Preludi 1 銀目の不審者

 惑星ヘルメスは墓場の星だ。かつての八英雄に名を連ねる者たちの墓をぐるりと取り囲むように、連合星全ての死者たちの墓が立つ。この星に住まうものは少なく、大概が墓守やそれに連なる一家であって、草木の生い茂り、鳥の声が静かな空気に溶け込むしんとした眠りの星。緑の星。

 ここには、かつて英雄ヘルメスが残した魔術の印が至る所に隠されていて、それは書物に残っていないものもたくさんあるという。けれど生い茂る植物が地面や木々を覆い尽くし、いったいそれらがどこにあるのか、ただの人間たちにはわからない――同じだけ、もしもこの星に【女神の印】が刻まれているのであれば、素人目には見つけられるものではなかった。

 だから、お前たち【巡礼者】――英雄の神器と共鳴力の高い生まれながらの罪人の力が必要なのだよ、と。

 私たちを導いた、帝都プルートの皇子は、ねっとりとした口調でそう言った。私たちを心底から蔑んで、許してやるから、いい子になりたいなら、その罪深き共鳴力で女神の証をこの星から滅せよと。

 神器に選ばれ、連合星のすべての名誉を勝ち取ったかのような高揚感なんて、水の泡のように消えた。私は、元から貧しいアフロディテの星にいたし、そこでの暮らしは歌えない子供と歌える子供の扱いの差がひどかったのだし、ああ、私もついに、蔑まれる側へと堕ちたのだ、なんて妙に静かな心地だった。けれど残りの二人の巡礼者――当然、初めて会った――は、皇子から告げられた巡礼者の真実に受けた衝撃も強く、ずっと青ざめていたし、ヘルメスの星に連れてこられるまでほとんど言葉を発しなかった。でも、私もこれで青い顔をしていたらしい。私だけは褐色肌だったから、心の動揺なんて悟られないだろうと思っていたのだろうけれど――私の心も読んだのは、アスモという、勇者の少年だった。

 私の旅の仲間は、金髪に琥珀色の目のアスモと、茶色の髪に青緑色の目をしたザウストというどちらも男の子だった。私は褐色肌に黒髪と黒目で、肌の白い二人に囲まれていると、なんとなく居心地が悪かった。ザウストは私のような人種が珍しかったようで、じろじろと見てきたのでいやだなと思った。アスモは分け隔てなく接してくれた。アスモは前髪を中央で分けて、広いおでこが良く日焼けしていたし、ザウストは肩くらいまでの長い髪を後ろで一つに縛っていたので、首の後ろが赤くなっていた。なんだかお揃いな気がして、私は笑った。そんなどうでもいいことに気を向けたくなるくらい、私は私でまだ現実を受け止め切れていなかったのかもしれない。だって、罪人だ。落ちこぼれとののしられてきた子供たちと、さんざん才能豊かだともてはやされ、お前たちは世界で一番の罪人だと、しかも生まれながらで、どうしようもなく、変えようがないだなんていわれた私たち、いったいどちらが不幸なのだろうと思った。私がそんなことをぽつりと零せば、「全員大差ねえよ」とザウストがぶっきらぼうに言った。私の言葉にザウストが反応してくれたのは、それが初めてのことで――しかも、私もそう思っていたところだったから、私はそこでようやくザウストに打ち解けることができた。……ザウストは人見知りがひどかったようで、私たちに慣れてくれるまで時間がかかったけれど。

