぎたのだ。


商品価値、とでも言った方がいいか。


それは報道するマスコミにとっても、それを見聞きする大衆にとっても、同じことだ。


老人の男よりも少女の命のほうが、報道価値が比べ物にならないくらいに上なのだ。




小野正雄が浅垣町の住人としては誰よりも早く沼に来た時には、すでに二隻のゴムボートが沼の上に浮かんでいた。


そして数人のダイバーが沼の中に入り、沼のほとりでは何人もの警察官が沼を見ていた。


その総勢は二十名を超えているだろう。


ほとんど地元の漁師だけで捜索していた林田徳之助に比べると、超VIP待遇と言える。


そしてそれよりなにより、沼の手前には八台もの業務用テレビカメラが横一列に並び、その周りには四十人以上の人間が沼を見つめている。


テレビ局のクルー達と新聞記者達である。


小野より少し遅れて駆けつけた森本は、しばらくその光景をながめていたが、その中に押本学の姿を見つけると、近づいて行った。


森本が声をかけるより先に、押本が森本に声をかけた。


押本のカメラは、ずらり並んだテレビカメラの一番右の端にあった。


押本が言った。


「おい見てくれよ。うちを含めて地元のテレビ局は二社だけど、それが見事に、右端と左端に追いやられているんだぜ。その間のカメラはみんな、全国区の大大企業ご一行様のカメラだ。まったく、地元の人間をバカにしやがって。自分をいったい何様だと思っているんだ。よそ者のくせによ。くそっ、そのうちあいつらを、必ず出し抜いてやるからな」


押しの強さでは誰にも負けないと自負する押本が、逆に一番端に押し出されている。


それほどまでに中央の報道屋は、押しというか我が、とにかく強いのだろう。


ただ今の森本にとって、そんなことはどうでもよかった。


森本は押本に聞いた。


「何か見つかったか」


「いや、何も。捜索が始まってから、そんなに時間はたってない。少女はまだ見つかっていない」


「じゃあ、少女以外に何か見つかったか」


その言葉は、押本にとってはかなり意外な言葉だったようだ。


彼は森本の顔をじいっと見つめた後に、言った。


「少女以外に何かあるのか。……おまえ、まさか林田さんが、あの沼にいると思っているんじゃないだろうな」


森本がしばらく考えてから答える。


「おい、中央の連中を出し抜きたいと言ったな。それなら必ず出し抜けると言う保障はできないが、一つ情報がある」


「おい、何だそれ。早く言えよ」


「ちょっと、こっちに来てくれ」


そう言うと森本は、今来た坂のほうに向かって、歩き出した。


押本は隣にいた二十歳そこそこに見えるひょろっとした長髪のカメラマン助手に一声かけて、森本について行った。




坂の途中で森本は


「倒れている木を注意して見てくれ」


と押本に言った。押本はしばらくそれをじっと見つめた後で、森本の目を見た。


「あの木がどうかしたのかい」


「倒れ方がおかしいとは思わないか」


「確かにおかしいな」


「あの木はどうして、あんな変な倒れ方をしているんだろうか。どう思う」


押本は即答した。


「何かが通った跡かな」


森本は驚いた。


押本にそう思わせるのに、かなり時間がかかると思っていたからだ。


黙っている森本に押本が言った。


「で、おまえ、ここを通ったバカでかい何かが、今は沼の中にいると、言いたいのか」


「そうだ」


「で、その何かが、奈々ちゃんをどうにかしたと、言いたいのか」


「そうだ」


「そしてその何かは、林田さんにも何かしたと、言いたいのか」


「そうだ」


押本がにやりと笑う。


「その何かって、いったいなんなんだ? って、今のおまえに言っても、わからんか。とにかくその何かを、俺に探れと言いたいんだな」


「そのとおりだ」


森本はこんなにも早く話が進むとは、思っていなかった。


押本が再び、にやり、と笑った。


「わかった。おまえはおじさんのために、で、俺はあいつらを出し抜くために、二人でそれを探ろうという訳だな。了解した。じゃ、早速そいつを探しに行こうか」


押本はそう言うなり、坂を上り始めた。


今度は森本が押本の後に続いた。


押本が空き地に少し入ったところで立ち止まる。


森本がその横に立った。


押本は、沼を指差した。


「沼の後ろにあるあの坂道の木は、倒れていなかったんだな」


「昨日は倒れてなかった」


「じゃ、今日はたぶん倒れているな」


「どうして」


「考えてもみろよ。そいつは相手が老人や子供とはいえ、人を襲うようなしろものなんだぜ。しかもそこの道幅よりでかいときたもんだ。そんなばけものが沼の中にいたとしたら、もうとっくに現れているはずだ。捜索が始まってから、ええっと今は、……かれこれもう三十分近くたっている。その間二十人以上の人間が、沼の中や上やすぐそばで、ごぞごぞしている。その後ろにも四十人以上の人間が、ざわざわしてるんだ。全く反応がないのは、おかしいぜ。おそらく今はあの中にはいないんだ」


