第四章 惑星アフロディテ

Episodi 34 車輪と鏡

 八つの惑星を繋ぐ鎖。蛇の道と呼ばれるその線路の軌条でくるくると回り続ける車輪。車輪に支えられた列車の体部を為す箱は、洞窟をそのまま持ってきたかのような灰銀の岩肌を有している。注視して覗けば、それは岩石そのものではなく、数珠玉ビーズに糸を通して飾りを編み上げるように灰銀の石粒を魔術の糸で貫いて箱の天井や壁、床を全て複雑に層を為して繋ぎとめているのだった。車内には群青色に染めた天鵞絨ベルベットの長椅子が向かい合わせで並んでいる。向かい合わせの椅子の間に掛かる格子窓は硝子のように透き通り、宇宙の景色にヘロやジゼルの姿を馴染ませた。

「これ……、鏡面魔術なんだよ。初めて見た……すごいなあ……すごいなあ……」

 ジゼルが窓に触れそうなほどに目を近づけて呟いている。魔術のことは殆どよくわからないヘロは、首を傾げて窓に映るジゼルを覗き見た。

「どういう事?」

「面の歪みが無いように魔導文字……魔方陣を描く時に使う象形文字がぎっしりと糸鋸地図ジグソーパズルのように組み合わされているんだよ。とても小さくて細かいから、人の眼では一つの曇りない鏡に見えるの。鏡面魔術はもし描くことができれば何十年も何百年も効果が残るとても強くて丈夫な魔法でね、多分、この列車が宇宙で形をいつまでも保てるように施されている保持魔法なのだと思うけど……本当に、これができる人は何百年に一人もいないって言われているくらい、難しい術式なんだよ。理論だけは分かっても、実際には陣を描く大地にも歪みがあるし、空気だって揺れるし、こんなに歪み無く文字を敷き詰められるのは不可能とまで言われてるのに……本当に、あったんだ……」

 ジゼルはそう言ってきょろきょろと天井や壁を僅かに輝く目で見つめた。

「あのね、この天井や壁も鏡面魔術の亜種で……これは朱子織魔術って言ってね、窓の鏡面魔術と違って別の物質を敷き詰めて均一な平面を作るために魔法陣を糸の形で具現化して編みこんでいるんだよ。それで、この石の粒の密度を上げて多分この車体をあえて重くしてるんだって……それでね、実はこの床にも仕掛けがあって――」

 ジゼルは星屑が瞬くような眼差しでヘロを振り返った。ヘロはそれをぼんやりと眺めていた。途端にジゼルの顔が桜色に染まって、目を伏せた。けぶるような檸檬色の睫毛が揺れる。

「どうしたの?」

「う、ううん……なんか、あの、わたしばかり喋って……」

「いいよ、別に。俺あんまり魔術の仕組みは知らないんだよな」

『ヘロは頭脳派と言うより肉体派だからの』

「へーへー」

 メルディの軽口におざなりに相槌を打ちながら、ヘロは床に敷かれた灰色の絨毯を靴の爪先で撫でた。

「で? 床がなんだって?」

 ヘロの言葉に、ジゼルはまたぱっと顔を輝かせた。勢いよくあげられた顔の上で、さらさらとした前髪が羽毛のようにぱっと広がった。ヘロは苦笑しながら穏やかな気持ちでジゼルを見つめた。

「あ……うん、あのね、針刺魔術って言って、これね、表が針鼠の毛みたいに魔導文字を一列に並べて作った細かい針を沢山突き出しているの。床に見えてるのはその針刺魔法の陣の裏面なの。それでね、表の針が蛇の道の線路に刺さって、線路とこの列車を繋ぎとめて線路にこの石でできた列車の重みを被せているんだよ。そうするとね、普通宇宙では重い物同士が押し付け合う力が働きにくいから摩擦がなくて、車輪がうまく回らないんだけど、こうやってつなぎとめることで線路と車輪の間に摩擦が働いて、車輪が動くようになるんだって。あとね、この車輪が……さっき見て気づいたんだけど、氷でできているの! 水の中に魔導文字を溶かしこんで氷にしているんだけど、蛇の道の線路って銀河の星屑を集めて、さっきの朱子織魔術の亜種である平織魔術っていう糸で星屑を編んで作ってあるらしいんだけどね、星ってそもそもが燃えているから光っているんだって。だから温度が高くて、魔法で凍らせた車輪を滑らせると溶けて滑るんだよ。それで車輪が回って進むんだって。あのね、この列車は全部精巧な魔法の組み合わせで成り立ってるんだよ! それで、この線路は昔八人の英雄が作ったんだって。その時代から少しずつ修理はしたけれど殆ど原形をとどめているんだって」

