メリーさんだってクリスマスされたい!
@mahomaho
メリーさんだってクリスマスされたい!
「あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの」
はっきりと聞こえた声にはっとする。ゆっくりとゆっくりと背後に感じる気配へと振り向く。そこには……、
「きゃー!」
ガタンという音と共に身体が大きく揺れる。車が何かに乗り上げたその振動で、少女はぼうっと見つめていた窓におでこをぶつけた。大きなその音に運転手と助手席から声がかかる。
「大丈夫かい? メリー」
「この辺りは道路が悪いから、ちゃんとシートベルトしときましょうね」
メリーと呼ばれた少女はわずかに赤くなったおでこをさすってから不服そうに口を開いた。
「ちゃんとしてるって」
「そう? ならいいんだけど。でも、機嫌が悪そうね」
「だって……ママが」
一度大きく口を開いたメリーはしかしその後に言葉を続けようとはしなかった。おでこをぶつける前と同じに、視線を窓の外へと向けて流れる景色をただただ眺める。少女にとって初めて目にする景色ばかりだったが、彼女の心には何一つ響かない。少女が本当に見ているのは景色ではなく、ついさっき手放してしまった人形の幻影だった。
荷造りを終えたダンボール箱が並ぶ室内。その中心には人形を抱いた少女と相対する母親の姿があった。
「そんな汚い人形もういらないでしょ。ほら、明日クリスマスプレゼントで新しいの買ってあげるから、ね」
「やだ、持っていく!」
ぎゅうと両腕で人形を強く抱きしめる少女。彼女の腕の中にある人形は母親の言う通り汚れ、そしてボロボロだった。左の腕は手首から先が欠け、肌色の塗装もところどころ剥げて白の斑点が目立っている。人形が身につけている衣装も色褪せており、穴が開いたり布が裂けている部分もある。そんなボロボロの人形でも、少女は力いっぱいに抱えて母親に反抗していた。
一歩も譲る気配を見せない我が子に、母親は一つため息をついた。
「いい? メリー。私たちは明日引越しをするの。この家から新しい家に移らないといけないの。だから余計なものを持っていくわけにはいかない、わかるでしょ?」
この問いかけにメリーは首を横にぶんぶんと振る。
「でも、これはダメ!」
「そうやって引越しの度にずっと持ってきて。いい加減お人形ごっこから卒業しなさい。そんなに汚いの……ほらもうボロボロじゃないの。右腕だって取れそうに」
言いながら母親は人形の右腕に触れよと手を伸ばす。それを見たメリーは人形をお腹へと引き、一歩後ずさった。
我が子の反応に一瞬驚いたような表情を見せた母親だったが、徐々に怒りを色を濃くしていく。
「新しいのにしなさい。それはもうゴミなの。そんなもので遊んでるから、周りに置いていかれるのよ」
「ママにとってはゴミでも、私にとっては大切なものなの!」
そう喚くように叫んだ少女は、自分の部屋へと飛び込んだ。そのままベッドへと潜り込み人形を守るように自身の身体も丸める。
「引越しだって、転校だってしたくないのに……ねえ、メリー」
真っ暗で何も見えない世界で、少女は自身と同じ名前の人形に語りかける。何も返答はない。しかし彼女の手の中には確かにその輪郭が存在している。欠けたパーツ、剥がれた塗装の凹凸、衣装に開いた穴、それらすべてで彼女に言葉ではない何かで返事をする。
「……ありがとう」
黒一色の世界で少女はしっかりと人形の輪郭を胸に抱く。
泣き疲れた少女はいつの間にか深い眠りに落ちていった。
そして今朝、少女がベッドから起き上がると、抱いていたはずの自身と同じ名前の人形はどこにもなかった。母親に問いかけても、
「ゴミと間違って出しちゃったんじゃないかしら、ほらさっさと準備しなさい」
という言葉しか返ってはこなかった。
どうして寝てしまったのだろうかと、その後悔ばかりが浮かんでは消える。窓から見ていた景色が次第にぼやけて滲んでいることに少女は気づいた。
「ほら、あそこが新しい家だ。もうすぐ着くぞ、メリー」
「せっかくの新しくて綺麗な家なんだから、新しくて綺麗なものを揃えたいわね」
楽しそうな両親の会話を聞きながら、メリーはごしごしと顔を拭った。
新しい家は少女の目から見ても確かに綺麗だった。真っ白で汚れは一つもなくて、まさに新品という感じだった。
「リフォームと言っても、こんなに見違えるものなんだな」
「私たちが使うんですから綺麗にするのは当然でしょう。外も中も」
浮かれる両親横、まっさらな家の中で少女は一つだけ気になるものを見つけた。それは気になるというよりも異質なものだった。なんなのだろうと、ぼうっと見つめていると気がついた父親が疑問に答えた。
「気になるかい? あれは固定電話っていうんだ。今はもう携帯が主流で電話は一人に一台だけど、昔は一家に一台だったんだ。しかもあれば黒電話って言ってダイヤルを回して電話をかけるんだ」
父親の説明を話半分に聞きながら少女は黒電話をただただ見つめていた。なぜだかわからないが、少女はこの家の黒電話に惹かれるものがあった。
「ちょっとパパ。早く荷物を持ってきて」
奥から聞こえてきた声に父親は言葉を返す。
「ああ、悪い悪い。すぐ持っていくから」
そう言って父親は玄関へと向かっていた。
玄関が閉まる音を聞いてから、少女は黒電話へと歩みを進め、その前で立ち止まる。黒くて重い受話器を持ち上げて耳に当ててみた。
「…………」
特に何も聞こえてはこなかった。
「メリーも早くこっちへいらっしゃい」
