Episodi 38 青と洞
小さな少女に服の裾をつままれ、弱々しい力で引かれる。
ヘロは少女の歩幅に合わせてゆっくりと枝の上を歩いた。
枝と言ってもまるで木の幹のように太く、足場は概ね安定している。先端近くは時折風でわずかに上下や左右に揺れることもあったが、平衡を崩すほどの振動 ではなかった。子供達がぴょんぴょんと栗鼠のように枝々を駆けると、枝は微かに上下に揺れた。ヘロはふと、初めて子供部屋をあてがわれ、バネつきの寝台を 設えてもらった時のことを思い出した。どすん、と勢いよく体を預ければふわりとした微かな浮遊感が小さな細い体を包み込んだ。それがとても楽しくて、何度 も何度も寝台の上で飛び跳ね、母親に怒られた景色までが鮮明に思い起こされる。
先代吟遊詩人の口から漏れた母親の名前に、ヘロは些か混乱していた。
――『星の人達から裏切り者の親だと罵られて……恩を仇で返すってこのことね。』
ジャクリーヌの零した声が蘇る。ヘロは俯いて足元の剥げかけた木の皮を見つめた。ぼろぼろになった硬い樹皮のひび割れの向こう側で、木の肌がうっすらと 白を覗かせている――ヘロはそれを爪先でつついて、めくれた樹皮を元の場所へ貼り付けようとした。皮はぼろりと崩れ、粉となって眼下の水面に降り注ぐ。そ れをどこか呆然とした心地で眺めた。少女が小さな力でヘロを引く。ヘロは頭を振って再び歩き始めた。
ぱしゃり。
水の小さな飛沫がヘロ達の歩いていた枝にぶつかって、ヘロの足や服の裾をぬらした。ヘロが足を止めて頭上を仰ぐと、少女も釣られたように立ち止まってヘロの顔を見上げる。
ぱしゃり。
また、水が降ってくる。ヘロと同じ年頃と思われる少年たちが、桶に汲んだ水の雫を木の幹にぶつける様に降らせていた。
「あれ、何やってるの?」
ヘロが指差した方向を、少女も見つめる。少女は血色の悪い小さな唇を開いた。
「あれは、木にはりついてる貝たちに、水をかけてるんです」
少女はか細い声でそう答える。ヘロは視線を落として、水の降り注ぐ先――木の根元を見下ろした。
「なんでそんなことしてるの?」
「あの……その、貝の表面に、藻がついてて、それに水をあげてるんです……。湿らせておかないと、海に触れてない藻は乾いて死んじゃうから」
少女は俯いた。
「へえ……」
ヘロは腰をかがめて木の幹に張り付く貝の茂みを見つめた。その殻の表面に、木の根に絡まっていたものと同じ藻が寄生している。水を浴びた藻は光で照らさ れきらりと宝石のように輝いた。その側で、花弁の透き通った花が揺れている。ヘロはその花を指差して、少女を振り返った。
「ねえ、あの花はなんていう花?」
「えっ、あ、あの、山荷葉……よその星の雑草らしいです……その、普段は真っ白なお花なのだけど、水をかけたら透明になるから……木の幹に張り付いた貝に万辺なく水をかけた印になるからって、レプリタ様が、木に種を植えたの……」
「そっか。綺麗な花だね」
ヘロがそういうと、少女は目を泳がせながらぎこちなく笑った。どう反応したらいいのかわからなかったのかもしれない。
ヘロは膝に手をついて立ち上がった。
「どうして藻に水をあげるの?」
「そ、それは、藻はあたしたちの食べ物、だから……藻からとれる油が、栄養になるし、あと、肌につけたりするの。そうしないと、肌がかさかさになるから……」
そう言って、少女は自分の骨ほどに細い腕を空いた手で擦るように撫でた。ヘロは眉をひそめて、少しだけ目を伏せた。
