蛇の道
IV
【Profile 109. アポロ・ウィルソン】
【Profile 110. アルテミ・ウィルソン】
【オーストラリア在住の双子の兄妹であり、アルテミは生まれてまもない赤子を腕に抱いていた。
彼らの搭乗した
当船の過分の人数は三人であったと言われている。長い沈黙の後、自己犠牲を申し出たのが幼子の母であるアルテミであった。アルテミは、兄であるアポロではなく、近くにいた壮年の女性に赤子を預けた。「どうかこの子だけでも。この子をどうか」――そう口にしたアルテミの声はとても優しく、愛らしい少女のようだったと、それを目撃していた者達は言った。
「彼女の声は凛と澄みきり、静かながら船内に響き渡りました。だから私達は、その名前も知らなかったけれど、ずっと覚えている。あの静かで哀愁を孕んだ切なる声が、今でも耳にこびりついて離れないのです」――生き残った乗客はそう語る。
アルテミは、一度だけ兄のアポロの頬に触れ、あとは振り返ることなく船員が開いた扉から宇宙へと飛び込んだ。乗客達は、暗闇の海に一人の若い女性が沈んで行くのを、ただ息を潜めて見ていた。
やがて、アポロも立ち上がり、アルテミの残した赤子の額を撫で、口付けを落とした。「ごめんな」――そう、呟いたという。
アポロはそのまま、閉まりゆく扉の隙間に身をねじ込み、宇宙の闇へと消えた。
二人の尊い命を失った『ホワイト・ホークス』であったが、最後の犠牲者を決められないまま、船は沈没した。乗客達はノルウェー、デンマーク、スウェーデンの
「まるでタイタニック号のように、あるいはディッキー・ビーチの難破船のように、我々の船もまた沈んでいった。宇宙という海に、数え切れない人々が溺れ、冷たくなって死んでいったのだ。なぜ我々は、尊い命を沢山失うことしか出来なかったのだろう」
さて、アルテミの残した赤子だが、彼、あるいは彼女が助かったのか、あるいは宇宙の海に飲まれてしまったのか、知る者はいない。筆者もその消息を掴むことはできなかった。だが、興味深い情報が残っている。当時、赤子を預けられた女性の側にいた一人の少女の発言である。
「お姉さん達は、二人とも赤毛で青い目をしていたけれど、顔は全然似てなかったの。赤ちゃんはお母さんには似てなかったわ。むしろお兄さんの方にそっくりだった。みんなが泣いていても、ぐずったり泣き叫んだりしない、すごくいい子だった。私の妹とは大違い。あの子……生きてたらいいのだけど」】
【(備忘録『宇宙飛行の齎した
______
まさか、まだ命が続くなんて思わなかった。
もう、人ではない、お前達は星になったのだと言われても、ピンとくるわけでもなし。【星になった】だなんて表現、実に詩的で諧謔に満ちていると思うが、そんなこともどうでもいい。僕は、僕と愛する妹がまだこうして生きていること、意思も意識も記憶も――少なくとも、僕は――持っていることに、酷く興奮したし、おそらく僕は愉悦に満ちていた。ああ! なんて素晴らしいことだろう! ここで僕らは、再び愛し合えるんじゃないか? 人間だった頃はたくさんの柵のせいで、思い通りにいかなかった。子供はできたが、生かすためには置いてくるしかなかった。あの子が育ってくれれば僕はそれでいい。きっとアルテミもそう思っているのだろう――そう、思ったのだ。皮肉なことに、僕の愛する妹の名は、小生意気な餓鬼によって女神につけられてしまったのだけれど。妹は、あたらしくアフロディテという名を貰ったが、それはそれで美しく彼女に似合いだと思った。ガイアが僕にアポロと名付けた時は笑ってしまいそうだった。僕は女神に感謝したし、妹の名くらい、礼の一つにくれてやってもいいと思った。まあ、元はギリシアの神話の女神の名前なわけだが。月の女神。地球の衛星を司る女神。僕らの女神は惑星で、むしろ僕らの方が衛星なのに、なんとも皮肉だったと思った。ガイアは頭はいいようだが、さすがは東洋人。欧州の神話については詳しくもなく、浅慮だと思った。