 突然集められ、罪人呼ばわりされ、まとめてヘルメスの星に搬送されて、ぽいと置き去り。私たちの魔法が反応する印――女神の印を、消して回ることが私たちに課せられた償いの方法だった。見知らぬ土地で、私たちは途方に暮れた。特にアスモの困惑は強かったように思う。彼は帝都の生まれで、今までこんな静かで何もない星に来たこともなかったのだろうし。藪を歩いて虫に刺されるだけで、驚いた。私の星も似たり寄ったりだったから、そんなことで驚くアスモが私には新鮮に思えた。ザウストは元はヘルメスの生まれで、けれどそれは赤ん坊だったころの話らしい。あとは才能を伸ばすためにずっとガイアの星にいたとかで、アスモほどではなくてもこの環境になかなか慣れなかった。最初は私が二人を先導して森の中を進み、けれどさすがというべきか、能力の高い二人の同行者は、すぐに道を歩くコツをつかんで、そのうち私なんかを気遣ってくれるようになったのだった。女の子でなければ、こんなふうに気遣われることもなかったのかなあと、私は残念に思った。

 私が歌うと、その反響音エコーがどこかで生まれる。その場所にはすると女神の印――見たこともない、六つの角を有した星のような模様があった。それを見つけてくるのがアスモの仕事で、見つけた印を消すのがザウストの仕事だった。私たちはそうやって、一つ一つ印を潰していった。けれど歌えば歌うほど印は虫のようにどんどん湧いてくる。きりがなく、これを八つの星分やっていくのかと思ったら、心が折れそうだった。単純作業だし、そのうち慣れるよとアスモは笑った。ザウストは、ただ黙々と印を消していった。まるで地面に杖の先で焼きごてを押すように。

 ヘルメスの星に着いてから、何日目かのこと。その日は、ぱらぱらと雨が降っていた。雨が降っているのに空はシクルみたいに鮮やかな青で、空の端っこに薄い虹が浮かんでいる。不思議な景色だった。私達は、小さな湖にも見える大きな水たまりの脇で、木の幹に寄りか かって雨を木の葉の影を頬に照らし、雨をやり過ごしていた。靴先を地面にこすり付けるたびに、靴底に土がついて、汚く汚れた。木の葉の間からぽつぽつと垂れてくる雫は私の髪に落ちて、汗をかいた時みたいに紙を頬に張りつかせた。それを人差し指で退けながら、私は雨にも負けず草の根元を這いずるみみずを眺めていた。

「レプリタのさ」

「リータ」

 不意に、ザウストが呟いて、アスモがその言葉を遮った。ザウストは眉間に皺を寄せて、アスモの横顔を睨みつけた――本人に、その自覚はないかもしれないけれど。

「なんだよ」

「リータって呼びな。そういうの、大事だよ」

「なんでだよ。それこそ、強制するものじゃねえぞ」

「いや、強制じゃないよ。意識だ。俺達は、この世界で唯一傷を舐め合える三人なんだ。その関係がいいものだとは思わない。だけど俺は、それを嫌な思い出にしたくない。そんなの、旅を苦痛にするばかりだ。俺達はまだ知り合って二日しかたっていないけど、それでも歩み寄る努力は必要だろ。君はその点、そう言ったことが苦手そうだからさ」

「苦手とわかってるやつに、苦手なことを無理やりやらせんなよ」

 ザウストは唸るように言った。私は振り返って、ザウストの横顔を覗きこんだ。

「あの……別に、無理しなくていいよ。ねえアスモ。私だってザウストのことザウストって呼んでるんだし……」

「じゃあ、今ここで呼び方を変えよう。後からじゃ変えづらくなるよ」

「本当にしなきゃいけないことかなあ……」

 私は、アスモに聞こえないように小さく嘆息した。私の吐息がザウストの髪にかかって、茶髪の束をふわりと揺らした。ザウストは顔をしかめたまま私をちらと見て、また顔を逸らした。

「わかった。じゃあ、ザウスって呼ぶから」

「うん」

「僕は僕の好きにするから」

 ザウストは深いため息交じりにそう言った。アスモは肩をすくめて、何も言わなかった。

 結局、ザウストが私をリータと呼んでくれたのは、ずっとずっと後のことになったけれど。その頃、私もアスモもわからなかったのだ。ザウストが、あれで結構恥ずかしがり屋なんだって。