「ふうん……壁が石粒を編んでるみたいだなって言うのは、魔方陣の繊維が若干見えたから分かったけどさ……全部そうなってるんだな。知らなかった」

 ヘロはまじまじと車内を見渡す。

「それにしても、ジゼル、ちゃんと勉強してんだな」

「あ、当たり前だよ……」

 ジゼルは肩をすくめた。

「わたしは成績は悪かったけれど、ちゃんと皆に追いつけるように勉強は頑張っていたんだよ。でも……結果につながらなかったんだけど……」

「お前の使う魔法って、理論とかなんか滅茶苦茶だもんな」

 ヘロは笑った。

「でも……一応、ほら、お前って……その、」

 ヘロは瞳を揺らした。ジゼルが不思議そうに首を傾ける。ヘロは一度目蓋を閉じてごくりとつばを飲み込むと、もう一度ジゼルを優しい眼差しで見つめた。

「あのさ、ほら、お前って、結局女神じゃんか。なのにそういう魔術の種類とかさ、組合せにすごく目を輝かせててさ、なんか無邪気な子供みたいだなって……気分悪くさせたら、ごめん。他意はないんだ。ただ、純粋に、なんかその、微笑ましいってかさ」

『同年代の子供に言う言葉ではないの。そなたも子供であるのに』

 メルディが歌う様に言う。

「うっせえ」

 ヘロは肩をすくめた。ジゼルは寂しさをくすませた笑顔で口を緩めた。

「うん……あのね、女神は――星は、そもそもそんな風に術式だとか組み合わせだとか考えなくても魔法が使えるんだよ」

 ジゼルは口角を釣り上げたまま、床に視線を移して彷徨わせた。左の足をぷらぷらと揺らす。

「それをね、まるで線維みたいだねって言ったのが……ウラノス、だったんだ。なんかね、昔――別の星の人間だった頃、紙を作る仕事をしていたんだって。わたしは……女神だった頃のわたしは、八人の子供たちに魔法を与えたの。魔法の素を、使っていいよって渡したの。だけど八人の子供たちは与えられたそれを目の前にして、途方に暮れたようにただ見つめるばかりだった。わたしはそれを当たり前に使っていたけれど、皆にはどう使えばいいかわからなかったの。でもわたしもどう使えばいいのか教えてあげることができなかった。わたしはその仕組みをよくわからずに使っていたの。使い方を習わずとも知ってたの」

 ジゼルはそう言って顔をあげた。

「なんかね、段々思い出してきてるんだ」

 くしゃり、と顔を崩す。

「それでね、」

「うん」

 ジゼルが虚ろに笑いながらまた床を見たのを認めて、ヘロはそっとジゼルの手を握ると、ジゼルの隣に腰を下ろした。二人で隣り合わせに長椅子に座って、誰もいない向かいの椅子の背をぼんやりと見つめた。顔を合わせていない方が話しやすいこともある。――聞くのが辛くないことだって。

「八人の子供たちは、わたしがあげた魔力の塊をほぐして、それが何かを調べ始めたの。その中から法則性を見つけて、人間だった頃の自分の頭でもわかる様に、理論を組み立てようとした。主にそれをやってたのはガイアと、ウラノスと、ヘルメス、プルートだったなあ。あとの子たちは難しい話はよくわからないって言って、投げてたなあ」

 ジゼルは、ふふ、とどこか懐かしむように笑った。

「そしたらね、ふとウラノスが『なんだかこの作業って、紙を作るのに似てる』って言いだしたの。植物を叩いて潰して、線維を取って、その線維をまた組み合わせて薄い紙を――使いやすいように作るんだって。そうしたらね、ガイアが『ああそれだ!』ってすごく大きな声で叫んだんだよ。あれはおっかしかったなあ。そしたらアフロディテが、『機織りに似てるのね。じゃあ、それを糸にして、私たちにわかるように編み直してくれない?』って言ってね。それからガイアとウラノスとヘルメスが、人間が糸を織るように、編むように、人間の生活になぞらえて魔術を組み立てたの。そうして、ただ心の赴くままにしか魔法を使ったことの無かったわたしは――女神は、魔法ってこんな風にも使えるんだなあ、すごいなあって、あの子たちに憧れたんだよ」

