Preludi 5 地図と筆

 次に目が覚めた時、私の視界に飛び込んできたのは迫るような青空だった。体は何か柔らかでふかふかなものに沈み込んでいる。自分の周囲を見回して、私は自分が寝台に横たわっているということにようやく気付いた。物心ついた時から寝台というものに寝たことがなかったのだけれど、こんなに体が楽になるものなのかと驚いた。

 もう一度、上を見る。やっぱり空がある。ここは外なのだろうか? けれど風が肌を撫ではしないし、よくよく見ると不自然な日の光の乱反射が半球状に見受けられる。私はややあって、ようやく理解した。半球状の透明が、天井になってる……!

 ここはどこだろうかときょろきょろ辺りを見回す。飴色になった木の壁には薄赤や白、黄色の粉で落書きがされていた。きっと何かの記号や文字なのだろうけれど、私には何が書いてあるのかわからない。ただ、アスモ達が使っている文字とは違うような気がした。そして、五芒星や四芒星、三芒星の星の模様も至る所に落書きされているのだった。少し、夜空みたいだと私は思った。

 扉がある。とりあえず、この狭いお部屋から出てみよう。ヘイゼルたちはどこだろうか。

 家という造りを呈しているはずなのに、とかく変わった家だった。壁は途中で切れていて、天井まで届かない。私の身長よりはうんと高かったけれど、木登りなら得意だ。私はわずかな木板の割れ目に指を入れ、自分の体を支えながらどうにか壁の上端に手をかけた。腕の力でどうにか体を持ち上げる。壁に足をついて、腰骨の突起を壁の上端に引っ掛けた。上半身が壁の上に出る。なんだか不思議な気分だ。こんな家、見たことない。

 眼前に広がっていたのは、同じように天井までは届かない壁で仕切られたたくさんの部屋たちだった。もうこれは壁というよりただの仕切りだ。全ての部屋の内部が見えたわけではないけれど、どの壁も同じように落書きがされていて、そのうちの一つの部屋の寝台の上で、ザウストが眠っているのが見えた。私はほっと息を吐いた。アスモとヘイゼルも、どこかにいるかもしれない。

 扉を開けて、部屋の外に出る。部屋の中よりも廊下の床のほうが冷たいような気がした。試しに目の前の部屋の扉を開けてみる。無人の、よくわからないがらくたが積まれているだけの部屋だ。

 しばらく歩き回って、一つ一つ開けてみた。台所と思われる場所もあったし、食卓らしき場所もある。空の寝台がある部屋もいくつかあった。本が山のように床に積まれている場所もあって、本には埃が積もっていた。それを払って開いてみれば、中の頁は手書きの文字でびっしり埋め尽くされていた。やはり私には読めないのでどうしようもない。

 そのうち、今よりも広い部屋に出た。そこには床にもたくさんの記号や文字が落書きしてあった。私はそれを見て、それが連合星の絵なのだと気づいた。だって八つの球体が並んでいたから。両端のこれはどちらがサタンでどちらがマルスなのだろうか。太陽オケアノスは書いていないから、わからなかった。星の絵の周りにびっしりと文字が書かれているのがなんだか気持ち悪かった。壁には相変わらず、五芒星や三芒星の絵が描いてあった。

 ここでもなかったか、じゃあどこだろう、と私はその部屋を後にする。竪琴がなくなっていたから、きっとどこかに仕舞われてしまったのだ。私はザウストが寝ている部屋と、アスモが寝ている部屋も覗いてみた。シクルについてはわからないけれど、少なくともヘルメスの杖はザウストの側に見当たらない。二人とも、疲れた顔をしてぐっすりと眠りの底に沈み、起きる気配はなかった。私が部屋を後にしようとすると、アスモがうなされているような声を出した。驚いて近寄ると、彼はうわごとを呟きながら空に手を伸ばしていた。私はためらい、そしてその手を掴んだ。彼は次第におとなしくなった。どうしたんだろう、と思った。そっと手を離す。またうなされないか心配だったけれど、今度は大丈夫そうだった。私はそっと足音を立てないようにして部屋を後にした。