僕は浮かれていた。僕は本当に本当に、人間だった頃の暮らしに、人生に、世界にうんざりしていたのだ。いや、人生とまでは言いすぎか。妹がいたことだけは僕の幸福だった。僕らは双子として生を受け、そうしてお互いに執着をした。初めて口付けをしたのは七歳の頃だ。それは僕らの心を結びつける大切な儀式だった。それはそのまま十三歳を超えるまで続いた。僕らの神聖な時間を引き裂いたのは母親の悲鳴と父親の怒号。親と名のつく男女は僕を家から追い出そうとし、可愛い妹は僕を追いかけて来てくれた。そこから僕らは孤児として、肌を寄せ合い、食べ物も心も体も分け合って生きてきたのだ。僕らに対する世間の風当たりは強かった。やがて心優しい妹は少しずつ思い悩んでいった。神様からの授かりものがその腹に宿った時も、とても苦しそうに哀しそうに泣きじゃくった。ああ、世界のどこに、愛し合う二人の子供ができて、悲しみにくれる母親がいるだろう? 僕は妹と腹の子以外の全てを恨んだ。二人分を養うために身を粉にして働いたが、孤児だから、兄妹だからと僕らに石
でも、妹は、僕を拒絶した。否、覚えていないと言った。何も覚えていない、あなたの事なんて知らない、怖いから、近寄らないでと。
この絶望をわかる人間がいるというのなら連れてきてほしい。いや、もう僕は人ではないのだから意味の無いことだ。人なんか、僕らによって翻弄されるだけの蟻みたいな存在だ。僕らを双子として産み落とした地球の神もまた、僕らを蟻んこのようにさげすんでいただろうか。僕は、確信があった。妹は、絶対に忘れていない。演技があまりにも下手だった。そこがまた愛しくて堪らなかったのだけれど。けれど彼女は頑固だった。こうと決めたら絶対に譲らない。幼い頃からずっと知っているし、そういう所も愛してる。だから僕は、癇癪を起こした子供のように、僕も何も覚えていないふりをして、妹の名を得た女神に構い続けた。妹が嫉妬深いのは知っている。痺れを切らして、僕に縋ってくれないだろうか? ねえ、もうここには僕らの愛を止める者はいないよ。だって、僕らは神様の一部になったのだから! なのに頑なに僕と関わろうとしないアフロディテに、僕の方が痺れを切らした。僕は妹に怒ったりとかできないし、触れるなら優しく触れたい。口から紡ぐ言葉は温かい愛の言葉でありたい。だから僕は、もう何も言えなくなってしまった。何やら女神をめぐって、ガイアがウラノスに対抗意識を燃やしているのはわかったし、面倒だったから女神に関わるのは早々に離脱した。元々惚れていたわけでもなんでもない。
それよりも……アフロディテが、ずっとサタンとばかり行動するのが気になった。この姿を得てから、僕には見せてくれない柔らかな笑顔を――僕が焦がれてやまないその顔をサタンに無防備に見せているのが見ていて不安だったし、苛つきもした。ただサタンがプルートに懸想していることはわかったから、何も言えなかっただけだ。
肉体もない。ここにあるのは星の魂としての体だけ。血が繋がりなんてなくなった。きっとあの子が思い悩んだそれは、もう僕達の間に存在しないのに、彼女はまるで僕との間に一本の深い川を隔てているようだった。僕は記憶を持っていると言いたかったし、彼女と僕らの子の未来について話したかった。僕は僕の妹と子供を愛してる。今でも忘れたことなんてない。なんならまた家族を作りたい。そんな望み、星になったからと抱いてはいけないというの。
ねえ、アルテミ。アフロディテ。いつになったら、僕と話してくれるの。僕の元へ帰ってきてくれる? いつになったら、いつまで待てばいい?
ずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと、そればかりを考えていた。ウラノスやヘルメスと話した内容なんてこれっぽっちも覚えていない。気が遠くなるほどの時間を、へらへらと笑ってやり過ごした。この世界のことなんてどうでもよかった。ただ僕は、僕が不真面目だとアフロディテに見捨てられてしまうんじゃないかと怖かったから、真面目に守り人としての役目を果たしただけだった。ウラノスとヘルメスとガイアが魔術を生み出し、僕らは星の大地の上で僕らの魂を入れる器――肉体を手に入れた。ウラノスがぽつりと、子供もできるよ、となぜか僕の方を向いて笑いながら零した。なんで知っているんだろう、とぼんやり思ったけれど、それよりもその甘美な響きは、僕の心を震わせた。
また、アフロディテと家族を作れるだろうか。僕は臆病になってはいなかったか? 抱きしめても、魂では意味が無いからと触れるのを、近づくのを諦めていたのは僕だ。嫌われていたのではと勝手に疑ったのも僕だ。僕から行くのではなく、アフロディテが胸に飛び込んできてくれるのを待っていた。僕は肉体と、肌の熱を取り戻して、泣いた。ああ、ああ、ああ。温かい。傷をつければ血が流れるこの肉体。アフロディテが赤子を産み落とした時、流したたくさんの血を思い出した。生温いそれがこの体中を巡り、流れている。もうずっと忘れていた、鼓動がうるさい。アフロディテを強く思えば思うほど、胸が締め付けられて痛い。苦しい。体温。ああ。
あの子を置いて、宇宙に身を投げたアルテミ。一体どんな気持ちだったろう。もう二度とあの子を腕に抱くことが出来ない。生まれ変わって巡り会うこともきっとない。その温もりを失ったアフロディテはどんなに心細かっただろう? 抱きしめたいと思った。僕で満たしたいと思った。
だから僕は、やっと勇気を出して、アフロディテに話しかけた。サタンがいない時を見計らうのがなぜだかとても大変だった。意地になって待ち続けて、やっと二人きりになれた。僕の星の、赤茶けた土の上で、朝焼けの赤い空の下で、僕は僕の想いを告げた。僕を見つめる青い瞳に、心が震えた。泣きそうなくらい、心が締め付けられた。ああ、やっと、君の眼に僕だけが映っている。
「結婚……」
「え?」
空が青く染まるくらいに時間が経って、やっとアフロディテはその柔らかな声を出した。僕は面食らった。零されたその言葉に、ただ戸惑った。
「結婚してくれとは、言ってくれないのね」
「アル、テミ」
「もう、兄妹でもないのに、指輪もくれない」
「何言ってるの?」
僕は顔を歪めた。一緒にいたい、また家族を作りたい。それは結婚と同義だと思っていた。何が違うのか分からなかった。
「一緒だろう?」
「いいえ」
アフロディテは、悲しげに目を細めて、首を振った。
「いいえ……全然違うことなの。私達には最初から、その概念がなかったわね。いえ、あなたに無かったんだわ。だって私達は兄妹だったから。結婚をできないと、神に誓えないと、あなたこそが知っていた。あなたが一番、それにこだわってた。だから私に執着した。子供も産ませた。そうでなければあなたは、私をつなぎ止めて置くことが出来なかった。それでもあなたは私に、指輪を買ってくれなかった。あなたが一番、この関係が間違っていると知っていたのよ。ねえ、覚えてる? アポロ」
アフロディテは、そっと目を伏せて、目を閉じた。
「……あの子を産んだ後、私言ったと思うの。指輪が欲しいって。でも、あなたはそんなの赤ん坊にいらないだろって、取り合ってくれなかった」
「そ、れは、だって、指輪がなくても、僕達は」
「家族の縁は切れないわ。だって血が繋がってるのだもの。でも恋人としての縁は? 何も形を残せない。子供が出来たからってそれは証にはならないの。あなたにとっての形にはなっても、私にとってはそうじゃない。だってあの子は私が産んだの。私の身体から切り離してあなたに与えたの。あなたは私に、形をくれない」
アフロディテは、唇を噛み、顔を歪めた。その可愛らしい顔を歪めて、涙を一つ、二つ、そしてぽろぽろといくつもの雫を零した。
