第九章 年代不明
1
魂を司る機関・転生省の来世選定局に、本日、新たな局員が配属された。
◆ ◆ ◆
真っ白な壁に囲まれた生涯記録課のオフィスには、黒いスーツを纏った男女が何十人と集まっていた。手には一様に黒い表紙の本を持ち、列をなして自分の順番を待っている。
その列の合間を縫って歩く色白の男が、一人。
黒いローブの裾を翻しながら、何を考えているのか分からない顔で辺りを見回している。
「あ、キアランさーん」
つと聞こえた声に、色白の男――キアランは、振り返った。
そこには、キアランの後輩に当たる若い男がいた。名前はレオナルド。人懐っこい笑みを浮かべて、丁寧に編み込まれた金髪を揺らしながら近付いてくる。
「あの、さっき向こうの方で、キアランさんを探してる子がいたんすけど」
「……どんな方でしたか?」
「髪は肩くらいの長さで、パンツスーツの女の子っす。まだ慣れてない感じでその辺フラフラしてましたから、多分新人だと思います。キアランさん、この前休憩所で、新人の教育係になるって言ってましたよね? だから、もしかしたらこの子がそうなのかなーと思って、一応こうして声を掛けてみました」
「ありがとうございます、レオナルドさん。助かります。彼女はどちらに?」
「さっき見た時は、向こうの方に歩いてってましたよ」
キアランは礼を言ってから、レオナルドの指差した方向へつま先を向けた。黒いスーツの列を擦り抜けつつ、目的の相手を探す。
すると、どこからともなく頼りない声が聞こえてきた。
キアランの名前を、呼んでいる。
「……新人のシャーリーンさん。いらっしゃいますか?」
キアランはその場で立ち止まり、手を挙げてみせる。周りの視線が、一斉に集まった。
キアランは、居心地悪そうに体を前後に揺らす。しかし手は下げず、もう一度、自分が担当する新人の名前を呼んだ。
「えっ? あ、あっちですかっ? えっ? ローブッ? え、どこですかっ?」
黒いスーツの集団の隙間から、同じ格好をした背の小さな女の頭が現れる。すぐ傍にいた先輩らしき女に何度も確認しながら、必死で辺りを見回していた。
「ん? あ、ん? あっ、あぁっ! はいっ、あのローブの方ですねっ?」
ようやく気が付いた女は、先輩らしき女に何度も頭を下げてから、キアランの元へ駆けてくる。肩で切り揃えられた髪が、マントのようにたなびいた。
「あ、あの、失礼ですが、キアラン先輩でいらっしゃいますか?」
「えぇ、そうです。あなたは、シャーリーンさんでよろしいですか?」
「そ、そうですっ。あぁ良かったぁっ。もう会えないかと思ったぁーっ」
女――シャーリーンは、顔を覆ってその場にしゃがみ込む。
突然の行動に、キアランは固まった。数拍の間を置いてから、静かに一つ瞬きをする。
「……立って下さい、シャーリーンさん。このようなところでしゃがんでいては、皆さんのご迷惑になります」
「あ、そ、そうですね。すみません」
シャーリーンは慌てて立ち上がると、気恥ずかしげに頭をかいた。周りにいる黒いスーツの集団にも、ペコペコと頭を下げる。その都度、彼女の髪も前後に振り乱されてはぐちゃぐちゃと絡まっていく。
「……シャーリーンさん」
些か強い口調に、シャーリーンの肩がピクリと跳ねる。
恐る恐る、顔を持ち上げた。
無表情のキアランと、目が合う。
「ここにいては邪魔になります。場所を移動しましょう」
「あ、は、はい……」
歩き出すキアランの背中に、おずおずとついていく。
キアランは、オフィスの白い扉の近くへとやってきた。出入りの邪魔にならぬよう、壁際へ避ける。
「シャーリーンさん」
キアランは足を止めると、身を小さくするシャーリーンに向き直る。
「素直に謝れるのはあなたの美徳かとは思います。ですが、頭を下げすぎるのもどうかと思います。下げられる方も困りますので、謝罪は一度だけにして頂けるとありがたいです」
「う、は、はい……」
「それから、集合場所からは勝手に動かないで下さい。あなたが何をどう思ってそのような行動に出たのかは知りませんが、もう少し待ち合わせをした相手のことも考えて頂きたいです。
また、お互い相手を探した結果、こうして予定が大幅にずれこんでしまいました。とても無駄な時間だったと思います。次からはこのような事がないよう、よくよく考えて行動して下さい。よろしくお願いします」
「分かりました……すみません……」
シャーリーンは恐縮し切った顔で頭を下げると、そのまま俯いてしまった。
