Preludi 2 共犯者と紙切れ

 私たちが出会ったヘイゼルという少年は、不思議な子だった。笑っていることが多くて、けれどわざとらしくもなく、およそ苦しいだとかつらいだとかそういう感情なんてほとんどどこかに落っことしてきてしまったかのような子だった。それは彼自身が弱くて、ずるかったから、そうなってしまったのかもしれない。

 とにかく、最初の出会い、英雄たちの墓場で彼と思わぬ出会いを果たした私たちは、頭を抱えていた。墓守ならいい。けれど彼は堂々と、自分は泥棒だと名乗ったのだ。じゃあ、墓守どころか墓荒らしをしていたと考えるほうが自然。

「あー……えーっと、さ」

 誰か話して、と視線だけでの押し付け合いの押収に観念したのはアスモだった。珍しく笑顔もなく、ヘイゼルに対するうさんくさいという思いがありありと顔に現れている。

「それで、もう一度聞くけど、君はここで何してたの?」

「えー」

 ヘイゼルは、へらへらと笑った。

「……泥棒やってるって言ったじゃん~」

「つまり、墓荒らししてたってことかな。英雄の墓所で? それ、かなりの大罪だってわかってやってる?」

「まあ、それなりに」

 ヘイゼルは相変わらずへらへらとしていて、私はなんだか腹が立ってきてしまった。

「じゃあ、捕まってもいい覚悟でやってたわけね?」

「おい、レプリタ……」

 ザウストが控えめに私を止めたけれど、私は膨れ面をしてしまった。こういうへらへらとした物言いが私は我慢できないのだ。

「え~、覚悟なんてものあったら泥棒なんてしないでしょ。こういうのやるのはね、金がなくて、ずるくて弱いからなんだよ。捕まりたくないし、できれば見つかりたくないし?」

「そういうの屁理屈って言うんだよ……」

 アスモが溜息をつく。

「屁理屈がなに? 別におれ迷惑かけてないでしょ~」

「現に今俺たちに迷惑をかけてるじゃないか」

「ん~? よくわかんねーなあ……勝手に関わってきて迷惑がってるのそっちでしょ? ていうか何様? あ、巡礼者様かあ、あっはは、そりゃ、どうもお目汚しとお耳汚し失礼しました! おれみたいな底辺なんて、あんたら優秀なやつらエリートは見たこともないだろうし? あれ? 見たこともないなら一度見たところで印象薄くない? ってわけでさあ……見逃してくんないかなあ?」

「………」

 アスモが、頭を抱える。私の後ろで、ザウストがぼそりと「結局それかよ」と言った。もっと聞こえるように言えばいいのに。

「えー? なんでえ? だってさあ、あんたらから見たら、おれなんてその辺の汚ねえ毛虫と同じようなもんじゃないの? そんなの見たら叩き潰すかほっとくでしょ? でも虫けらにも命はあるしさあ、それなりに社会に貢献してるかもよ?」

「毛虫は汚くない」

「リータ、問題はそこじゃない」

 むっとした私の言葉に、アスモが冷静にそう言った。

「あっはは、女の子って面白いね」

「いや……これに関してはリータが少し特殊なだけだと思うけどね……」

「特殊って……」

「ごめん、リータ。そんなちょっと傷ついた顔しないでよ」

「ううん、別に、傷ついてないけど……」

 私とアスモは、気まずそうに顔を見合わせた。またしばらく沈黙が落ちる。その間、多分ヘイゼルは隙あらば逃げたかったのだろう。足を揺らして、そわそわしていた。

「ていうか、何盗んでたの」

 ややあって、ザウストがぼそりと言う。

「えー? それ聞いてなんか意味あんの?」

 ヘイゼルは、そこで初めて眉根を寄せて、嫌そうな顔をした。ザウストが少したじろいだのがわかった。結局、私たちは悪意のある視線にあまり慣れていないのである。今までちやほやされてきたから。

「……そりゃ、その種類によっても罪の重さとか、変わるだろ……」

「だーからぁ、」

 ヘイゼルは、いよいよ苛立ったように声を荒げた。顔はまだ笑っていたけれど。

「なんでお前らがそういうこと知ろうとするわけ? ほんとに何様? 巡礼者なんて、皇室の言いなりになってただ星の巡礼をするだけのお気楽集団なんじゃないの。いつから罪人を取り締まる集団になったわけ? ていうか、罪の重い軽いってそれお前らが決めることじゃなくねえ? そんなにおれのこと気になるなら、罪人としてさっさと通報すりゃいいじゃん。あーあー清廉潔白に生きてきた人たちはおれみたいなのを簡単に罪人呼ばわりできていいねえ!」