 ジゼルはそう言って深く息を吐いた。声は途中で息を詰まらせるように途切れ、掠れた。ジゼルは空いた方の手で自分の喉を撫でる。

「そういうの、なんだか思い出しちゃって……変だなあ。この列車に乗るまでね、さっきヘロに話したことは学校で習っただけの知識だったんだよ。なのに……話しているうちに、そんなことまで思い出して……なんだか……どんどん、興奮しちゃって……」

「うん」

 ヘロはただ凪いだ声で応えた。

「うん」

 そっとジゼルの指を掴む手に力を込めた。ジゼルの手は温かくて、ヘロの指は冷えていた。ヘロは血色の悪い自分の爪を見つめながら、ため息をつかないように静かに呼吸を繰り返していた。

「俺ね、」

「うん」

「マルスに降りた時も、サタンに来た時も、あんた達の夢を見てたよ」

「え?」

 ジゼルが戸惑うように呟いてヘロの横顔を見つめる。

「なんでかはわからないんだけどさ……」

 ヘロは俯いて、へら、と笑った。わからないなんて嘘だ。ヘロは殆ど確信に近い思いを抱いていた。宇宙に微睡んで見るあの夢は、きっと世界の裏側でヘロを監視するガイアの仕業だ。踊らされていると思う。あんな凄惨な記憶の欠片から何を読み取れと言うんだ。何を学びとれと……俺から言わせたら、気持ち悪いとしか、言いようがない。哀しいとしか、言えない。他にあの記憶を見た自分の心を表す言葉を知らない。

「八英雄の死に至る記憶を、俺、見たんだ。最初は俺の空想なのかとも思った。ただの夢かとも思った。でも、なんだか……これは本当にあったことなんじゃないかって、本当に彼らが感じた苦しい記憶だったんじゃないかなって思うんだ」

「あの……」

 ジゼルがどこか無機質な声で呟いた。

「ヘロは、ウラノスの記憶も、見たの……?」

 ヘロは思わずジゼルの宝石のような紫の瞳を覗き込んだ。ジゼルの眼は曇りなく、ヘロの答えを期待しているように頬を桜色に染めていた。それがまるで本能的な熱に思えて、ヘロは心臓を押しつぶされるような心地がした。

「いや……俺が見たのは、サタンと、ガイアだけ」

「そう……」

 ジゼルはほっとしたように笑った。きっとジゼル本人にも、自分の気持ちがよくわかっていないのだろうと思う。理性の無いその熱はヘロにとっては【嘘】だった。それでも、ウラノスのことなんか忘れてほしいと思うのは自分の我儘だろうか。どうしてそんな風に、俺はジゼルをまるで自分の物みたいに勘違いしているんだろう。ジャクリーヌと別れたのはジゼルのせいじゃない。けれど、俺はまだ、ジゼルの想いに応えられていない。応える前に、ジゼルが離れていってしまったら、どうしよう。自分の中でのたうつどうしようもない泥のような想いから抜け出したくて、ヘロは首を振ると、俯かせていた頭を上げた。

「あのさ、ジゼルがそうやって、女神だった頃の記憶を取り戻していっているのは……蛇の道を歩いているからかな? 宇宙に足を踏み入れたからかな」

 ヘロはジゼルの眼をまっすぐに見つめた。くしゃ、と顔を歪ませて笑う。

「関係のない俺でさえ、英雄の記憶を見るくらいだからさ、ジゼルも、同じ状態なのかなって」

「わ、から、ない……」

 ジゼルは震える声で零した。瞳は微かに揺れて、けれどヘロから逸らされず、ヘロをその紫色に映しこんでいた。

「どうして、そんなことを聞くの?」

「うん……」

 ヘロは目を逸らして前髪を手慰んだ。

「なんだろう……もしこうやって、星と星の間を行き来することでジゼルが女神の記憶をどんどん取り戻して、女神に近づいてしまうなら……それはいいことなのか、よくないのか、俺にもわからなくて」

「ごめんね」

 ジゼルは震える声で言った。

「わたしのせいで、ヘロが巻き込まれてるのに」

 ヘロはしぱしぱと瞬きを繰り返した。

「……は? いや、ちげえっつうの。そういうことじゃないよ。でも、俺にもよくわからないんだけど」

 はあ、と息を吐いて、ヘロは背もたれに背を預けた。

「自分でもよくわからないんだけどさ、なんかこう、おもしろくないんだよな」

「ご、ごめんね? つまらなかったよね……話も長かったし……」

「違うってば……」

 ヘロは目元を押さえた。心臓がどくどくと急くように鼓動を早めた。どうしたんだろう、俺。喜んでいるんだろうか。あまりにも素っ頓狂なことを言って慌てるジゼルに、安心するのに、心臓が煩いんだ。