あまりの落ち込み具合に、キアランは無表情のまま止まる。心なしか、他の記録係達の視線も集まってきた。その眼差しは、「ちょっときつく注意しすぎなんじゃないの?」とでも言いたげである。
「…………そう落ち込まなくとも結構です。顔を上げて下さい」
キアランは、ゆっくりと瞬きをする。
しかし、シャーリーンは自分の指を弄って、目を彷徨わせるばかり。
「……シャーリーンさん」
「は、はい……」
「もう一度言います。顔を上げて下さい。自分は、何も怒ってなどいません」
「……ほ、本当ですか? 本当に、怒ってませんか?」
「えぇ。ですから、どうか顔を上げて下さい」
そう言われ、シャーリーンは、恐る恐る頭を上げた。キアランと、目が合う。
するとキアランは、おもむろに唇を固く結んだ。
そして、頬の筋肉を、痙攣させ始める。
口角や目尻が不自然につり上がり、小馬鹿にしているような、悲しみを堪えているような、何とも言えぬ表情を作り出していく。
シャーリーンの唇が、ひくりと引き攣った。
「ぶはぁっ!」
不意に、シャーリーンの背後から吹き出す音が聞こえる。
見れば、先ほど別れたレオナルドが、腹を抱えて笑っていた。周りの目が集まるのもお構いなしに、金髪を振り乱していく。
「……随分と楽しそうですね、レオナルドさん」
「あはっ、あははっ。ちょ、キ、キアランさんっ。こっち見ないで下さいっ。おも、思い出しちゃうんで……っ!」
声を震わせ、苦しげに噎せながらも、レオナルドは笑い続ける。対するキアランは、眉間にほんの僅かだけ皺を寄せて、不満げに睨んでいる。
「……あ、あのぉ……」
二人に挟まれたシャーリーンは、困惑したようにキアラン達を交互に見やる。
「はぁっ、はぁっ、ご、ごめんねぇ、突然割り込んじゃって。いやぁ、キアランさんが無事新人ちゃんと打ち解けられるか心配でさ。こうして見守ってたわけなんだけど、まさか、ぶふっ、久しぶりにキアランさんの笑顔が見れるとは、思ってなくって……っ」
「え、笑顔?」
「そ、そうそう。あの変な、こんな顔してたじゃん。あれ、キアランさんの笑顔だから。ね、キアランさん?」
指で目と口をつり上げてみせ、レオナルドはキアランを振り返る。つられてシャーリーンも振り返った。
キアランは、何も言わない。若干唇を尖らせて、自分のローブの中を漁っている。
「……あれ? キアランさん。もしかして、怒ってます?」
「……いいえ」
「嘘だぁ。絶対怒ってるでしょ」
「そんな事はありません」
「いや、怒ってますね。だって目付きが凄ぇ悪くなってますもん」
「…………そうですか」
キアランは冷たく受け流すと、ローブから真っ黒な表紙の本を二冊取り出した。片方を、シャーリーンへ差し出す。
「どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「そちらは、新人の記録係が使う、見習い用の記録帳です。後ろの方には注意事項などが載っていますので、後で目を通しておいて下さい」
「は、はい。分かりました」
黒い表紙の本を抱き締め、シャーリーンは大きく頷く。キアランも頷くと、つと踵を返した。
「それでは、早速行きましょう」
「えっ、も、もうですかっ?」
「えぇ。こういったことは、実践で学んだ方が覚えやすいので。もし分からないことがあれば、その都度質問をして下さい」
「は、はいっ」
生涯記録課の扉を開け、キアランは白い廊下へと出る。その後にシャーリーンが続き、更にはレオナルドもくっ付いてきた。
「……レオナルドさん」
「はい。なんすか?」
「あなたは、いつまで自分達と共にいるのでしょうか?」
「そうっすねぇ。キアランさんが煙草吸うまでっすかね。ほら、さっきキアランさんの笑顔見たじゃないすか? そしたら今度は、キアランさんの泣き顔も見たくなっちゃって」
笑顔で言うレオナルドに、キアランの口元は曲がる。
「……本日は、吸う予定はありません」
「え、そうなんすか? うわー、残念だぁ。俺、今度キアランさんに会ったら、絶対一緒に喫煙所行こうと思ってたのに」
レオナルドはそう言うと、不思議そうにしていたシャーリーンに笑い掛けた。
「あ、君、知らない? キアランさんって、仕事始めと終わりには、必ず煙草吸うんだよ。煙草嫌いな癖に」
「嫌いではありません。苦手なだけです」