かさり、と細い枝の先に茂った葉がこすれあう音が響く。はっとして顔を上げると、小枝が覆い隠していた幹の洞からヘロを覗く姿があった。生成りの頭巾でその殆どを隠された肌は皺が深く刻まれ、浅黒い。老婆はがらん洞のような暗い眼差しでヘロを見つめて、鼻を鳴らした。
「いつまで待たせるつもりだ? 勇者とやら。年寄りは気が短いんだ」
そう嗤って、枝から手を離す。小枝にぶら下がる透明な葉が幾重にも重なって樹洞の入り口を覆い隠した。影はその向こうでゆれて、闇に霞む。
ヘロはきゅっと口を引き結んで、枝を押し上げた。振り返ると、少女の小さな背中が遠ざかっていくのが見えた。ヘロは首を小さく振って息を吸うと、暗闇の中へ潜る。
視界を濁らせる深い闇。明るい場所からの変化に慣れず、ヘロはしばらく目を瞬き擦っていた。まつ毛がはらりと一本抜けて、頬の上に触れる。やがて暗闇に 目が慣れてくると、洞の奥でぼんやりと光る無数の青い数珠の列が見えた。それらはこの空洞を覆う天井の闇から幾筋も釣り下がっていて、まるで光の簾のよう だった。
「蝿だよ」
老婆――レプリタの声が洞の壁に跳ねて反響する。
ヘロは眉根を寄せた。
「蝿?」
「そう。蝿の一種だ。だがこいつらは暗闇の中でしか生きられない。日の光が当たれば最後、まもなく死んでしまう。私が、惑星ヘルメスの洞窟から連れてき た。この洞の灯りにしようと思ってね。あまりまじまじと見るものでもないよ。所詮、蝿だからね。見たって気持ちのいいものではない」
レプリタは頬に青白い光を照らして、口の端を吊り上げた。
「おいで。奥はもっと明るい」
そう言ってレプリタはヘロの手をとった。一瞬戸惑ったけれど、ヘロはそれに甘んじることにした。まだ目の慣れていないこの暗闇で、いたずらに歩くのは危 険だ。シクルを使って明かりを点す手もあったけれど、彼女がこの場所に魔法を一切施していないのだから、魔法が何か光る蝿に悪影響を与えるのかもしれな い。ヘロは空いた手でぎゅっとシクルを握り締めた。
レプリタの手はまるで羽のようにヘロに触れていた。ヘロはその手を見つめながら、そろそろと歩き続けた。レプリタの腕輪にぶら下げられた小さな鈴が、ちりん、ちりん、と清かに響いて道標となった。
恐らくは、たいした距離ではなかったはずだ。それでも、まるで果てない闇を歩いているような心地になった。やがて視界は青が滲むように開け、ヘロは目に じんとした痛みをもたらす光の帯を見上げた。まるで満天の星空のような景色だ。綺麗だ、とヘロは思った。ジゼルにこの景色を見せたら、どれだけ目を輝かせ るだろう……そう考えると、自然と笑みが零れた。
不意に、レプリタがそっと手を離した。ヘロはレプリタを見つめた。ヘロと変わらない背丈の老婆だ。腰が曲がってこれなのだから、若い頃は今のヘロよりも背が高かったに違いない。レプリタはぐすっと鼻を鳴らした。どうして彼女が泣いているのか、ヘロにはわからなかった。
「年を取ると、涙もろくなってな」
レプリタは、言い訳をするようにそう呟いた。
「どうして泣いたんですか?」
「女の涙の理由を問うものじゃないよ。不躾な子だね」
レプリタは棘のある声で言い放つ。レプリタが光の帳を見上げたので、ヘロも同じように頭上を仰いだ。
冷えた洞の中で、沈黙が静寂の糸を縫う。
「かつて、私に教えてくれた人がいたのだ。この蝿――土蛍とも言うがな、これが洞で粘液を出し、氷柱を作って暗闇を照らすと。その様はまるで夜空の銀河の ようだと。いつか二人で見ようと約束したが、彼とは同じ景色を見ることは叶わなんだ。だがあの子のことだから、そんな約束すらもう忘れていただろう。ある いはどうでもいいことだったのかもしれない。何せあの子は、いつでも口からでまかせばかり、その場しのぎのことばかりでごまかしていたからな。私だけがそ の思い出を後生大事に抱えて、こうして叶いもしなかった思い出に浸り、己の不幸を儚んでは枕を濡らしているのだ。哀れなものだろう?」