「話がそれたけどさ、お前のせいで」

 ザウストは、不機嫌を隠さない低い声で呟いた。

「うん?」

 アスモが答えないので、私は努めてザウストと目を合わせようとした。

「レプリタの歌の、有効範囲を調べてみないか」

 ザウストは、クワガタがのそのそと這いずる向かい側の樹の幹を睨みながら言った。

「有効範囲?」

 私は眉根を寄せた。アスモは、のんびりした声で「ああ」と零した。

「そうだね。その方がきっと、効率的だろうな」

「どういうこと?」

「つまり、」

 アスモは腰を折って、ザウストを隔てて反対側にいる私を見つめて笑った。

「レプリタの歌の効果が、距離的にどこまで届くか調べるってこと。そしたら、有効範囲の端っこまで俺が見に行けばいい。やみくもに歩く必要もないし、君が歌いすぎることもなくなるだろ? いい考えだと思う。さすが、頭のいい魔道士」

「魔道士は別に頭はよくねえよ。訓練してるだけだ」

 ザウストは嘆息交じりに言った。

「それに、頭の良さとか、才能から言ったらあんたら勇者や吟遊詩人の方が上なんじゃないの。僕は努力型なんで」

「やだなあ、俺だって努力型だよ?」

 アスモは笑った。私は肩をすくめた。

「私……頭はよくないよ。字も読めないし」

「字が読めないのは、」

 ザウストは目を閉じて声を荒げた。

「単に、教育を受けてねえからだ。頭の良し悪しとは関係ない」

 私とアスモは、顔を見合わせて肩をすくめた。

「頭ねえ……俺なんて馬鹿ですよ。才能とか言ったけど、勘と努力で補っただけだよ。授業なんて聞いてもさっぱりだったしね」

「嘘つけ」

 ザウストは舌打ちした。

「噂で聞いてた。プルートに、すげえ成績優秀な天才がいるって。教科書も一日読んで空で覚えるくらい、頭がいいっていう化け物がいるって」

「そ、そうなんだ……」

 私は顎を引いた。私の故郷は他の七つの星と違って、隔絶されている。まともな教育機関もない。教育は親から子、大人達から子供達への口承しかなかった。 みんな、結構すごい人なのかなあ、とぼんやり考えた。アフロディテの竪琴に選ばれるのに、頭のよさなんて必要はない。結局は、竪琴が気に入るような声質を持っていて、音痴でさえなければいいのだから。

「まあ、そうね。周りはそう言ってたけど」

 アスモは目を伏せて、力なく笑った。長い睫毛が、まるで綿毛のように揺れている。

「競争率はそれなりに高かったからね。期待も大きい分、努力しなきゃいけなかった。だから、選ばれた今がかえって楽かなあ。俺、もう馬鹿でいてもいいわけだし」

「足を引っ張る馬鹿は困るけど」

 ザウストはそっけなく言った。

「はは、気をつけるよ」

 アスモは柔らかく笑った。

「そろそろ……雨、止んだみたい」

 私は掌をかざして、雫が落ちてこないことを確認した。

「その、有効範囲? やろっか。早い方がいいと思うし」

「リータって結構活発だね」

 アスモはにこにことしていた。私は肩をすくめた。

「兄弟とか……ちび達が多かったから、さばさばしちゃっただけだよ」

「そっか」

 ザウストは濡れた泥の上に杖の足で何かの陣を描いていた。聞くべきことではなかったかもしれないけれど、私はつい呟いてしまった。

「杖……汚れるけど、いいの?」

「あ? じゃあ、他にどこで描けって」

「それは……」

 口ごもる私に、しかめ面のままザウストは深く息を吐いた。

「別に、洗えば済むことじゃないかよ。んなのはどうでもいい。……行くぞ」

 ザウストは陣の中央に杖の足を突き刺した。その途端、陣は水色に輝いてザウストの目の前に透明な水色の鏡を作った。ザウストは再び、陣の中央を杖の足で二度叩いた。すると鏡はひび割れて、破片になった。破片が崩れて地面に落ちる寸前、ザウストはぶん、と杖を振り回した。まるで、鏡の残骸を殴るみたいに。

