WEB『小説』
「あ。ああ。塩、山」
塩山は笑顔だ。ただ……笑顔なんだ。笑顔のまま、僕を見ていた。気持の悪いくらいに、笑顔で。
そして、僕は見てしまった。
その笑顔が、ゆっくりと。憎悪に歪んでいくのを。
「悪魔め、まだ佐藤くんの体を乗っ取っているのね。許さない」
「やめろ、僕は佐藤優だ。お前の知ってる僕はただのフリだ。仮面なんだ! 本当は、お前なんて好きでもないし、優しくなんかした覚えも無い!! ただ、利用できそうだから愛想を振りまいていただけだ!」
「佐藤くんの口で、そんなウソを平然と……許さない。優しい佐藤くんを返して、私だけの佐藤くんを、返してよ!」
わけの解らないことを言いながら、塩山は僕の首を両手で締め付けてきた。
「ぐ……ぁ」
「佐藤くんはいつも私だけを見ていた。私だけに優しくしてくれた。私だけを愛してくれていた。私だけを! 私だけを!」
「し、しおやま……やめ、て。愛し、てる。お前だけ、を愛、して、る」
「佐藤くん! 元に戻ってくれたのね! よかった……」
「だから、いい加減に離せ!!」
そう叫んで、塩山を突き飛ばした。
「あ」
ここは階段の踊り場。後にあるのは、階段。
一瞬で塩山は僕の目の前から消えた。そして、勢いよく転がり落ちる音が階下から聞こえてくる。
「塩山!?」
おそるおそる階段の下を覗き込むと……。
塩山は大きく目を見開いて、額から血を流していた。
まさか。死んだのか?
そんな。とにかく……確かめないと。
おそるおそる階段を下りて、塩山の元へ向う。
「塩山? おい、大丈夫、か?」
仰向けになった塩山の体を人差し指でつついてみるが、ピクリとも動かない。
……死んだ。
塩山、死んだ。死んじゃった。
「は……ははははは。階段から落ちて死んだ。これなら、事故死を装えるじゃないか! いい所で死んでくれたよ! 塩山ぁ!!」
これで、怖い物はもう無い。
これで、平和な日々が戻ってくる!
これ――。
「さと、う、く、ん」
「ひあ!?」
足元で、声がした。
だめだ。見ちゃいけない。見たら、僕は……。
「さ……と、く、ん」
廊下を何かが、這っている。
「さ、と、うく、ん」
恐ろしく遅いスピードで、何かが。
足首に何かがからみついた。
それが、足首から太ももへ。太ももから胴体へ。胴体から、肩へ。
そして。
「さ……と、く、ん」
目が合った。
「し、塩山。生きて、たのか」
塩山は、僕に体重を預けてきた。
僕の後ろには、階段がある。
「一緒に」
「やめろ」
「いっしょ、に」
「やめろおおおおおおおおおおおお」
景色が回転する。
それと同時に、全身に今まで感じたことのない衝撃と痛み。
痛い。痛い。痛い。痛いよ。
助けてよ、お母さん。
助けて、怜奈。
転がりながら、僕は必死に願った。
そして、回転が止まった時。
何かが僕の上に覆いかぶさって。こう言った。
「佐藤くん、大好き」
僕の意識はそこで終わりを迎えた。』
そこまで書き終えたところで、私は一度文章を上書き保存した。パソコンを前に大きな溜め息をついて、最初から見直してみる。
主人公、佐藤優は転校して隣の席の少女、塩山優衣子に出会う。
そして塩山は優の『フリ』を純粋な好意として受け止めてしまう。
それが、物語の始まり。そしてそれが、そもそもの原因。
しかし、この結末でよかったのか……疑問は残る。それでも、伝えたいことはちゃんと詰め込んだはず。
後はこれを、あの人に見せるだけ。
『僕だ。来てやったぞ』
ノックの後、私の部屋にあの人がやってきた。学習机に向っていた私はイスを立つと、ドアを開けて招き入れる。
「まったく、何の用だ。もうすぐ女が遊びにくるんだぞ。さっさとしろ」
「ごめんなさい、お兄ちゃん。すぐに終わるから。あれを、読んで欲しいの」
私は兄に学習机の上にあるノートパソコンを指差した。そこには、今しがた執筆を終えた小説が映し出されている。
「WEB小説? ふ~ん。お前もヒマだね。そんなヒマがるなら、彼氏の1人でも作ったらどうだ? お前ももう、高2なんだし」
「いいの。……もう恋愛はしないって決めたから」
「あ、そ。ま、お前の人生とかどうでもいいけど。とりあえず、読んでやるとするか。ありがたく思えよ、怜奈」