レプリタは自嘲するように笑った。
「座れ」
レプリタはヘロに大きな布を投げて寄越した。ヘロがそれを受け取って戸惑っている横で、レプリタは洞の壁にあるくぼみに布をかぶせ、その上にゆっくりと腰を下ろした。
「お前の真後ろに、座るにちょうどいいくぼみがあるだろう。そこに布を敷いて、お座り。この辺りは虫の死骸だらけだからね。尻の下に綺麗な布を敷くんだよ」
ヘロは頷いて、言われたとおりに広げた布の上に腰を下ろした。体重をかけた瞬間、何かが潰れて割れたような、ばり、という音が連なって聞こえた。
「お前が何の用があってこの星に来たのか、大方の想像はついているんだ」
レプリタは静かな声でそう言った。
青い光で明るいとはいえ、日の光の下よりも薄暗いことに変わりはない。ヘロにはレプリタの表情はよくわからなかった。淡々とした抑揚のないその声音で、彼女がどんな顔でヘロを眺めているのか、推し量ることしかできない。
「それは……あなたが、先代の巡礼者だからですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言える」
レプリタはそう言って、くぼみに深く座り直した。衣擦れの音に混じって、鈴の音が微かに聞こえる。
「私だからこそ知っているんだよ、お前に課せられた荷の意味を。……あの巡礼の旅人で今も尚生きながらえているのは私だけだ。早く死にたいと思っていた が、随分と長く生きてしまったものよ。だが恐らくは、お前にこの話をすることが、抜け殻の私に残された使命だったのだろう。いや、希望、とでも言うべき か」
レプリタはそう言って、深く息を吐いた。
「大方、お前に課せられた使命とやらは、アフロディテの竪琴と重複契約を成すこと、といったところかね」
ヘロは黙っていた。レプリタの眼差しは、暗闇に溶け込んでよく見えない。
「恐らくこの世界で知っているのは私だけだ……いや、あのゲルダもそうであったな。あれと私だけが知っている事実があるのだ。皇室の者でさえも知らないは ずの真実だ。ウラノスの地図は、もうこの世には存在しない。より正しく言うならば、既に神器としての役割を成さないただの紙切れと化している」
ヘロは息を止めて、視線を伏せた。
「あなたは……ゲルダをご存知なんですね。じゃあ、あの人の正体も知っているんですか」
「無論、あれが英雄の成れの果てだと知っているよ」
鈴がちりん、と音を立てる。
「……驚かないものだな。なんだ、大方の予想はついていたとでも言うのか」
「驚いていますよ。そう見えるのは、この場所の暗さのせいです。でも、正直安心しているんです。俺は、ジゼルが――」
ヘロはごくりと唾を飲み込んだ。
「ジゼルが、あれを探していたから。探さなくていいなら、もう、俺は――」
声が僅かに掠れて、言葉が詰まる。
「……お前は、魔道士を連れて逃げた勇者だったな」
レプリタは静かな声で呟いた。
「お前は、何のために逃げた」
「それは、」
ヘロは顔を上げた。
「ジゼルを、悪意の目から遠ざけたかったからです」
「ふん。守りたかった、とでも言うのか。ならばお前が今からやろうとしていることは、真逆だな」
レプリタは嗤った。
「……どういう意味ですか?」
「言ったとおりの意味だよ。お前、なぜ皇室の回し者と手を組んでいる? それがどういう意味か考えたこともなかったか」
――回し者?