「あーっ!」

 ヘロはがばっと体を起こして叫んだ。ジゼルが目を栗鼠のようにぱちくりと見開いたまま、びくりと肩を揺らす。

「なんか、ジゼルが女神だった頃のことなんて、俺知らねえし、話だけ聞いても想像するくらいしかできないし、なんか女神とジゼルは別人だって思いたいし、でもなんかやっぱり別人じゃないよなって思うしさ! ああもうわけわかんねえ! この話は終わり! 俺の問題! ジゼルは気にする必要なし!」

「えっ、えっ?」

 ジゼルが目を白黒させる。

『ふむ。嫉妬と言うやつかな?』

「は? なんだそれ」

 メルディのぼそりと漏らした言葉に眉を潜めていると、列車の最端に備え付けられた氷室から帰ってきたアンゼルモの呆れたような冷えた声が降ってきた。

「な~に手なんか繋いじゃっていちゃついてんの? よそでやってくれる~」

 アンゼルモは深く息を吐いて、ヘロ達の向かいの椅子に氷室から持ってきた食料をどさりと放り投げると自分もぐったりとして腰を下ろした。ヘロは慌ててジゼルから手を離した。ジゼルの頬も心なしか赤い。ヘロは目を逸らすように口元を手で覆いながら椅子と椅子の間の通路を意味もなく凝視した。

「まったく~。女の子を一人にするのもなんだしと思っておいら一人で取りに行ってやったのにさあ、あのさぁ、わかってんの? これ、おいらとお前達の食糧だかんね? こんなことならヘロにも手伝ってもらえばよかったよね~、おいらの労力が惜しいわ~」

「わ、悪かったって。ありがとう!」

「よろしい」

 ヘロが照れをかなぐり捨てるように叫んだ一言に、アンゼルモは物々しく頷いた。

「でさ、魚の酢漬けあったんだけど、食べる? あと飲み物は何がいいかわからなかったからとりあえずお茶持ってきた。あと林檎の絞り汁」

「紅茶じゃないだろうな」

 ヘロが眉を潜めると、アンゼルモは吹きだした。

「え? 何? 紅茶がよかったん?」

「もう飽きた」

 ヘロの言葉にくすくすと笑いながら、アンゼルモは千切った堅焼きフェト(パン)をヘロとジゼルに寄越した。後は三人で黙々と缶詰の中身――酢漬けの魚を挟んで噛み締めた。

「ていうかさあ、ジゼル、さっきなんかすごく興奮してたんな? 三つ隣の車両にまで声が聞こえてたよ」

「えっ」

 アンゼルモの何気ない一言にジゼルの顔がさっと青ざめる。

「大丈夫大丈夫。おいらたち以外人いないっぽいし」

 アンゼルモはにっと白い歯を見せて笑った。

「基本的に、この列車は今人の出入りが制限されてるから客が乗ってないんよな。おいら達も、トラッドさんからもらった特別性の切符があるから乗っていられてるだけでさ」

 そう言いながらアンゼルモは鍵の形をした平べったい銀色の厚紙――切符、を指で手慰んだ。

「ずっと思ってたんだけどさ、切符って何でそんな形してんだ?」

「え? ああ……多分、降りるとき扉を開けるからじゃない? ていうか、乗る時もこれで扉開けたでしょ」

 アンゼルモは頬杖をついた。ヘロは首を傾げる。

「そうだっけ?」

「ああ……そっか見てないか……うーん、まだ駅についてないから多分鍵穴がないんよね。駅に着いたら声かけるわ。なんかさ、この辺の壁に、こう、この切符を翳すとどこかに鍵穴が浮かび上がるんよ。そこにこの切符を差し込んで、ぐいって回すとこの壁が消えて外に出られるってわけ。入った時もそうだったんだけどなあ。ああ、でも二人ともどっちかって言うと駅の内部に気を取られてたもんな……まあ、気持ちは分かるけどね、おいら達も初めて乗った時はそうだったし。めちゃくちゃはしゃいだよなあ、あの頃は……今じゃ感激もなくなっちゃたけどさ。人間って怖いね」

 アンゼルモは苦笑した。ヘロは眉を潜めた。

「え……この窓も壁も魔法を敷き詰めてるんじゃなかったっけ? そんな、鍵を開けるだけでそれが消えるのか? どういう事だよ」

「あ、あのね、あのね、鍵が多分魔力の開閉器になってるんだと思うの! 鍵を開けると魔導文字の密度が変化して、空気と同じ密度になるんだよ。そうすると人の体が通れるようになるんだけど、その反作用で壁や窓が見えなくなるんだよ。でも密度が変わっただけで本当はそこに在ってね、」