 破片が、勢いよく辺りに散らばって、どこかへ飛んで行った。空になじむ破片のキラキラした輝きを、私は呆然と見あげた。少し前から思っていたけれど……魔術って意外と物理的なのかもしれない。

「レプリタの歌が届いたら、さっきの破片がさらに粉々に砕ける」

 ザウストは咳込んだ後、口元を袖で拭った。そのまま、まるで拭った袖を隠すみたいに服の地に這わせ、衣嚢ポケットに手を突っ込んだ。その仕草に何か違和感を感じながら、私は、へえ、と間抜けな声を出してしまった。

「なるほど、すごいね、今の魔法。結構体力削げたでしょ」

 アスモが空を仰ぎながら言った。

「別に」

 ザウストはもう一度小さく咳をして、顔を横に背けて唾を吐いた。その唾が、なんとなく赤く色づいていたような気がした。

 私はその場で歌い始めた。竪琴の弦を指でなぞって、目を伏せて。アスモは私の歌で割れた破片を確認するために、シクルで出した羽を使ってどこかへ飛んで行った。ザウストは木の根元にしゃがみ込んで、土の表面を睨んでいた。

 そのうち、アスモが戻ってきて、ザウストにどこまで聞こえたとか、具体的な距離を話しているみたいだった。私も耳を傾けていたけれど、専門的な言葉が多すぎてよくわからなかった。とりあえず、結構有効範囲は広いということだった。

「これなら、案外簡単に印を洗い出せるかもしれないよ。リータが歌って、あとは僕が飛んで見つけて、ザウスと二人で壊せばいい。やっと俺も役に立てそう」

 アスモは嬉しそうに息を弾ませた。

 歌を長く歌わなくても、十分に魔法は届くらしく、私はその日、殆ど歌わなくてよかった。ただ少しだけ残念なのは、私が歌っている間、アスモとザウスが印を壊すために二人でどこかへ行ってしまうということだった。草が生い茂って、虫だらけで、木の葉の影だけが落ちる薄暗闇に一人取り残されるのはとても心細かった。印を一つ見つけるたび、私に魔法でそれを知らせてくれたのは、ザウストではなくアスモだった――シクルの伝達魔法で竪琴を介して音で私に知らせてくれるのだ。アスモが言うには、魔術を一つ使う度魔道士の身体には大きな負担がかかるらしい。やっぱり、私がさっき血のようだと思ったザウストの唾は、見間違いではなかったのだ。魔道士の魔術は勇者の使う魔法よりも強力な分、体に負担がかかる。だから、ザウストは魔法を本当は連発できない。勇者の使う魔法 は一つ一つの威力は小さい代わりに、勇者自身の精神力さえ保たれていればいくらでも無尽蔵に使うことができるらしい。それは、私が竪琴を使って行う【吟遊】と性質が似ていると思った。私の吟遊も、私の精神さえ落ち着いていれば威力を保つことができる。

 私の喉に負担がかかるからと、体力をとても消耗する魔術を発動して、私の有効範囲を調べてくれたザウスト。その日から、疲れてぐったりとするのは私ではなくザウストになった。けれどザウストは決してきついとは言わなかったし、私達もそれを追及はしなかった。敢えて休ませてやろうと気を使うこともしなかった。それは、ザウストが一番嫌いそうなことだと、なんとなくわかりはじめていたから。私とアスモは、焚火の前ですやすやと穏やかな寝息を立てるザウストの顔を見つめて、笑いあった。

 アスモは、焚火だとか、狩りだとか、なんでもそつなくこなす人だったし、運動神経がとてもよかった。私とザウストはよく木の根に躓いたのだけれど、アスモが足をどこかに引っかけるところを見たことはなかった。やっぱり、謙遜はしているけれど能力はすごく高い人なのだと思う。同じだけ、都会の子供のわりに、気さくな人なのだ。私は、最初にアスモに抱いていた劣等感が少しだけ和らいでいくのを感じていた。