 ヘイゼルがいない。

 部屋を全て見終わったころには、少し疲れていた。まるで迷路のような家だ。ウラノスの星にあった罪人収容の迷路もこんな感じなのだろうか。中には入らなかったけれど、入りたくないなあと私は思った。あとは外に出るしかない。玄関の扉をわずかに開けると緑の匂いを隙間風が運んできた。風には、笑い声が混じっていた。私ははっとして、外へ飛び出した。

「ヘイゼル……」

「あ、」

 外には小さな畑が広がっていて、その奥は森だった。畑の真ん中に、あの赤髪の人が立っていて、その傍でヘイゼルがしゃがみ込んでいる。ヘイゼルは私に気付いて、笑ったまま手を振った。何が起こっているのか、よくわからなかった。

「ああ、お目覚めかい。随分と早いね。君だけか?」

 アポロ、と名乗ったかの人は、目を細めて私に声をかけてくる。私は少し警戒した。

「わ、私だけだったら、なんなんですか」

「いや、君は随分と巡礼者としての責務をさぼっていたんだろうなと思っただけさ」

 さぼりたくてさぼったわけじゃない。私は少しかっとなった。思わず口を開けると、ヘイゼルの言葉に遮られた。

「まあまあ、リータ。この人、あんまり悪くない人だよ」

「悪くない人とはまた少し失礼な言い方だ」

 アポロはくつくつと笑う。

「ああ、さっきは手荒な真似をすまないね。だけれど、この印をそうやすやすと消してもらっては私も困るからさ。神器は預かっているよ。大丈夫、そのうち返すから。ああ、それと、さっきは君たちを脅すためにアポロと本当の名を名乗ったが、普段はゲルダと名乗っているんだ。あまり他人に存在を知られたくないからね、ゲルダと呼んでほしい。君たちも、その方が都合がいいだろう。下手にアポロなど名を出せば嘘つきと白い目で見られるかもしれないしね」

 私は、ゲルダ、と呟いて、その青い目を見つめた。聞きたいことはたくさんあった。純粋な疑問から、大事なことまで。けれど、一番聞かなければいけないことは、やはり印のことだった。私はごくりと喉を鳴らした。

「どうして、あなたはそこに印があると知っている。なのに私たちが消そうとしたのを、阻んだのですか」

 ゲルダは目をうんと細めた。

 私の問いに答えたのは、なぜだかヘイゼルだった。ヘイゼルは立ち上がって、にかっと笑った。とても嬉しそうに。楽しそうに。私はそのことが、信じられなかった。

「この印から、女の子が生まれてくるんだってさ!」

 私はその言葉に、目まいを覚えた。


 ゲルダとヘイゼルの話を聞き終わる頃には、太陽が空のてっぺんを通り過ぎてしまった。途中で私たちは、ゲルダの振る舞う食事を食べた。アスモとザウストも起こして来ようとしたら、止められた。ゲルダが言うには、私達巡礼者が疲弊していたので、あの出会いの後気絶した私たちを魔法で昏睡させたのだという。魔力を使える程度の精神力が回復するまで。そして私は、ほとんど吟遊を行ってこなかったために、比較的早く目覚めてしまった。私は昼を過ぎてもまだ起きて来られない二人に、背筋が冷えるような心地だった。いったいどれだけ、あの二人は自分を酷使していたというのだろうか。

「本来、巡礼は早くても三年、普通は五年以上をかけて行われるものさ。ゆっくりゆっくり、地道に虱潰しに【女神の印】を消して回るのだろう? それを君たちは、【ウラノスの地図】だなんてものを手に入れてしまったから、なるべく早く終わらせようとした。そりゃあ、心身ともに摩耗するさ。摩耗の果てにあるのは崩壊だ。人格の崩壊、精神崩壊。何か兆候も出てきていたんじゃないかい。そうだな……例えば、言い争い、疑念――平たく言えば、人間関係の不良、なんかね」

