第一部「父子」(下)

 ――下らん。心底下らん。


 鹿信は宮中より出るなり、そう叫びたくなった。

 無論、星井文双でもあるまいし、自らの真情を公に発する未熟さはなかったが、それでも、ほんの僅かにではあるが、堪り兼ねた思いが苦み渋みとなって、平素無愛想な顔に加わった。


 その異変を認めたのは、宮外で父を

 待ったいた一人息子であった。


「父上」

 上社信守のぶもり


 将来上社家、ならびに禁軍第五軍五千人を背負うことになるであろうこの若武者は、父の横顔を窺うなり、


「やはり、ご出馬となりましたか」


 と察したようなことを言った。

 父は、己譲りの喜怒哀楽に乏しい顔を顧みて睨みつける。

 別に親子間が不仲であったり、信守が不用意な発言をしたわけではない。

 ただ、自分と同じく退出した群臣らの、戦に対する意気込み、浮ついた雰囲気、全てが気に障った。


 度を超えた父の不機嫌さに、戸惑うように目を眇めた信守に、鹿信は乾いた唇を開いた。


「場所を移すぞ。ここじゃ愚痴るものも愚痴れねぇ」


○○○


 鐘山宗流、都より脱走す。


 その報に触れた帝の顔に浮かんだものは、憤怒というよりは、どこか壊れたような笑いであった。


「これで鐘山家の謀反は明確なものとなった! この上は朕自ら出陣せんっ! 地方の府公大小余さず召集せよっ!」


 高らかに決断する帝に、一同は沸き立った。

 布武帝と共に戦場を駆けた譜代の家来たちは既に代替わりし、あるいは病死し、その顔を直接に見たことがあるのは、上座の主上を除けば末座の鹿信らほんの一握りとなっていた。


 一個人としての呆れや諦めは別として鹿信は言葉を尽くして諌めた。


 鐘山宗円が造反と決めてかかるのは早計と。

 あくまで本人に入朝を呼びかけ、来てから事の理非を明らかにすべきと。

 もしこれまでの無礼を詫びさせたいのであれば、そのように対処すべしと。

 あくまで戦をされるというのならご出馬ご無用と。

 誰ぞしかるべき大将や府公に命じて討伐させるべきと。


 段階に分けてそう食い下がる鹿信の諌言にも、帝は不快げに首を振り続けた。

 むしろ攻撃的であったのは、自分よりも子孫ほど年を隔てた同輩たちであった。


 ある者は楽観視した。

 ある者は迂遠にたしなめようとした。

 ある者は皮肉を言った。


「鹿信殿は宗円めに内通しているのではないか?」

「いやいや、金をつかまされたのよ。カナヤマだけに、順門府には届け出ておらぬ金山があちらこちらにあると聞く」

「ただご高齢で腰を上げるにも億劫なのであろう?」

「いい加減、ご子息にその席を譲られて隠居されては如何?」


 と、憚りもなく愚弄する者さえいた。

 腹の底がカッと熱くなっていくのを感じたが、それを表面に出さない術を心得ていた。

 お前らとは違う、という意地も手伝ったのかもしれない。


○○○


 都である岐曜ぎようの南にある上社の別邸。

 無論、上社家の所有する封地はさらに南へ数里先にある。

 だが日をまたいで論議せねばならない有事の際は、こちらで起居することになっていた。


 ……そう、今のような、一大事においては。


「なるほど、仔細は分かりました」


 事の始終を父から聞き出した信守は、納得し、小物の献じた熱い茶をすすった。

 だが不機嫌と思われた父の口より、


「帝にせよ星井にせよ、元来暗愚な方々ではないのだがな」


 と、その元凶を庇うような言葉を聞き、少し不意を突かれた。


「ただ帝のお目には御先代の背しか映らず、星井文双には禁裏しか見えてない」

「では、今回もその辺りが絡んでいると」


 鹿信もまた、茶を喫する。

 その暖かさにホッと一息ついてから、庭の梅に目を向けた。


「ご親政、ご改革、はっきり言って上手くない。これは、お前も知っているな?」

 父の横顔が投げて寄越した問いかけに、信守は無言で頷いた。

 と同時に、父が何を言わんとしているのかを、瞬時に察する。


「……もしや、その失政に対する挽回を戦にて補おうと?」

 対する父の答えは、

「あの方にも、あの方なりの算段あってのことだろうよ」


 という、あえて核心を避けたようなものだった。

 父の憶測、帝の御意は若輩であり、宮中へ踏み入ったこともない信守でさえ察することはできた。


 天性の戦上手であった尊父、布武帝。

 その先帝でさえ晩年まで苦しめられ、かつ天下を一統するまで完全に屈服させるには至らなかった、梟雄鐘山家。

 諸侯をまとめ上げてそれを打倒することで、帝は父を超えようとしているのではないだろうか?


 ――政略の失敗は政略の失敗。戦で巻き返せるはずがないだろうに。父上がそう口にしないのも、朝臣という立場故なのだろうな。


 信守は、まるで己が帝の臣ではないような呟きを、ひそかに心の隅へと落とした。


 だがそうした帝の意思はさておいて、良い機ではないかと信守は考える。

 今回の順門府が挙兵に及べば、外においてくすぶり続ける旧勢力は顕在化するであろうし、内においてくすぶり続けた武士らの猛りも、沈静化される。

 勝てば、帝の苦悶も含め、様々な問題が解消されることとなるだろう。


 だが、父は負けるかも知れない、と危惧しているようだった。


 ――ではその戦にさえ失敗すれば、あとは、どうなる?


 信守は首を振り、畳の目へと視線を落とした。

 戦う前より帝御自らが率いた軍が負けるなどと、武人としても、朝臣としても想像してはならないことだろうに。


「……おい」

 という父の呼びかけに、信守はハッと覚醒して顔を上げた。

「申し訳ありません。過ぎた思案のあまり、忘我していました」


 だが上社鹿信が子を見るその目は、息子の不注意を咎めるそれではない。

 靄の中、得体の知れないものを探るような、険しい眼光を宿していた。

 老いを重ねた顔の中、口だけが動いた。



「何が可笑しい? ……信守」



「…………え?」

上社信守は、父親に指摘されて、ようやく自分が嘲笑を浮かべているのに気がついた。

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