第二部「戦支度」(上)
順門府、本拠、
「と言うわけで、もはや朝廷との共存は望めますまい。各々、お覚悟めされよ」
府公の御前で、上洛の顛末を聞いた群臣らは、あるいは悲嘆し、あるいは朝廷の無法に激怒し、あるいは思案顔で押し黙った。
「……なんということを……」
その中で唯一、生還者である鐘山宗流に苦言を呈する者がいた。
宗円が次男、宗善である。
「なんということをして下さったのだ……兄上。これでは事実がどうであろうと、証拠の有無など関係なく、我らが伊奴殿を除いたことを認めたようなものではないか」
だが、弟の嘆きに対し、兄は別段気にした風もなく、「おいおい」と肩をそびやかすばかりだった。
「だから弁明のしようもなかったと言ってるだろう。それとも何か? 貴様、この兄がそのまま殺されても良かったってのか?」
不穏当極まりない発言に、主座の宗円は眉をひそめた。本人に他意も悪意もないのだろうが、二人の派閥の家臣たちは色めき立つ。
言われた弟は、「本当にそうすべきだった」と言わんばかりに、宗流を冷視した。
そんな場の雰囲気を察したか、あるいは真に受ける弟に鼻白んだか、宗流は苦笑を零した。
「双方止めよ。危急の折、何故骨肉で争う?」
物静かな宗円の喝破が、両陣営を鎮めた。
未練がましく兄を見つめる宗善、気まずげに頭を掻く宗流と、交互に視線を配り、言った。
「確かに宗流が軽挙に過ぎたのは確かなこと。だが、朝廷が我々に求めているのが、決して平和的な解決ではないのも確かであろう」
良くて改易、最悪の場合一族郎党、皆殺し、民も被害を免れまい。
「宗善、其方も生まれゆえに思うところがあるだろう。だが、再度の交渉の場は、弓矢によって開かねばならない」
その発言を聞いた宗流が、中腰になって前へと進み出た。
「すると親父殿は、朝廷を完全に討つつもりはないと?」
僅かに首を上下させた宗円に、
「手ぬるいッ!」
と、公子は床板を踏み鳴らして反論した。
「手ぬるいぞ親父殿! 親父殿の器量であれば、戦知らずの帝など散々に打ち破り、そのまま都を直撃し、天下に覇を唱えることもできるはずだ!」
然り、という声がどこかで聞こえてきた。
恐らくは宗流派の武将であろうが、宗円は首を横に振った。
「戦を知らぬは我らも同じよ。既に王争期より三十年。この中で兵が万を超す大戦に従軍したのはわしと
昔とった杵柄が、今なお振るえるとは限らない。
「つまるところ、この戦いの帰趨など、実際戦ってみなければ分からぬ。しかも、敵勢は考えうる限りの兵力を動員してくるであろう」
しかし、と。
順門府の誇る猛者、智者たちを見渡しながら、宗円は宣言した。
「戦において人数比は勝敗を決定づける一因となるが、それだけでは決まらぬ。また、既に打てる限りの手は打っておいた。要は負けなければ良いのだ。とどめ置いた人質には普段と同じように不自由させぬし、国破れようと彼らは必ず守る。突然のことで皆、さぞ混乱しておることだろうが、どうか、力を貸して欲しい」
そう締めくくって頭を下げた府公の姿に、一同は息を呑み、目を見開く。
「おい……」
その家臣団に、猛獣の如く、鋭い眼光を配りやおら立ち上がった男がいた。
他ならぬ、鐘山宗流であった。
「貴様ら! 主君が首を垂れているにも関わらず、無言で見やる者がおるかっ! そもそも親父殿が戦を決断されたのは、順門の地と、民のためだっ! その地に生きる我らが、この方一人にその責務を負わせて良いはずがないっ!」
そう熱弁を振るう公子は、最後に隣席の幡豆由有の肩を叩き、
「と、幡豆が言っていた!」
「言ってませんよそんなことは!?」
理不尽な責任を上官に転嫁された幡豆は、「ま、まぁ」と、もごもご口の中で、舌を動かしていた。
やがて意を決したように、泳いでいた黒目がちの眼が据わり、府公を仰いだ。
「我ら幡豆一族は、武神である盤龍神の加護と、武家の名門鐘山家の庇護を受けて参りました。故に主の窮地に戦わぬ、という恥知らずな行為、私は臆病ゆえに出来ませぬ。願わくば、この度の挙に加えて頂きますよう、こちらよりお願いいたします」
と頭を下げ返した幡豆由有が、皮切りであった。
「わ、我らも!」
「三戸野家、同じく」
「わしら
等々、口々に臣従を願い出て、にわかに活気だつ一同に、宗円は頷き返し、感謝の意を示した。
だが、開戦雰囲気一色となるその場に、一人浮かぬ顔の青年がいる。
「先ほど急なことと言われたが……」
と、その強面の若者、鐘山宗善は、
「その割に随分と手際が良いですな、父上」
親子の情を感じさせない、冷え冷えとした声を、父へとぶつけた。
○○○
卯の月二十一日。
全土にあまねく存在する大中小、累計百の府公に向け、帝の勅令が発せられた。
逆賊鐘山家、討つべし。
各々、順門府討伐の征旅へ従え。
それを契機に、各地で十万を超す人間の大移動が始まった。
都よりも以東以南の府公はまず都へと集結した。都よりも以西以北の者らは、それぞれの封地にて合流を果たすべく戦備を整えつつあった。
都では帝がその総指揮を執る禁軍が編成を始める。
第一軍、
第二軍、
第三軍、
第四軍、
第五軍、上社鹿信
第六軍、
第七軍、
総計三万弱に加え、近隣の諸侯豪族がそれに加わり、さらにそこに東南よりの遠征軍が加わると、ゆうに五万を超す大軍勢ができあがった。
順門府にたどり着く頃には、十万を超すと予想され、その場に参じた諸将の熱狂を、この上もなくかき立てた。
いざ、出陣。
いざ、順門。
輿に乗った帝が、父祖以来、家伝の蒔絵の軍配を振り下ろすのを、皆がまだかまだかと手ぐすね引いて待っている。
その矢先に、冬の名残の冷水を浴びせる一事が、彼らの心にわずかな暗雲をもたらした。
藤丘家の傍系であるその家柄は、王朝を開闢した宗家に慮り、自らの任地の名を姓とした。
病弱な現当主に代わりその軍を指揮するのは、当代の麒麟児と目される秀才にして公弟、風祭
率いる軍兵は一万二千。数の上では討伐軍中においても数は二、三を争い、練度は禁軍にも勝るとも劣らぬと言われている。
間違いなく、今回の戦における主戦力となるであろう精鋭軍であった。
その精鋭軍の大将が、突如帰国を願い出たのである。
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