 卵と家畜の乳、砂糖を混ぜたものに浸して焼いた小麦のラーラパンをほおばりながら、ゲルダは何でもないことのように言った。私はびくりと指を震わせてしまった。

「あー、そっかあ、だからアスモあんなにイライラしていたのかあ」

「普通の人間でも、疲れがたまれば短気になっていく。そういうことさ。そして疲弊すればするほど、漏出する魔力の量もかさむからね」

 ヘイゼルは、すんなりとゲルダに打ち解けている。私にはそれが、どうしても理解できなかった。そもそも、どうしてヘイゼルはここにいるんだったっけ? 私は急に、違和感と空恐ろしさを覚えたのだった。

 どうして私たちは、巡礼の旅にただの一般人を引きこんでいるのだろう? どうしてただの一般人に、私達の知っているすべてを話し、把握させてしまったのだろう。あまりにも、異常なことではないだろうか。ヘイゼルは巡礼者じゃない。それなのに、ヘイゼルは私達よりも、この異様な状況に順応してしまっている。

「君たち巡礼者が――」

「ヘイゼルは巡礼者じゃありません!」

 私は思わず、ゲルダの声を遮った。ヘイゼルが、その声に驚いたのか私を真ん丸な目で見つめてきた。その表情が傷ついた様子でもなく、平気な顔をしているのがどうにも気に障った。

「ヘ、ヘイゼルに、これ以上深い話を聞かせないで……これは私たちの問題です」

「君ねえ、ここまで一般人を巻き込んでおいて、その言い草は」

 ゲルダは心底可笑しいといった様子で、くつくつと喉を鳴らし、私を嘲笑うように目を細めた。

「それに、彼はただの一般人ではないよ。れっきとした巡礼者さ」

「は?」

「え?」

 私たちの言葉が重なった。ヘイゼルは、少し咽たのか胸を叩いて、ごくりと音が聞こえるほどに喉を鳴らして口の中のものを飲み込んだ。

「え、ゲルダ何言ってんの? どういうこと?」

「普通に考えればわかることじゃないのかい? なぜ神器の一つ、【ウラノスの地図】を彼だけが扱えるのか。彼が、地図に選ばれたからさ」

「へ、へー……」

 ヘイゼルは再びラーラパンを口に放り込んだ。

「……でも、そんな話は今まで一度も……」

 私が口を開けば、ゲルダは一層目を細めた。

「それぞれの【神器】と最も共鳴力の高い者たちを、プルートの皇帝は【巡礼者】と名付け各地に繁殖する女神の印を消す旅を強いた。古くは、巡礼者は六人いたのさ。鏡の勇者、杖の魔道士、竪琴の吟遊詩人、縄の狩人、天秤の賢者、水瓶の巫覡ふげき……。知らなかったかい? ガイアの筆だけは、皇室で管理されているからね。それと共鳴力の高い者を皇室は探さなかったし、ウラノスの地図はそもそもが行方知れずだった。だが、その地図を見つけ、選ばれたヘイゼルは言わば地図の【旅人】と言ったところかな?」

「……じゃあ、どうしてあとの三人は、今はいないんですか。その……狩人と、賢者と、巫覡は……」

「消されたからさ」

 ゲルダは何でもないことのようにそう言った。私は自分の顔がさっと青ざめるのを感じた。

「ふふ……命を奪われたとでも思ったかい? 残念、もっとおぞましく、どうしようもない罰さ。存在を消されたんだ。そのことによって、神器が子供たちに干渉するための足も千切られた。だから三つの神器は、もう女神を助けてくれと子供たちに縋れなくなった」