それは森本も感じはじめていた。押本が続ける。


「とにかく、沼の後ろの道を見てみようぜ」


その時森本は、後方から頭蓋骨に突き刺すような視線を感じた。


振り返るとそこには、黒ブチめがねをかけて髪を七三に分けた、いかにも事務関係の公務員といった感じの小さな男が、じいいっとこちらを見ていた。


ただその目は、明らかに尋常なものではなかった。


その男は小野正雄だった。


小野は森本に近づいて来た。


そして自分より背の高い森本の顔を、下から覗き込んだ。


押本はその時、小野の顎が森本の体にくっついたのではないかと思った。


小野は、異常とも思えるぎらぎらした眼光で森本を見すえたまま、低く強く唸るように言った。


「その話、もう一度最初から、詳しく聞かせてもらおうか」




押本の助手の井川辰夫は、少なからず驚いていた。


押本と、確か小野奈々の父親である小野正雄、そしてさっき押本と話をしていた井川の知らない男の三人が、沼のほとりを並んで歩いている。


そしてそのまま沼の裏側をまわって、その先にある坂道を登って行ったのだ。


まわりの人間は、そのことにほとんど反応していなかった。


浅垣町の外から来た人たちは、みんな小野奈々の顔は写真で見て知っていたが、その父親の顔を知る人は意外に少ない。


ましてや押本やもう一人の男については、全く知るよしもない。


おまけに捜索隊は懸命に小野奈々を探しており、報道陣もその姿をとらえるのに夢中だ。


したがって三人は特に誰かの注意をひくこともなく、そのまま坂道を登っていったのである。


井川は一瞬押本の後を追いかけようかとも思ったが、テレビカメラをそのままにしてこの場を離れるわけにはいかない。


彼は後で押本に何をしていたのかを聞くことにして、その場にとどまった。




三人は、坂を上りはじめてすぐに気がついた。


この道の両側にある小さな木が、手前の坂道と同じように倒れていた。


雑草も同様である。


おそらく例のやつはすでに沼を出て、この坂道を登っていったのに違いない。


森本はそう思った。


他の二人もそう考えているだろう。


ただ森本は、この先に何があるのかは知らなかった。


池に近づくなという徳之助の注意を守っていたため、当然ながら沼より先に行ったことはない。


それは押本も同じだろう。


森本は森本修三の子供となってからは、浅垣町の隣町に住んでいた。


高校もその町だったが、その高校の同級生が押本だった。


彼は生まれも育ちも、その町である。


小さな浅垣町のことはほとんど知らないはずだ。


もし、この先に何があるのかを知っている者がいるとしたら、ここには小野正雄ひとりしかいない。


小野は浅垣町で生まれ育って、現在もここに住んでいて、浅垣町に二人しかいない町役場の職員をやっている。


二年前に病気で妻をなくしてからつい昨日まで、娘の奈々と二人で暮らしていた。


森本は小野が何か言うのを待った。


しかし当の小野は近寄りがたい目つきで前方をにらみつけたままで、この先のことはおろか、何ひとつ語ることはなかった。




道はずっと続いていた。


最初の坂道は短かったが、今度はそうではなかった。




もうどれくらい歩いたろうか。


ずいぶん歩いたと思われるころ、急に視界がひらけた。


そこは、木や草などはまるではえておらず、むきだしの土と岩ばかりのところだった。


山が――おそらくダイナマイトだろう――人工的にごっそり削り取られている。


そこは採石場であった。


採石場が三ヶ月ほど前に閉鎖になったことは、森本もローカルニュースで知っていた。


社長とその家族が、ある日突然夜逃げをした。


その後の消息は、誰にもわからない。


会社はかなりの負債を抱えていたようだ。


十人足らずの従業員達は、退職金はおろか、最後の二ヶ月分の給料ももらえないままに失業した。


その人たちとその家族で、現在も浅垣町に残っている人は、一人もいない。


みんな仕事を求めて、さびれた浅垣町をそそくさと出ていった。


森本は採石場の右奥にあるプレハブが目にとまった。


一瞬、例のやつがあの中にいるのではないかと感じたのだ。


しかしプレハブの入り口の戸は閉まっている。


冷静に考えてみれば、あれが何かはまだわからないが、あんな小さな戸を開けて中に入り再び戸を閉めたとはとても思えない。


それでも森本は、とりあえず中を見てみることにした。


手をかけると鍵はかかっていなかった。


森本は戸を一気に開け、中に入った。


夜逃げと言うのは、まさにこういうことを言うのだろう。


プレハブの中は閑散としていて、また同時にちらかってもいた。


床、そしてあらゆるものに、全体的に薄く埃がたまっている。


机や床の上に、何かの書類がまるでわざと投げ散らかしてるかのように、ちらばっていた


。戸の反対側の壁際にある小さな流し台の上には、ふたがあいたままのインスタントコーヒーのビンがあり、その横に置いてあるコーヒーカップは、底のほうが黒ずんでいた。


それほどまでに急を要していたとも思えないが、飲みかけのコーヒーをそのままにして、出て行ったらしい。


おそらく、そこまで気が回らなかったのだろう。


森本は入り口から一番奥にある引き戸に、気がついた。


彼はその引き戸のところに行くと、その戸を開けようとした。


しかし戸は開かなかった。


戸には鍵がしっかりとかけられていた。


それも二つもだ。


森本は少し妙な感覚を覚えた。


そこ以外のプレハブのなかは、まるで〝もう、どうにでも、好きにしてくれ〟と言わんばかりの有り様であるのに、ここだけ何故か厳重に鍵がかかっている。


この中にはいったいなにがあるのか。


それがやけに気になった。


「おーい、そんなところで、何をしている」


突然押本の声がした。


見ると彼は入り口のところで、森本を見ていた。


そしてその横には、相変わらずよくない目つきの小野が、何も言わずに森本を見つめている。


「いや、ここに何かあるかと思ったんだが、何もないみたいだな」


森本がプレハブから出ると、押本が言った。


「ちょっとこっちに来てくれ」


そう言うとプレハブの奥のほうに歩き出した。


森本はそれに従った。


二人の後ろを、小野が無言でついてくる。


プレハブの裏の奥には、道があった。


ちゃんとアスファルト舗装もされていて中央線もある、大型トラックでも楽に通れそうな広い道だ。


大きなカーブを描いた、ゆるい上り坂である。


カーブの先は、ここからは何も見えない。


押本が言った。


「あいつはここを通っていったな。手前の坂道にはもどっていないし、ここはごらんのとおり、まわりはすべて切り立った崖になっている。山を削ったためだな。あの崖は小動物でも登るのは無理だ。ましてやあのでかぶつが登ったとは、考えられない。となると、ここしかないな」