「待つの、もう、疲れた」
アフロディテは、僕の手を払った。その仕草さえ、まだ優しかった。まだ僕は期待してしまう。離れていくアフロディテの細い背中を見つめながら呆然として、僕は頼りたくなかったサタンにすがり付いた。ダイヤモンドが欲しい。綺麗なダイヤモンドが欲しいんだ。指輪を作りたいんだ。教会で愛を誓い合うような。お願い。サタンは、玻璃を削る作業に一心不乱で、僕の言葉をうるさそうに流した。告げられた場所に走って、ダイヤモンドを見つけようとして、僕は手足が泥に塗れても、夜を超えても、虫を食んでも、ずっと探し続けた。
その夜、アフロディテは、死んだ。
次々と、英雄達が死んでいく。安直にも程があるが、肉体さえ死ねば楽になれるとでも思っているらしい。確かに肉体が無くなれば痛いのも苦しいのも和らぐさ。だって魂に痛覚なんてないのだから。馬鹿馬鹿しかった。どうせ肉体を殺したところで、魂は違う器を探して巡るのに。
女神も消えた。ガイアも消えた。アフロディテを殺したプルートも、僕が復讐をする前に果てた。僕には生き続ける目標がなかった。ただ願うのは、アフロディテの転生に出会うことだけ。今度こそ、指輪を渡そうと思っていた。僕達は死ねない。自らを傷つけるまで死ねないのだ。不老不死。そういう器を最初に作ったから。馬鹿なことをしたものだ。なんにも考えていなかった。でも僕は、この体を手放したくなかった。アポロではない誰かとして愛されたくはなかった。アポロとして、アフロディテの魂にもう一度誠意を見せたかった。
僕がそうして、ただ時を浪費し続けたある日、ずっと己の星に引きこもっていたウラノスが訪ねてきた。頬は痩けて、唇の血色は悪く、目は落ちくぼんでいる。僕は、出迎えてすぐ、思わず笑ってしまった。こいつも同じ口だろうか。本当は自分が認めなかっただけ、本心では愛していた女神を失ってこうなった? ああ、ざまあない。僕と一緒だな。こんなふうに落ちぶれても死ねない体で、可哀想に、ああ可哀想。
笑いが止まらない僕を見つめて、ウラノスは空笑いを零し、にやりと口角を釣り上げた。
「ねえ、アポロ。僕に力を貸してくれよ」
「ふふ、はは。別にいいけれど。退屈だしね。何がご所望?」
「はは、簡単なことだよ」
ウラノスは柔和に目を細めた。
「ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとね、そのまま生きて欲しいんだよ。女神が器を得て、この大地に転生できるように長い時間をかけて仕組みを作り上げたんだ。やっとさっき完成した。それを、守り続けて、女神がまた生まれてこられるようにして欲しい」
ねっとりとしたその物言いにも、言われた言葉にも、腹が立った。僕はウラノスの胸倉を掴んだ。ウラノスは、菫色の目を濁らせていた。
「僕にそれをするメリットなんてどこにある? ははは、なあ、アルテミスなんかを蘇らせる暇があったらさあ、早くアフロディテを取り戻してくれないかなあ。そんなこと出来るなら、別に女神じゃなくてもよかったよねえ。君は君の私欲で女神を取り戻したいんだろう? 僕は女神なんかどうだっていいんだよねえ。なんで女神なんだよ。アフロディテでもいいじゃないか。なんで」
「ははは」
ウラノスは、僕を嘲笑った。
「そんなの、待てばそのうち生まれてくるんじゃないかな。現にプルートの転生なんてもう三度生まれてきたし、サタンだって二度生まれている。こんなにもアフロディテが生まれてこないのは、アフロディテがそれを拒んでいるからじゃないのかな。ね、近親相姦、妹を孕ませた悪い悪いお兄さん」
指に力が入らなくなった。僕は、自分の手足が震えていることに、遅れて気がついた。頭が真っ白だった。僕が逃げてきた、人間だった頃すら逃げてきた現実を、ウラノスは容赦なくぶつけてきた。
「実の妹に信じる神を捨てさせてまで、与えたのは幸福だったのかな。むしろ彼女はずっと不幸せそうだったけどなあ。君だけが一人で幸せを錯覚して、彼女の苦しみに寄り添わなかった。寄り添えないことを君は知っていたんだろう? だって直視できないものな。自分が妹に憎まれ恨まれていただなんて、知りたくないもんな」
