第二部「戦支度」(中)
先帝の眠る堂がある、
その麓で、風祭康徒から直に事情を聞くこととなった。
帝、その諸臣、この当代の府公や名将らががひしめく軍議の場に、風祭府の俊英は参上した。
さながら引き立てられた罪人の如く、衆目に晒された公弟は、顔にこそ恐縮するような雰囲気を漂わせていたが、首から下の骨太な肉体は、震えの一つも起こっていなかった。
若いと言っても、それは風祭家を取り仕切る重鎮としての歳であり、実際は二十代も半ばを過ぎた辺りだろう。
顔立ちは貴種らしい気品と、武家としての精悍さを均衡良く混ぜ合わせたようであり、なるほどこの人ならば、と思わせる風格を全身から匂わせていた。
「……かかる朝廷の大事の前に、万死に値する愚行、お許し頂きたい。その罪の重さ、充分に承知しておりますが、何卒、何卒!」
天下の往来に手をつき平伏する皇族の姿に、居並ぶ皆は呆れつつも、恐々と帝の顔色を伺った。
「前置きは良い。何か故あってのことであろう、康徒殿」
「は。既にご存知かと思いますが」
「知らぬゆえ、その仔細を説明されよ」
だが、激して面罵するかと思われた天下の主は、その配下の予想に反し、冷静であった。
自らの血族に対し相応の敬意を示しつつ、理由を尋ねる。
それに対し、「伏してお願い奉る」と言わんばかりに恐懼の体を見せる康徒は、事の次第を説明した。
先日、本国である風祭府にて、反乱が起こったのだという。
首謀者は康徒らの叔父に当たる風祭
病弱な当主、若き公弟ではなく、己こそが府公に相応しいと野心を抱いての謀反であるという。
「これは朝廷に牙を剥く訳ではなく、国乱れるを憂える故の処置である」
そう主張しながらも、此永は鐘山家に呼応するが如く、康徒不在の隙を突いて挙兵。
当代になってより不満を持った武士らと語らい、自らの派閥へと引き入れると府公の本城清楯を包囲したという。
「兄は知ってのとおり病気がち。加えて兵の大半も臣が引き連れており、留守組のみでは耐えることが出来ません。何より叔父は朝廷に反意なしと称しておりますが、この挙兵が鐘山家に同調したものであることは明白。放置すればいずれ、背後より皆々様の領地、そしてこの都を襲うは必定」
此永の目標をことさらに誇張し、声高に告げる。それを聞いた小領主たちは皆一様に青ざめ、帝の傍にある星井文双も顔をしかめた。
「この度のご出征を万端なものとするためにも、風祭府で食い止めねばなりません。この東西の乱を収めた後、どのようなお裁きを受けようとも臣はお恨みいたしませぬ! ですが、一刻の帰国を、そして風祭家と我が兄をお赦しいただきますよう!」
そうして再びひれ伏そうとする康徒に、文双が
――何を、都合の良いことばかり
と、言いたげにしていた。
だが実際口にするのを止めたのは、帝自身の手によってだった。
「良い。康徒殿、帰国を許可しよう。貴殿らの罪も問わぬ。だが、東の諸侯皆を帰国させるわけにはいかぬ。故に彼らに代わり、東の鎮護は、しっかと頼んだぞ」
と、これもまた常に似合わない温情で、戸惑う皆をよそに、康徒は喜色を浮かべた。
○○○
先帝が薨去されたのと前後して、その子は産まれた。
彼の母は、小柄で華奢で、食が細いということはないのだが、いくら食べても肉付きが良くなるということはなく、むしろ日を追うにつれ、床に伏せる頻度は多くなって行った。
そんな弱り切った母の胎から、その男子は産まれた。
産まれた直後までは良かった。
だが、母親が体調をにわかに崩したのは、それから間も無く。
手の施しようがなかった。
いや、かかりつけの薬師が処置を施せば、なんとか延命できたかもしれない。
だが、折は帝の薨去の直後でもあった。
新帝よりは一同に喪に服す旨が伝えられ、また「天下万民が皆安泰で暮らせるように」と、生涯薬断ち願をかけていた先帝を偲び、医薬の使用が控えられたのだ。
帝が命じたわけではないし、まして重臣らが代わりに命じたことではなかった。
ただ、「そうしなければなるまい」という、奇妙な共通意識が、鹿信を含めてそういう抑制をさせたのだった。
ぽつぽつと、そういう風潮が廃れていった時には既に、その女は薬を受け付けないほどに弱り切っていた。
枯れ木のように朽ちて死んでいった母の骸を、乳母に抱かれて、その嬰児は未だ感情の芽生えぬその瞳で見ていたのを、鹿信は覚えていた。
子は、成人して上社信守と名乗ることになる。
○○○
……今まで数人規模の賊の討伐には出ていたこともあったが、今回の遠征がこの子にとっては初陣となる。
「父上、何事かあったのですか? 風祭勢がにわかに陣払いを始めておりますが」
軍議の終わりを待っていた信守に鹿信は「どうもこうも」と肩をすくめてみせた。
「風祭康徒様は府内で起きた反乱を鎮圧するため、ご帰還あそばされる。名将はその引き際にも見るべき点があるもんだ。後学のため、お前もよく見ておくと良い」
そんな風に父親ぶる己に、鹿信は少しおかしみを感じた。
咄嗟の変事と言うのに、てきぱきと撤退の準備が進んでいくさまを、親子並んで見ながら、信守にぽつりぽつり、幕内での議の流れを話していく。
できるだけ己の感想を排した説明になったのは、あくまで敵味方を意識させず、信守がどういう反応を見せるのか。それが気になったからだ。
「……父上、まず一つ解せない点が」
「ん?」
「何故、帝は康徒様のご帰国を容認なさったのですか? 罰するどころか、難色さえも示さず」