「この道は、どこに通じている」


森本がそう言うと、押本は少し考えてから答えた。


「おそらく方向からみて、この先にある国道だろうな。確認はしていないが。切り出した石の運搬は、ここからやっていたようだな」


「あいつまさか、国道にはでてないだろうな」


「それはないだろう」


森本は押本の言うとおりだと思った。


国道は浅垣町を避けるように、その東の町と西の町をむすんでいる。


山間部を通っているとはいえ国道だ。


交通量は少なくない。


そんなところに、あんなものが――とは言ってもまだこの目で直接確認したわけではないが――うろうろしていたら、今頃はとっくに大騒ぎになっているはずだ。


この道は採石場が閉鎖されてからは、誰一人使っていないと思われる。


ここにいれば、誰にも見つかることはない。


森本は小野を見た。


小野は少し離れた場所から、あいかわらず尋常ではない眼でアスファルト道を、それ自体が愛しい娘の仇相手でもあるかのように、にらみつけていた。


「小野さん、こっちですよ」


森本はそう言うと道に向かって歩き始めた。


押本が声をかけてきた。


その面は明らかに動揺していた。


「おい、おまえ、行くのか?」


その態度は森本にとっては意外だった。


森本が知る限り押本は、昔からクソ度胸のある人間だ。


その押本が本気で怖がっている。


確かに目の前の山道は、曲がりくねっていて視界がいいとは言いがたい。


いつどこで例のやつと、ばったり出くわすかわからないその道を歩くのは、誰でも怖いに決まっている。


しかし森本はあいつの姿を見届けるまで、押本なら二人に付き合うと思い込んでいた。


森本の腹は決まっている。


行くと決めていた。


今二人のほうに歩いてきている小野も、行くと決めている眼であった。


そこには微塵の迷いも恐れもない。


森本は押本に視線を移した。


「俺も小野さんも、身内がいなくなっている。でもおまえは違う。帰りたければ、帰ってもいいぞ」


押本は何も答えなかった。


ただ激しく一点を凝視していた。


森本は最初、押本が自分を見ているのかと思った。


しかしよく見ると、押本の視線は森本の頭のすぐ上を通り過ぎ、そのさらに上にそそがれている。


そしてその目は、これ以上はないと思えるほどに、限界を超えて大きく見開かれていた。


そして押本がぽつりと言った。


「……奈々ちゃん」


その言葉に森本も小野もすぐさま反応した。


二人とも押本から視線を移し、押本の見つめるその先を見た。


二人は見た。


全くもって信じられないものが、そこに存在していた。


そいつは上り坂のカーブの途中、森本達から五十メートルくらい離れた場所にいた。


森本には最初、それはごつごつとした大きな黒い岩の塊に見えた。


外観は山高帽かプリンのような形をしている。


それの高さは、ゆうに五メートルはあるだろう。


そして森本達から見ている側の表面に、深い溝や浅い溝、あるいは大小様々な形のでこぼこがいくつもあった。


そしてその凹凸が、あるものの形を形成していた。


それは小野奈々の顔だった。


黒い岩の表面、森本達が見ている部分に、高さ五メートルにもわたって見事なまでにはっきりと、小野奈々の顔が刻み込まれていた。


あまりのことに三人とも、ただ黙ってそれを見ていた。


するとその無骨な黒岩の下の部分が、まるでナメクジかウミウシのように、うねうねと動きはじめた。


次の瞬間、その体に小野奈々の顔を刻み込んだそいつが、こちらに向かって動きだした。


「うわっ」


押本はそう叫ぶと、そいつと反対方向に走り出した。


森本はおもわず押本を目で追って、振り返った。


その時、何かが森本の横を、さっと通り過ぎた。


それはあのばかでかい黒いプリンだった。


その動きは、その巨体からは想像できないほどの、素早い動きであった。


その速さは、成人男子の走るスピードを、明らかに上回っている。


――下の広い部分が、全部足なんだな。


森本はそんなことを、ぼんやりと考えていた。


今目の前で起こっていることが、あまりにも現実離れしていて、まるで夢か幻でも見ているかのように思える。


正常な思考や反応が出来ないでいた。




黒い塊はすぐさま押本に追いついた。


そしてそこで止まった


森本からはそいつが影になって、押本が今どうなっているかは、よくわからなかった。


するとそいつがくるりと振り返った。


押本の背中は岩の表面、小野奈々の口に当たるところに、背中で張り付いていた。


そしてその体は、だんだんとその黒い塊の中へと入っていっている。


森本の目には、小野奈々が押本を喰っているかのように見えた。


押本の顔は、必死で絶叫している時の顔だったが、大きく開けた口からは、何も漏れてはこなかった。


そしてその顔も体も、やがてそいつの中にゆっくりと、そして完全に入ってしまった。


押本の体は、こちらを見ている巨大な小野奈々の顔だけを残して、全く見えなくなってしまった。


するとその表面にある小野奈々の顔が、むずむずと動きはじめた。


それ動きはまるで、皮膚の下で何百万匹ものウジ虫がうごめいているかのような動きである。


そしてその虫唾が走るような動きが止まった時、小野奈々の顔が変わっていた。


新しくできたそのばかでかい顔は、間違いなくどう見ても押本学の顔となっていた。


その巨大な黒い岩は、押本学の顔が完成すると、再び動き出した。


押本を追いかけていた時よりは遅く、人が歩くよりは速いスピードで。


そして森本の前をすうっと通り過ぎ、アスファルトの道を進んで先のカーブを曲がり、見えなくなった。


――きっと、もうお腹がいっぱいになったから、俺たちを襲わなかったんだな。


森本はやはりぼんやりと、そんなことを考えていた。


まだ実感と言うか現実感と言うものが、まるでわいてこない。


その時、小野正雄が言った。


「あいつが、奈々を。……あいつが、奈々を」


小野は黒い岩の去った方へ歩きはじめた。


それを見て森本は、ふと我にかえった。


慌てて後ろから小野の肩をつかんだ。


「小野さん、逃げましょう。とにかく今は、逃げましょう」


森本は小野の言うとおりだと思った。


最初あいつを見たときは、その身体の表面に小野奈々の顔を刻み込んでいた。


ところがそいつが押本を自分の身体の中に取り込むと、その顔は押本の顔へと変わったのだ。


その身体の中に取り込む。


……そう、身体に取り込むということは、つまり喰われたんだ。


二人ともあいつに喰われてしまったんだ! 


おそらく……林田徳之助も。


森本には小野の怒りは痛いほどわかった。


自分も育ての親を、あれに喰われてしまった可能性が高い。


だからと言って、このままむざむざと小野を、あんなばけもののところへ行かせるわけにはいかなかった。


森本は必死だった。


ところがそれにもまして小野は必死であった。


必死と言うよりその全身を、激しい憎しみと怒りで爆発させていた。


「離せ! あいつが奈々を。あいつが奈々を!」


その小さな体からは想像出来ないくらいの力で、森本を振りはらおうとしている。


しかし、身長百八十センチ以上で、高校大学とラグビー部でレギュラーだった森本が、身長百六十センチに少し足らず、ひょろりとやせた役場の事務員である小野を、物理的に上回った。