 翌日、あらかたの場所の印を洗い出した私達は、墓場のもっと深層へと進むことにした。日の当たる場所よりも、人が行かなさそうな場所の方が印がたくさん増殖している可能性がある、というのがアスモの考えだった。というのも、私達はこの三日間で随分広い範囲を歩いて回ったけれど、たったの四つしか印を見つけられなかったのだ。こんなに簡単に見つかって、簡単に消せるようなもののために、巡礼の旅が数年にわたるはずがない、とアスモは言った。つまり、見えづらく、行き辛い場所に印がもっと眠っている可能性が高いということだ。

 惑星ヘルメスの墓場は、各惑星の人々の骨が概ね全て収められている。死の匂いを自分たちの星に留めておきたいと思う人間はいない。私の故郷だけは特殊で、死んだ星の民を海に流す風習があった。私達アフロディテの民に墓の概念はなく、だから、私はこの星のお墓が物珍しかった。白と銀色の磨かれた石の棺。 ガラスの棺。石の棺、木板を釘で打ちつけただけの棺……それらは、墓を作った家族の裕福さの度合いを誇示しているようで、私は少しだけ嫌な心地がした。どのお墓にも蔦が絡みついて、白い花や薄赤の花の蕾が棺の壁に染みをつけていた。

 そしてこの星の深層には、英雄たちの亡骸が収められているという。

 そこは、皇室の者でもほとんど足を踏み入れない神聖な場所だとされているけれど、アスモはそこが怪しいと言った。私は少し気おくれがしたけれど、ザウストもアスモの考えに賛同したので、結局そこを目指して私達は進むことになった。

「伝承によると、英雄の墓と言っても、ヘルメス、ウラノス、プルート、マルスとサタンの亡骸しかないらしいよね」

 薔薇の蔦を腕で退けながら、アスモはなんでもないことのように呟いた。私ははらはらしていた。アスモの腕に薔薇の棘が刺さって、血が滲んでいる。どうもアスモは、痛みに鈍いみたいだった。少々の怪我も、全く気にしない。放っておけば治るなんて言って……私には信じられなかった。一体、勇者の蛹と言うのは どういう生き方をしてきたのだろう。私からすれば、少しの傷さえ化膿すれば時に命取りになるのだから、簡単に怪我なんてしちゃいけないと思うのだけれど。

「うーん、邪魔だなあ」

 アスモは小さく嘆息して、シクルを瞬時に水色に輝く短刀に造り替えた。……造り替えたと言っても、実際にはシクルの出した光のようなものが、羽根を作るのと同じ要領で刀の姿を模っただけらしいのだけれど。その切れ味はすごく良くて、アスモはみるみるうちに茨の峰を切り倒し、私とザウストが余裕を持って通 れるだけの道を作ってしまった。薔薇の花に申し訳ないと思いながら、私は頭を振った。奥へ奥へと進むごとに、腐った木の葉と虫の死骸、乾いた動物の糞が砕けた粉が散乱している。私は顔を歪めずにはいられなかった。貝を足で踏みつぶしたときの嫌な感触に比べれば、ずっとましなのかもしれないけれど。私は顔にかかる蜘蛛の巣を指にくるくると巻きつけた。それを見ながら、後ろをついてきていたザウストが「うわ」と呟いた。私は少しだけむっとしてしまった。蜘蛛の巣の何が恐いもんですか。故郷の木の枝にはしょっちゅう蜘蛛が巣を張っていたし、子供にとってはその糸をあつめて指で手慰むことが遊びのひとつで楽しかったのだ。

「うわあ、すげえ」

 不意に、先を行っていたアスモの感嘆の声が反響して聞こえてきた。私は左腕に抱えていた竪琴を両手に抱え直して、薄荷色の光が差し込んでくる穴の奥へ駆けた。ザウストも、ざくざくと音を立てて落ち葉を踏みしめながら私の後をついてきた。