「はいはい、そうでしたね。で、苦手な癖に吸うもんだから、毎回毎回涙と鼻水盛大に啜ってんの。たまに噎せちゃって、しばらく再起不能になったりもしてさ。もう止めた方がいいですよって何度思った事か。そして何度言った事か」
「は、はぁ……」
「でも、止めないんだよねぇ。ま、こういうのは個人の自由だからいいんだけどさ。俺も、キアランさんと一緒に煙草吸うの結構好きだし」
レオナルドは、楽しそうに笑う。
「まぁそういうわけだから、もしキアランさんが煙草吸ってたら、是非介抱してあげて。あ、でも、何もせずに見守るのもありだよ。それはそれで面白いから」
「……レオナルドさん。新人に変なことを吹き込むのは止めて下さい」
「あ、はーい。失礼しましたー」
全く反省していない態度で頭を下げるレオナルド。その人懐っこい笑顔を一瞥し、キアランは小さく溜め息を吐いた。
「あ、じゃあ俺、ここで失礼しますね」
つと、レオナルドが右へ曲がった。その方向へ真っ直ぐ行くと、喫煙所に到着する。
「キアランさん。次煙草吸う時は、絶対声掛けて下さいね。しっかりばっちり介抱してあげますから。あ、そっちの新人ちゃんもまたね。なんか分かんないことがあったり、キアランさんに聞きづらいことがあれば、バンバン聞きにきてくれていいから」
「あ、は、はい。ありがとうございます。その際は、よろしくお願いします」
深く頭を下げるシャーリーンに、レオナルドは笑顔で手を振った。キアランにも軽く会釈をして、さっさと歩いていってしまう。
丁寧に編み込まれたレオナルドの髪が、動きに合わせて左右へ揺れる。その後ろ姿を見送り、キアランは一歩足を動かした。
「行きましょう、シャーリーンさん」
「あ、はい」
歩き出したキアランの後を、シャーリーンは追い掛ける。
長く伸びる白い廊下に、二人分の足音が小さく響いた。それ以外は何も聞こえない。話し声も、話す雰囲気も、何もなかった。キアランはひたすら前だけを見ている。
何を考えているか分からない横顔に、シャーリーンは人知れず居心地の悪さを感じていた。無言が辛くて、思わず口を開く。
「あ、あの、キアラン先輩」
「何でしょう?」
「あの……煙草、吸われるんですね」
「えぇ」
一言、それだけが返ってきた。
それしか、返ってこなかった。
「……えっと……仕事始めと終わりに、吸われるとか」
「えぇ、そうです」
「今日は、もう吸われたんですか?」
「いいえ。昨日吸ったので、本日は吸いません」
淡々とキアランは口を動かすと、すぐに閉じてしまった。
この場に流れる妙な間に、シャーリーンの居心地の悪さは一層膨れ上がる。
「で、でも、その、苦手、なんですよね? 煙草」
「……えぇ」
僅かに、キアランの声が低くなった。ビクリと肩を震わせるシャーリーン。
しかし、それでも必死に会話を続けようと口を開く。
「え、えっと、えっと、その……な、なんで、苦手なのに、吸うんですか?」
そう問い掛ければ、キアランの視線が、ふと上を向いた。
しばし天井を眺めたかと思えば、おもむろに、瞬きをする。
「……報告の為、でしょうか」
「ほ……報告、ですか?」
不可思議な表現に、シャーリーンは首を傾げる。
「……まぁ、一種の願掛けのようなものです」
「願掛け……」
「えぇ。ですが、さほど深い意味はありません。ただの習慣だと思って下さい」
そう言って、キアランはもう一つ、瞬きをした。
瞬間、口角が、ほんの微かに、持ち上がる。
「あ……」
目尻も、ほんの微かに、下がった。
今にも消えてしまいそうだが、先ほど見たものよりも、遥かに自然な笑顔だった。
シャーリーンは、言葉もなくキアランを見つめる。
「……どうされましたか、シャーリーンさん?」
不意に、キアランが振り返った。
「っ、うぇっ? な、何がですかっ?」
「妙にこちらを見ていたようですが、自分の顔に、何かついていますか?」
「い、いえいえっ。そんな事ありませんっ。とっても素敵なお顔ですっ」
「…………そうですか」
キアランはゆっくりと顔を逸らし、視線を前へ固定する。そして妙に瞬きを繰り返し、足早で白い廊下を進んでいく。
後ろから、シャーリーンの呼び止める声と必死に追い掛けてくる音が聞こえる。だがそれに気付かぬフリをし、キアランは黒いローブの裾を翻した。
忙しない足音が二つ、白い廊下に響き渡る。
Record keeper ‐魂に寄り添う者‐ 沢丸 和希 @sawamaru
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