森本は後ろから小野の首と胴体を抱え込んだ。


そして二人はそのままずるずると、後退していった。




井川は退屈していた。


とてつもなく退屈していた。


押本からカメラを押し付けられてから、その後ずいぶんと時間がたったように思えるが、その間に井川がしたことは、テープチェンジを一回しただけである。


それ以外は三脚の横に、まるで根が生えたように座り込んでいた。


ファインダーを覗くことさえしなかった。


目の前の捜索活動とかいうやつもずっと何の進展もなく、カメラに写る映像も静止画かと思えるほどに、ただひたすら同じだ。


時間だけが無駄にだらだらと過ぎてく。


――あーあ、何かおもしろいことでも、ないかな。


先ほどからそればかり考えていた。


その時、何か声が聞こえた。


誰かが何かを叫んでいるようである。


目の前の捜索隊やまわりの報道陣達も、それに気がつく。


みんなあたりをきょろきょろしはじめた。


その声は遠くから聞こえたために、最初は何を言っているのかよくわからなかった。


が、だんだん近づいてきて、そのうちはっきりと聞きとれるようになってきた。


「あいつが奈々を! あいつが奈々を!」


そう叫んでいた。


その声は、沼のむこうにある坂の上から聞こえてきている。


もぐっているダイバーを除いてほぼ全員が、坂を見ていた。


その時、二人の男の姿が見えてきた。


森本と小野である。


二人はもつれあうかのような体勢で、坂道をおりてきた。


森本がこちら側で、小野が向こう側。


二人とも沼のほうに背中を向けて、後ろ向きに歩いていた。


と言うより、森本が後ろから小野に抱きつき、そのまま無理矢理後方に引きずっているのだ。


二人はその状態でおりてきた。


しかし坂道は、沼のところで直角に曲がっている。


人間は後ろには目がない。


二人ともそのままの姿勢で、背中から沼に落ちた。




山村浩司はひどく困惑していた。


彼は浅垣町の行方不明者を捜索するために、本署と隣町から来ている部隊の指揮をとっていた。


彼自身は、本署のほうから派遣されている。


行方不明者二人のうち一人は老人で、海に沈んでいると思われる。もう一人は少女で、沼に落ちたと思われていた。


老人のほうはおそらくすぐには見つからないだろうし、少女のほうは逆にすぐに見つかると考えられていた。


どちらにしても相手はもうとっくに死んでいるのだ。


それほど神経を使う仕事ではないと思っていた。


彼が最近まで扱っていた事件からすれば、比べものにならないくらい楽な仕事であると。


ところが突然、わけのわからない怪物の話が、飛び込んできたのだ。


証言者は二人いた。


森本裕介と小野正雄である。


二人とも、特に小野正雄のほうは最初極度の興奮状態にあったが、それでも二人の証言は全く一致していた。


高さ五メートル以上もある、山高帽のようなプリンのような形をした、真っ黒くて岩のようなものが現れた、と。


そいつはとにかく生き物で、最初見たときにはそいつの表面には小野奈々の顔があり、そいつが押本学を体の中に取り込むと、その顔が押本の顔になったと言う。


おまけにかなりのスピードで動くそうだ。


動くときと人間を体に取り込むときのそいつは、まるで軟体動物かあるいは巨大な肉の塊のような印象を受けたと言う話である。


むろん山村は、そんな生物は見たことも聞いたこともない。


しかし二人の証言の信憑性は、きわめて高かった。


森本裕介は林田徳之助の甥であり、幼いころは林田夫婦に育てられていて、今でも親しい交流がある。


実際に林田が行方不明と聞いて以来、仕事を休んで浅垣町で林田を探しているのだ。


小野にいたっては、奈々は実の娘である。


近所でも仲のいい親子と評判である。


どう考えても二人ともそんなくだらない嘘を言う理由がなく、また必死で訴える姿は、これまたとても嘘を言っているようには見えない。


そうなると、これ以上の捜索が危険であることは、間違いない。


問題は、それを本署にどう報告するかだ。


前の仕事でちょっとした失敗ではあるが、立て続けにミスをおかしていた。


署長からも「山村君、君はちょっと休んだほうがいいかな」と深刻な顔で言われたのは、ついこの間のことである。


面と向かって言う人は一人もいないが〝山村は最近、おかしいぞ〟と言う噂がたっていることは、山村自身が誰よりもよく知っている。


だから、すでに死んでいる可能性の高い行方不明者の捜索という、多少の失敗も許される、少々のことなら黙っていればわからない、という仕事にまわされたのだ。


そういった理由で、たとえちゃんとした目撃者がいたとしても、最初の報告書を見た時点で〝こいつやっぱり、頭がおかしい〟と思われやしないかと、噂がさらに広がりやしないかと、山村にはその点がとても不安だった。


もしそんなことにでもなれば、警察署における山村の立場というものは、かなりあやういものになるだろう。


山村は考えた。さいわいなことに、二人の証言を最初から最後まで聞いた人間は、自分しかいない。


二人は沼から引き上げられると、すぐにこの捜索本部につれてこられた。


森本はここに連れてこられるまでの間ほとんどしゃべらなかったが、小野のほうはずっとわめいていたそうだ。


でもそれは「あのばけものが」とか「奈々が」とかいったうわ言に近いもので、あの怪物――多分生き物だろう――について詳しく述べたものではない。


二人があれについて詳しく語ったのは、捜索本部の奥のこの小部屋のみであり、そこには山村しかいなかった。


あの時採石場で何が起こったのかを知っているのは、二人以外では山村一人である。


そして二人は山村の命令によって、小さな公民館をそのまま利用した捜索本部の一番奥の部屋で、半ば軟禁状態にある。


部下には一人残らず、「二人とも極度の緊張状態にあるので、落ち着くまで誰も接触しないように」と伝えてある。


現場責任者の命に逆らって二人と話をする人間は、誰もいない。


そこで山村は未確認の大型動物の仕業にすることにした。


押本学と三人でいる時に、不意に何かに襲われた。


二人は慌てて逃げたため、それが何であるか、はっきりとは確認していない。


それは何らかの大型の野生動物である可能性が高い。


本署にもマスコミにもそう報告した。


――とりあえずこれで、わが身は当分安泰だな。


山村はそう思った。


だが実際は違っていた。


山村は確かにおかしかった。


署長が心配するように、いやそれ以上におかしくなっていた。


こんなその場しのぎの嘘がずっと通用はずがないこと、自分がバカな小学生でも言わないようなレベルの低い嘘をついてしまったことに、全く気がついていなかった。


山村は完全に病んでいた。




森本は不可解だった。


沼から拾い上げられたあと、この捜索本部とかいうところにつれて来られた。


そこでここの責任者だと言う山村という警官に、なにがあったのかを詳しく聞かれた。


森本は山村を最初に見たとき、どこか普通でない、特にその目に何か病的なものを強く感じたが、実際に話をしてみると、特におかしいところはないように思えた。


その後この部屋で待つように、絶対にここから動くな、と山村から強く告げられていた。


あんな怪物がいるので、外は危険だからそう言ったのかと森本は考えた。


そこまではこれといって、変なところはなかった。


問題はその後だ。


あれから何時間もたっているはずなのに、二人ともずっとそのまま放置されている。


食事はおろか飲み物さえ差し入れられない。


それ以前に山村が部屋を出た後は、誰もこの部屋に入ってこないのだ。



森本は小野を見た。


小野はここに来た時、最初は暴れていたが、今は大人しくなっている。


大人しくはなっているが、壁の一点を凝視したまま、なにかしきりに小さくぶつぶつとつぶやいている。


とても気安く話しかけられる雰囲気ではない。


森本はしかたなく、部屋の隅に重ねてあった毛布をはおると、横になった。




井川辰夫は何かすっきりしないものを感じていた。


警察の発表によると、三人で採石場にいる時に、突然なにか大きな動物に襲われた。


二人は逃げたが、押本学は逃げ遅れた。


逃げた二人はとっさのことで、それがなんの動物かは、よくわからなかったという。


二人は精神的なショックが大きくて、今はとても人前に顔を出せる状態ではない。


押本の体はその動物が持ち去ったらしい。


小野奈々もその動物に襲われた可能性がある。


したがって、沼や採石場の周辺は危険なので立ち入り禁止。


簡単に言うと、そういうことだった。


しかし井川には、ふに落ちないところがいくつもあった。


まずその動物がなんであるかがわからない、と言う点だ。


二人も目撃者がいるというのに。


そいつは押本の体を持ち去ったと言うが、大の大人一人持ち去れるほどの大型動物は、この日本ではごく限られるはずだ。


いやそんなことが問題なのではなく、たとえそれがどんなに突然であったとしても、たとえ仮にとてもこんなところにいるはずのない動物、例えばライオンだったとしても、少なくとも〝ライオンのような動物に襲われた〟くらいのことは、言えるはずだ。