「どこ、で、アフロディテ、が、言ったのか、それ、を」
声が掠れた。アフロディテが、僕がずっと大事に大事にしてきた二人だけの秘密を、赤の他人に話したことを信じたくなかった。けれどウラノスは、嘲りの陰を目に浮かべ、僕にゆっくりと頷いた。
「う、そだ」
「ははは。嘘じゃないよ。ならどうして僕が知っているのさ。知るわけないだろ。穢らわしい。恥を知れよ。屑人間。ああ、人間じゃなくなったんだったね。ごめんごめん、忘れていたよ」
「ア、フロディ、テ、は、なん、て」
「あはははは!」
ウラノスは、隙間の開いた汚い歯並びを剥き出しにして、笑った。レモンイエローの髪が、だらしなく乱れた。
「はははは! ああ面白い。そんなに彼女の気持ちが気になるのか。なあ、愛されるわけが無いって自覚しなよ。血の繋がりに縋って滑稽だよ。あのなアポロ。夫婦って、他人なんだよ。君が君の妹とやろうとしたのは、夫婦ごっこだろう? けれど最低限の気配りもできず、ただ欲望のままに彼女を振り回しただけ。そんなことで、血の繋がり以外でどう彼女に愛せと言うのだか。神の前で愛さえ誓えないのに! 誓えるはずがないよな。だって病める時も健やかなる時も支えることも寄り添うこともできないもんな。寄り添えば君は己の罪を自覚して、死にたくなるから。ははは」
――結婚してくれとは、言ってくれないのね。
アフロディテの言葉が、脳裏に蘇る。僕は悲鳴をあげた。今になってようやく、あの子の言葉の意味が分かった。ずっとずっと前から、とっくに愛想なんてつかされていた。愛されてはいなかった。それでも情で待ってくれていたあの子を、僕は裏切った。ただ一人の家族。ただ一人の片割れ。ただ一人の大切な人を、めちゃくちゃにしたのだ! 僕は、僕は。
「……そんな君が、僕にどうこう言える立場にあると思う? 気色の悪い虫けらにも劣る屑。屑は屑らしく、人間様に潰されておきなよ。君はアフロディテと幸せにはなれない。もうわかっているだろ? 僕みたいな赤の他人に、こんなことまで赤裸々に話した彼女の気持ち」
僕は崩れ落ちて、頭を抱えた。視界が曇って、何が見えているかも分からなかった。ただ、ただ、ウラノスの言葉だけが呪いのように、僕の頭にガンガンと響くのだった。
「それでも、僕にはわかるよ。君はアフロディテを諦められなくて、この目でその姿をもう一度見るまで、この地にその姿で留まり続けるってね。だって、転生しても記憶があるかどうか、不確定要素だものねえ。今までのプルートとサタンの転生を見ていればわかるしね。君は生まれ変わることが出来ない。君は生まれ変わることが怖い。だから僕にとっても好都合なんだよ」
ウラノスは、ふふふ、と笑って、僕の顔を覗き込んだ。鼻先が触れ合うほどに近づいて、にたりと笑った。僕は化け物に顔を覗き込まれているような恐ろしい気持ちになった。
「僕の代わりに、女神の印を管理してくれよ。頼むからさあ。それくらいしか君には価値がないだろう? 君はなんにも出来ないやつだしね」
ウラノスの、さらさらと流れるような髪が僕の頬を嫌らしく撫ぜる。ウラノスは、その菫色の目を見開いて、僕をギラギラと睨みつけていた。笑ったまま。体だけが大人になったまま、ずっと心は止まったままの僕は、頷くことしか出来ない。ウラノスの頼みを聞いたところで僕に利点なんてないのに、頷かないではいられなかった。まるでウラノスが、僕が逃げ続けてきた
「ここで君が、償えば……あるいは」
ウラノスは、まるでそれが、償いとでもなるかのように、ねっとりとした声音で優しく僕に言い聞かせた。
「罪は許され……アフロディテは次こそ幸せになれるのかもしれないね」
僕は、ウラノスの手に縋った。
次々と、仲間が肉体を手放すのを見送り、その転生達に嘘をつき続け、ひたすらに、土に埋まり続ける六芒星を守り続けた。
……ウラノスの転生が迎えに来る、その日まで。
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