ヘロは不意に息苦しさを覚えた。この老婆は、一体何を言っているのだろう。
「トラッド、と言ったか。あれがお前をここに寄越したのは、あわよくばお前と竪琴の縁を繋げんがため。吟遊詩人と勇者、二つの資格を得たお前の行く先は何だ? まさか、本当に己のためだけだと思ってはいまいな」
レプリタは鼻を鳴らした。
「咎人となったお前達は罰を受けねばならない。その罰の真の恐ろしさを知る子供が一人たりともいないことがこの世界の過ちだ。お前は可哀相な子供だ。英雄とはなんら関係のない子供であるにも拘らず、【地図の子】に引き寄せられたがためにこの世界から消えようとしている」
指先がじん、と冷えて、小さく震えた。口がうまく動かない。ヘロはぎこちなく口の端を持ち上げた。
「処刑されることは、想定済みです。今更……そりゃ、怖いけど」
「ならばなぜお前は逃げ続ける」
レプリタはヘロを睨み付けた。
「それはお前が、死にたくないからじゃないのか。認めろ。お前はあの【地図の子】の死が怖いのではない。お前の大切なものが一つ一つ消えていくことが恐ろ しいだけだ。お前はあの子とは違う……ヘンリエッタの叔父とは違うはずだ。またそうでなければ、お前の母親がお前を育てた意味がない」
「な――それは、今、関係ないでしょう」
声が震えた。
「魂まで……似通っていると言うのか」
レプリタが震える声で呟いて顔を覆った。その肩が震えているのが、暗がりの中でもなおわかる。
「お前まで失うのなら……私は一体、何のために生きたのだ……私は、もっと早くに死んでおけばよかった」
「そんなこと言わないでください」
ヘロは半ば噛み付くように言った。
「命を捨てた人の死が、どれだけ他の人の心を苛むか、あなたは知らないだろ」
声が震えた。体中を熱が駆け巡る。気がついたら、ヘロはもうぼろぼろと涙を零して泣いていた。レプリタは少しだけ落ち着きを取り戻したのか、やがて冷めた眼差しでヘロを眺めていた。
「お前は知っているとでもいうのか?」
レプリタは嗤う。
「ならば、なぜお前こそが、命を粗末にしようとする」
「俺は、粗末になんかしていない!」
「己の行く先を見据えず無鉄砲に旅を続ける者の旅の果てには、切り立った崖しかない」
レプリタは暗い声で言った。
「お前の優先順位の最たるがあの【地図の子】である以上、お前があれを捨て去ることはこの際考えまい。だがヘンリエッタの息子よ。お前があの娘の側にあり続ける以上、そしてこれ以上英雄らの遺した神器に関わり続けるならば、お前の末路は世界からの【消滅】だ」
「消、滅……?」
ヘロは膝の上で僅かに震えた手をきゅっと握り締めた。
「どういう、ことですか」
「あの【地図の子】の魂は女神そのものだろう」
レプリタは冷たく言い放つ。
「女神はこの世界から消し去らなければいけない。それがこの世界の掟だからだ。故にあの娘は【星籍】を奪われる。あの娘に手を貸し続けたお前もまた、同様だ」
レプリタは深く息を吐いて、目を伏せた。
「我々の額には、眼には見えない生まれ星の記号が記されているのだそうだ。神の記号が、な。それが【星籍】だ。【星籍】がある限り人は容を保ちこの連合星 にとどまり続けることができる。例え死しても体は残る。そこに【彼がいた】という証は遺される……遺されたものはその抜け殻を腕に抱いて、心に折り合いを つけるのだ。人の死というのはそういうものだ。そうでなければならない」
レプリタは顔を上げて、ヘロの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「だが【ガイアの筆】でその額をなぞられた者はその印が跡形なく消え、体は一片も残さず
「それを……俺とジゼルが、受けると言うことですか」
ヘロは視線を伏せた。