それが哺乳類であるか、あるいは大蛇のような爬虫類であるかさえ、わからないと言う。


そんなことがはたしてありえるだろうか。


おまけに沼から引き上げられた時に森本が、「採石場に怪物がいる」と言っていたのを、井川は聞いていた。


小野にいたっては何度も「あのばけものが、あのばけものが」と叫んでいる。


大型動物に対して怪物やばけものという表現は、普通は使わない。


それにはっきりと見ていないものを、森本や小野が怪物とかばけものなどと言うはずがなかった。


あの時、井川は誰よりも早く採石場に足を踏み入れた。


それから警察から正式に立ち退き命令があるまでの三十分ばかり、さして広くない採石場を、隅から隅まで調べていた。


ところがそこには、押本がなにかの動物に襲われたという痕跡は、全くなかった。


人が大型動物に襲われたのなら血も流れるだろうし、衣類の切れ端などが残っていても、なんの不思議もない。


ところがそういったものが、なにひとつ見つからなかったのである。


人間一人を襲ってなんの痕跡も残さずに、その体を持ち去る。


おまけにすぐそばにいたはずの二人の人間に、その姿をほとんど見せていない。


もしもそんな動物が本当にいたとしたら、まさにばけものだが、いくらなんでもそんな動物はいそうにはない。


あの二人は絶対に何かを見ている。


そして何故か警察は、そのことを故意に隠している。


井川はそう確信していた。




森本は目をさました。


ちょっと横になるつもりが、いつの間にか眠ってしまったらしい。


窓から漏れる光が明るい。


もうすっかり日が昇っている。


やはり疲れていたのだろう。


かなり長い間眠っていたようだ。


森本は小野の様子を見ようとした。


しかし公民館の奥の小さな部屋の中に、小野の姿は見あたらなかった。


森本は部屋を出た。


小部屋を出るとすぐに、捜索本部がある部屋に出る。


そこに若い警官が一人でぽつんと座っていた。


どうやら留守番をまかされているようだ。


森本は声をかけた。


「あの、小野さんは、どこに行きましたか」


ものすごく軽い返事が返ってきた。


「ああ、小野さんですか。小野さんならずいぶん前に、出て行きましたね」


それを聞いて森本は思わずつぶやいた。


「しまった! 危ない」


若い警官が軽く笑った後で、答えた。


「いやいや、危なくないですよ。もうすぐ隣町から猟友会の人たちが駆けつけてきますし。あの猛獣も、あとわずかの命ですよ」


「猟友会?」


「ええ、猟友会です。二十人以上は来るそうですね」


「猟友会だって。……つまり猟銃で、あいつを撃つのか?」


「そうですよ。さっきも言ったとおり、二十人以上ですから。たとえ熊でも、楽勝楽勝」


森本はあっけにとられていた。


あんな怪物が、猟銃なんかでやっつけられるとは、とても思えない。


「山村さんから何か聞いていないのか。あの怪物について」


「怪物? ああ、正体不明の動物のことですか。熊でしょう。ここには熊はいませんが、隣の県にはいますね。そこから来たはぐれ熊じゃないかと、山村さんが言ってましたよ」


――あのバカ、いったいなにを考えている。


森本は怒りを覚えた。


この若い警官に詳しく説明してやろうかとも思ったが、それより小野が心配だ。


時間がない。


森本はそのまま何も言わずに公民館をとび出した。


「あの、ちょっと」


後ろから声をかけられたが、無視した。


公民館の外にはパトカーが一台停めてあった。


ただ森本は考えた。


ここからあの例の坂道までだいたい二キロくらいか。


いろいろ説明してパトカーに乗せてもらうよりも、自分の足で走ったほうが速い。


森本は走り出した。


走りながら思い出していた。


沼から引き上げられた時も、最初に公民館に着いた時も、小野はずっとわめいていた。


「あいつが奈々を」とか「あのばけものが」とか。


森本もそれに同調していた。


その二人の言葉は複数の人間が聞いている。


しかしそれは、あの怪物についての詳しい説明と言うには、ほど遠い。


詳細に話をしたのは山村一人だけである。


あの怪物の話をした時、森本と小野と山村の三人しかいなかった。


だから山村が黙っていれば、誰もあの怪物のことはわからない。


警察はもちろんのこと、浅垣町の人も。そしておそらくマスコミも。


山村が何故、怪物のことを秘密にしたのか。それは森本には皆目見当がつかなかった。


しかし山村一人の情報にしていることは、間違いないことのように思えた。


それに対して森本は怒っていた。


そのせいで、小野の身が危険にさらされることになっているのだ。


小野はおそらく一人で怪物のところに行っている。その可能性が高い。森本はそのまま走り続けた。




山村がいったん公民館に帰ってきた時に、そこにいたのは若い警官一人だけだった。


――彼はえっと、確か園田という名前だったかな。


山村は思い出した。


昨日遅くに本署から応援にきた警官だ。


たぶん巡査長のほうから、留守番をまかされているのだろう。


山村は部屋の隅の小さな流し台でお湯を沸かし始めた。


そしてお湯が沸くのを待ちながら、考えていた。


昼には猟友会のメンバーがここに着く。


やつらは熊か何かを倒せばいいと思っている。


そいつらに、いったいどう説明したらいいのか。

 いやそれよりも難しいのは今後本署に、どうやってつくろうかだ。


いずれあの得体の知れない生き物の正体がばれる時が、必ずやってくる。


目撃者も現時点で二人いる。


そしてこれからもっと増える可能性が、十分にある。


その時、いったいどうやって言い訳したらいいのか。


彼はそのことで頭がいっぱいだった。


あれこれ悩んでいる途中で、山村は奥の小部屋の戸が半開きになっていることに気がついた。


「おい、園田君。奥の部屋の戸があいているが」


「ああ、そうみたいですね」


「ああ、そうみたいですね、じゃないだろ。中にいた二人はどうした」


「ああ、中にいた二人ですか。もう、ここを出て行きましたよ」


山村はインスタントコーヒーをカップに入れようとしていたが、思わずスプーンごとカップを床に落とした。



園田が音に驚き、それを見る。


山村は、確かにまわりの警官たちに、「二人をしばらくここに留めておくように」「自分の許可なく、二人を外に出さないように」「ショックが大きいので、勝手に二人と話をしないように」などと口をすっぱくして言っていた。