「うん」
兄は私の学習机の前に立つと、イスに腰掛けた。
しばらく画面を見ていた兄だったが、マウスを握る手が震え始め、額にはみるみると大粒の汗が噴き出ていた。
「趣味が悪いな。僕が主役の小説で、僕が……殺されるなんて」
顔からは血の気が失せ、明らかに動揺した様子だ。
……やっぱり。
「しかも、何で、何で塩山が、真田が、木村までが出てきてるんだ!? お前……これは一体どういうつもりだ!?」
兄は立ち上がり、イスを蹴飛ばすと、私の手首を思い切り捻り上げた。
「痛い、やめて、お兄ちゃん!」
「いいか。今すぐにこの小説を消せ。でないと……解るな?」
兄は唇の端を歪ませて笑った。
……それが指し示すのは、『お仕置き』。とてもとても痛いお仕置きをするという、脅し。
もう17年も兄妹をやっているのだから、それだけで伝わってしまう。
「わかった。削除する……」
「今すぐだ。僕の目の前で、完全に削除しろ」
兄が鋭い視線で私のパソコンを見ていた。私は指示通りゴミ箱に入れ、さらにそれを空にして完全に削除する。
「これで、いいだろう。まったく、趣味の悪い奴……」
その時、兄の携帯が鳴った。
「もしもし?」
『もしもし、優くん? 萌香だけど』
「ああ、萌香。今どこだ?」
『お家の近く~』
「そうか。待ってろよ、今迎えにいくからな」
萌香。それが『今日の』兄の女の名前らしい。
「いいか。怜奈。お茶の用意をしておけ」
「うん……」
そう返事すると、兄はさっさと私の部屋を出て行った。
それから数分して、兄と女が家にやってくる。
私も部屋を出て、兄に言われたとおりお茶を用意し、2人が楽しくおしゃべりしている間キッチンでずっと待機した。
やがて兄がやってくると、私の用意したお茶を持ってリビングに戻る。
始まる。いつものあれが。
私はそっとリビングの様子をドアの隙間から窺ってみた。
テーブルで2人は楽しそうにおしゃべりしている。学校の話とか、映画や音楽の話で大いに盛り上がっていた。
そこで兄は女に見えないように、こっそりと何かを紅茶に入れる。
「さあ、飲んで。高級茶葉を使ってるんだ、この紅茶。おいしいよ?」
「本当だ! すっごくおいしい! 優くんって、本当なんでもできるよね~」
「はははは、まあね」
紅茶を下品に一気に飲み干す女。
兄はその様子に満足なのか、微笑んでいる。
しかし、女は急に気を失ってその場に倒れた。
「おい、萌香? 萌香? 大丈夫か!?」
心配そうに女の体を揺する兄。しばらく女を心配そうに覗き込んでいたが、急に唇を歪ませ下品に舌なめずりをした。
「へへへへ。バカな奴だ。それじゃあ、今日もいただきますか」
女の体にまたがり、衣服を剥ぎ取ろうとしたところで、私は踏み込んだ。
「お兄ちゃん」
「何だ、お前」
兄が私を見る。明らかに邪魔だといわんばかりに、眉を寄せて睨み付けて来た。
「もうそれ、やめたら? 女の子に睡眠薬を入れた紅茶を飲ませて、襲うの」
「僕に意見するのか? お前如きが」
兄は、いつもこの手で女の子をその毒牙にかけてきた。女の子が警察に訴えないように、写真を撮って、脅して……私はその行為をずっと黙って、横で見るしかなかった。
「愛美ちゃんも、こうやって襲ったの?」
「何?」
「塩山さんも……4年前のことは、やっぱりお兄ちゃんが……」
「お前、何を言ってるんだ。真田愛美は自殺。塩山優衣子は行方不明。木村は交通事故。どれも事件性は無い。僕は、無関係だ」
「ウソ」
4年前。私の一番の友達だった真田愛美ちゃんは、お兄ちゃんに一目惚れした。愛美ちゃんは、ある日お兄ちゃんに告白して……その翌日、学校の屋上から飛び降りた。
警察は遺書が残されていたことから、自殺と判定。まともな捜査はされなかった。
「愛美ちゃんは、自殺するような子じゃなかった。いつも明るくて、笑顔のかわいい子だった」
「人間なんて、心の中じゃ何考えてるのか解らないもんさ」
「そうだね。お兄ちゃんを見れば、よく解るよ」
「何だと?」
「塩山さんだって、部活に打ち込む真っ直ぐで純粋な人だった。ある日突然、家出したりなんか……」
愛美ちゃんが自殺してからすぐ、部活の先輩だった塩山さんが行方をくらました。4年経った今でもまだ目撃情報は無い。