「レプリタ様は、どうしてジゼルを【地図の子】と呼ぶんですか?」
ヘロがぽつりと零した言葉に、レプリタが小さく息を止めたのがわかった。やがてレプリタは深く息を吐き出して、落ち着いた声で答えた。
「あの娘が、ウラノスの地図から生まれた子供だからだ」
レプリタは目を閉じた。
「あの娘は、ウラノスの地図に記されていた記号そのものだった。あの娘が人の姿を得て尚あの忌々しい六芒星を胸に抱き続けるのは、あの記号こそが、あの娘 の核だからだ。あの娘は我々真なる人間とは異なり、額に【星籍】を持たない。あの娘はこの連合星のどの場所にも居場所を持たない。ウラノスの地図に記され ていたから、あの娘はこの八つの星が浮かぶ
レプリタはそのまま黙ってしまった。
ヘロは、はは、と乾いた笑いを漏らした。
「じゃあ、ジゼルは……二回も、世界から消されるんですね。万有引力ってやつを。宇宙にすら存在させてもらえないんだ」
「何を、言っている?」
レプリタが訝しげな声を漏らした。けれどヘロは顔を上げることができなかった。
女神だから消さなきゃいけないってなんなんだ。女神に近づきすぎたから、消されるって何なんだよ。どうしてこの八つ星は、そんな風にできているんだ。
「そんな星なら……こっちから願い下げだ……」
ヘロは滲む視界の先を睨みつけながら、唸るように言った。
「そんなくそくらえな世界から消えられるなら、かえってせいせいするよ。でも、ジゼルは二回も消されるんだ。二回もここにいちゃいけないって否定されるんだ。そんな悲しいことってあるかよ。なんで、そんな、」
ぼろぼろと零れる涙を、止めることができない。嗚咽が漏れて、うまく息をするのも難しい。
レプリタはヘロが落ち着くまで口をつぐんでいた。ややあってその唇から零れた声は、僅かに凪いでいた。
「お前は、あの子と本当によく似ているんだな。これが、血という物なのだろうか」
「あの子って、誰ですか」
ヘロはかすれた声で言って、顔を上げた。レプリタは目を細める。
「ヘンリエッタの伯父……お前の祖母の、兄だ。私の……旅の仲間の一人だった」
ヘロはわずかに目を見開いた。
「じゃあ、俺の大伯父って人も、巡礼者だったんですか? そんな話は一度も聞いたことがありませんでしたけど」
「いや」
レプリタは緩やかに首を振った。
「彼は――ヘイゼルは、巡礼者ではなかった。だがお前と同じように、また私とも同じように、神器に選ばれた人間だったのだ。考えてみたことはないか? 神器は八つ存在すると言うのに、巡礼者はただ三人だけ……では他の神器は? この世界で何のためにあるのかと」
「そ、れは――」
「ふん、考えたこともなかったか。私もだよ」
レプリタは柔らかく目を細めた。
「この星々の子供達は皆、そのように育てられているのだ。何も気づかないように、何も見えないように、その
レプリタは目を閉じる。口で息をするその姿は、随分と疲弊しているように見えた。
「大丈夫、ですか」
「構うな」
レプリタは睫を震わせる。
「直に終わりを迎える体だ。まさかあの頃は、私が最後まで生きるとは夢にも思わなんだ」
レプリタは緩やかに瞼を開けた。
「巡礼者はかつて六人だった。それが、私達が私達の巡礼で辿りついた真実だ。ウラノスの地図は原始の時代からその在り処がわからなかった。ガイアの筆は、 話したように罪人の星籍を消すための道具として皇室に所蔵されていた。故に皇室は残り六つの神器に選ばれた子供たちを罪人として懺悔の旅を強いた……それ が【巡礼】の成り立ちだ。いつしかそれがただ三人となったのは、残りの三人――即ち、残り三つの神器に選ばれた子供たちがいずれかの時代で【星籍】を剥奪 されたからだ」
「え……?」
ヘロは小さな声を漏らした。