が、後から来たこの園田という警官には何も言っていなかったことに、今気がついたのだ。


山村は慌てて部屋を出ようとした。


背後から能天気な声が聞えてきた。


「あれえ、山村さん、もう行くんですか」


山村は振り返ると、思わず激しく叫んでいた。


「園田! おまえもいっしょに来い」


そのあまりの剣幕に、園田がその場に固まってしまったほどだ。




森本は坂道の入り口に着いた。


道の両側の木から紐がかけられ、その中央付近に立ち入り禁止の札がぶら下がっている。


森本は無視して紐をくぐると、再び走り出した。




森本が採石場に着いた時、最初は誰もいないのかと思った。


しかしプレハブの前を通った時、中から何かもの音がした。


見ると入り口も開いている。


森本はゆっくりと近づき、中を覗き込んだ。


中には背をこちらに向けて立っている男がいた。


森本は一瞬小野かと思ったが、その男は明らかに服装と体型が違っていた。


なにより小野と比べて、ずいぶんと背が高い。


おまけに肩に業務用テレビカメラをかついでいる。


森本は最初、男が誰だかわからなかったが、その後ろ姿を見ているうちに、何処かで会ったような気がした。


そしてほどなくして気がついた。


彼は確か押本の助手をやっていた男だと。


森本は男の背中に声をかけた。


「おい、こんなところで何をしている」


井川辰夫は振り返った。



知った顔の男が、井川が誰よりも会いたいと思っていた男が、今目の前に立っているではないか。


「森本さんじゃないですか。あなたこそ、こんなところで何をしてるんですか?いやそれより、あなたには直接聞きたいことがあるんですよ」


「聞きたいこと? そんな暇はない。とにかく今すぐここから逃げろ」


その時森本は、井川の後方にあるプレハブの奥の戸が開いているのに、気がついた。


前に来た時は、二つも鍵がかかっていた戸だ。


「おい、そこの戸を開けたのか?」


「いや、僕は開けていません。最初から開いていましたけど」


森本はなぜだか妙な胸騒ぎを覚えて、何か言いたそうな井川を押しのけるようにして、戸の前まで進んだ。


戸の鍵のところが大きく破損している。


何か堅いもので力まかせに叩き壊したように見えた。


森本は中を覗きこんだ。


そこは四畳ほどの物置であった。


森本にはなに使うかよくわからない器具が、いくつも置かれている。


そして二つの木箱が、投げ捨てられたかのように転がっていた。


木箱の中には何も入っていなかった。


そしておがくずが、床の上にはでにまき散らされていた。


井川は奥の物置を調べている森本を、ただ見ていた。


声をかけようかと思ったが、とてもそんな雰囲気ではなかったからだ。


その時井川は、プレハブの窓の前を、何か大きなものがすうっと横切ったことに気がついた。


よく確かめようと思って窓のほうに視線をやったが、その時にはもう窓からは何も見えなくなっていた。


井川はそれを追ってプレハブの外に出た。




森本はしばらく空の木箱を眺めていた。


が、ふと我に返った。


気がつけば、助手がいなくなっている。


森本はプレハブをでた。


そしてそこで、思いもかけない光景を目にした。


採石場にはあの怪物がいた。


押本の顔をこちらに向けて、その場にじっとしている。


そして信じられないことに、その前で井川がテレビカメラを構えて、その怪物を撮っていた。


「ばか! 早く逃げろ」


その言葉に井川は、カメラを怪物に向けたままで、首だけ森本のほうを向いた。


その次の瞬間、黒い塊が井川に近づいて来た。


やがて井川がそれに気がついた。


その時には高さ五メートル以上の巨大な肉の塊は、井川が手を伸ばせば届きそうなくらいの距離にいた。


「うわっ!」


やけに甲高い声をあげたあと、井川は怪物と反対方向に走り出した。


怪物がその後を追う。


そして怪物はすぐに井川に追いついた。


テレビカメラが井川の手を離れて、その前方に落ちた。


その間森本は、全く動くことができなかった。


彼はそれを斜め後方から見ていた。


最後に残った井川の左手が見えなくなってからしばらくすると、怪物がゆっくりとこちらを向いた。


その表面のどす黒い顔は、すでに井川辰夫の顔になっていた。


「やっと追いついたぞ」


不意に森本のそばで、声がした。


見るとそこには小野が立っていた。


小野はもう冬が近いと言うのに、顔中大汗をかいていた。


息もぜいぜいと、あえいでいる。


その時、怪物が動き出した。


人が歩くぐらいの速さで見ている二人の横を通り過ぎて、アスファルトの道のほうへと移動していく。


「小野さん、今のうちにはやく逃げましょう」


それを聞いて小野は、森本の顔をじっと見た。


そして森本が思わず後ずさるような顔で、にたあっ、と笑った。


「逃げる? そうか、なるほど。逃げればいいんだな」


そう言うと小野は走り出した。


そして途中で手ごろな石を拾うと、すでに道を進みだしていたばけものに向かって、その石を投げた。


石があたるとそいつは、くるりと振り返った。


まるで笑っているかのような井川の顔が、小野を見ている。


森本は不思議だった。


こいつには手や足はおろか、目や鼻や口や耳さえも見あたらない。


なのに確実に、正面と言うものが存在するのだ。


森本がそんなことを考えていると、小野が怪物に背を向けて、走り出した。


すると一瞬の間もおかずに、黒い悪魔が小野の後を追った。


小野の走るスピードは、さして速くはなかった。


巨大な肉がすぐさま小野に追いつく。


そしてそこで止まった。


その時森本は気がついた。


こいつは逃げるものを追いかける習性があるのだ。


そしてそのことを知った小野が、わざと自分をおいかけさせたのだということに。


――でもどうして?