 その場所に入って、私はぽかんと口を開けたまましばらく何の言葉も発せなかった。

 そこは、半球ドーム状の空間だった。銀色の縄でつくられた網が壁を囲っていて、その隙間に朝顔が絡みついて蕾を垂らしている。朝顔の茎や蔦は、まるで木のように太く、この薄荷色の空間を支えているのだ。床には白と灰色の丸い石が敷き詰められていた。その隙間に、背の低い青々とした草が顔を覗かせて白い小さな花を咲かせている。石はやがて部屋の中央で山を作って積み重なっている。その天辺に、真っ白な、光を浴びて瞬く棺が一つ、安置されていた。

 私達は呆然として、その棺を見つめた。

「これ、誰のお墓だろう」

 私は、我慢が出来なくなってそう呟いた。ザウストが棺の表面を手で撫でた。白い砂埃が降り積もっている。ザウストはしばらく目を細め手それを眺めた後、「ヘルメスかな」と呟いた。

「この星の守り人だから、こんな風に一人だけ隔離してあるんじゃねえの。他の場所に他の英雄の棺もあるかもな」

「お墓で歌うのって、緊張するなあ」

「今までも墓だったろ」

 初めて、ザウストがくすりと笑った。私とアスモは顔を見合わせた。なんとなく嬉しかった。

「じゃあ、とりあえず、歌うね」

 私は少しだけ照れながら、小さく咳払いをして竪琴の弦を撫でた。そして、すう、と息を吸い込んだ時。

 不意に、かたん、と音がした。私達は、反射的に音のした方を振り返った。

 朝顔の網の向こう側で、石の壁がそこだけくりぬかれたように隙間を開けている。そこから、淡い赤色の髪の男の子が、顔を覗かせて、目を零れ落ちそうなほどに見開いていた。

 私達も固まっていたし、多分、その男の子も固まっていた。私達は他に人がいるとは思っていなかったし、きっと向こうもそうだろう。しばらくして、私は喉をごくりと鳴らした。よくよく考えたら、どうしてこんなところに、巡礼者でもなく、皇室の者でも研究員でもなさそうな子供がいるんだろう。少年の服は灰を被ったみたいに汚れていて、よれよれで、決して裕福な家の子供というわけではなさそうだった。ザウストが身じろぎして、アスモがゆっくりと瞬きをした。

「えっ、君、誰」

 誰よりも先に声を取り戻したのは、アスモだった。

 薄赤ピンク色の髪の男の子は首を左右にこきこきと曲げた後、石扉の隙間から身体を全部出した。そして後ろ手に扉を閉めた。どぉん、とお腹に響くような音が響き渡った。男の子は、片手を背中に回しながらもう片方の手で頬を掻いて視線を彷徨わせた。

