第一部「父子」(中)
宮城。
御殿に送り届けられた書は、新進気鋭の才人、
朗々と音となって響き渡るそれは、今回漏れ聞こえた不始末に対する弁明ではなく、むしろ被害者たる伊奴の悪行への弾劾文と言って良かった。
文言自体は過度な修辞を用いない、朴訥としたものだったが、その読み上げ方は時に強調し、時に挑発的で、必要以上に煽るような感が拭えない。
それを最後まで聴き終えた上座の帝を、殿上人たちは、各々の家紋の手前ではらはらと見守っていた。
為人を知る周囲がそう予感したように、やはり、貴人の怒髪は天を衝いた。
「おのれ宗円めが! 朕の名代を殺しておきながら凶賊の仕業と称し、あまつさえ取り逃がしたなどふてぶてしくぬかしおって! 凶賊、逆賊とは奴の方ではないかっ!?」
御簾を荒々しく払い、自らの玉体を衆目に晒したことで、その怒りの度合いが分かる。
「不義不忠の輩許すまじ! この上は朕自ら出陣し、奴のそっ首、叩き落としてくれんっ!」
おおっ! と、若き朝臣らも同調し、皆口々に従軍を願い出る。
その士気の高さに、やや気色を改めた帝であったが、その天下人をただ一人、末席に座す老臣が、冷めた目で見据えていた。
七軍あるうちの禁軍の第五軍を統率する老将は、「星井殿」と、執政の名を呼んだ。
「それだけにござるか?」
「それだけ、とは?」
「いや、普段万事において周到な宗円公らしからぬ粗忽な文かと思いましてな」
「…………それだけ我々を見くびっておられるということです」
「ほう? 拙者にはどうも、貴殿が都合の悪い部分を意図して伏せているように思えるが?」
「……根拠のない邪推は止めていただきたい」
「では、釈明と謝罪の記された序文をを飛ばしたのは、何故か? 末尾に書き添えられし証拠とやらがこの場にないには、何の理由あってのことか?」
瞬間、息を呑んだ青年陰謀家を見て、
――若いな。
と鹿信は嗤った。
「覗かれたのですか」
「いやいや、拙者の席次では、余計なものもつい見えてしまってな。貴殿は事が事ゆえ、動揺してつい読み飛ばした。そうであろう?」
「わたしは、主上の御意に沿って不必要な部分を省いたまで。それを我が過失と言われますか、上社卿」
文双は神経質な甲高い声で言った。
通り過ぎる都度、男であれ嘆息し、登殿した旨を聞くだけで女房らが騒ぐという美貌が、軽くひずんだ。
――ガキが。
鹿信は呆れや嘲りを通り越して、そう怒鳴りたくなった。
それでは、事実を曲げてまで鐘山家を攻めることが、帝の御意であると公言しているようなものではないか。
だから星井個人の失態ということで場を収めようとしてやったのに、体面にこだわり棒に振るとは。
そうした配慮を察せぬ男が帝に侍っている辺りに、この王朝の陰りが見える。
「もう良い。両名止めよ」
と、帝は言った。
それは両者を諌める言葉であったが、その響きには、星井文双に心を寄せる向きがある。
「文双の読み飛ばしも、証拠とやらも瑣末なこと。何より不届きなのは、宗円本人が弁明に来ておらぬことよ。これこそ、明らかな叛意ではないか」
「しかし、この書を持ってきた使者は宗円公の嫡子です。真に謀反の気あらば、使者すら寄越しますまいて」
「ふん、奸物の肚など知れたものではないわっ! おおそうじゃ、宗円の子を斬れ! その首送り返し、まず己がしでかしたことを後悔させてくれんっ!」
その協議の場に、また一波乱があったのは、その来客がいる、……そのはずであった詰所に刺客が送り込まれた、その後、五日後のことだった。
○○○
「どいたどいたどいたぁっ!」
大陸西部にあって、先帝である布武帝、ならびにその系譜の覇業を支えてきた要衝たる港湾都市である。
隠れなき天下の往来を、盗んだ軍馬で疾駆する。
行き交う人々が何事かと目を瞠り、騒ぎ立てる。
その背徳的な快感を、青年は存分に愉しんでいた。
制止の声を張り上げ、槍を傾ける番人数名を、