森本にはわからなかった。


わからないままに、急いで怪物のほうに近づいて行った。


小野はその背中を怪物にくっつけていた。


そして彼の両手は前のほうに、力なく前へならえの状態に伸びている。


それはまるで森本には、たとえ体は犠牲にしたとても、両手だけは怪物の中にとりこめられまいと、守っているかのように見えた。


森本はさらに近づき、その前に伸びた小野の手をつかもうとした。


時間がない。


小野の体は確実に怪物の体の中に入ってゆく。


すると小野が、自分の手をつかもうとした森本の手を、思いっきり振り払った。


「じゃますんな!」


小野はそう叫んだ。


森本を見る小野の目が、明らかな狂気を含んでいる。


次の瞬間、小野はまだ自由に動く自分の両手で、ジャンバーの前の右と左を鷲づかみにした。


そして一気にジャンバーの前を開けた。


そこには、何かがあった。


荒紐で小野の体の胸と腹のところに、何かがいくつもまきつけてあった。


それはダイナマイトだった。


何十本というダイナマイトが小野の体に巻きつけられていたのだ。


小野は右手を高々とさしあげた。


その手にはいつの間にか、火のついたオイルライターがしっとりと握られていた。


小野が叫んだ。


「奈々ーっ! おまえのかたきは取ったぞーっ」


「ばかっ、やめろっ」


森本はオイルライターを奪い取ろうとした。


そかしそれより先に、小野がダイナマイトに火をつけた。


「ばかやろう!」


森本はそう叫ぶと振り返り、そして走り出した。




森本は走った。


走っている間、時間がやけに長く感じられた。


やがて森本の体を、激しい轟音と暴風が襲った。


森本はふっとばされ、その体は前方の岩に叩きつけられた。


森本はそのまま気を失った。




山村と園田が採石場の手前までさしかかった時、採石場のほうから大きな爆発音が聞こえてきた。


二人は思わず顔を見合わせた。


少しの間をおいて、園田が採石場に向かって走り出した。


山村は動かなかった。


その場に立ちすくんでいた。


そしてそのひざは、がたがたと震えていた。




その夜、日本中に大きな衝撃が走った。


井川のテレビカメラに残されたテープが、その主な原因である。


カメラは投げ捨てられ、おまけに爆風で地面を転がり、数箇所に大きなダメージを負っていたが、中のビデオテープは奇跡的にも無事だった。


そしてそのテープが偶然にもその日の全て、怪物が現れてから小野と怪物がともに爆死するまでの一部始終を、完全に写し取っていたのだ。


ほとんどのテレビ局が通常の番組をとりやめ、特別番組に切り替えた。


そしてあのビデオはゴールデンタイムにふさわしくないところ、たとえば小野の体がダイナマイトで吹き飛ぶところなど数箇所にぼかしを入れてはいたが、それでも何度も繰り返し繰り返し放送されていた。


この事件は、マスコミも視聴者も喜びそうな要素であふれていた。


巨大な未知の怪物の驚異と恐怖。


可憐な四歳の少女をふくめた、犠牲者達の悲劇。


そしてなによりも、全身にダイナマイトを巻きつけ、自らの命と引き換えに娘のかたきをうった小野正雄の物語は、全国に深い感動と悲しみをもたらした。


森本裕介も、一躍時の人となっていた。


怪物に二度にわたって遭遇しながらも、唯一生き残った人物だ。


なかでも、一度はあの怪物の恐怖にさらされながら小野を救うために一人採石場にむかい、小野がダイナマイトに火をつけるまで怪物のすぐそばで小野を助けようとした勇気は、大いなる賞賛を持ってむかえられた。


死んだ小野に負けず劣らず、マスコミで一斉にヒーローとしてたたえられていた。




森本が目を覚ますと、そこは病院のベッドの上だった。


病院のロビーや病院のまわりが、人であふれかえっている。


それらは報道陣と、森本の身を案じた一般市民であった。


森本が病室の二階の窓から外にいる群衆を他人事のように見ていると、一人の若い看護婦が彼に近づいてきた。


「みんな、あなたを心配しているんですよ、森本さん」


彼女の目は、尊敬と憧れに満ちあふれていた。


病室には医者と数人の看護婦、そして一人の初老の刑事がいた。


刑事は医者と一言二言話した後、森本に柔らかく語りかけてきた。


「森本さん、お話を聞かせていただけますかな」


森本は話した。これまであったことを順番に、正確に、淡々と語った。


もちろん山村が何故か怪物の存在を故意に隠したことも、確実に刑事に伝えた。


話し終えると刑事が言った。


「あなたのように、勇気あるりっぱな方からお話が聞けて、本当によかったと思っています」


そう言って立ち上がり、病室を出ようとしたが、入り口の手前で立ち止まると振り返った。


「どうもありがとう、森本さん。あなたとお話したこと、孫娘に自慢できますな」


そう言うとにっこりと笑って、病室を出て行った。


森本はその刑事には好印象を持ったが、それでもそんなことはどうでもいいと思った。


自分が有名になったことなど関係ない。


彼はとにかく今すぐに、さえに会いたいと思っていた。




戸田一三はその日も夜がふけても、大学の一室で研究を続けていた。


もう二十年以上もほとんど毎日、その習慣を変えていない。


その戸田の研究室のドアが、突然ノックされた。


――誰だろう? こんな夜中に。


戸田は不思議に思った。


こんな時間に訪ねて来る人物は、まずいないはずだし、現に今まで誰一人いなかったのだから。


戸田がドアを開けると、そこには背の高い男が立っていた。


真っ黒い細身のスーツに身をつつみ、夜だというのに黒いサングラスをかけて、右手に銀色のアタッシュケースを持っている。


――なんだこいつは? 安物のスパイ映画に出てくるような格好で。


戸田がそう思っていと、男が口を開いた。


「戸田一三教授ですね。私は残念ながらその身分をあかすことができませんが、日本政府のある機関に属する者です。あなたを世界的な生物学者、特に細胞学の権威と見込んで、依頼したいことがあります。あるものを調べていただきたいのです」


見るといつの間にかその男の後ろに、その男と同じように黒のスーツとサングラスで身をつつんだ筋肉質の男が、大きな灰色の箱を両手で抱えて立っている。


何か言おうとする戸田を無視して、二人は研究室に入ってきた。


戸田がその後を追う。


「それはなんだね?」


戸田が聞くと、男は戸田が指差したアタッシュケースを机の上に置き、その中から液晶テレビ付きのDVDプレイヤーを取り出した。


「失礼ですが戸田先生は、テレビはごらんにならないとか」


「私はテレビなんぞは、何十年も見たことがない。あんなものは、全く時間の無駄だ」


男が軽く笑った。


「そう思いまして、これを持って来ました。とにかく、ご覧になっていただきたい」


黒い男が再生ボタンを押す。


そこには戸田が見たことも聞いたこともないものが、映し出されていた。


ばかでかくて真っ黒な山高帽かプリンのような形をした未知の生物が、一人の男をその体の中に取り込み、もう一人の男にダイナマイトでふっとばされるまでの映像である。


戸田は目を皿のようにして、その映像に見入っていた。


再生が終わると戸田は、目を大きく見開いたまま男の顔を見た。


「こっ、これは、作り物なんかではなく、実際にあった出来事のように、見えるが」


「そうです。今日浅垣町というところで、実際にあったことです。で、先生に調べて欲しいものは、これです」


もう一人の男が灰色の金属製の箱を床の上に置き、その上ブタをあけた。


中には人間の頭よりひとまわりほど大きい黒い岩のようなものが、二つ入っている。


見ようによってそれは、肉の塊にも見えなくもない。


戸田の心臓は高まった。興奮を隠さずに男に言った。


「これがあの生き物の体の一部なんだね?」


「そうです」


「そして、これを私に調べて欲しいと」


「そうです」


戸田のその顔には、歓喜の表情が浮かんでいた。


学者としての探究心、あるいは本能というべきものが、全身からあふれ出してくるのを感じていた。


体中の血がたぎっている。


その戸田を横目で見ながら、男が事務的に言った。


「さきほども言いましたが、これは日本政府からの正式の依頼です。それなりのお礼はいたしますので、ぜひ調査のほどを、よろしくお願いします」


戸田がぶっきらぼうに答える。


「たとえマフィアからの依頼であろうが、ただでやってくれと言われようが、命がけで調べるさ」


それを聞いて男は、しばらく戸田を値踏みするように見つめていたが、突然に「了解ですね。それでは、失礼します」と言って一礼をし、もう一人の男を伴って、研究室を出て行った。