「あちゃー……面倒なことになった」

 私は、彼が確かにそう呟いたのを聞いた。

 男の子はにっこりと、人好きのするような笑顔を満面に浮かべて、首を傾けた。

「やあ、こんにちはあー。何々、お前達何の用? 見たとこ、巡礼者ってとこかね。もう決まったんだー、へーすごい。おめでとさん」

 男の子は、ちっともおめでとうなんて思ってないような雑な口ぶりでそう言った。

 アスモが眉を潜めた。

「何の用、はこっちの台詞だよ。一般人の子供が、こんなところに入っちゃいけないだろ? ここは英雄の墓地だよ」

「んー、そうかなあ。おれ、ここの星の人間だしぃ、墓守任されてるんで別にいいんですー」

 おちょくったような物言いをする子供だ。私は少しだけ呆れてしまった。アスモは肩をすくめた。

「子供の墓守なんて話、聞いたことねえよ」

 私の隣でザウストがぼそっと呟いた。聞こえるように言えばいいのに、と私は思った。

 私の視線に気が付いたのか、ザウストは首筋を掻いて舌打ちし、杖をぶん、と振り下ろして先端を男の子の方へ向けた。私は思わずのけぞってその風を避けた。

「おい、嘘吐きは結構だが、僕の術であんたが何者かも、何が嘘かも綺麗にわかるんだ。そんな魔法かけられたいか?」

「うわー、それは困るなあ。おれ、結構隠しごと多いんだよね」

 薄赤色の髪の男の子は、肩をすくめた。アスモは額に手をあてて、ため息をついた。アスモの指と指の隙間に、黄金色の前髪がさらりと潜りこんだ。

「とりあえず、その網を越えてこっちに来てくれる? 腹を割って話すのに、網を隔ててはないだろ」

「まあ、そだね」

 男の子は素直にうなずいて、床にしゃがみ込み、網を持ち上げてこちら側へ這って出てきた。そのまま顔を上げて、にっと笑った。歯は少しだけ黄ばんでいて、汚かった。多分、この子はまともな暮らしをしていない、と私は思った。アスモは眉尻を下げた。

「なんでそんなに距離を取ってるの。別に取って食いやしないから、こっちにおいで」

「やー」

 男の子は頭をぼりぼりと掻いた。

「女の子がいるじゃんかあー」

「うん? それがどうした?」

 アスモは首を傾げる。男の子は、また歯を見せた。

「おれ、ちょっと今体臭いかもだしー」

 へらへらと笑う男の子の左の口角の下には、目立つ黒子があった。顔は笑っているけれど、目は笑っていない。それでも、切りそろえられた前髪の影を帯びて煌めく銀色の瞳が綺麗で、私は少しだけその男の子の目に見惚れてしまった。

 私の横で、ザウストが苛立ったような、殆ど声に近い溜息を吐きだした。ザウストが杖を握りなおしたので私はザウストから距離を取った。ザウストは杖を振り上げて、石をざりざりと杖の足で掘った。凹みで陣を描くように。そしてその真ん中に三度続けて荒く杖の足を下ろした。陣から青い光が竜巻となって湧き上 がる。私の頬に、冷たい飛沫が飛んできた。私は目を見開いた。その竜巻は、薄赤色の髪の男の子に直撃した。「ひゃっ」という、可愛らしい声が響いた。光が収まった後に残された男の子の身体は、ぐっしょりと濡れていた。まるで濡れ鼠だ。

「洗ってやったぞ」

 ザウストが目を細め、顎を僅かにあげて男の子を流し見た。私は顎を引いた。男の子はぱっと顔を上げて、今度は心からの笑顔を顔中に浮かべた。濡れそぼった男の子の髪の先端から雫が跳ねて、弧を描いて石に染みを作った。

「おう、ありがとな! ちょっと寒いけど!」

 男の子は二の腕を擦りながら私達の傍に寄ってきた。鼻をぐすぐす鳴らしているから、本当はすごく寒いのかもしれない。心なしか唇も紫色がかっている。

「びしょ濡れにしても、乾かしてあげなきゃ意味ないだろ」

 アスモがため息交じりに零した。

「あーいいよいいよ。今日は天気がいいし、外出ればすぐ乾くって。あっ!」

 男の子は突然叫び声をあげて、ぶるぶると頭を振った。私の額にぴしゃぴしゃと水の雫がぶつかって、私は思わず目を閉じた。

 男の子は、しばらく鞄の底をごそごそと漁っていた。そこから、古ぼけた巻紙を取りだして、広げる。

「あっ、よかった、破れてねえ。よしよし……」

 一人でそう言って、あっという間にまた鞄の中にそれ戻してしまう。男の子は、腰を屈めたままアスモを見あげて瞬きした。

「うんと、それで、なんだっけか?」

「君が、なぜこんなところにいるのかってこと……あと、誰、君」

 アスモが額を撫でたまま言った。

「ああ、おれ? おれはヘイゼル。ヘイゼル=ヒューミ。泥棒やってますよ」

 ヘイゼルはにやにやと笑いながら、立ち上がって面白そうに私達の顔を覗きこんでくる。

 アスモは額に手を当てたまま一層俯いたし、ザウストは大口を開けたまま空を仰いだ。

 私は頭が痛くなってしまって、とりあえず竪琴を両手に抱え直した。 



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