「あいつは、根暗で何を考えてるのか解らない奴だったからな。けどま、そこそこの体はしてたし、顔も悪くなかった。……残念だよ」
兄は溜め息をついて、首を振った。
……うそ付き。
塩山さんに乱暴しようとしたことだって、私は知ってる。
「木村さんは……」
「ああ、あのお調子者か。まあ、あいつは普段からふらふらしてたからなあ。どうせ周りを確認せずに歩いてたんだろ」
お兄ちゃんのクラスメイト、木村先輩が赤信号を無理に渡ろうとして、車にはねられて……亡くなった。
私にとって、初恋だった……木村さん。
親友、先輩、想い人。一度に全て失った私は、途方に暮れた。
そして、彼らの死に疑問を持った。どうして彼らは死んだのか。
その影に潜んでいるのは実の兄。
愛美ちゃんも、塩山さんも、今と同じ様に、睡眠薬で眠らされ、無理矢理体を奪われて……。おそらく木村さんも、お兄ちゃんが事故に見せかけて――殺したんだ。
「お兄ちゃん。全部、白状して」
「ああ?」
「私、見つけたの……塩山さんの、遺体……」
その言葉で、兄の顔は青ざめた。
「は、ははは。お前、何言ってるんだ。塩山は家出したんだよ! 今頃どこかでのんびり暮らしてるさ」
「この、真下で?」
私は、視線を床に移した。
そう、今もこの下で塩山優衣子は眠っている。我が家の床下で。
4年間も、ずっと。
「お、お前……あれを見た、のか?」
「うん。だから、もう。白状して。警察に……自主しよう?」
兄は容赦が無かった。実の妹の、私にすら。
あまりの一瞬のことで解らなかったが、私は今、兄に首を絞められているようだった。
「お前は相変らず嫌な妹だなあ? そんな嫌な妹は、お仕置きしなくちゃなあ。兄として、お前を指導してやる」
「やめ、て」
「大丈夫。お前もすぐに優衣子の所に連れていってやるよ」
意識が途切れそうになる。
「あの女、僕がせっかく抱いてやろうと思ったのに。拒みやがったよ。信じられない。この僕の愛を拒んだんだ。万死に値するね。だから、殺したのさ。そして、お前の言うとおりここの真下でお寝んねしてもらってるよ。木村もバカな奴。ちょっと背中を押したらぐしゃりだ。真田とはもう一度ヤりたかったなあ。もったいないことをした……あははははは」
やっぱり。
すべては、この人が原因だったんだ。
……信じていたのに。
……大好きだったのに。
「ひゃはっははははは! ……ぅ」
急に首を絞める力が弱くなって、私は兄の魔の手から逃げ出すことが出来た。
「……何だ? 苦しい。助けて、怜奈……」
ようやく効いてくれた。
紅茶に忍ばせた毒が。
「ごめんね、お兄ちゃん。怜奈、お兄ちゃんの事許せないよ」
「お前、紅茶に毒、を……。け、けど、僕がどっちを取るかは解らないはず、なのに」
「うん。だから、申し訳ないけど、そっちの女の子にも……死んでもらったの」
女は眠ったまま、ぴくりとも動かない。だって、死んでいるから。
ごめんね。偶然あなただっただけなの。それ以上の意味はないの。
だって、お兄ちゃんがどっちの紅茶を取るか解らない以上――両方に入れるしかないじゃない。
「怜奈……お兄ちゃんを、殺すのか」
「お兄ちゃんが悪いんだよ。あの小説を読んで……せめて良心の呵責にさいなまれて。自主してくれれば……ここまでしなかったのに」
そう。あの小説は最後通告。
気付いて欲しかった。でももう、遅い。
「助けて、怜奈……」
そして、兄は死んだ。
これで全ては解決した。
愛美ちゃんも、塩山さんも、木村さんも……浮ばれるはず。
「ふ……ふふふふふ!!」
なんだか無性に笑いたくなってしまった。確かに私は兄が大好きだったけど、同時に大嫌いでもあった。
その兄がようやく死んだ。死んでくれた。
あ、そうだ。
あの小説、投稿しておこう。
私が今日行った出来事を一生忘れないためにも……。
私は部屋に戻ると、保存用フォルダにコピーしておいたWEB『小説』をサイトに予約投稿した。
「予約日は……2017年1月23日。0時にしとこっと」
~終~
『』 岡村 としあき @toufuman
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