「ああ、それでガイアの筆か~」

 私よりも先に話を聞いていたのだろう、ヘイゼルがやけにのんびりとした声で言った。

「じゃあ、俺がそのガイアの筆で、その足? 切って、存在消したら、あの印から女の子が生まれて来れるって話だよな、多分」

「そうそう。君は学がないわりに物分かりがいいよ」

「学がないはよけい~」

「お願いだから……っ」

 私は思わず立ち上がった。

「ちゃんと、わかるように説明してください……置いていかないで。ヘイゼルもヘイゼルだよ! どうしてこんな話を聞いて落ち着いていられるの?」

 ヘイゼルは一瞬、迷子の子供のような顔をした。私が故郷で何度も見てきた、親を亡くし取り残された子供たちの顔にそれは似ていた。けれどヘイゼルはすぐに頬を掻いて、へらと笑ってごまかした。

「まあまあ、」

 ゲルダは、のんびりとした声でそういって、お茶を飲んだ。

「君にもわかるように、ゆっくり話そうじゃないか」


 ゲルダは、私にとってはあまりにも衝撃的な真実を告げてきた。心が追い付かない。同じ事実を聞いておいて、呑気にラーラパンをほおばり続けるヘイゼルが信じられず、またその姿が私を一層焦らせた。これをアスモとザウストが聞いたら何を考えるのだろう? 何もわからない。ああ、私達どうしたらいいんだろう?

 英雄ガイアは、その手で自ら女神を手にかけておきながら、なぜだかウラノスの地図に、女神の印を刻んだ。それが六芒星で、ゲルダの畑に巣食う大きな印そのもので。

 英雄ウラノスはそれを利用して、世界中に女神の印が感染するように仕組みを作った。アポロに言わせれば、おそらくガイア自身はそこまで考えていなかったのだろうという。ただ、印をウラノスの地図に残せばいつかはそこに女神の種が芽吹いて花が咲く――それだけの願いだった。それを叶うようにあえて仕組みを整えたのが英雄ウラノスだ。私たちの心臓が拍動するように、女神の印――最初の六芒星も鼓動をする。とても長い年月をかけて、七十年に一度くらいの間隔で鼓動をし、私達の心臓が全身に血を送り出すように、世界中に自分の模造記号コピーを送り出す。ウラノスは、英雄プルートに真実の一部だけを伝え、ガイアが地図に記号を残したせいで、女神の印が世界に芽吹き続けると教えた。それを消していかないことには、この連合星は女神の支配から逃れられない――しかも、その印は消しても消しても沸いてくると来ている。プルートはウラノスに、地図の記号を消せばいいのではないかと問うた。しかしウラノスは、それをやってみると言いながら、姿を消した。地図は行方不明になった。

 残されたプルートができたのは、対処的な行動だけだった。彼女は子孫を残し、皇家という形で自分の意志を繋げた。手放したはずの女神の神器を使って、それと共鳴力の高い子供に印を消す巡礼の旅を強いた。その過程で、皇室への反逆罪を犯した巡礼者を処罰した。その処罰が【星籍剥奪】というもので。

 額にあるという、生きている証をガイアの筆で消すのだそうだ。すると消された者は地上で容を保てなくなり、消滅する。生物としての死ではなく、存在の死。けれど私は、その話を聞いてもうまくわからなかった。存在の死がどれほどに怖いことなのか実感が持てない。それでも、【死刑】よりも重い罰だということはわかる。

 星籍を巡礼者が剥奪されると、巡礼者を強く引き寄せ根を張っていた神器の足――影響力のようなものが、完全に途絶してしまうのだという。すると神器は、以降この星上のどの人間にも直接的な干渉ができなくなる。ゲルダが言うには、ガイアが残した女神の記号がこの世界に残っていることを神器は知っていて、女神を蘇らせるために子供たちに助けを求め、足をつなげるのだ。けれどそれを断ち切ってしまえば、そして最終的に、すべての神器からの足を断つことができたなら、それは女神からの真の解放につながる。