「……言い過ぎだ」

 アスモが、お腹に響くような低い声で唸った。彼が怒っているのが私にもわかった。びりびりと空気が張り詰める。私もザウストも息をのんだ。

 そもそも、ヘイゼルの言った【清廉潔白】という言葉は、私たちの心を鋭く刺した。この子は、私たちがこの連合星で誰よりも重い罪を背負った罪人だということを知らない。それに、私たちはそれをこの子に伝えて言い返すこともできなかったのである。だってそれって、恥でしょう? 私たちは今、世界中で一番恥ずかしい存在なのだ。なのにどうして、この自称盗人の子供の罪の是非を問うことができるだろう。

「あー、はいはい、お耳汚しすみませんでしたあ。ていうかさあ、しょーじきにいいなよ。単におれが何盗ったのか興味、あるんでしょ? 興味全くないって言える? 言えないよな? ごまかすのよくないと思うよ? あ、泥棒で嘘つきのおれが言っても説得力ねえ~」

 言ってすっきりしたのか、ヘイゼルはまたけろっとした顔に戻って、へらっと人好きのする笑顔を浮かべた。私はあっけにとられたが、その後のザウストの言葉にもっと驚いた。

「まあ……そう。単純に、興味あっただけ」

「だよなー?」

 ヘイゼルはにかっと笑う。

「ザウス……?」

「なんだよ」

 私の視線に、ザウストは居心地悪そうに背中を丸めた。

「実際、興味あるから聞いたわけだし。罪の重さ云々は言いわけだしさ」

「そういうのおれ好き! 人間単純なのが一番だよ、っておれが言うの全然説得力ねえけどな。あ、で、何盗んだ、だっけ? 実を言うと、なんの成果もなかったんよな」

「はあ」

 ザウストは、頬を掻くヘイゼルをじっと見ている。

「でも、拾いものはしたよ? なんかね、星みたいな記号と、文字がたくさん書いてあんの。拾いものだから盗んだわけじゃないっつうか、宝物みたいな? 宝物は拾った人のものだろ? だからこれはおれのもの」

「別に、泥棒から物盗ろうとか思ってないから」

 アスモが呆れたように口を挟む。

「ああ、そう?」

 ヘイゼルはきょとんとしたように首を傾げた。

「んー……なんか、まともな人と話すと疲れるなあ」

「疲れてるのは僕らだけどな」

 ザウストもぼやく。

「で、何が書いてあるわけ」

「おれ読めないからわかんない!」

 頭の後ろで手を組んで、ヘイゼルは何でもないことのようにそう言った。

「は……え?」

 アスモが、虚をつかれたような顔をして、ぽそりと声を漏らした。私は少しだけ傷ついた。アスモは、私が文字を読めないといった時には「まあそんなこともあるよね」と驚きも何も示さなかったのだ。ああ、彼は私の故郷が、アフロディテの星が、文字を学べないほどに貧しいということを知っていたのだと思った。そして、のだと知った。

「な……君、蛹だったんじゃないの」

「蛹? え? 何それ、おれが虫けらだからって言ってる? わー、地味に傷つくなー」

 そんなに傷ついてもいないような様子で、ヘイゼルはけらけらと笑う。

「いや、違う。勇者の蛹、魔道士の蛹、吟遊詩人の蛹……子供なら必ずどれかの才能は持っているだろ? それに学校では文字を学ぶところが多いし……」

「んー? 何それ。ていうか、がっこうってなに? あー、ふつうの人たちが行くとこな! はいはい」

 ヘイゼルは目を瞬かせた後、納得したように頷いて、頭を掻いた。

「言っとくけど、おれそんなもん通ってないよ。ていうか、こせき、とかいうやつもないんじゃねーかなあ。だから、正直、おれを突き出してもさばけないと思うんだよなー、だっておれ、生まれてねえことになってるしい」

「嘘だろ……」

 ザウストも、小さな声でそう零した。私たちはすべて、茫然としてしまった。生まれていないことになっている? どういうことだろう。この盗人の子供は今目の前にあって、名前もあるのに、世界にいない存在になっているのだろうか。