 ジゼルが水を得た魚のように再び顔を輝かせる。アンゼルモは肩をすくめた。

「ジゼルってすごいなー……おいらそういう詳しいことは聞いてもよくわかんないや……」

「まあ、俺もジゼル程には詳しくは分からないけど……少しは理解できる部分もあるだろ? 基本的なことは学校で習うんだし」

 ヘロは噛んで柔らかくなったフェト(パン)をごくりと飲み下した。

「それはヘロの生まれ育った星の話だろ?」

 アンゼルモは眉根を歪めて口の端を釣り上げた。

「おいらは何一つ、お前達の受けたようなまともな教育は受けてないよ」

 その暗い声に、ヘロは瞳を揺らして項垂れた。

「ごめ、ん……」

「いや、別にお前を責めてるわけじゃないんよ」

 アンゼルモは哀しげな声で言った。

「おいら達は……よその星へ逃げ延びて初めて、おいら達のいた星がどれだけ異質だったか知ったんよ」

「それは……あんたとは少し違うかもしれないけど、俺だってそうだよ」

 ヘロは顔をあげた。アンゼルモの仔馬のような黒い円らな瞳と視線がかち合う。

「でも俺は、どちらかというと、この連合星自体が変なんじゃないかって最近は思ってる」

「ふうん」

 アンゼルモはフェトパンの欠片で缶詰の内壁を撫でた。

「なんでそう思ったのかは聞かないでおくけどね……」

 アンゼルモの言葉にヘロは怪訝な顔で眉根を寄せる。

「なんで?」

 アンゼルモは口の端を歪めた。

「言っとくけど、おいらはピオネのために、これからの生活のために、この仕事を引き受けただけなんよ。おいらは罪人呼ばわりされているお前達に深く関わるつもりはないし、またその必要もないと思ってる。おいら個人はお前達と友達になりたいよ。でもな、おいらは、ピオネと子供を守っていかなきゃいけないからさ。たとえ変だとしても、その変な星で生きてくしかないじゃんか」

「そっか……そうだよな」

 ヘロは静かに呟いて、ぱさつくフェト(パン)を噛みしめた。アンゼルモは缶詰をカラン、と音を立てて食台に転がし、深く息を吐いた。

「でもな、ヘロ。おいらはな、たとえ罪人呼ばわりされても、それでも悲観しないお前のそう言うところ、嫌いじゃないし、うん……どっちかっていうと、むしろ憧れてるかもしんないや」

 アンゼルモはへへ、と頬を掻いて笑った。ヘロは黙ったままアンゼルモの眼を見つめる。黒曜石のような瞳は、心許なく揺れた。

「おいらね、ちょっと怖いんよ。あの星に帰ることが。まあもう仕方ないんだけどさ、今更ぐちゃぐちゃ言ったって……引き受けたのは誰に言われたわけでもない、おいらなんだからさ」

 ヘロは唇をきゅっと噛んだ。ジゼルは黙って二人を見つめている。アンゼルモはジゼルとヘロの両方を交互に見て、くしゃりと笑って俯いた。

「おいらの……捨てた星だからさ……ちゃんとお別れをしないで、逃げるように出て言った星、だから」

 アンゼルモはそれきり黙ってしまった。三人は半透明の窓の外にうっすらと見える瞬く暗闇を見つめていた。やがて誰からともなく眠りについた。ヘロはまた、夢を見ていた。今度の夢は、特に心が苦しい。それがゴーシェの前世の夢だったからかもしれない。顔が分からないと言って焦点の合わない目でヘロを眺めるゴーシェの顔しかもう思い出せない。ゴーシェはあれでよかったと笑うかもしれないけれど、もう自分の中で心の整理を付けたかもしれないけれど、まだヘロには割り切れないのだった。それでも、あの凛とした気の強い眼差しを、取り戻せない皮肉めいた笑顔を、懐かしいと泣きたくなるのはヘロの勝手な都合なのかもしれなかった。ヘロは夢でへらへらと笑い続けるヘルメスをなじりたくなった。そんな顔で笑うなよと、馬鹿、と叫びたかった。もう、そんな顔で笑わないでよと。ヘルメスの笑顔は、もう魔法は使えないなと笑ったゴーシェの笑顔に、そっくりだった。馬鹿、馬鹿やろう。ヘロは心の中で何度も呟いて、夢の中で泣いていた。


 馬鹿。馬鹿。この、馬鹿やろう。



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