 ……そうやって、この世界から消えた子供が、かつて三人いたという現実は、私の心を絶望に突き落とした。彼らはいったい、どんな気持ちでその罰を受けたのだろうか。反逆罪と言うが、それは本当に反逆だったんだろうか。私達子供は、英雄たちの嘘と欺瞞の糸で編まれた蜘蛛の巣に引っかかった贄だったのだ。もし私がここで消えなくても、いつかの未来で竪琴に選ばれた誰かが消える。ウラノスの迷宮に閉じ込められ、獄中死した罪人たちは個別の墓はなく、一緒くたに土葬されるというけれど、それよりももっと酷い扱いではないか。体が残されない。大地に帰って、花を咲かせることすら叶わない。

 なんて、惨い。

 私たちが何か悪いことをしましたか、そんなに悪いことをしましたか。生まれただけで罪人だと言われたのに、償うために旅をするのに、求められているのは神器の力をなくすための殉死ですか。どうしてそんな風にひどいことができるんですか。あなたたち英雄にとって、女神の痕跡を消すということがそんなに大事なことなんですか。

 あなたたちは、何のために女神を殺したんですか。人間を救ってくれたというのはうそだったんですか。いったいどういうことなんですか。

 聞きたいことは山ほどあった。けれどなかなか整理がつかない。心が追い付かない。私と違って、ヘイゼルは、その事実をすんなりと受け入れている。私は、平気な顔をし続けるヘイゼルを睨み付けた。八つ当たりだったけれど、この感情のやり場がわからなかった。

 私はずきずきと痛む頭を抱えて、俯いた。唸るように、言葉を隠した。

「……事情は分かりました。でも大事なことを聞いていません。ゲルダ、あなたはあなたの庭にあるあの六芒星が、ガイア様の刻んだ印そのものだとおっしゃった。でも、ならどうして私たちがそれを消そうとしたとき、阻んだのですか。ウラノス様は、どうしてプルート様に真実を伝えなかったのですか……ウラノス様は、どうしてそんなことをしたのですか」

「私はウラノス側の人間だから」

 ゲルダは、美しい笑みを口元に浮かべた。

「ウラノスは、プルートをそそのかし、生えていく印たちを消させた。けれどね、そうすることによって、女神の力は分散されず、ただ一か所に集積することになる。本来この八つの星は女神の力で存在していた。それが切り離されたから、女神の力は元のように八つ星に広がることで星を保たせようとしている。本能なんだろうねえ。ガイアとの戦いでほとんどの力を失い、ただのその身しかなくなった女神が、その身に残る最後の力で自分が生み出した星たちを守ろうとしている。けれどね、ウラノスは女神を蘇らせたいんだよ。分散させず、ずっと一か所に集積させ続ければ、やがて女神の力は固まり、固形化する。そうしてきっと、大地を糧に人の形をとり、土人形としてこの地に生まれてくることができるだろう。無論、大した力なんか残っていないけれどね。けれどウラノスがそうしたのは、多分彼が女神を愛していたからだと僕は解釈しているけれど」

「そ、んな、こと」

 私は唇をかんだ。

「英雄のそんなただの恋情で、私達が振り回されているということですか」

「まあ、言うなればそうだよ。でも仕方ないじゃない? 私たちは英雄と呼ばれ、君たちと同じ人型をとってはいるが、私たちはそれぞれ八つの星そのものなんだよ。私たちがいるから君たちは生きている。君は、自分の愛する人が死ぬことと、目の前の蟻が死ぬこと、どちらを見捨てるかい? 後者に決まっているだろう? 蟻を生かしたところで私たちに直接何の関係がある」