「どけ! 木っ端役人ども!」
大喝と共に跳ね飛ばす。
「そこのけそこのけ、お馬が通るぞ! あーはっはっはっ!」
随従する三名の副使が後に続き、馬上の男の大笑を苦笑で受け流した。
さらにその集団の後を慕う、数騎の影があった。
味方ではなかった。
はるばる宮城から繰り出され、数日間追い続けてきた、刺客。
その武者達が掴んだ梓弓が、それを裏付けている。
彼らは、彼らを繰り出した朝廷は、鐘山家への敵意を表明していた。
幅の広い道路、馬体を左右に振り向けながら男たちは追跡者の矢を振り払う。向かう先には、港があり、果てなき水平線があり、そして彼らの帰りを待っていた千石船があった。
帰還した主がヒョイと手を掲げると、船員が繋ぎとめていた綱を切る。
出港をし始めるその直前、下馬した彼らは桟橋から船に飛び乗った。
「はっはぁは! ではなッ!」
呵々大笑。
船出と共に豪快に笑うその様は、ガキ大将の風情がある。
朝服を荒々しく脱ぎ去り、浅黒く焼けた肌を白い陽の下に晒す。
勤勉で真面目で優雅な振る舞いをする弟と違い、その長子は順門府の風土の素養を十分にその肉体と精神に取り込み、まるで公子と言うよりは、海賊の大親分であった。
「また来てやるぞ腐敗と退嬰の都よっ! 次は軍勢引き連れて返礼に参る! お前らの総大将にそう伝えい!」
憚りもなく大音声で煽る男。その返礼と言わんばかりに、陸地で立ち往生した騎乗の士たちが矢を連続して射放つ。
そのうちの一本が、どっかり腰を据えた男の手前に落ちて突き立った。が、男は追っ手の腕を嘲笑うだけだった。
むしろ、ヒッと悲鳴をあげたのは、彼の背後にいた帷子姿の若い神官であった。
この船は、彼の所有物であり、その彼は、宮司でありながら男の副将である。
戦と水の神とされる盤龍神ばんりゅうしんを祀る宮、そのもっとも外郭に位置する五ノ宮の現当主である。
「おう、幡豆! 見ての通りだ! 奴ら、こちらの言い分を聞く気などない。戦だ戦!」
「ああぁぁぁ……。結局決裂してしまった……府公になんと申し開きすれば良いか……」
青白い顔を両手で挟み込んでうずくまる由有の撫で肩を、男は乱暴に何度も叩いた。
「だから最初からどだい無理な話だったんだっ! こんな無茶を振ってくる親父殿も親父殿だ。まるで俺に死ねと言っているようじゃないか? ん?」
「滅多なことを申されるな! ただでさえ『跡目は宗善様こそ継ぐべき』と、そう口挟む輩もおるのですからっ!」
宗善は正妻の子であり、この男は妾腹。
だが弟はともかく、彼にはそう言った意識はまったくない。己があるままに、堂々と突き進むのみである。
そして正室は病没したといえ、元は都人の血筋である。
今回の一件は、その辺りの均衡を崩すのではなかろうか?
由有が悩んでいるのは、外に対してのことばかりではあるまい。
「……まっ、気にすることはない! こっから先は我らの得意な戦だ。俺が一番手柄を立てりゃ、そういうゴタゴタも一気に片付くだろ」
「我らって……私はあまり戦は得意ではないのですが……」
「あるいは、向こうさんもそんな風に目論んでいるのかもな」
え? と聞き返す副将に一笑して公子は振り返る。
「いやいや。良い機に来てくれたと感心していたのさ。気に入った。貴様の娘、俺のガキが娶ってやるぞ」
「私に女子はおりませんし、そもそもあんた子さえおらんでしょーがっ!」
水の神の官の激情に反応したのか、船が大きく揺れて、由有は頭からしぶきをかぶった。
潮の辛さに悶える彼を、指さす男の笑顔には、獰猛ながらも人を惹き付ける魅力があった。
男の名は、
鐘山宗円の嫡子にして、鐘山宗善の兄。
そしてこの時生まれていない息子が、この後どのような運命を与えられるか、いくらこの破天荒な男であっても、予測不能なことであった。
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