 巡礼者になる才能もなくて、いらないとすら言われた私の星の他の子供たちのことを、私は思い出した。歌がうまくないというだけでその子の価値はなかった。価値がないと言われて、彼らが泣いて苦しんでいたのを知っていた。私は少しだけ優越感を持っていたから、自分が大罪人だと言われて自棄になったのだ。ああ、あの子たちのところまで堕ちたのかと、あの子たちを馬鹿にしていた。

 でも、あの子たちは等しく歌を習った。戸籍だって当たり前にある。だから食べ物だって支給されるし、寝る場所だってある。愛し合えば契りを結んで、夫婦になって、生まれた子供に戸籍を与える。当たり前のことだ。当たり前のこと……のはずだった。

 なのに、この赤髪、銀目の男の子は、その当たり前がないという。アスモが哀れに思う、私ですら持っているものを持っていないという。それってどういうことだろう。私は、もう彼が泥棒だとかそんなこと、どうでもよくなってしまった。ひもじくて隣の子の食べ物をちょっと盗ったことなんて私だってある。そもそも私たちだって罪人じゃないか。どうして、この子を私たちが白い目で見る立場になんかあるだろう。ヘイゼルの言うとおりだ。

「……なんて書いてあるんだろうね。私も知りたいな」

 私はそこで初めて、ヘイゼルに笑いかけた。私の言葉に、アスモが小さく息を吐いて、観念したように笑った。

「仕方ないなあ。ほら、貸してよ」

「えー、読んでくれんの? あんたいいやつだな。あ、でも盗らないでよ?」

「泥棒から盗るものなんかないったら」

「たしかに!」

 ヘイゼルは靴から巻紙を取り出した。ヘイゼルが広げたそれを、アスモが覗き込む。そうしてアスモの口から零れたのは、お伽噺だった。私たちは、震撼した。


「むかしむかし

 女神さまはやっつの鏡を作りました

 やっつにした理由は、彼女が八番目の星だったからです

 彼女は十人兄弟の八番目でした

 彼女は母の愛を得られませんでした


 彼女は母さまの温もりが恋しくて

 温かな光が恋しくて

 色んな角度から母さまを眺められるように、八つの鏡を作ったのです


 けれど鏡に映る母さまも、九人の兄弟も、

 それはただの像でしかなかったので

 彼女に愛をくれませんでした


 彼女は寂しくて よく散歩に出かけました

 ある時、不思議な船が宇宙を走っていきました

 その船はとても愛らしく、女神はじいっと見つめていました

 するとその船は一つ、また一つ、と

 ぽろりと何かを零して落としていったのです

 それは不思議な部品でした

 船のあとを逆向きに歩いて、女神は八つの部品を見つけました

 それは、かつて女神のように生き物であったものだったのでした


 女神はその部品を組み立てて、彼らの元の姿を取り戻してあげました

 けれど彼らは自分が何者であったか、忘れてしまっていました

 女神はいいました

 『わたしたち、家族になりましょう』


 女神は八人の子供たちに、八枚の鏡を与えました

 そこが彼らの大地になるように

 わたしには役に立たなかった鏡だけれど、

 あなたたちにとって、大切なものになればいい――

 そう、願って


 ある時、一人の子供が、小さな鏡を作って女神に与えました。

 女神がくれた鏡を、女神に返してくれたのです。

 女神は泣きました

 別の子供は、その鏡を割りました

 割れた破片でまた別の子供が、女神の眼を潰してしまいました。

 何故なら女神はいつまでも母の姿に囚われ

 彼らのことを見ようとはしなかったからです

 子供たちにとってそれは

 女神にとって、とても不幸なことだと思えました


 女神は血の涙を流しながら、ありがとう、ありがとうといいました


 別の子供は彼らの罪を憎み

 別の子供は彼らの罪を悲しみ

 別の子供は彼らの罪を見なかったことにしました

 別の子供は、割れた破片を踏み、死んでしまいました


 そして最後の子供は、女神の目に刺さった破片を抜いて

 にやりと笑ったのです

 盲いた目はあなたに相応しいね、と言って

 女神はただ、破片を抜いてくれてありがとうと泣きました

 痛かったの、痛かったのと泣きました


 最後の子供は、女神を蔑んで言いました


『あなたが俺に助けを求めるのなら、

 そんな日が来るのなら、

 俺はいつでもあなたのしあわせを願います』


 けれど女神は、ありがとうと泣くだけで、

 彼に助けを求めませんでした

 彼は呆れたように首を振って、

 女神をばらばらに砕いてしまいました」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る