「……お前はどう考える?」
そう尋ねた瞬間、先日、我が子が見せたあの嘲笑が目に浮かぶ。
だが、実際に彼の顔にあるのは、それとは正反対の、どことなく虚無的でぶっきらぼうな表情だった。
それでも、先と同じく、息子の内になにやら魔的なものが入り込んだような気がしたのだ。
「……恐れ多くも帝のご胸中、なんで気軽に私が推し量れましょう」
「ん」
我が子の口から、答えらしい答えは出てこなかった。
そのことに安堵をしている自分があって、またもう一方で肩透かしを食らったような気分で、実は息子が明瞭な答えを持っていたのではないかと期待している己がいたことに気がつく。
「しかし」
と、信守が言葉を続けるまでは。
それは本人の口が、茫洋としている本人を差し置いて、勝手に動き始めたようでもあった。
「あるいは帝は、厄介払いをしたかったのではありませんか」
「厄介払い? 精鋭一万の貴重な軍勢を、厄介だと?」
信守は顎を引いた。
「それと、風祭康徒様ご本人が」
「……まさか……」
「康徒様は風祭姓を名乗っておられますが、血縁としては藤丘家。そのような身内が己よりも若く、己よりも優秀で、己に比肩しうる兵力を持っている。これ以上功績を上げられれば、厄介……そう考えられた。故に、引き留めはしなかった。憎々しい一方で、安心していたのではありますまいか」
よく分かった。
そう言ってこの話を終えよう、そう思い、口にしようとした矢先、
「さらには」
と、信守は乞われるまでもなく、
「康徒様もそうした帝のお考えに感づいていた、いやあるいは、その答えを期待しての願い出であったのかもしれません」
話題を転じてまで、話を続けようと食いついたのである。
「康徒様は、本当に反乱を予期できぬままに、出府されたと思いますか?」
「……此永の謀反など偽りであると?」
「事実でしょう。ですが、その規模は奏上したものよりも小さく、抗しうる事前の手は打ってあると考えられます」
「ならば、何故帰国を願い出る? 帝のご心証を害し、得となることなどあるまい」
「得にはならないでしょう。ですが、損は少ない。このまま行けば見知らぬ土地で希代の名君と称される府公との戦、しかも任されるのは前線でしょう。対して、見知った自領で、見知った相手と戦う。心情的にはともかく……どちらが消耗しないと思われますか?」
「つまり、今回の遠征で損害を厭った風祭康徒様があえて謀反の予兆を看過し、帰国する口実を作ったのだと?」
諸侯の規範たる一門衆が、本家のために力を尽くさず、ただ己のために勅命を拒絶する。
それは、あってはならぬことだった。
だが、熱に浮かされたように、そしてことさら煽るように、信守はなお言い募る。
「それだけならば良いでしょう。ですが、何のために兵力を温存するのか。それを考えれば、宗円公と真に繋がっていたのは、風祭家そのもの」
「滅多なことを……」
「ですが可能性としては考えられましょう。筋書きはこうです。まず、朝廷、いや全土の軍勢が順門府へと侵攻する。だが宗円公もさるもの。大軍と油断する我らの隙を突き、痛撃を与える。あるいは我らを打ち破ってしまうかもしれません。なんにせよ両者ともに無事ではすみますまい。一方で鎧袖一触乱を鎮圧した風祭軍は余勢を駆って味方であるはずの諸侯の、しかも兵のいない領内に侵攻、あるいは残党狩りなどと称して占拠。一路都へ進みます。そして救援と称して宮城を奪う。満身創痍の討伐軍が、あるいは鐘山軍が都にたどり着いた時、出迎えるのは名将風祭康徒率いる無傷の精鋭! 降り注ぐ矢弾の雨! そしてその先には……っ!」
そこまで言って、上社信守は悟ったようだった。
……己が何を夢想したのか、何を言わんとしているのか。
途端にハッと息を呑み、慚愧の表情を下へと向ける。
「も、申し訳ありません。つい、埒もないことを想起してしまいました」
「いや、良い。その埒のないことを想定するのも、将としての務めだ」
しゅんとする信守を宥めつつ、二十に満たぬその若さに見合わぬ鋭い見識に舌を巻く。
一方で、まるで討伐軍が、帝が、いや自分自身さえ破滅した先の未来、そうなるのが楽しみとばかりに、長広舌を奮うその口の端には笑みがあったし、隠しても隠しきれぬ暗い情熱が込められていた。
だが、その失言を認めて素直に詫びる彼を、さらに詰ることはできない。
上社信守は、表面上は実直な若武者だった。
母の死の顛末を、語って聞かせたことは一度もない。
ただ、産まれた直後に病死したのだと伝えてある。
その後、元服しても教えた者もいなければ、信守自身も積極的に尋ねようとはしなかった。
自分とて、朝廷の有り様帝のなさりように不満を抱いているが、それは社稷を想うが故に、という自負あってのものだ。
――では、この信守は?
客観的にはともかく、彼の主観からすれば、恨むような覚えのないことだ。相手のこともよく知らないだろう。
にも関わらず、彼の中には朝廷や世の中の規律というものを嘲弄する、魍魎の如き悪性が、この、十代の若者の中には眠っている。
「…………あるいは」
「は」
「なんでもない、忘れてくれ」
上社鹿信は首を振る。
――俺の方こそ、我が子に埒もないことを考えてしまったものだ。
……鐘山宗円の子として生まれていた方が、あるいは幸せであったのかもしれぬ、などと。
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