「星籍と、神器に何の関係があるというんですか?」
「神器に選ばれた子供は、その神器と密接な関わりを有している。言わば、神器と魂を共有しているのだ。神器はその魂の拠り所を、それが選んだ子供に求める。故に子供が星籍を消されれば、その子供と共にある神器の魂もまた同様に闇の洞へ引きずられ世界への足場をなくし、宇宙の塵となるのだ」
レプリタは息を深く吐いた。
「鏡の勇者、杖の魔道士、竪琴の吟遊詩人、それから縄の狩人、天秤の賢者、水瓶の巫覡。かつてはそれらの子供達が存在したのだとゲルダは言っていたな。や がて狩人の子供と、天秤の子供、水瓶の子供は罪を犯し、ガイアの筆によって星籍を消された。それと共に、三つの神器は意思を失い、以後子供たちを呼び寄せ たことはない。玻璃でできた道具であるが故に、また原始の具であるが故に、並々ならぬ力を未だ有してはいるようだが、な。さて、勇者ヘロよ。これでもまだ お前は、己の置かれた状況がわからぬか?」
レプリタは薄く笑った。
「お前達が星籍を剥奪されると言うことは、即ち神器が力を失うと言うことだ。お前たちの死を以って、この世界は女神の遺した深い傷跡を消し去ることができる。最小限の犠牲で、な。お前達は――お前は、利用されているんだよ」
ヘロは思わず手の中に閉じ込めていたシクルを見つめた。暗がりの中で、今は見えないその水色の中に潜む筆の一欠片。
「俺は……」
あとは、もう声にならなかった。俺は筆に選ばれている。ガイアが、だって笑ったんだ。『お前を選んだ』って、笑ったんだ。俺が消えるということは、もしも俺が竪琴すらも手に入れたなら、それはこの八つ星でようやく全ての神器が葬り去られる、ということなのだ。
「ヘロ」
レプリタの声に、はっと我に帰る。
レプリタは、悲しげな眼差しを浮かべていた。
「私はお前と同じように神器に選ばれ七十年余りの月日を生きてきたが、とても、とても無駄な時を過ごしてきたと思っているんだよ。私には、お前を救う術が ない。ヘイゼルと同じ血をもつお前を、ヘイゼルが守ったお前の未来を、私はこの手で繋ぎ止めることができないのだ。なんと無駄な生き様だろうか。だが…… だが、私はお前に聞いてほしいのだ。お前だけには、私が守ってきたこの記憶を、……誰にも話せなかったこの思い出を、吐き出せるような気がするのだ。死に 行く定めにあるお前に塵を吐き捨てて、惨いと思うか? だが私は、お前に話さないではいられないのだ。お前に――ヘイゼルと同じ、道を、歩んでほしく な……」
レプリタは、喉を詰まらせたように嗚咽を漏らした。彼女が泣いているのに気がついたのは、土蛍の青い光が一瞬だけ、彼女の頬に煌きを与えたからだ。
「ヘイゼルと、アスモの様な道を、歩んでほしくない……どうしたらよいのかはわからない、わからないのだ……だが、どうか、私のような……私と、ザウスが食んできた想いを、他の誰かに味わせてほしくない」
レプリタは肩を苦しげに揺らした。ヘロは思わず立ち上がって、レプリタの手を取り、地に膝を突いた。膝頭が何かをばり、と音を立てて踏み潰す。
「聞いて、くれ」
「聞きますよ」
ヘロは澄んだ眼差しで頷いた。
「あなたは知らないでしょう、レプリタ様。俺はね、悲しい記憶ならもう今でも沢山抱えてるんですよ。あと一つ二つ増えたって、見捨てたりしません。そんなこと、俺にはできない」
レプリタの白く濁りかけた黒の瞳が、揺れてヘロの姿を閉じ込める。
やがてレプリタは、堰を切ったようにわっと泣き出した。
まるで子供のように、わんわんと声を上げて泣いた。
心の行き場をなくした子供のように。
悲しみに潰されただ蹲って泣き続ける、少女のように。
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