「ウラノスって、女神が好きだったの? それほんと?」

 私は大きく息を吐いた。今はヘイゼルの呑気な声が腹立たしかった。

「さあ。私にはなんとも。ただ少なくとも、女神はウラノスを愛していたさ。ウラノスが自分の気持ちをどう解釈しているか、私にはわからないけれどね。けれど、ウラノスが女神のことを愛していて、ガイアによって殺された女神を蘇らせることができるという可能性を見つけて、それに縋って仲間をだましたとして、責められるものではないんだよ。恋や愛って得てしてそういうものだからね。そもそもが、プルートはガイア側、つまり女神を殺そうとした側にいたのだし」

「で、ゲルダはウラノスの味方なんだ」

「いや、味方じゃないさ」

 ゲルダは、少し困ったような顔をして笑った。

「弱みを、握られているだけだ」

「どんな?」

「それは……あまり言いたくないなあ」

 私はゲルダのその時の表情に、目を見開いた。ゲルダはその時だけは、とても人らしい表情で苦し気に顔を歪めたのだった。

「結局、利害の一致さ。ウラノスは私の弱みを握り、私の性格を利用して、私だけに協力を仰いだ。私にはそれを拒む理由もなかったし、拒んで他の英雄たちと仲良くする利点もなかった。だから私はここに住まいを構え、ずっとあの印を守ってきている」

 ふふ、とゲルダは笑って、私を見た。

「巡礼から解放されたいかい? 罪から解放されたい?」

「罪じゃないじゃないですか」

 私は震える声で言った。

「それは、あなたたち英雄が、あなたたちで勝手に作った決まり事で、私たちを勝手に罪人にしているだけじゃないですか。私たち、やっぱり何にも悪いことしてないじゃないですか!」

「罪と罰ってね、そういうものだよ」

 ゲルダは、背筋が凍りつくような、冷たく妖艶な笑みを浮かべた。

「定めたものの勝ちさ。この星だけじゃない。どの世界でもそういうふうにできている。例えばそうだねえ、近親婚とか。妹をどんなに愛していても、法律でそれが禁じられていたらそれが罪なのさ。それを罪だと思いながら死ぬまで苛まれ続けるのさ。そういう理不尽なものが法だよ。罪だよ。罪をもっともらしく仕立て上げるのが罰なんだよ」

「……んー、リータもザウスもアスモも、多分解放されたいんじゃねえかなあ」

 ヘイゼルが、最後のお茶の一口を飲み干して、落ち着いた声で言った。

「でも、でも、解放って、星籍を奪われるってことでしょう? 消えろってことでしょう? 死ねって!」

「え、違うよ。違うよね? ゲルダ。だってさっきそう言ってたもんな」

 ヘイゼルは、ゲルダを見つめ、私に向き直った。

「だから、その最初の六芒星をさ。そこの畑のやつ。あれを消せばいいんだよ」

「だから、それをこの人が拒んだんじゃない!」

「落ち着けってリータぁ。拒んだのはさあ、みんなを守るためでもあるよ。だってゲルダさっき言ってたし。あれを消そうとしたら、多分リータ、死んでたよ。精神と魔力が枯渇してさ。それくらいしないと消せないんだってよ。でもそうだよな、だって俺らがずっと消してきたあの小さな印たちに宿る女神さまの力をさ、その一個に何百倍も何千倍も濃縮させてんだぜ、敵うわけねえじゃん。でもさ、そうしなくても消せるんだって」

 私は途方に暮れて、ゲルダを見た。けれどゲルダは、表情を消して、ヘイゼルを見つめていた。まるでヘイゼルの言葉を――決意を、待っているみたいに。

「俺がさ、ガイアの筆で、俺の額の印? 消せばさ、ウラノスの地図がだめになるんだってさ。そしたら、地上に女神の印が流れていくのが止まるんだって。それで、地図から解放された女神さまの印が、土と馴染んで女の子になるんだって。だから、俺さえ消えれば丸く収まるんだよ、リータ」




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