奥からの声に受話器を元に戻す。ガシャンとベルのような音が周囲に響いた。
「電話で遊んでないで」
その音が母親に聞こえたのか、続いてそんな言葉が飛んできた。
「……今行く」
小さく返して、少女は黒電話の前から離れた。
引越しとクリスマス、両方のお祝いということでその日の夕飯は豪華だった。少女はこの日両親からプレゼントをもらった。それは母親の言っていた新しい人形でも欲しかった玩具でもなく、きらびやかなドレスだった。
「やっぱり似合ってるわ」
「うん、可愛いじゃないか」
喜ぶ両親を前にメリーは、ありがとう、とだけ告げ、豪華な夕食には手をつけずに自室のベッドへと潜った。
「欲しいのは……私が本当に欲しいのは……」
漏らすように言いながら昨日と同じように身体を丸める。けれど昨日とは違い、両腕の中にあの人形の輪郭は存在しない。欠けたパーツ、剥がれた塗装の凹凸、衣装に開いた穴、そのどの感触も、もう思い出となってしまった。
「っ」
真新しい真っ白なシーツにこぼれ落ちた雫が次々に染み込んでいった。
けたたましいベルの音に少女ははっと目を覚ました。シーツから顔を出し、周囲を確認する。窓から入る光はほとんどなく、新しい真っ白だった天井も暗い色を纏っていた。静かで冷たい、そんな中でベルの音だけが激しく鳴り響いている。
「パパ、ママは」
呟き身体を起こす。そのまましばらく待っていたが、物音や足音がすることはなく、ベルの音は絶えず聞こえてきていた。
「誰も、出ないの?」
鳴り続けるベルの音に、少女はベッドから抜け出して自室のドアを開けた。
廊下を進んだ先、黒電話がけたたましい音を上げていた。昼間の時とは違う異様な気配を感じながらも、一歩一歩黒電話へと近づいていく。
そして黒電話の前で立ち止まりゆっくりと深呼吸をした。ふ、と息を吐き切ってからゆっくりと受話器に手を伸ばす。重い受話器を持ち上げた瞬間にうるさかったベルが鳴り止む。そのまま受話器を耳に当てる。
「……もしもし、どなたですか?」
少女が出した少し震えたその声に、しかし返答はこない。
「あの」
そう発した直後、
「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの……」
無音だった受話器の向こうから、子どものような声でそう返事がきた。
「……っ!」
驚いた少女は思わず受話器を置き、電話を切った。
はぁはぁ、と息が上がり、動悸も激しくなる。落ち着かせようとうずくまった直後、再び電話が鳴った。思わず目を瞑るも、ふ、と息を深く吐いてゆっくりと黒い受話器へ手を伸ばす。
「……もしもし」
「あたしメリーさん。今タバコ屋さんの角にいるの……もうすぐ着くからね」
先ほどと同じ子どもらしい声。けれどより鮮明に聞こえた気がした。そしてその口調はまるで遊びに来るような楽しげなものだと気がついた。
少し恐怖が和らいだ少女は電話の相手に問いかけた。
「……メリーは私。あなたは、誰なの?」
「あたしもメリー、あなたと同じよ。今大きな木のところまできたの。あとちょっとで着くからね」
「私、同じ名前の友達なんか知らない。あなたは誰なの?」
「だから、あなたと同じメリーよ。今街灯を通り過ぎたところ。ほら、あなたの真っ白なお家が見える」
嬉しさが溢れるような口調に、少女は再び問いかける。
「だから、メリーは私。メリーなんて友達は……」
知らないと、そう続けるより先に相手の言葉が耳に入った。
「本当に知らないの?」
受話器から聞こえて来たのは、今までの嬉しそうな楽しそうなものとは逆の口調だった。それはまるでベッドの中で漏らしていた少女自身の言葉のようだった。
「……本当に知らないの?」
その同じ言葉をもう一度耳にした時、少女ははっと気がつく。
「もしかしてあなた……メリー、なの?」
しかしすぐに返事はこない。ただ不器用そうな足音だけが受話器から聞こえてくるだけ。
「ねぇ、あなたメリーなの!?」
一歩一歩、脆く崩れそうな足音。
「ねぇ、メリー!」
少女が叫ぶと足音がピタリと止まった。
「そう、私はあなたと同じ名前のメリーさん。今あなたの家の前にいるの」
メリーの声を聞いた少女は、受話器を放り出して玄関へと走った。鍵を開けようとするも、はやる気持ちが邪魔をしてなかなか開かない。じれったい中ようやくガチャリと鍵が回った。少女は勢いよく玄関の扉を開く。
「メリー!」
しかしそこには人影も何もなく、月明かりと星が瞬く静かな夜があるだけだった。
「メリー……」
玄関扉の取ってに手を掛けたまま、少女はへなへなと力なく座り込む。昨日まで一緒にいるのが当たり前だったあの感触はもう戻ってはこない。真新しいタイルと夜中の風の冷たさに身体が震え、目尻から雫がこぼれ落ちた。
「うわあぁぁん、メリー!」
「私はあなた、あなたと同じ。あたしメリーさん、今 あなたの後ろにいるの」
受話器越しではない、はっきりとしたその声に、少女はゆっくりと振り返る。そこには、ボロボロで汚いけれどよく知っている、そして今一番会いたいメリーさんの姿があった。
「きゃー!」
少女は喜びの声を上げながら、自身と同じ名前の人形へと抱きついた。
「メリー、会いに来てくれてありがとう。一番のクリスマスプレゼントになったわ。これからもずっと一緒にいましょう」
そうして彼女は欠けたパーツ、剥がれた塗装の凹凸、衣装に開いた穴の感触を確かめながら、強く強くメリーという名の人形を抱きしめた。
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