アイラブユー
「愛してるよ、塩山」
「私も……」
塩山は頬を真っ赤に染め、涙をこぼしながら僕に抱きついてくる。
「佐藤、くん! ああ、佐藤くんだ。これが、佐藤くんなんだ、嬉しい。ずっと望んでいたの。佐藤くんと結ばれたいって」
「塩山……」
塩山は喜びに体を震わせながら、僕に全体重を預けてきた。
僕はしっかりとそれを支え、抱きしめる。
「ずっとこのまま時間が止まればいいのに。私たち以外全員地球からいなくなればいいのに……! ねえ、佐藤くん?」
「そうだな。いなくなればいいんだ」
僕は塩山の右頬をなで、左手で塩山の腰に手を回した。
「佐藤くん、大好き……」
「そうか。じゃあ、僕のお願い、聞いてよ」
「何?」
「死ね」
腰に回した左手で塩山の右手で握られていたカッターナイフを無理矢理奪い取り、片方の手で塩山の体を思い切り突き飛ばした。
塩山は校庭の土の上に背中から倒れこみ、仰向けになる。
「佐藤、くん?」
「言っただろう? 僕とお前が吊り合うわけが無いんだ。お前みたいな、お前みたいな、薄汚い殺人鬼が! お前を警察に引き渡したら逆恨みするに決まってる! 自殺に見せかけて……ここで殺してやる」
「どうして? どうして? どうして?」
仰向けになった塩山は体を起こすと立ち上がり、僕の足にしがみついてきた。
凶器は奪い取った。もう、怖くなんかない。こんな危険な女はここで始末してやる。僕の手で。
その上で、自殺に偽装してしまえ。
「うるさいんだよ、このメンヘラ女!!」
もう一度押してやった。
その拍子に塩山の体から何かが落ちた。
何だ、あれは?
それを拾い上げてみる。
「だ、だめぇ! それは、私の宝物なの!」
これは……。
「僕の、歯ブラシ……何で、ここに?」
「お願い、返して!!」
塩山はあっという間に僕から歯ブラシを奪い取ると、土を払い大事そうに頬ずりした。
「お前……それをどこで」
「どこって……佐藤くんのお家じゃない。洗面所の歯磨きたてに、右から二番目にさしてある、あなたの歯ブラシだよ」
「何?」
何を言ってるんだ、こいつ。
「佐藤くん。妹さんに注意してあげたほうがいいよ。ちゃんと、窓にカギをかけたほうがいいって」
「お前、勝手に家に入ったっていうのか!? 怜奈の部屋から? 二階だぞ、どうやって!」
「それくらい、簡単だよ? 屋根を伝って、飛び移ればすぐなんだもん」
絶句する。そんなことを平然とやってのけるこいつの神経に。
そうだ……ちょっと待て。こいつ、どこにこんな物隠してた? 今、こいつは服なんて……。
「これを持っていると、佐藤くんと一緒にいる。守られているって気分になるの」
そう言うと、塩山はブラジャーの中の大きな2つのふくらみに、僕の歯ブラシを挟み込んだ。
冗談じゃない。
こいつは、壊れてる。
言葉を交わすだけで精神が汚されそうだ。
「うるさい! 今すぐお前を殺してやる! 死んであの世に行って、真田と木村に頭をさげてこい! そして、地獄に落ちろ!」
カッターナイフの刃を塩山に向けて、僕は叫んだ。
「どうして? どうして、そんなひどいこと、私に言うの? 佐藤くん」
「黙れ黙れ黙れ!! そこを動くな!」
塩山の頬を大粒の涙が滑り落ちる。
そして、彼女の心に反応するかのように、雨がぽつぽつと降り始めた。
「佐藤くんは、とっても優しいの。私が困っているとき、いつも助けてくれる王子様。天使のような男の子」
顔を地面に向けたまま、ぼそぼそとまるで呪詛のように、片言で何かをしゃべっている。
「うるせえ! 舌を引き抜くぞ!」
僕の脅しが通じたのか、塩山はぴたりと泣き止んだ。
「そうか。解った」
「何がだ?」
「あなたは佐藤くんじゃない」
「は?」
「佐藤くんの優っていう名前は、誰にでも優しいという意味。でも、あなたは優しくない」
静かに立ち上がる塩山。
彼女の顔は雨が降りしきる中、前髪で顔の半分が覆われていた。
そこから。
「あなたは佐藤くんじゃない」
狂気と。
「あなたは佐藤くんじゃない」
憎悪が。
「佐藤くんの体に乗り移った悪魔め」
あふれ出した。
ありえないほど歪んだ唇。よだれか何かが雨に混じって、口元から糸を引いて水が垂れだしている。
「殺してやる。悪魔め……」
ポニーテールだった髪はほどけ、長い髪を振り乱しながら、血走った目で。
「佐藤くんを返せ!」
塩山はゆっくりと、僕に向って歩いてきた。
「塩山、やめろ、来るな! これが見えないのか!? カッターナイフだぞ」
塩山に向って振り回すが、まるで怯えた様子は無い。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「佐藤くんを、返して」
やってくる。
幽霊? ゾンビ? そんなもんで怖がっていた自分がバカみたいだ。
目の前のこれは……生きて動く恐怖そのもの。
「う、うああああああああああああ!」
逃げろ。
逃げて警察に通報だ。
どこへ逃げる? そうだ。校舎だ。どこかの教室にでも隠れて、警察が来るまで持ちこたえよう。
僕は、塩山に背を向けると校舎へ走り出した。
背後で僕を呼ぶ塩山の声。それを聞こえないように、耳に手を当てフタをして、校舎に駆け込む。
上履きに履き替えている余裕は無い。そのまま廊下に滑り込み、階段を駆け上がる。
途中一度振り返ってみたが、塩山の姿はなかった。少し安心して最上階の踊り場にたどり着くと、息を整え、周囲を見回す。
……大丈夫だ。誰もいない。
よし、今のうちに電話を――。
「ん。メールが着てる? こんな時に、誰から……」
不審に思ったが、差出人のアドレスを見て僕は固まった。
iloveyou@softbunk.ne.jp。
こんなアドレス、僕は知らない。アイラブユー。アイラブ、ユウ。アイ、ラブ……優……?
塩山……なのか?
アイラブ優。とかけて、うまいことを言ったつもりか。
本当は無視して、すぐにでも警察へ連絡したほうがいいんだろうけど……気になる。
開けて、みるか?
思い切って、そのメールを開いてみた。
「URL?」
そこに文面は何も無く、ただURLがはりつけてあるだけだった。
ここに、飛べっていうことか。
何があるんだ。ここに?
URLをクリックする。
「あ」
飛んだ先は、あの恋愛小説だった。しかも、完結されている。どうやら、最終話が投稿されたらしい。
さらにそこから最終話に飛んでみる。
『降りしきる雨の中、私は佐藤くんと見つめあい、抱き合った。そして、2人は結ばれ、幸せな日々を過ごしました。おしまい』
「おしまい」
耳元で誰かが囁いた。
当然、今の「おしまい」は、僕のセリフじゃない。
女の声。知ってる声。
振り向けば、塩山が笑顔で立っていた。
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