山村浩司は本署に呼ばれていた。


そして署長じきじきに、お叱りをうけた。


が、実際はお叱りなんて生易しいものではない。


いつ「きさまは、クビだ!」と言われても不思議ではない剣幕であった。


反論は一切許されなかった。


すでに降格も決まっている。


山村は警官になった時から、自らの出世だけを考えて生きてきた。


それ以外のことは、一切考えたことがなかった。


そしてその望みが今、全て絶たれてしまったことに気がついた。




戸田一三は高ぶっていた。


夜もかなりふけてきたが、目は完全にさえていた。


あの怪物の細胞にとことんのめり込んでいた。


最初にその体全体から、甘酸っぱいにおいがたちこめていることに気がついた。


それはいわゆる体液と呼ばれているものから、ただよっている。


怪物の体全体に染み込むように存在していたものだ。


それの細かい分析をするには残念なことに、戸田の研究室では器材が不足している。


戸田が何か必要のあったとき使わせてもらっている、大大学の研究室に持ち込むことにしたが、それは明日以降になるだろう。


こんな時間に行っても当然ながら誰もいないのはわかっている。


ただ戸田は――この匂いは胃液に少し似ているな――と思った。


そして現在戸田を興奮させているのは、その細胞である。


戸田はいくつものサンプルを採取し、何度も顕微鏡を覗きこんでいた。


その細胞は、主にコラーゲンで形成されていた。


皮下組織を作り出す主成分である。


ところが細胞の形と配列自体は、強靭な肉食動物の筋肉のそれに近かった。


さらに細胞間の密着性が、かなり柔軟であることにも気がついた。


つまり皮膚の柔らかさと、肉食獣の筋肉の強さを同時に持ち、おまけに自由自在に動き、どんな形にもなることができる。


体全体に染み込んだ体液を仮に胃液と仮定するならば、変幻自在で巨大で強力なひとつの胃袋。


それがこの怪物の正体、ということになる。


もちろんそんな生物は、生物学の権威である戸田をもってしても、全く記憶にない存在である。


戸田はさらに研究に没頭した。


そしてさらにあることに気がついた。


それは神経組織である。


この怪物の神経は、体全体にはりめぐらされているが、その中でも特に神経が集中している部分が、無数に存在することに気がついた。


それは直径にして0.二ミリほどの大きさでほぼ円形に神経が固まっていた。


そしてその神経組織の集まりは、隣り合った同じく神経組織の集まりと、比較的太い神経でつながっている。


一つの塊からその太い神経は、平均して十本ほど伸びていて、前後左右そして上下の同じような神経組織の塊と、結びついていた。


それがその体の全てにわたって連鎖していき、怪物全体の体を作り上げていた。


――まるで、ネットウェヴの世界みたいだな。


一つの独立した個人のパソコンが、ネットでまた別の個人のパソコンとつながり、そのパソコンがまた別のパソコンとつながっている。


それの連鎖で、無数のパソコンがネットによって、一つの巨大なパソコンのような体制を作っている。


その構図にそっくりだと思った。


見方を変えれば、無数の生物が集まって大きな一つの生物になっている、と見えなくもない。


ただ、戸田は感じていた。基本的な図式はネットウェブよく似てはいるが、こいつはそんな単純なものではないような気がする。


戸田はさらによく調べようと、再び顕微鏡を覗きこんだ。


その時、戸田の見ていた細胞が、突然視界から消えた。


戸田は、無意識のうちに細胞をのせたプレートに触ってしまったのだ、と思った。


研究をするようになって何十年にもなるが、今だにたまにやるミスである。


特に今夜のように興奮している時は、やりがちだ。


戸田はプレートを動かし、サンプルを顕微鏡の視界の範囲内におさめて、再びそれを見ていた。


するとまたしてもサンプルの細胞が、顕微鏡の視界からすっと消えたのだ。


戸田はとまどった。


少なくとも今はプレートに触った覚えはない。


戸田は顕微鏡から目を離し、直接プレートを見た。


そこには怪物の小さなかけらが置かれている。


その小さなかけらが、戸田の目の前で動いた。


戸田が大きく目を見開くと、そいつはまるで何かを感じとったかのように一旦動きを止めたが、再びそろりそろりと動きはじめた。


もうプレートからも離れて、顕微鏡の台の上を移動している。


その時戸田は、後ろに異様な気配を感じた。


何かはよくわからないがとにかく何かに、人間ではない得体のしれない何かに、じいっと見つめられているような。


そんな気配を強く感じたのだ。


その視線が、戸田の背中にべったりと張り付いている。


戸田は努めてゆっくりと振り返った。


そこには、黒ずくめの男が持ってきた灰色の箱が、ぽつんところがっている。


その箱は、確かに閉めたはずの上ブタが、何故か開いていた。


何かが大きな口を開けたかのように。


そして間違いなくついさっきまではあったはずの怪物の身体の一部が、箱の中から忽然と消えうせていた。


次の瞬間、戸田の足元から何かが急にせり上がってきた。


それは天井近くまで伸び上がり左右にも広がった。


戸田にはそれは、黒い暗幕のように見えた。


そしてそれ全体から、甘酸っぱい匂いを漂わせていた。


あまりのことに戸田が身動き取れぬままにそれを見ていると、その黒い暗幕が戸田の体に覆いかぶさってきた。




夜の閉鎖された採石場後。


午前三時。


そこには人の姿はない。


ただ黒い大きな塊がひとつ、ぽつり残されているだけである。


もともと山高帽かプリンのような形をしていたが、爆発によって片側、特に下の部分を大きく吹き飛ばされたために、左右に割れてそのまま倒れていた。


ところがその割れて倒れていた巨大な塊が、突然むくりと起き上がった。


と同時に、まわりから無数の黒い破片が、まるでアリの大軍が行進するかのごとく、ざわざわとその割れた部分に集まってきた。


黒い塊が静かにその割れ目を閉じる。そこには完全に元に戻った怪物の姿があった。


やがて怪物はゆるりと動き出すと、アスファルト道の方へと移動しはじめた。


そして、その姿を消した。



     終

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