10、Something In Blue/セロニアス・モンク

こうして書いてると、10曲ってのはわりとボリューミーだなあ。

選曲、たのしや。

よめはんにも、自分的重要曲のセレクトだけやらせてみたが、「あれも外せない、これも捨てがたい」とたちまち32曲くらい積み上がってた。

さすがは整頓できない女。

自分にとって、その生きた時代にはそれぞれに特別な一曲があるはず。

それを思い起こすたびに、その頃の風景や匂いが立ちのぼってくるのは不思議な感覚だ。

ぶっつけに書いてても、当時のことを意外なほどに細密描写できた。

音と聴覚と脳との間には、そういう太い回路が巡らされてて、音の再現→記憶野の引き出し開封→取り出し機能、って暗号スイッチになってるのかもね。

さて、最後の10曲めにはなにを選ぶか、ってことになる。

考えたんだけど、やっぱしここは「いちばん大切にしてる曲」を置くことにしたい。

セロニアス・モンクは、孤高のピアノ弾き。

件の「Jazz on a Summer's Day(真夏の夜のジャズ)」でも、演奏前に司会者から、「彼は音楽のことしか考えない。うまく言えないが、このひとは、それ以外のことをあまり考えないのだ」と紹介されてる。

そんな変人だ。

モンクのピアノは、クラシックなストライド奏法だけど、用いるコードがどれも歯抜けや建て増しのイレギュラーに加工されてる。

その音は、ミスタッチか粗雑な演奏にも聞こえるが、よく聴き入れば、実は高い知性のヤスリにかけて配されたものとわかる。

それは、音の「細工」なんていやらしい作為じゃなく、彼独特の感覚による、音の「手入れ」なんだった。

彼の音には、ふたつと同じ響きのものがない。

誰にも似ていず、どこでも聴き覚えがない音。

いっこのコードを分解して構築し直し、構成要員を絞ったり配置をずらしたりして、わざわざ調子っぱずれにしてるわけで、聴き手側にはくすぐられてるような掻痒感がある。

ユニーク、と言ったらチープになるけど、つまり、次の音を次の音を裏切りつづけるズッコケ感ね(もっとチープか)。

なのに、全体が一貫してそのガタガタ作法に統一されてるので、聴いた後には奇妙なエレガント感が残る。

ディテールで動揺させつつ、総体として完璧なバランスにまとめる、って稀有のスタイルだ。

同世代のチャーリー・パーカーや、デイジー・ガレスピーなんてラッパ吹きがこの作業を担って、時代と音をいっこ更新したわけだけど、モンクはさらにその半歩先をいって、ジャズの前衛ともパンクとも言える思想を持ち込んでたわけだ。

その後に破壊的なフリージャズが台頭するわけだけど、そこまで革新的ではなく、あくまで保守的に、常識的に、音を崩しては再構築する作業をモンクはつづけてて、やっぱこの音は、変人の気まぐれというよりは、感性と知性を積み上げた創造、と読み解きたい。

彼の演奏作品をオレは、手に触れうる限りに求め、集めた。

その中で生涯最高の演奏と思えるものは、生涯最後の録音。

学生時代から現在に至るまで変わることなく傍らに置きつづけた「サムシング・イン・ブルー」は、平板で、穏やかで、全体がハーフトーン。

そして、モンクが生涯をかけて形づくった作法のすべてが取り込まれてる。

荘厳で静謐なのに、やっぱりくすぐりが満載で、聴いてて笑けてくる。

なのにじわりと胸を突かれる。

葬送曲にぴったしだな、と直感する。

自分が死んだら、その機会に用いてみようと考えてるとこ。


このシリーズ、おしまい。

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